ひとつの思いが叶った。
長かったけど、ずっと気づけなかったけど、確かにあったその思い。
互いに好きだった筈なのに、
俺が気づけなかったために随分と遠回りなひとつのゴールを迎えた。
だけど彼女は微笑む。
俺はこんな笑顔を自分の手でずっと守っていきたいと思った。
スイッチが入るだけでこうまで変わる自分がおかしくて、家に帰ってから随分と笑った。
朝起きて、それが夢じゃなかったことを実感して、ふたりして笑った。
そして歩く。
道は、ここからが出発点だというかのように、無限に広がって見えた───
───この世界。きみと、あなたといつまでも───
『なにぃ!?朝か!?朝』
ガション!
『ギャッ!』
やかましい目覚ましにネリチャギを叩き込んで黙らせた。
騒ぐな、もう起きてる。
凍弥 「うーむ、いい朝だ。ごらん、こんなにもいい天気」
カシャア!とカーテンを広げ、窓を開けザァーーー……
凍弥 「…………………………オイ」
雨が降っていた。
人が清々しい朝を迎えようとしてるのになんなんだよこの天気は。
凍弥 「フッ……そうか。神の野郎、俺を妬んでやがるんだな?」
ガカァッ!どがしゃああああんっ!!
凍弥 「うおぉっ!?」
雷が目の前に落ち、水溜りにハジケた。
咄嗟に顔を逸らしたから目が潰れることはなかったが……神め、本気か?
がらぁっ!
来流美「ちょ、ちょっとなんの音よ今の!」
来流美が窓を開け放って周りを見る。
が、既に騒ぎは済んでいる。
凍弥 「よし来流美、あの水溜りを触ってみてくれ」
来流美「…………もしかして、あそこに落ちたの?」
凍弥 「うむ」
来流美「……うるさいわけだわ」
来流美が溜め息を吐く。
実際、俺も耳鳴りはしている。
でも水に散った電気ってたしか数分か数十秒で消えるんだったよな?
もう大丈夫だろ。
声 「お……友よー!」
凍弥 「ん?おお、ビッグボインじゃないかー!風邪ひかなかったかー!?」
柿崎 「ビッグボイン!?」
声のした方向を見ると、外を歩くビッグボイン。
その手には大きく『阿修羅』と書かれた雄々しい番傘。
すげぇ、さすがビッグボインだ。
柿崎 「誰がビッグボインだこの野郎!」
凍弥 「あ、いや止まれビッグボイン!そこから先はまだ危ない!」
柿崎 「やかましい!もうお前の言うことなんぞ聞いてられるか!
今の俺は我が道のみを突き進む阿修羅ぞ!
誰にも止めることは出来ギャアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
ビッグボインが水溜りに差しかかる頃、一瞬だけビッグボインの骨が見えた気がした。
すげぇ、エレクトリックサンダーだ。
しばらくしてビッグボインは救急車で運ばれていった。
……確かにな。
人じゃないなら、誰かが止めたってことにはならなかったし。
俺は溜め息を吐いて身支度をした。
来流美も呆れながら顔を引っ込める。
さてと。
着替え終わった俺は階下へと降り、顔を洗って歯を磨いて決めポーズをとった。
凍弥 「へへっ……今日もきまってるぜ」
そして某ナイトゥルースの(略)
洗面所を出ると鼻腔を捻じ曲げる逆フローラルな香り。
姉さんが珍しく料理を作っている証拠だ。
となると、パン屋は休みか。
俺はどことなく覚悟を決めながらダイニングへ赴いた。
……すると、ガリガリガリ……と妙な音。
葉香 「……チッ、またこびりついたか……。
これだから安物のフライパンは困る。
油無しじゃあ満足に卵を焼くことも出来ないのかお前は」
そう言ってフライパンをグニィイイと曲げてギャア!!
凍弥 「ね、姉さん待った!ていうかどういう握力しとるんですかアータ!」
葉香 「凍弥か。今このフライパンを料理してやってるんだ、邪魔するな」
凍弥 「フライパン料理してどうすんじゃい!あーあー、こんな曲げちゃって……」
葉香 「油が切れているとはいえ、卵すら焼けないソレが悪い」
んな無茶な……。
葉香 「……ん?凍弥」
凍弥 「ほへ?」
葉香 「…………なにかあったな?男の顔になっている」
凍弥 「へっ!?や、やー……気のせいじゃないかぁ?」
葉香 「……フッ、女か」
凍弥 「違うぞ」
葉香 「何も言うな、由未絵だろう?」
凍弥 「ぐお……」
バレてる。
葉香 「そうか、ようやくキメたか。避妊はしとけよ」
凍弥 「なっ……!ば、ばかっ!そんなんじゃぶほぉっ!!」
どがしゃーん!
俺の体がテーブルを撒き込んで倒れる。
葉香 「……姉に向かってばかとはなんだ」
凍弥 「し、失礼しました……」
ていうかそれだけでいきなり殴るのもどうかと思いますが……。
葉香 「ま、あいつは昔っからお前のあとを付いてきていたからな。
その意味をとっとと悟らなかったお前が馬鹿なだけだったんだ。
随分と遠回りをしたものだ」
凍弥 「大きなお世話だよ……」
葉香 「ホレ、餞別だ」
凍弥 「え?───っと」
姉さんが何かを俺に投げてよこす。
……なんかいいな、こういうのって。
そういえば姉さんが俺にモノをくれるのってこれが初めてだよな……。
で、俺の手元にあるのは明るい家族計画ゴシャア!
凍弥 「違うっつっとろぉがぁ!」
葉香 「なにをする貴様、人の餞別を叩きつけるなど」
凍弥 「は…初めての贈り物がこれかーっ!?
感動した俺の心は何処に向けりゃいいんじゃあ!」
葉香 「子供を作るのは結婚してからにしろよ。
学生結婚を否定するわけじゃないが、責任がとれるようになってからにしろ。
だがさっさと作れ。成長して頃合をみたらわたしが貰ってやる」
うわぁ無茶苦茶言ってる上に目がマジだ!
どうして俺の周りってこういうヤツばっかりなんだ!?(俺も含めて)
凍弥 「と、とにかく!俺と由未絵はまだそんなんじゃないんだよ!」
葉香 「接吻くらいはしたんだろう?」
凍弥 「ぐ……それは、その」
葉香 「したのか。最近のガキはマセてるな」
凍弥 「ガキって言うなよ……」
葉香 「……泣かすなよ。そういうのは綺麗事だけじゃないぞ。
本気にさせた責任ってのもある。お前はあいつの気持ちを受け止めてやれ」
凍弥 「姉さん……」
葉香 「母さん達にはわたしから報告しておいてやる。
だが……由未絵を捨てたりしたらお前、生きて敷居を跨げると思うなよ」
凍弥 「───……」
感動が一瞬にして凍りつく瞬間だった。
葉香 「まあもっとも、死んだところで跨らせないがな」
……追い討ちでした。
───……
一応炊けていたご飯をおにぎりにして食べ、外に出た。
相変わらずの雨だが、天気に文句を言っても仕方が無い。
向かいの鈴訊庵の二階を見上げて溜め息。
由未絵はまだ一応病院である。
昨日、あれから病室まで運んだのだ。
由未絵を背負ってあそこまで昇るのは大変でした、ハイ。
凍弥 「……しかし、重症だな俺も」
朝に会えないだけでこうも鬱になるか。
あー、頭撫でたいなぁ。
抱き締めたいなぁ。
からかいたいなぁ。
来流美「……なに朝っぱらから唸ってるのよ」
凍弥 「む」
来流美だ。
……仕方ない、こいつで代用してみるか。
凍弥 「来流美、ちょっと」
来流美「え?なによ」
……なでなで。
来流美「なっ……な、なにすんのよ!」
凍弥 「…………」
ペッ。
凍弥 「チッ……クズめが」
来流美「クハッ……!
