───あおぞらのうた───
───…………。
予感がなかったわけじゃない。
ただ俺は逃げたかったんじゃないかな。
そう思って……俺は小さく溜め息を吐いた。
───顔を上げて、サクラを見る。
サクラは寂しそうな顔をしながら、俺を見て微笑んだ。
……とても弱々しい顔。
それは……俺にあることを連想させた。
遥一郎「………」
それは終わり。
時間がある筈だと思っていた時間は、もしかして刹那のものなのだったのでは───?
遥一郎「……訊いてみたくなんかないんだけど、な……。出来れば言ってくれないか。
正直……認めるのが怖い。怖いよ……俺は」
サクラ「………」
サクラが俯く。
瞬間的に見えた顔が、まるで目に焼きつくように視界に残った気がして───
俺は、理解してしまった。
サクラ「……お別れ、です……」
その言葉に……ああ、やっぱりって……思ってしまった。
遥一郎「……どうにも、ならないんだよな?」
サクラ「与一と同じ時の中で生きようとした時点で……
わたしはもう消えるしかなかったんです。
奇跡の魔法を使う者は、自分の存在率を託して奇跡を発動させます。
わたしの魔法はサイファーに流れてしまったから……
成長の時を動かしてもらった時点で、わたしは消えるほかなかったんです」
遥一郎「今までは天大神に時間を止めてもらってたから……だよな?」
サクラ「……はい。それでも少しずつ存在が消えていくことは解ってました」
天大神との話ってゆうのはつまり───……壁を剥がしたんだ。
『停止した時間』という壁を。
遥一郎「どうして……消滅を早めるようなことをしたんだよ。
俺は、せめて今日くらいはずっと一緒にって……」
サクラ「………」
俺の言葉に、サクラはゆっくりと首を横に振った。
そして───
サクラ「わたしは……与一と一緒の時間を歩きたかったんです。
ひとりの女の子として……」
遥一郎「───……」
サクラ「どうせ消える命なら、ちゃんと自分として向き合いたかったんです。
たとえそれが消滅を早める行為だとしても……後悔は無い。
そう思ってたつもりでした……」
サクラは無理に笑顔を作って、目に涙を溜めながら言った。
サクラ「でも……後悔は無いなんて、そんなことあるわけなかったんです……。
与一ともっと一緒に居たい……もっとたくさんお話したい……。
消えてしまうなんてイヤ……!イヤなんです……!」
遥一郎「サクラ……」
サクラ「どうしてわたし、
奇跡の魔法なんてものを持って生まれてしまったんでしょう……。
こんなものがなければ、ずっと与一と一緒に居られたのに……!」
遥一郎「………」
泣き出してしまった彼女に、俺は何も言えなかった。
だけど俺は、それでもいいと思って彼女を抱き締めた。
サクラ「あ……」
遥一郎「………」
特に言うことなんかなかったんだと思う。
俺はただ彼女を抱き締めて、昔やったようにその頭を撫でた。
サクラ「与一……」
遥一郎「サクラ、泣いてばっかりじゃあ強い大人にはなれないぞ?」
サクラ「でも……与一……でも……」
遥一郎「………」
俺を見上げるサクラに、俺は小さく微笑みかけた。
そして、頭を撫でながら言う。
遥一郎「……教えてくれサクラ。存在率が無くなったお前は……どうなるんだ?