人の頭を勝手に撫でといて唾吐き捨てるたぁいい度胸じゃない……ッ!」
凍弥 「やかましい、寄るな。男臭が移る」
来流美「あたしゃ女よ!」
あー、やっぱり由未絵じゃなきゃいかんな……。
むう……。
来流美「……ほんとにどうしたのよ、ヤケに暗いじゃない。
───あ、もしかして由未絵が居ないから落ち込んでるとか」
凍弥 「……その通りだよ」
来流美「なんてねー!そうよねー、あの鈍感凍弥がなにぃ!?」
来流美が男らしく叫んだ。
来流美「……ちょっとアンタ……いま、なんて言った……?」
凍弥 「やかましい、寄るな。男臭が移る」
来流美「そこまで戻らなくていいわよ!」
凍弥 「…………学校、ダルいなぁ……」
来流美「あ、ちょっと凍弥ぁー!?人の話聞きなさいよー!」
叫ぶ来流美を無視して学校へと向かった。
……正直気分が乗らない。
───……。
鷹志 「……それでさ。あいつどしたの?」
来流美「こっちが訊きたいわよ……。朝からこうなんだもの」
鷹志 「ふーん……おい凍弥〜」
鷹志が寄ってくる。
鷹志 「どうかしたのか?悩み事なら俺に任せろ」
凍弥 「ほっとけスダコ」
鷹志 「スダッ……!?い…いきなりすげぇ中傷された!」
…………あうー……。
まいった……まいったぞホント……。
この俺がこうもぐったりマイハートになるとは……。
気づかないことってのも案外、偉大な感情なんだなぁ。
気づいただけでこれだもの。
案外こうなることを予測して気づこうとしなかったのかもしれん。
………………どーしよ。
これでも一度もエスケープはしたことがないんだが。
これ以上ボケェとしてるとどうかしてしまいそうだ。
凍弥 「───よし、エスケープだ」
来流美「へっ?」
鷹志 「と、凍弥?」
凍弥 「悩むことないよな。うん。今が旬だ」
鷹志 「おいおいおい、なにいきなりワケの解らんことを」
凍弥 「そんなわけであと頼む。じゃ」
だだぁーっ!
鷹志 「うお速ェッ!?」
来流美「なにしでかすつもりなのかしら……」
鷹志 「どうせロクでもないことだろ」
来流美「そうね……」
───
凍弥 「風を切る!キル!キルキルキルゥウウ!待ってろ由未絵ーっ!」
真凪 「うん?やあ閏璃くん。そんなに急いでどこに行くんだい?」
凍弥 「早退します!それじゃっ!」
真凪 「───昨日の夜」
ぎくっ。
動かしていた足が勝手に止まった。
やがてギギギギギ……と真凪氏へ視線を移す。
真凪 「……教室に戻る気になりましたか?」
凍弥 「……センセ、それ、脅迫……」
真凪 「いいえ、脅しです」
同じじゃあ!
真凪 「黙っていてあげますから、授業をサボってはいけませんよ。
それにそんなことをしても彼女は喜ぶ性格には見えませんが」
凍弥 「ぐっ……」
確かに。
俺が一方的に会いたいからって自分の所為で俺の勉学の邪魔してるって思うだろう。
それはダメだ。
真凪 「それに、もし一緒に居たいと思うなら───勉強はしておいた方がいいですよ。
彼女が大学に行くことにしたら、あなたの学力でそこに入れますか?」
凍弥 「うぐ……」
痛烈だ。
痛すぎる。
真凪 「前の小テストでいい成績がとれたじゃないですか。貴方はやれば出来ますよ。
ただ、頑張るには時間が少ない。それなら貴方が取る道はなんですか?」
凍弥 「………」
俺はあいつの傍に居たくて……。
でも、馬鹿のままでいいか?
解らないことだらけでいいのだろうか。
……いや、なんか違うよな、それ。
…………よし、いっちょやってみようか。
凍弥 「……その勝負、受けて立ちます」
真凪 「いえ……あの、別に勝負を申し込んでいるわけでは」
凍弥 「そのニコヤカ笑顔をオモシロ笑顔に変えてやるから覚悟してろー!」
そう言って俺は教室へ駆け込んだ。
今度は違うから。
今度は由未絵と争おうってわけじゃないから。
だから……あいつと勉強をしよう。
それなら一緒に居られる。
向かう未来にも希望を持てる。
まだまだこれからだ。
───やってやろうじゃないか!
俺は拳を握って大きく突き上げた。
それは、俺の決意の証だった。
───……。
来流美「………」
鷹志 「………」
来流美「やっぱり変よね、今日の凍弥……」
鷹志 「だな……。いきなり飛び出ていったと思ったら戻ってきて教科書開いて……」
来流美「さっきさ、隣のクラスに問題集借りにいってたわよ……?」
鷹志 「うお……」
んー……思い出せ思い出せ。
一度理解した公式を忘れたままにするのは馬鹿だ。
ていうか数式なんて算数覚えりゃ十分じゃないか?
こんなややこしいものを憶えんでも……いやいやいや!挫折と横着禁止!
えーと……うー、うー……!
だぁあっ!難しいっての!
鷹志 「ふーむ……なんかあったな、ありゃあ」
来流美「なんかって?」
鷹志 「さあ」
来流美「ん……あ、そういえば」
鷹志 「なにか知ってるのか?」
来流美「昨日の夜のことだけどね、凍弥が言ったのよ。
『憧れだったんだ……ナース服』って」
鷹志 「うわっ!?」
スッパァーンッ!!!!!
来流美「いたぁっ!」
凍弥 「黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって!何様だお前は!」
来流美「実話でしょ!?なんだってのよ!今日のアンタ変よ!?」
凍弥 「そうか?」
鷹志 「変だ、明らかに。お前がナースフェチだったとは」
凍弥 「それは違う!明かに違う!」
鷹志 「い、いや、いいんだ、お前がどんなヤツでも友だから、な?」
凍弥 「同情の眼差しで見るなぁ!」
来流美「それより。その奇行の意味を話してもらえるんでしょうね」
凍弥 「奇行って……」
そこまで言うか?