俺みたいに何かになるのか、それとも───」
サクラ「……」
遥一郎「サクラ……?」
サクラ「奇跡の魔法を使った時と同じです……。
奇跡の魔法は自分の存在率を奇跡に変えるものです。
だから……存在率が無くなった者は、やっぱり別の何かになります……」
遥一郎「そっか……」
見上げるサクラの涙を拭い、また抱き締める。
せめて彼女が消える前に、その存在を確かめるように。
だけど……現実ってのは無慈悲だった。
遥一郎「───!」
サクラ「あ……っ」
サクラの体が薄れ始めた。
サクラは怯えるような顔で俺を見上げて、必死に俺を抱き締めてきた。
その体は震えている。
サクラ「与一……イヤです……与一ぃ……!」
やがて聞こえる泣き声。
サクラの涙が俺の服に染みて消えるたびに、彼女の嗚咽が耳に届いた。
……また泣かせてしまった。
こんなことはもう、無いって思ってたのに。
遥一郎「………」
サクラ「与一……与一ぃ……!」
でも……俺は泣き顔のままで彼女と別れたくなかった。
自分のエゴだなんてことは解ってる。
それでも彼女に、泣き顔のままでなんて消えてほしくない。
かつて、俺が笑顔のままに消えたように、彼女にもまた……いや。
自分で決めただろう、サクラにはサクラらしく消えて欲しいって。
遥一郎「なぁ、サクラ……」
サクラ「与一ぃ……」
遥一郎「……サクラ」
呼んでも、俺の胸に顔を埋めたまま泣き続けるサクラの頭をもう一度撫でる。
サクラ「……与一……」
サクラはさっきよりもひどい泣き顔で、俺を見上げた。
遥一郎「サクラ……今から我侭を言うけど、どうか聞いて欲しい」
サクラ「………」
遥一郎「もし存在率の消滅が、その存在への消滅に繋がるなら……
もしその消滅が別の何かへの変異を可能にするなら……
……それなら、俺の夢になってくれないか?」
サクラ「夢……?」
涙を溜め、まだ嗚咽交じりの声のサクラの涙を指で拭う。
遥一郎「ああ、夢だ。俺の夢になって、ずっと幸せな夢を見よう。
そうすれば……ずっと、ずうっと一緒に居られるから……」
サクラ「与一……」
遥一郎「その……恥ずかしいから一度しか言わないぞ……?
俺だってな……俺だって……もうお前と離れたくなんかないんだよ……。
ずっと一緒に居て、今まで離れてた分の幸せを取り戻して……
あの穏やかだった頃みたいに、笑い合いたかった……もっと、ずっと……」
サクラ「みぅ……」
俺の言葉に涙をこぼすサクラの頭を撫でながら、その小さな体を抱き締めた。
そして……まるで大切なものを離したくない子供のように、やがて……俺も泣いていた。
遥一郎「ずっと……俺と、一緒に居てくれ……」
サクラ「……うん……」
遥一郎「もう、大切な誰かを失うのは……イヤなんだ……」
サクラ「うん……」
遥一郎「俺より何年もあとに生まれた人が死んでいくのが辛いんだ……」
サクラ「……うん」
遥一郎「精霊として存在するようになって……俺の周りにはいろんなことがあった……」
サクラ「………」
遥一郎「昔一緒に騒いだヤツが大人になってて……俺のことを見て驚いてさ……。
その時……『ああ、俺って人間じゃないんだ』って思っちまってさ……」
サクラ「与一……」
遥一郎「それでも……また会えたことが嬉しかった……。
いつかと同じように接してくれたのが嬉しかった……。
あの時みたいにまた話せたことが……とても嬉しかった……」
笑っててほしいだなんていって、俺が泣いてちゃ世話無い。
そう思っても、涙は止まってくれなかった。
そんな時に思う。
俺はサクラの目の前で消える時、ちゃんと笑顔でいられたんだろうかって。
それを考えると、今度こそって思えた。
永遠の別れを悲しむんじゃなくて、いつかどこかでまた会えるように、って。
そう思いながら別れよう。
せめて、彼女が安心しながら消えられるように。
遥一郎「サクラ……気休めでもいい。俺の中の夢になりたいって思っていてくれ。
そうすれば俺が消えた時みたいに、願いが叶うかもしれないから……」
サクラ「与一……」
遥一郎「だから……いつかお前が精霊になれたとしたら、その時にまた会おう?