ただ勉強してるだけじゃないか。
凍弥 「とにかく、お前らには関係ないことだよ。
知って得することでもないのに聞いたって意味ないだろ?」
来流美「構わないわ、話しなさい」
凍弥 「……鷹志?」
鷹志 「よきにはからえ」
凍弥 「……お前って妙なところで意味不明だよな……」
鷹志 「常時意味不明な奇行に走るお前に言われたくない」
うう……友達を友達と思わんヤツらめ……。
いや、俺も人のことは言えんが。
特に柿崎に対しては。
来流美「さ、言いなさい」
鷹志 「さあ」
凍弥 「ぬう……実は」
来流美「実は?」
凍弥 「……………」
どうしよう。
由未絵と同じ場所に行きたいからだなんて行ったらアレだよな。
絶対からかわれる。
こいつらはそういうヤツらだ。
鷹志は応援してくれるだろうが、来流美は違う。
ということでその場凌ぎ発動。
凍弥 「ね、姉さんに勉強しろと脅迫されて……。
前に1位とれただろ?それでさ、そのままの成績維持してみろって……」
来流美「………」
鷹志 「………」
だ、だめか……?
ぽむ。
凍弥 「うお?」
だめかと思ったあと、来流美が俺の肩に手を置いて哀れみの表情をとった。
来流美「言い渋るわけだわ……」
鷹志 「災難だな、友よ……」
……はふぅ、通じた。
でもどことなく悲しいのは何故だろう。
お前ら、そんな同情と哀れみを混ぜた顔で見るなよ……。
鷹志 「よし、それじゃあ俺も手伝うよ。なんだかんだで暇してるからな。
俺の成績も上がってお前も上がる。これぞギブ&テイク」
来流美「わたしは参考資料を先生からもらってくるわ。
過去問でも復習したら結構な知識になるでしょ」
凍弥 「お、おお……」
言ってみるもんだな……思わぬ収穫だ。
嘘も方便ってこういう時に使うのかね。
なんにせよありがたいことこの上無かった。
…………。
昼になると俺は学食に訪れた。
券売機に群がる人垣に溜め息を吐きながら待っていると、
どこからともなくビッグボインが現れた。
体は大丈夫なのかと訊くと、
柿崎 「A定が俺を呼んでる……」
とだけ言って、人込みの中に消えていった。
まあ、無事でなによりだ。
歩き方がなんかゾンビみたいだったが。
俺は人垣が晴れるまでその場で待機し、人が散ってから券売機に近寄った。
が、その券売機の前で誰かが倒れてた。
柿崎 「………」
ビッグボインだ。
どうやらふらついていた所為で踏まれたらしい。
しかしその手には『A定食』とかかれた食券。
さすがだビッグボイン……いや、柿崎。
今こそお前を漢と認めよう……。
……でも食えないのでは?
見れば、彼は男前の顔で力尽きていた。
凍弥 「……食券買えれば満足だったのかお前は」
なんか違う気がするが、まあいいか。
さーて、うどんでもすするかぁ。
───……キーンコーンカーンコーン。
キーンコーンカーンコーン……。
終業のチャイムが鳴った。
俺は鞄を引っ掴むとその勢いに任せて走り出す。
来流美「ちょっと凍弥!掃除当番!」
凍弥 「借りは返す!やっといてくれ!」
来流美「なっ───んもう!!」
駆けたことで離れた教室からがしゃん、という音が聞こえた。
どうやら来流美が掃除用具を叩きつけたらしい。
相変わらず乱暴なやつだな、って思いながら、俺はあいつのもとへと駆けた。
……今ほど、人は変われるって思ったことはない。
今、自分はそれを実感している最中なんだと思う。
こういうのが幸せなのかな、って……そう思える。
昔、来流美が読んでいた少女漫画を見て、
その『恋』って感情が解らずに罵ったことがある。
実際、今こうして感じていても実感の沸かない形無きモノ。
だけどそれは確かにあって、今俺を突き動かしているのも確かにそれなんだと思う。
幸せってなんだろう。
昔、誰かに訊ねられた言葉を思い返した。
その時は解らなかったけれど、今の自分なら答えられる気がした───
───
やがて病室に辿り着く頃……彼女はゆっくりと微笑んだ。
俺は昔からその笑顔が大好きで、彼女を笑わせるためなら自分が道化でもいいと思えた。
そんなことまでしたのに自分の気持ちにはまったくの馬鹿で。
散々振りまわしてようやくあいつを受け入れられた。
まったく、人生というものは解らない。
どういうきっかけでこんなことになるのかもまるで見当もつかない。
だけど……うん。
きっと俺は間違えた選択はしなかった。
いつも微笑んでくれたらいいと思っていたけど、それは間違いだ。
俺はこいつに、俺にこそ微笑んでいてほしい。
由未絵「凍弥くんっ」
凍弥 「よっ、由未絵。来たぞ」
由未絵「うん、いらっしゃい」
凍弥 「ということで勉強教えろ」
由未絵「ふぇっ!?」
由未絵のベッド脇にある台に勉強道具一式と過去問に加え、問題集をゴシャアとばら撒く。
由未絵「すごい……これ全部やるの?」
凍弥 「過言ではない」
由未絵「わけわからないよ……。でもどうして?」
凍弥 「ん……」
由未絵には本当のこと話しても大丈夫かな。
……いや、こいつは来流美に弱いからな。
脅されたら言ってしまいそうだ。
凍弥 「実はな、姉さんに成績の維持をしろと脅されて」
由未絵「葉香さんに……?ふぇえ……大変だね」
凍弥 「うむ……」
葉香 「そうか、それは大変だな」
凍弥 「そうそう大変……どぉおおおおわぁあああああああああっ!!!!!!」
がたがたどしゃああんっ!!
凍弥 「ね、ね、ねねね……姉さんっ……!」
葉香 「呆れたな。男の顔になったかと思えば陰口か。しかも……誰が脅したって?」
由未絵「え?」
凍弥 「うわわっ、馬鹿!なにもここで言うことぶっほぉっ!!」
どがらがしゃぁああん!
由未絵「きゃああっ!凍弥くん!」
葉香 「……馬鹿と言うなと言っている」
凍弥 「ソ、ソーリー……」
葉香 「まあ大方、
由未絵が目指す大学がどんなところでもいいように勉強しているんだろう?」
由未絵「え───?」
凍弥 「だ、だから言うなって───!」
由未絵「凍弥くん……」
由未絵が目を潤ませながら俺を見上げる。
その顔はとても嬉しそうだった。
葉香 「阿呆が。言わなきゃ伝わらないことをわざわざ隠す馬鹿が居るか。
好きなら好き同士、隠し事をしてどうする」
凍弥 「お、俺は驚かせたくて……」
葉香 「そこから誤解が生まれることもある。気を回しすぎだお前は」
凍弥 「うー……」
確かにそうかも……。
うう、恥ずかしくて顔上げられん……。
由未絵「凍弥くん……わたし、凍弥くんと一緒に居られるの……?居て、いいの……?」
凍弥 「な、なに言ってるんだよお前は……。そんなこと今更言うことじゃないだろ……」
なんのために俺が勉強してると思ってるんだよ……。
由未絵「でも無理しちゃ嫌だよ?
わたしならお母さん達にも好きな場所に行きなさいって言われてるから……。
それに、もし出来るなら来流美ちゃんや、
橘くんや柿崎くんとも一緒に居たいし……」
凍弥 「由未絵……」
ああくそ……なんていうか俺……俺……!