俺は……俺はずっと待ってるから……」
サクラ「………」
サクラは何も言わず、俺を見上げていた。
どこか不安な表情をして、だけどやがて微笑んだ。
その頃にはもう、サクラの体は完全に透けて見えていた。
その事実に驚いた時、ふと……サクラは背伸びをして、俺にキスをした。
遥一郎「サクラ……」
別に驚きはしなかった。
いや、実際少しは驚いたのかもしれない。
消える間際、俺がしようとしていたことを彼女からしてきたのだから。
だけど……その驚きは、次のサクラの言葉に比べたら小さなものだった。
サクラ「与一……ウソつくのヘタです……」
困ったような顔。
そして涙を見せて、それでも彼女は微笑んだ。
サクラ「わたし、知ってるんですよ……?与一が終わりを迎えようとしてること……」
遥一郎「……どうして」
サクラ「レイル兄さんが教えてくれました……。『凍弥』って人が消えかけてるって」
遥一郎「………あ」
さっき小声で話して───あの時か。
あの馬鹿野郎……。
サクラ「与一はその人のために自分の存在率を渡すつもりですね……?」
遥一郎「……ああ」
サクラ「だったら、わたしも連れていってください。もう……ひとりぼっちは嫌です」
微笑む彼女が薄れてゆく。
俺はその存在を繋ぎとめるように抱き締め、
だがその抱き締めている感覚すら解らなくなってゆく。
これが……『消える』ってことなのか。
抱き締めているのに抱き締めた感触が無くなってゆくなんて。
……俺が消えるわけじゃないのに、どうしてこんな……!
サクラ「与一……これからは……ずっと一緒ですよ……」
遥一郎「サクラ……サクラぁ……」
やがてサクラは俺が望んだ通り、笑顔のまま俺の腕の中で消えた。
抱き締めていた感覚も無く、まるで全ての記憶に忘れ去られたように消されていた。
でも……俺はサクラを覚えている。
それなのに……
遥一郎「……抱き締めた感覚が思い出せないなんて……あんまりじゃないか……」
俺が消えた時にサクラがどんな気持ちだったのかが今更になって解った。
だけどもう謝ることも出来ない。
謝ったところで返事なんてないのだから。
だけど───
遥一郎「………」
この胸の中に、確かに暖かいものが宿ったことを感じた。
それはきっと───
俺が彼女に願ったことなんだろうと思って……俺は穏やかに微笑むことが出来た。
もう、こんな悲しみは終わりにするから。
だから……全てが終わったら長い長い夢を見ようか。
不幸って言葉の意味が解らなくなるくらいの、永い永い夢を……───
───そして俺はここに居る。
リヴァイアの部屋……その薄暗い部屋をぐるりと見渡して。
何処かに行ってるのか、人の少ない部屋の中を確認してから、
ベッドの上で眠る凍弥へと視線を移す。
どうしてか、弦月と朧月嬢と佐古田が居たが……
眠っているやつらを起こす気にはならなかった。
遥一郎「………」
ベッドの上で寝たきりの凍弥は、これから消えるような顔には見えやしなかった。
遥一郎「……穏やかな顔しやがって」
俺はそう呟いて苦笑してみせる。
───凍弥の中の奇跡のカケラが消えようとしている。
今までもったのが不思議なくらいだ。
それは恐らく、閏璃凍弥のお蔭なのだろう。
遥一郎「───……」
ベッドに寝かされている凍弥を見下ろす。
十数年間、ほとんど兄みたいに接してきた俺が、今じゃあ背の高さも追い抜かれている。
ついこの間までは小さなガキんちょだった凍弥が。
遥一郎「……はぁ」
ほんと、大きくなっても手間を取らたり迷惑かけたり。
いつから女泣かせるような男になったんだよ、馬鹿。
遥一郎「……でも」
でも。
やっぱり放っておくことが出来ないところを考えると、
俺も相当に馬鹿なんだろうと自覚する。
だから───俺は凍弥の額にデコピンを見舞ってやると、その場から消えた。
いや、消えようとした。
だけど、そこに降りてくる影があった。
遥一郎「───美紀か。大丈夫なのか?ミニの傍に居なくて」
美紀 『正直、相当辛いです。でも───サクラちゃんの奇跡の魔法もなくなって、
いい加減、サクラちゃんの場も弱くなってきてるから……。
だから、ですね。わたしも連れて行ってくれませんか?』
遥一郎「……本気か?」
美紀 『それが凍弥くんのためになるんだったら、それでいいと思うんです。
わたしがずっと残っていても、サクラちゃんの疲労を増やすだけだし……
それにわたし、結構嬉しいんですよ?凍弥くんの役に立てるから』
遥一郎「………」
別に、止める権利なんて俺にはない。
思うことが一緒なら、俺は───それに頷いてやるべきか……。
遥一郎「……解った。じゃあ、俺の中に入ってろ。じきに同化する」
美紀 『……はい。あ、あのっ』
遥一郎「うん?」
美紀 『……お世話に……なりました。中学出るまでは迷惑かけっぱなしでしたね。
まだ一度もお礼言えてなかったから……最後くらいは』
遥一郎「……ああ。お互い、面倒のかかる知り合いを持ったな」
美紀 『はい。でも……後悔なんてしてませんよ?』
遥一郎「ああ、俺もだ」
俺がそう答えると、美紀はクスクスと笑いながら……やがて。
俺の中に消えていった。
遥一郎「……この……幸せもの」
寝たままの馬鹿野郎の額にデコピンを一発贈呈した。
そしてそのまま……苦笑しながら、その場から消えた。
───……。
ザァ、と桜が鳴った。
目の前には大きな桜の木。
俺が転生したその木は、夜風に吹かれながらも花を落とさない。
遥一郎「……蒼木、レイチェルさん」
俺は空を見上げて、イマンシペイトに力を込めてその言葉を口にした。
途端、桜の木の上にある空が輝き、桜の木を包むように風が降りてくる。
澄音 「…………いいのかい?」
降りてきた風───蒼木は、俺にそう言ってきた。
俺はその言葉に頷く。
レイラ「もう二度と転生が出来なくなりますよ?」
遥一郎「構わないさ。
奇跡なんてものが簡単に起こる世界じゃあいつかはおかしくなっちまう」
澄音 「そうかもしれないね。
人は奇跡に頼るより自分の力を……そして、人の力を信じるべきだ」
そう。
もう終わらせてしまえばいい。
いや、元に戻るんだ。
奇跡なんてなかった世界に。
遥一郎「お前らこそいいのか?これは俺の我侭だ。お前らが付き合う必要は───」
澄音 「それ以上は言わなくていいよ、穂岸くん」
レイラ「そうですよ。澄音さんはあなたに付き合うでしょうし、
わたしは澄音さんとは離れたくありませんから」
遥一郎「……蒼木……レイチェルさん……───ありがとう」
俺は、俺の我侭を受け入れてくれたふたりに心から頭を下げた。
澄音 「さあ、これが最後の奇跡になるね」
遥一郎「……ああ」
澄音 「あとの判断はキミに任せるよ。
僕がキミだったら、きっと同じことをするだろうから」
蒼木が、俺の胸に手を合わせて目を閉じ、俺の中に消えてゆく。
レイラ「サクラのことを受け入れてくださってありがとうございました。
あの子もきっと幸せだったでしょう」
遥一郎「……そうかな……そうだといいな」
レイラ「希望という名の奇跡が、あなたとともにあらんことを───」
レイチェルさんも同じく、蒼木のように俺の中に消えてゆく。
遥一郎「………」
そうして、空の光とこの場に吹く風は消えた。
あとは───
───……トン。
俺は彼女が眠る部屋へと降り立った。
遥一郎「………」
彼女は規則正しい寝息をして、気持ち良さそうに眠っている。
俺はそんな彼女の額に触れ、小さく念じた。
───……しばらくして、彼女の中からひとりの少女が現れる。
ノア 「マスター……ッ!」
彼女……郭鷺悠季美から具現させたノアに微笑みかけ、頭を撫でてやる。
ノアは俺に抱き着いて、小さく涙を流していた。
遥一郎「……今まで会いに来てやれなくてごめんな」
ノア 「いえ……っ!いえ……っ!」
俺の存在を確かめるように、きつく、きつく抱き締めてくる。
俺もそれに応えるようにノアを抱き締め、そして小さく笑った。
あの頃と変わっていないノアが、なんだか嬉しかったから。
でも……再会を喜んでいる時間は長くない。
遥一郎「……ノア。今日はお別れを言いに来たんだ」
ノア 「え───?」
遥一郎「俺は今日、最後の奇跡になって消える。
だからな、今日はお別れを言いに来たんだ」
ノア 「そんな……」
遥一郎「俺とサクラと蒼木とレイチェル……その小さな奇跡を集めて、
ひとりの世話の焼けるバカヤロウに未来を作ってやろうと思ってな」
ノア 「マスター……」
悲しげな顔で俺を見上げるノア。
一度俯いてカーペットに雫を落とすが、やがてもう一度俺を見上げて言った。
ノア 「……マスター。どうか、このノアもお共させてください」
遥一郎「ノア……?」
ノア 「わたしはあなたの傍でなければ輝けない石です。
エメラルドという名前が泣きます。
ですから……どうか、わたしを輝かせてください。
わたしの奇跡の魔法ももう力が少ないですが、少しはお力になれます……」
遥一郎「……いいのか?」