なにひとりで空回りやってたんだろ……。
そうだよ、決めるのは俺ひとりじゃないんだ。
望めば、どこまでもあいつらと馬鹿は出来るし、由未絵とだって……!
葉香 「あー、雰囲気出してるところ悪いが」
凍弥 「………」
由未絵「あ、な、なんですか?」
葉香 「もう時間なんでな。わたしはもう帰るとする」
凍弥 「だったら何も言わずに気をきかせて帰れよ……」
葉香 「餞別がある。そうもいくまい」
そう言って、姉さんが由未絵にモノを投げパシィッ!
凍弥 「ねええええさん!本気で怒るぞ!」
葉香 「避妊は大事だぞ」
凍弥 「うっせぇ!とっとと帰れ!」
葉香 「やれやれ……怒りやすいとハゲるぞ。バーコードな父にだけはなるなよ」
凍弥 「大きなお世話じゃあ!」
姉さんは手を軽く挙げて去っていった。
凍弥 「ったく……!たまに現れるとロクなことしないんだからな、姉さんは……!」
由未絵「……凍弥くん、明るい家族計画ってなに?」
凍弥 「し、知らなくていい。解らなくていいから。
お前の口からそういう言葉が出ると心臓に悪い……」
由未絵「?」
あーくそ……無駄な体力使ったな……。
由未絵「うん、いいけど……ね、それよりも勉強しよ?
ずっと病室に居たから、凍弥くんと一緒になにかしたかったんだよ」
凍弥 「あ、ああ……」
俺は由未絵に促されるままに参考書を開いた。
由未絵「わぁ、結構難しいのやってるんだね」
凍弥 「だよなぁ。佐藤のを借りてきたんだが……あいつ、東大にでも行くつもりか?」
由未絵「東大ならもっと難しいよ」
凍弥 「うお……」
信じられん。
凍弥 「あ、ところでな?由未絵……」
由未絵「なに?」
凍弥 「お前さ、高校卒業したらどうするつもりだったんだ?」
由未絵「ふぇ……?」
凍弥 「ほら、鈴訊庵継ぐとか大学行くとか、いろいろあるだろ?」
由未絵「……うん。わたしね、一度相談したんだよ、お父さんとお母さんに。
そしたらね、鈴訊庵を継ぐのは婿をもらってから。
それ以外は好きにしなさいって。フリーターになっても構わないって」
凍弥 「そこまで放置か……」
由未絵「わたしね、思うんだよ。確かにお母さんたちは厳しくなったけどね?
こうして好きにしなさいって言うのって、きっと簡単に言えることじゃないよ。
もしかしたら……わたしに自由をくれてるのかもしれないって思うんだよ……」
凍弥 「考えすぎだ」
由未絵「あははっ、うん、凍弥くんならそう言うと思った」
凍弥 「む……」
由未絵「でもね、その自由のおかげで凍弥くんとこうして話せてるんだと思うの。
もし中学の時にお母さん達が上の学校を目指しなさいって言ってたら……
───どうなってたと思う?」
凍弥 「それは……」
考えたくないな。
確かにそうだ。
由未絵「お母さんはわたしが嫌いなわけじゃないんだよ、きっと。
だから、わたしもその言葉に甘えることにしたの。
だから───わたしは、凍弥くんに……ずっと連れ添います」
凍弥 「由未絵……」
由未絵「わたし、おっちょこちょいだから……支えてくれる人が居ないとダメなんだ。
でもね、それは誰でもいいわけじゃないの。
信頼できて……それで、この世界で一番好きな人。
そんな人とずっと一緒に居られたら、わたし……きっと強くなれるから」
凍弥 「………」
……今、目の前の少女は前を見ている。
俺と違って流されるままではなく。
俺にはそんな彼女が眩しく見えて……気づいたら、抱き締めていた。
由未絵「わっ……」
凍弥 「………」
そっか……そうだな。
子供だったのは俺の方か……。
子供とかガキだとか言われた意味がようやく解った。
俺も前を見よう。
今のことばかりじゃなくて、しっかりと、俺と彼女の未来を───
凍弥 「由未絵………」
由未絵「凍弥、くん……」
……目を閉じて、キスをした。
こんなにも愛しく、こんなにも強くなった幼馴染に。
巣立っていったと思った雛鳥が成長を遂げて戻ってきた感覚だ。
こんな不意打ち、考えてもみなかった。
こんなにも気づかされることがあるなんて。
来流美「やっほー由未絵ー!お見舞いに来たわよー!」
凍弥&由未絵『ッッ!!』
がたがたっ!
来流美「……あら?」
凍弥 「え、えーと……とどのつまりはXとは柿崎であるわけで……」
由未絵「この方式に柿崎くんを代入して……」
来流美「……あんたらどんな勉強してんのよ……」
訊くな!俺だって解らん!
来流美「で、やっぱりここに来てたわけね、過保護さん?」
凍弥 「うるさいよ。そんなんじゃない」
来流美「あんたねぇ、いい加減親離れさせてやりなさいよ。
凍弥がぐずぐずしてるといつまで経っても由未絵に彼氏が出来ないじゃない。
ねぇ?由未絵だってそう思うでしょ?」
……なるほど、今なら理解出来るな。
来流美はいっつも遠回しにこういうことを言ってきてたのか。
ていうかなんで今日に限って直球?
由未絵「あ、あのね、来流美ちゃもがっ……」
凍弥 「なんでもない」
来流美「凍弥には訊いてないけど。なに?由未絵」
由未絵「ぷはっ、わたしね、凍弥くもがっ……」
凍弥 「なんでもない」
来流美「……なにか隠してるわけ?」
凍弥 「隠してないぞ。お前が学食で昼メシ食い損ねて腹空かせてることなんて」
来流美「なっ───喋ったの!?」
凍弥 「喋ってない喋ってない」
来流美「こンガキャーッ!!」
凍弥 「なにぃ!?ぎゃああああっ!!」
来流美が襲いかかってきた。
俺は逃げながらも由未絵に『喋るな』とモールス信号を出す。
しかし当然のように通じなかった。
由未絵「えっとね、わたし……凍弥くんと付き合うことになったの」
来流美「─────────…………へ?」
来流美が固まる。
来流美「あ、ご、ごめんね由未絵……最近わたし疲れてるのよ……三馬鹿トリオの所為で。
もう一回言ってもらえる……?」
由未絵「うん。えへへ……何度でもいいよ」
由未絵は顔が緩んでいる。
よほど言いたかったらしい。
……うむ、その顔も撫でまわしたいくらいに可愛く見えた。
由未絵「わたしね、凍弥くんの彼女になったの」
来流美「な───……」
ギンッ!!
凍弥 「うおっ!?」
来流美「なにが───なにがあったァーーーッ!!」
来流美が物凄い剣幕で俺の胸倉を掴む。
来流美「変だ変だと思ったらそういうこと!?
由未絵が居なかったから寂しくて学校でボーゼンとしてたわけ!?」
由未絵「え……?」
凍弥 「ばっ……!わざわざ言うことじゃないだろが!恥ずかしいだろ!?」
来流美「否定しないの!?クゥッハァーッ!わたしに内緒でなんてことを!