ノア 「……当然ですよ、マスター。わたしは……あなたの傍がなによりも大好きです」
ちゅっ───
遥一郎「ふぐっ!?───こ、こらっ!」
ノア 「ふふっ……いままで待たせたツケですよ、お兄ちゃん───」
悪戯っぽく笑うノアは、最後の最後まで俺を苛めてから───俺の中に消えた。
遥一郎「……お兄ちゃんって言うヤツが、兄にキスするなよな……」
……ったく。
悠季美「ん……なに……?」
遥一郎「おっと」
モゾモゾと動いた布団に反応して、俺はさっさと消えることにした。
キミの未来が幸せでありますように、なんて。
まるで蒼木のようなことを言い残して。
───……。
そして、凍弥の部屋に降り立った。
遥一郎「………」
その寝顔は相も変わらず、これから消えるヤツの顔には見えなかった。
遥一郎「……ったく。どんな夢見てやがるんだか」
小さく悪態をついて、その寝顔を突ついた。
すると寝苦しそうに唸り、俺を小さく笑わせた。
やがて目を閉じて自分の中にある奇跡の魔法を発動させる。
遥一郎「……いろいろあったけど……楽しい人生だったなぁ」
妹を守ろうと思ったあの時。
フレアのために笑おうと思ったあの時。
ひとり暮しがしたくて躍起になっていたあの時。
サクラと初めて会ったあの時。
真由美さんやマスターさんや女将さんに会ったあの時。
学校で大凶引いたあの時や、観咲と蒼木に会ったあの時。
桜の木になった時……凍弥と会った時。
そして……今までのすべての時。
その全部が今、光となって消えようとしている。
光は小さな珠となって俺の周りを漂い、辺りをぼんやりと照らす。
遥一郎「……なぁ凍弥……楽しかったなぁ……」
その光がだんだんと凍弥の傍に漂っていき、俺のもとから離れてゆく。
遥一郎「俺さ、思うんだ……。いつかハッと気づいたらベッドの上に居て───
時計を見て驚いて……慌てて着替えて部屋を出てさ……。
サクラに挨拶してノアの料理に驚いて、
いつかみたいに観咲と蒼木が家に来てさ───」
やがて、俺の体が薄くなってゆく。
遥一郎「そして普通に学校に行って……途中で真由美さんと会ってさ……。
学校に行ったら亮錐先生のことをわざと用水先生って呼んで笑って……
そしてさ、フッと気がつくと……
すべてが夢だったことに気づくんじゃないかって……」
俺はそんな体を見て苦笑する。
遥一郎「俺は精霊になんてなってなくて、蒼木もノアも消えてない世界があって……
ただ俺が見ている夢が延々と続いてるだけなんじゃないかって……。
そう、思うんだ……」
ぼんやりと輝く光がゆっくりと凍弥の中に染み込んでゆく。
遥一郎「そんな時さ、俺はその夢の話をみんなに話すんだ。
そしたらみんなは『なんだそりゃ』って笑って……
俺はやっぱりそれが夢だったことを確信して、
いつまでも笑ってる観咲に罵倒を飛ばして……」
それを確認すると、まず俺の足が見えなくなった。
遥一郎「そしたらいつもの言い合いが始るんだ。
真由美さんが止めてくれるんだけど、俺と観咲は言い合いをやめなくて……
でも……また、みんなで笑うんだ……。ははは、ってさ……」
胴が見えなくなる。
遥一郎「………」
ぺちんっ。
凍弥の額にもう一度デコピンをすると、腕が見えなくなった。
やがて胸も消えて、───全てが消える頃。
『───……ああ……本当に……楽しい夢だった───』
俺はそう言い残して───この世界から消えた。
まるで永い永い夢を見るために眠るように。
やがて───ただの日常に帰るんだ。
穏やかに流れる時節を歩み、退屈だけど充実していた日常へと。
視界が消える瞬間、考えていることが遮断される。
だというのに怖くもなく、むしろ懐かしい故郷へと帰るみたいに……俺は笑っていた。
───……夢を見た。
穏やかな陽射しが差し込む教室の中で、穏やかな時間に見守られながら。
授業中だというのに騒がしい景色の一角の中で、与一が笑っていた。
雪音 「ホギッちゃん!なんてことするのよぅ!」
遥一郎「早弁してるお前が悪いんだろが!」
真由美「わわわっ、ちょっとふたりともっ、今授業中だよっ?」
澄音 「雪音、ご飯の合間にお茶はどうかな」
遥一郎「蒼木っ!穏やかにお茶を奨めてる場合かっ!」
澄音 「穂岸くんもどうだい?」
遥一郎「ごっつぁんです」
真由美「与一くん……」
遥一郎「ハッ!そ、そうじゃなくて!」
雪音 「ホギッちゃんてばやっぱりボケ〜」
遥一郎「黙れSTB!!」
雪音 「えすてぃーびー言うなぁっ!
妹さんにメイド服着せて楽しんでる変態さんなくせに!」
遥一郎「ばっ……ばばば馬鹿者っ!!妙なこと言うなぁっ!!」
真っ赤になりながら首を振る与一は、なんだか見ていて可笑しかった。
そして理解する。
これが与一が望んでいた『人としての日常』なのだと。
クラスメイトと馬鹿やって、誰が見たって普通だとしか思えない日常を歩くこと。
それが、彼にとっての掛け替えのない夢だったんだ。
───好きで精霊になったわけでもなく、好きで友達を失ったわけでもない。
そんな与一が普通の日常を望むのは当然のことなのかもしれない。
そう思うと……この夢が暖かすぎて、俺はいつしか泣いていた。
亮錐 「お前ら人の授業を真面目に受ける気あるのかっ!」
雪音 「あらら、あんまり怒るとハゲるよ?用水センセ」
亮錐 「亮錐だっ!!」
遥一郎「ははっ……あははははっ!」
澄音 「雪音?いい加減名前を覚えてあげないと可哀相だよ」
遥一郎「無駄だよ蒼木。こいつは覚えても3歩歩くと忘れるんだ。
よく言うだろ?馬鹿とニワトリは3歩歩くと忘れるって」
雪音 「わたしそこまで馬鹿じゃないよ!」
遥一郎「じゃ、椅子に座る前に何言ったか覚えてるか?」
雪音 「えっ!?え、えーと……」
遥一郎「馬鹿」
雪音 「うきゃぁあああああああっ!!!!」
───夢は続いてゆく。
暖かく、穏やかで……そして賑やかな夢が。
時には笑い、時には怒って……だけどまた笑って。
いつまでもいつまでも、誰かが欠けることなくその日常は続いてゆく。
家に帰っても迎えてくれる人が居て、
そこでも騒いだり慌てたりして……でも、最後にはみんなが微笑んでいた。
───その夢は。
そんな変わり映えのしない『普通の日常』がずっと続いてゆく……
とても……幸せな夢だった……───
───…………。
ザァ、って……枝が風に揺らされた。
冬の寒さを無視するように蒼かった空は、
その季節に相応しいように白く濁り───
そんな時節に揺られながら、わたしはその場所を目指していた。
───早朝に吹く風は冷たい。
どこか暖かさがあった風はどこに行ってしまったのか、
なんて考えて、ちょっと笑ってしまった。
真由美「………」
長い階段を登ってゆく。
昔みたいに駆け上がれないのがちょっと悔しいと思うと、やっぱり歳だなぁって思う。
でも、歳をとることは悪いことじゃない。
そう思ってるから、多分笑えることが出来るんだと思う。
真由美「はあ……」
吐く息も白い。
どうしてこんな朝からこの街に来てるの?なんて言われても───
わたしも、事情を話された人も、苦笑するしかないんだと思う。
───ただ、懐かしい夢を見た気がした。
暖かく、楽しく、誰も欠けることのない、幸せな日常の夢を。
そんな夢を見たわたしは、朝っぱらだというのに車を動かして───
懐かしいこの街にやってきた。
……ううん、戻ってきた。
真由美「…………」
───頂上に辿り着く。
そこから見渡す景色は随分と変わってしまったけれど……その街はその街のままだった。
鷹志と離れ離れになって、お父さんとお母さんの仕事の手伝いをして、
学校に通っていろいろな人と会って───
真由美「………」
いろいろな思い出がある。
記憶のピースをひとつずつはめてゆくと、なんだか懐かしい気持ちになれた。
……でも。
そのパズルが……完成しない。
声 「……まゆ、ちゃん?」
真由美「え……?」
懐かしい声を聞いた気がした。
振り向いて見れば───そこに居たのは……
真由美「……ゆきちゃん?」
観咲雪音……その人だった。
どうして、って思ったけど……なんだか。
そんなことを訊くのは無粋な気がしちゃったから……
わたしはにっこりと笑って、彼女を手招いた。
ゆきちゃんはわたしの隣に立つと、その場に座って……わたしもそれに習った。
雪音 「……多分。言わなくてもいいこと……なんだよね?