いつ!?いったいいつからなの!?」
凍弥 「それが……実は柿崎に口止めされてて……」
来流美「柿崎くんは関係ないでしょぉっ!?」
凍弥 「じゃあ企業秘密だ」
来流美「『じゃあ』ってなによ!いいから言え!こと細かに!鮮明に!」
ぬおお、なんて雄々しさぞ……!
今のこいつなら世界狙えるぜ……!
由未絵「えっとね、昨日の夜だよ」
凍弥 「ギャア!言うなって!こいつがまた暴走するだろ!?」
由未絵「……だめ……?」
凍弥 「う……」
ああっ、そんな目をするなぁっ!
俺はその泣きそうな目に弱いんじゃあああ!!
来流美「……んふふふ〜♪ゆーみーえ?昨日の夜、いったいなにがあったのかなぁ?」
凍弥 「柿崎が犬に吼えられたあと、オバンに水ぶっかけられてた」
来流美「ウソはいいわ。凍弥は黙ってなさい」
……実話なんだが。
由未絵「えっとね、学校の空き教室まで行ったの。そこでね……」
来流美「そこで?」
由未絵「………」
来流美「…………?」
由未絵「え、えへへへへ……」
来流美「な、なによそのとろけるような笑顔……!
……え……?ま、まさかあんたら……!?
夜の学校でいくとこまでいっちゃったの……!?」
凍弥 「いくかこのボケ!」
由未絵「わたしが告白しようとしたらね、凍弥くんがキスしたあとに、好きだ、って……」
来流美「!!」
あ、固まった。
来流美「キ、キ……?凍弥が……?あの、凍弥が……?しかも、自分から好きだ、って?」
やがてガタガタと震え始める来流美。
来流美「貴様ァアアアッ!わたしの由未絵を汚しやがってぇええっ!!」
凍弥 「な、なにぃ!?」
来流美「よくもよくもおのれぇえええっ!汚しやがって汚しやがってぇええっ!!」
凍弥 「ぐわああっ!や、やめえろ来流美!ぐ、ぐる……ぐびをじべるだ……!」
おお、この頚動脈を的確に絞める行為……間違い無い、確実に殺しにきてやがる!
凍弥 「おぢづげ、ごど……!ざびんぐ!」
トチュッ。
来流美「キャーッ!?」
凍弥 「げほっ!がはっ!はーっ、はーっ!し、死ぬかと思った……!」
来流美「う、ううう……うー……由未絵……わたしの可愛い由未絵がぁああ……」
由未絵「来流美ちゃん……」
来流美「由未絵……」
由未絵「凍弥くんにヒドイことしないで」
来流美「!!」
ヨロッ……。
来流美が後退るように傾く。
やがて
来流美「ちくしょおおおおお!!おのれおのれこのゴクツブシがぁあああっ!!」
凍弥 「キャーッ!?」
今度は涙を流しながら首を絞めてくる来流美。
なんだかんだでこいつも由未絵を溺愛してたからなぁ、気持ちは解るが……
…………あ、お花畑だー…………
ぼがぁっ!
来流美「ふぎぃっ!?」
蝶々を追いかけている中、来流美の声で目が醒めた。
あ、あぶねぇ……逝きかけたぞ……!
由未絵「凍弥くんにそんなことする来流美ちゃんなんか……嫌いだよ」
来流美「!!」
よろっ……。
来流美が後退るように傾く。
やがて
凍弥 「うりゃっ」
ドゴォッ!
来流美「はうっ!」
……ドシャア。
襲いかかろうとした来流美にカウンターを極めた。
凍弥 「……次に目が醒めた時、正気に戻っていることを願うよ……ほんと」
倒れてピクピクと痙攣している来流美に合掌する。
そして俺と由未絵は見つめ合い、先ほどの続きをするかのように顔を寄せて……
鷹志 「よーう支左見谷ー、凍弥来てるかー?ってああ、居た居た」
……ていうか知らなかったな。
俺達の周りにはこんなにも邪魔者が居たのか。
凍弥 「あー、ちょ、丁度よかった鷹志。この問題の解き方、解るか?」
鷹志 「ん?なんだよ、そんなの支左見谷に教わればいいだろ?」
凍弥 「そうだよなぁ。じゃあ帰れ」
鷹志 「うおっ!?俺今来たばっかだぞ!?」
凍弥 「ええいしのごの言うな!戦力にならんなら用は無い!来流美を担いで帰れ!」
鷹志 「うわぁ、お前って無慈悲だよな……。
ていうかどうして霧波川、床に倒れて痙攣してるんだ?」
凍弥 「ちょっとジョルトカウンターの練習をしてたらキレイなのがはいってしまってな」
鷹志 「恐ろしいことするなよ……」
凍弥 「だから帰れ」
鷹志 「うおっ!?話に関連性が見つからんぞ!?どこらへんが『だから』なんだ!?」
凍弥 「やかましい、勉強教えてくれるのかくれないのか」
鷹志 「あー、すまん。これから親父達と会う約束があるんだよ。
ほら、前に話した幼馴染がさ、卒業したら帰ってくるっていってな?
なんか大袈裟なことになってるんだけど、
俺の実家の旅館に喫茶店造って経営するからその話がどうって」
鷹志が少し困り顔で言う。
凍弥 「へぇ……なるほど、大袈裟な話になってきたな」
鷹志 「でもそれが実現すれば、真由美がそこで働くことになるんだよ。
俺にとってはこれほど嬉しいことはないぞ。あー、早く会いたいなぁ」
凍弥 「そうか。ノロケはいいから去れ」
鷹志 「うお……少しくらいシンクロしてくれたっていいだろ?」
凍弥 「気持ちが解るからこそだ。お前もシンクロしろ」
鷹志 「?よく解らんな。ああまあ、お前が解らんのは前からか」
凍弥 「だろ?だから去れ」
鷹志 「解った解った。霧波川はどうしたらいいんだ?」
凍弥 「担いで持っていってナイル川にでも投げ捨ててくれ」
鷹志 「真顔で無茶言うなよ……」
それでも来流美を担ごうとする鷹志。
鷹志 「……なぁ、なんか誤解されそうなんだが。
俺は真由美以外の女に触れる気無いんだけどなぁ……」
凍弥 「そこまで潔癖かい」
由未絵「はうぅ〜、気持ち解るよ橘くん〜……」
鷹志 「だよなぁ、好きな異性以外には触れたくないよなぁ」
由未絵「うんうん」
鷹志 「ってわけで悪い、霧波川の処理は俺には無理だ。
潔癖とか言われても出来ないもんは出来ないってことで納得してくれ。じゃ」
鷹志が小走りに駆けてゆく。
……ちぃ、逃したか。
俺は苦笑しながら由未絵を見た。
もう、雰囲気がどうのの問題じゃなくなっていた。
凍弥 「それじゃ、バイトがあるからまた明日な。……邪魔ばっかり入って悪い」
由未絵「そんなっ、凍弥くんの所為じゃないよ。
それに気にしないで、わたし……幸せだから」
凍弥 「……そっか」
由未絵は見ているこっちが視線を逸らしてしまうくらい幸せそうな顔で言った。
俺はそんな由未絵を撫でると、そのまま頬に手を当ててキスをした。
由未絵「ん……」
……怖いくらいに好きだ。
どうしてこんな感情に気づけなかったのかが不思議でしょうがないくらいに。
由未絵という彼女の、その全てが愛しい。
うん、ボケ者なところも大好きだぞ。
もう……とにかく好きだ。
言い表せないくらいに。
無茶苦茶にしたくなる衝動を抑えるのに必死になるくらいに。
だけど俺はきっと、そうしない。
こいつが悲しむのは見たくないし……元より、こいつを大事にしたい。
俺は壊れ物を扱うくらいにやさしく、由未絵とのくちづけを繰り返した。
看護婦「支左見谷さーん、検診の時間ですよー」
凍弥&由未絵『ッッッッ!!!!』
がたたんっ!ごしゃっ。
来流美「むぎっ!!」
凍弥 「あ」
慌てて離れた瞬間に来流美を踏んでしまった。
ぬおお、なんたる偶然。
決して狙ったわけじゃないぞー?