わたし、馬鹿のままだから自信ないけど……」
真由美「……うん」
きっと同じ気持ちだった。
その高台から見下ろす、かつて学生だった頃に駆け回った街。
それを見ても思い出せないなにかと、ただただ涙が出るくらいに懐かしい思い。
雪音 「ん、んー……ンッと……あわっ!?」
ぼてっ。
ゆきちゃんが大きく伸びをして……倒れた。
真由美「ゆきちゃん?」
雪音 「あ、あれぇ……?ここにさ、いい背もたれがなかったっけ?
おっきくて、綺麗で……」
真由美「………」
それはわたしも感じていた。
ここには綺麗な何かがあって、
学生時代───それにもたれかかるととても暖かな気持ちでいられた。
でも、もたれかかってた理由も、
大人になってからここにお花見に来た理由も、なにも思い出せなくなっていた。
だけど……これだけは言える。
雪音 「……でもさ。この場所……」
真由美「うん……」
『……なんだか、おかしなくらいに懐かしいよね』
……ふたりの声が重なって……その空に消えた。
その時、どうして懐かしいって思えたのかが解らない。
わたしたちがこの場所に来ることなんてまるでなかった。
お花見に来たり、少し立ち寄ったりしただけだったのに。
どうして……友達と仲良く笑い合っているような気分になれるんだろう。
真由美「……あのね?夢を……見たの」
雪音 「……いいよ、言わなくても。不思議だけど、なんだか解っちゃうんだ……」
真由美「……うん」
言葉なんて要らない。
ただこの場所でその景色を眺めていようか。
多分わたしたちは、もうあの夢を見ることはないのだろうけど……
その思い出せないなにかが、その夢の先で幸せで居られてるって確信できるから。
だからわたしたちがその夢を見れないと思うのは、
見る必要が……ないからなんだろう。
その何かはようやく幸せを見つけられて、笑っていられてるんだろうから。
あの懐かしい景色の中で、穏やかな季節に揺られながら……
絶えることのない日常の中で、楽しそうに笑っていられているのだろうから───
真由美「ねぇ、ゆきちゃ……あ」
ふと見たその姿に呆れてしまった。
ゆきちゃんはこんな寒空の下で、のんきに眠りこけてしまっていたのだ。
真由美「……風邪、引いちゃうよ?」
そう言いながらも体を寝かせる自分が可笑しかった。
わたしも風邪、引いちゃうかな……と思いながら、ゆっくりと空を眺めた。
───……誰に向けて言おうとしたのかは解らない。
でも……その何かを送り出したい気分だったから。
わたしは笑顔で手を振った。
『幸せにね、───』
記憶がおぼろげだけど、わたしは誰かの名前を呟いた。
その名前が妙にしっくり来て───ああ、そういえば……って笑った。
昔、確かにそんな名前の人と笑っていた。
気がつけばいっつもゆきちゃんと言い争っていて、
喧騒の絶えない日常の中で確かに笑っていた誰か。
でも……ごめんね。
このまどろみから覚めたら、わたしはキミのことを忘れてると思うから……
だから、今言わせてね。
……『楽しかったよ、すごく、すっごく。……ありがとう、与一くん───』
そう呟くと、わたしの中から最後のひとかけらが消えていってしまった。
その時になって初めて、わたしは自分が泣いていることに気づいて……
けど、その涙を拭うことなく……
暖かみの無くなったその空と風に抱かれながら、やがて眠りいついた……───
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