偶然だぞー?
そこにお前が居ると解ってた上での犯行だなんて、とんでもないぞー?
そんなアイコンタクトも虚しく、青スジをブチブチと鳴らして立ち上がる来流美サン。
凍弥 「は、話し合おう……俺、話し合い大好きだなー……」
来流美「……ふしゅる……ふ……ふしゅる……ふ、ふしゅ……」
イヤァアア!
なんか人語を理解してない純野生的なオーラを感じるんですけどーっ!?
来流美「ツガァアアアアアアッ!!」
凍弥 「うおっ!うぉわぁああああああああっ!!」
俺は窓の方へ逃げ、その窓を開けた。
凍弥 「じゃ、じゃあな由未絵!また明日!」
由未絵「えっ!?凍弥くんまさか」
凍弥 「とーぅ!」
───だんっ!
窓からジャンプして石の屋根に降りる。
フフフ、野生め……ここまでは追ってこれま───ギャアア!!
来流美「オォオオオッ!!」
ダンッ!!
凍弥 「うおっ……うぉおお……!バ、バケモノーッ!」
来流美「グゥォオオオオオッ!!!」
すっかりキレて暴走しきった来流美サンから俺は全力で逃げ出した。
止まったら死ねる気がする。
夕暮れの病院の前。
俺と来流美の絶叫が響きわたった……。(といっても来流美のは奇声にも似た雄叫び)
───……。
仕事場・鈴訊庵。
凍弥 「うーお……そうか、今日は外か……」
ああちなみに、外っていうのは文字通りの外ではなく、
注文を聞いたり料理を運ぶ方のこと『外』を言う。
それとは逆に、皿や蒸篭を洗う方を『中』と言う。
なんにせよ……ああ、明日まで会えないんか……。
堕落したなぁ俺も。
来流美「……なんかさ、由未絵の病室に行ってからの記憶が無いんだけど……」
幸いなことに来流美はあの一件を忘れてくれたらしい。
しかし何故か俺と由未絵がくっついたことだけは憶えていて、祝福してくれた。
もう訳解らんよこいつ。
来流美「でも……凍弥と由未絵がねぇ。世の中解らないわね」
凍弥 「なんだよ。なんだかんだ言って応援してくれてたんじゃなかったのか?」
来流美「そうなんだけどね。実感沸かないわよ」
来流美は何が気に入らないのか、うーん……と考え込んでる。
来流美「ねぇ、告白はどっちからなの?やっぱり由未絵から?」
……さっき、ここで俺からって知らせたらキレたんだよな?
い、いや、キスって部分か?
凍弥 「その、一応俺からだけど」
来流美「えっ!?うそっ!あの凍弥が!?」
凍弥 「本人目の前にして『あの』とか言うなよ」
来流美「だってねぇ……とても信じられないわよ。あ……でもいいわ、それで?
その場の勢いでキスとかしちゃったわけ?」
凍弥 「お前、よく平気で人のプライベートに首突っ込めるよな」
来流美「なによー、いいじゃない……幼馴染の特権ってことで聞かせなさいよー」
凍弥 「…………はぁ、したよ」
来流美「わー、やっぱり?で、どうだったの?レモンだった?」
凍弥 「妙に気にするのな。なに?お前俺達のこと調査してるのか?」
来流美「そう」
うお、否定しないのか。
わざと嫌味な言い回ししたのに。
来流美「気になるわよ、女として」
凍弥 「雄々しきデバガメ精神じゃないのか」
来流美「ブツわよ」
凍弥 「やめろ、脳髄が吹き飛ぶ」
ちなみに来流美が手にしているのは木の棒だ。
こんなもので殴られたら危険ですよ。
しかも来流美の握力で殴られたら……おお怖い。
来流美「まああれね。ファーストキスはレモンの味とか、ひと昔前に言ってたでしょ。
なんか気になるじゃない?そういうのって」
凍弥 「気持ちは解らんでもないが。そうだな……」
んー……
凍弥 「いや、よく解らなかったな。
ファーストキスの味を覚えてるのって案外難しいと思うぞ。
本気で好きだからキスして、そんでもってその時はなんか頭真っ白になってさ。
そんな状態で、味がどうのなんて感じられるわけがない。
あんなものはお前……アレだ、遊び半分でする者共のセリフだ」
来流美「どことなく喋り方が年寄りくさくなってるわよ」
凍弥 「後半、愚地独歩を意識してみました」
来流美「無駄に知識が広いわよね、凍弥って。ほかのことに気を回せばいいのに」
凍弥 「他のことって?」
来流美「ほら、例えば……そろそろ由未絵の誕生日じゃない?」
凍弥 「ああ」
来流美「なにかいいものでもあげるとか」
凍弥 「んー……」
来流美「そうね、例えば世界にひとつしかないようなものとか」
凍弥 「無茶言うなぉお前」
来流美「やっぱり無茶よね。そんなのがここらへんにあったらすごいわ」
凍弥 「そうそう、そんなの探してる暇があったら、
バイトで稼いだ金で何か買ってやった方が喜ぶ」
来流美「うんうん」
凍弥 「さてと……そろそろ終わりの時間だな。片付け始めるか」
来流美「そうね」
コサッ。
来流美「あら?なんか落ちたわよ」
凍弥 「え?なに?」
来流美が何か、落ちたものを拾ってシゲシゲと見た。
それは───うわああああああああっ!!!
ヤバイ!これはヤバイ!
来流美の髪の毛がザワザワと……!
来流美「と───凍弥ッ……?
明るい家族計画って……どういうことかしらぁあああ……ッッッ!!!!」
凍弥 「い、いやっ、これは姉さんがっ……!」
来流美「へぇっ……!?なに……っ!?
世界にひとつしかない自分をささげるつもりだったのォ……ッ!!!!
すごいわねぇ……!うふふ……うふふふふふ……ッ!!!
すごいからいっぺん死ねぇええええっ!!!!」
凍弥 「ギャッ!ギャアアアアアアアッ!!!!姉さんのアホーッ!!」
むしろ捨てずに持ってた俺が馬鹿でした。
由未絵に投げられた餞別をキャッチして、そのままポケットに入れた俺が愚かでした。
ああ、無情。
その夜、俺は体中の痛みに苦しみながら寝るハメになったのは涙必須の実話である……。
───……キーンコーン……。
チャイムが鳴る。
明日には退院できるという由未絵の電話を受けた俺は上機嫌だった。
僭越ながら……不肖、この閏璃凍弥───しばらく由未絵離れ出来そうにありません。
好きになってしまったものは仕方が無い。
来流美「由未絵、明日で退院出来るのよね?」
凍弥 「………」
来流美「なによー、誤解だって解ったんだからもういいじゃない……」
凍弥 「しこたま殴っておいて言うことはそれだけか……」
来流美「凍弥が悪いんじゃない、ちゃんと説明しないから」
凍弥 「1秒でも話を聞こうとした瞬間があったか!?
無呼吸打撃に近い連続攻撃してきたくせに!」
来流美「……面目ない、わたしとしたことが自我をコントロール出来なくなるなんて」
凍弥 「あー……顔がヒリヒリする……」
今朝鏡で見たが、顔は結構な腫れ具合だった。
容赦なさすぎの一撃一撃が確実に効いていたのだろう。
……虚しい。
柿崎 「……一日見ない内に男の顔になったな」
凍弥 「哀れみの表情で言うなよ……」
余計に悲しくなった。
柿崎 「まあまあ。大丈夫なのか?結構腫れてるみたいだけど」
凍弥 「……腫れはヒドイが、そこまで痛みは無い。お前の方こそ大丈夫なのか?」
柿崎 「あー、大したことないって言われて、病院は出てきたし」
凍弥 「そうなのか」
柿崎 「支左見谷の方はどうなんだ?
さっき病院に行ったとき……あ、一応精密検査受けることになって、受けたんだ。
その帰りに一度病室覗いてみたんだが……えらく寂しそうだったぞ」
凍弥 「───!あ、会ってきたのか?」
柿崎 「いや……なんか声かけられる雰囲気じゃなかったよ。
なんかベッドの脇にあるテーブルに乗っかったノート抱き締めて泣いてるの。
そんな中に入れるか?俺は無理だ」
凍弥 「………」
由未絵が……泣いてる?
そんな……
来流美「ちょっとどういうことよ凍弥……アンタ達、上手くいってないの?」
凍弥 「んなわけあるか……。もしそうだとしても原因は邪魔ばっかりするお前らだ」
鷹志 「ほえ?なんの話だ?上手くいってないだのなんだの」
柿崎 「……ははーん?さては凍弥、お前とうとう支左見谷とゴールしたんだな?」
凍弥 「なっ───!」
鷹志 「そうなのか!?馬鹿!なんでもっと早く言わないんだよ!
知ってたら見舞いなんてお前に全部任せたのに……ったくぅ!
あーほら、掃除当番は俺が代わっておいてやるからさっさと行ってやれ!」
凍弥 「鷹志……」
鷹志 「友の情けだ。柿崎も手伝ってくれるそうだし」
柿崎 「なにぃ!?俺がいつそんなこと」
来流美「わたしも手伝うわ。文句ある?」
柿崎 「きょ、今日はダメなんだ!今日は見たいテレビがあるんだよ!」
鷹志 「それなら……」
柿崎 「あーダメダメ!なんて言われようがダメだぞ」
鷹志 「A定で手を打とう」
柿崎 「任せろ」
即答だった。
鷹志 「満場一致だ。ホレ、早く行け」
凍弥 「あ、ああ、悪いっ」
俺は小さく頭を下げて走り出した。
鷹志 「…………あの凍弥が頭下げたぞ……」
来流美「よっぽど大切な存在になったのね……。大事にしてやりなさいよ……」
柿崎 「オラ貴様らサボってんじゃねぇ!A定が俺を待ってるんだぞ!」
鷹志 「……こいつは相変わらずだな」
来流美「ま、柿崎くんはこっちの方が面白いわよ」
鷹志 「確かに。じゃ、始めますかぁ」
───……。
凍弥 「由未絵っ!」
俺は病室に入るなり、彼女の名を呼んだ。
由未絵「凍弥くん?わぁ、凍弥くんだぁ」
その声に笑みをこぼす由未絵。
……その笑顔が、今朝は泣き顔だったと柿崎は言う。
我慢してるのか……?
それとも、俺と会えればそれでいいのか……?
なんにせよ、俺はまだ由未絵を守りきれていないんだと痛感した。
……正直、自分が情けない。
凍弥 「…………由未絵、泣いてたのか?」
由未絵「えっ……え?ど、どうして?」
……明かな驚き。
それはそうだ。
俺は泣き顔を見たわけじゃない。
凍弥 「目の周り。少し赤い」
由未絵「うそっ、ちゃんと鏡見たのにっ!」
凍弥 「……ああ、ウソ」
由未絵「あっ……うぅ〜……」
凍弥 「どうしたんだ?何か辛いことでもあったか?」
由未絵「え……?う、ううん、泣いてたのは本当だけど、悲しかったからじゃないよ。
こうして凍弥くんがわたしのためにここに来てくれるのって嬉しいもん」
凍弥 「え?じゃあどうしてだ?」
由未絵「嬉しかったんだよ。わたしのために凍弥くんがいろいろしてくれることが……。
わたしとのことを考えてくれる凍弥くんのこと考えてたら、嬉しくて……。
それで、教科書抱き締めて泣いちゃった、あはは……」
凍弥 「………」
由未絵「凍弥くん……?あ、あっ……ごめんねっ!?
わたし、教科書汚すつもりはなかったんだよっ?
ただ、本当に嬉しくて、それで、それで……
凍弥くんの教科書見てたら凍弥くんの顔、思い出せて……」
由未絵は必死に弁解する。
俺が黙っていたから、怒っているのだと思ったんだろう。
……そうじゃない。
俺は……こいつが俺とのことで嬉し涙を流してくれることが嬉しかったんだ。
心がいっぱいで、詰まってしまうほどだった。
だから何も喋れなかった。
声を出したら……俺まで泣いてしまいそうだったから。
由未絵「凍弥くん……凍弥くん……?ねえ……何か言ってよぅ……!
わたし、凍弥くんに嫌われたくないよぅ……!」
……ばか。
ほんと、なんてばか……。
凍弥 「泣くな、ばか……。嫌いに……嫌いになるわけないだろうが……!」
ぎゅっ───!
由未絵「あっ……」
自分のために泣いてくれる人が居る。
それはどれだけ嬉しいことだろう。
俺は……俺はそれを、この少女に教えてもらった。
なんでだろう……とても嬉しかった。
好きでいてくれてるって実感出来たからだろうか。
それとも……こんな俺に感謝してくれる人が傍に居るからなのか。
答えは出なかったけれど……俺は───
由未絵「凍弥くん……?え……?凍弥くん……泣いて、るの……?」
凍弥 「───っ……」
まったく訳が解らない。
彼女の言葉に心を打たれたのかどうかはまるで解らなかったけど、
俺の目からは涙が溢れていた。
その理由を、俺は……不思議と探す気にはならなかった。
だけど、もしこの暖かい涙を流させてくれている人が居るとしたら。
それはきっと、今この腕の中にある彼女なんだろう。
俺は……そのことがとても嬉しかった。
だからその時思った。
もっと強くなりたいって。
どう強くなりたいかなんて考えなかった。
由未絵を守れるだけの力が自分にあればいい。
それだけを、ただ願った。
凍弥 「……約束、しようか」
由未絵「え……?」
凍弥 「俺は……お前を必ず幸せにしてやる。
不幸っていうのがどんなものか忘れてしまうくらい……。
ずっと、由未絵だけを愛していく……」
由未絵「凍弥くん……」
凍弥 「支えてもらわなきゃダメなのは俺も同じなんだ……。
そして、それは誰でもいいってわけじゃない。
……俺が初めて好きになって、
初めて大切にしたいって思えたお前じゃないと……ダメなんだ」
由未絵「……うん」
凍弥 「俺と……ずっと一緒に居てくれるか?」
由未絵「……あはは……もちろんだよ……。凍弥くん、いまさらだよ……」
凍弥 「はは……そうかもな」
由未絵が目を潤ませながら、小指を出した。
俺はその小指を自分の小指を絡ませた。
由未絵「ゆーびきーりげーんまーん」
凍弥 「うーそつーいたーら」
由未絵「ハーリセーン本のーます!」
凍弥 「ハリセン本!?」
由未絵「ハリセンのカタログ」
凍弥 「飲めん!」
由未絵「ほら、千切って飲めば」
凍弥 「飲めん!」
由未絵「だからいいと思うんだけど……」
凍弥 「せめてタバスコ1ダースくらいでだな……」
由未絵「妙に現実的な刺激だね」
凍弥 「だからいいんだと思うが」
由未絵「そうだね、それじゃあ───ゆーびき〜った♪」
由未絵の指が俺の指から離れる。
俺はそんな些細なことで寂しさを覚え、本当に重症であることを悟る。
前の俺って偉大ですな……。
い、いや、馬鹿すぎるっていうのか?
とにかく、もう以前の俺を思い出せない。
フフ……変わってしまったよダニエル、俺……変わってしまった……。
由未絵「ダニエルって誰?」
凍弥 「なにぃ!?貴様どうやって我が心を!?」
由未絵「口に出てたよ?」
凍弥 「ぬおっ」
……しかも結構隙だらけのようだ。
凍弥 「ダ、ダニエルというのはだな、俺の脳内に住まうトニーの友人で、
常にケロッグコーンフレークで力をつけているから最強なエージェントなんだ」
由未絵「はう……ごめんね凍弥くん、訳が解らないよ」
凍弥 「俺もだ……」
ぬう、お得意の屁理屈もロレツが回りきらん。
凍弥 「あ、あー、今のはアレだ、別にハズしたわけじゃないんだぞ?」
由未絵「あはは、うん、知ってるよ。凍弥くんいっつも笑わせようとしてくれるから」
凍弥 「ぐあ!?」
実はいろいろ気づかれてました!?
何も知らなかったのって俺だけ?
だからガキだ子供だと言われてたんですか!?
凍弥 「くっ……なんなんだこの手の内を全て読まれて、
凡骨だのなんだのと言われて怒ることしか出来ないデュエリストの気分は……」
由未絵「意味不明なのに設定が細かすぎるよ……」
確かに。
ぬおお、笑いが取れない!
元から笑いが取れるようなことをしていたかが問題だが、それ以上に取れない!
今なら俺の傍で顔を赤くして言葉に詰まってた時の由未絵の気持ちが解る……。
も、もしかして立場逆転しておりますか?
凍弥 「………」
由未絵「?」
きょとんとして首を傾げる由未絵。
……それはない、よな?
愛しき者とはいえ、このボケ者と立場が逆転に、なんて……
由未絵「凍弥くん……?どうかしたのかな……難しい顔してるよ?」
凍弥 「俺の顔は砂丘のジグソーパズルで出来ているんだ」
由未絵「わぁ、難しそうだねー、ってそうじゃなくてね?」
凍弥 「俺の顔はファミコンの『タッチ』をクリアするより難しいと近所でも有名だ」
由未絵「わからないよぅ」
凍弥 「残念だ」
……どうしましょう。
言葉に詰まった。
うーむ……よし、勉強だ。
凍弥 「昨日の授業でXが柿崎だということは解った」
由未絵「いきなり話題が変わった上に、それ違うよぅ」
凍弥 「なにぃ、鷹志だったのか」
由未絵「それも違う」
凍弥 「いや、X=柿崎は鷹志が俺の夢に出てきてまで語っていった真実だ」
由未絵「それ、多分凍弥くんが作り出した柿崎くんだと思うけど」
凍弥 「……やっぱそうか?」
そうじゃないかとは思ってた。
うん、思ってた。
凍弥 「あ、ところで由未絵、ここの問題なんだけどな」
由未絵「うん」
凍弥 「俺にはどうしてこういう答えになるのかがイマイチ謎なのだ。
事細かに解説してはくれまいか。みのもんたの如く」
由未絵「みのもんたの如くは無理だけど、説明なら任せてよ」
凍弥 「みのもんたは却下か」
由未絵「却下」
わぁ、由未絵サンに却下された。
気が強くなったのかなんなのか。
凍弥 「お前も気が強くなったなぁ。まさかお前に却下って言われる日がくるとは」
由未絵「え?あ、ほんとだね。でも……うん、わたしだけじゃあきっと言えないよ」
凍弥 「ん?なんでだ?言葉は自分ひとりで言うものだろ」
由未絵「勇気の問題だよ。
わたしは……凍弥くんに好きって言われて、少しは自信が持てたんだと思うの」
凍弥 「気の弱い由未絵も好きだぞ俺は」
由未絵「わっ……」
俺の言葉に顔を赤くする由未絵。
そうそう、これが無いと由未絵って感じがしない。
俺も自分では予想してなかったほどに真正面に好きだなんて言葉が口から出たもんだから、
あとからかなり恥ずかしくなったが。
凍弥 「あー……あのな?前までの由未絵は……
なんていうか、守りたくなる存在だったんだ。
由未絵が泣き虫だった頃から一緒に居たからってこともあるかもしれないけど。
だけどこうした今もお前を守りたいって気持ちは変わってない。
……は、恥ずかしいから一回しか言わないぞ?……俺は、お前が本当に好きだ」
由未絵「…………うんっ」
由未絵は目に涙をためて頷いた。
その拍子に涙がこぼれ、その小さな手に弾ける。
……なんだかんだいって、由未絵を泣かした回数が多いのって俺なんだろうなぁ。
ちょっとショック。
凍弥 「な、泣くなよ……な?お前の涙が苦手なのは変わってないんだよ俺……」
由未絵「嬉し涙は泣き終わるまで泣いていたいよ……」
凍弥 「だめだ」
由未絵「ふぇえっ!?凍弥くんヒドイよぅ〜!」
凍弥 「ぬおお、つい本能が」
案外染みついてるものだな。
正直、驚きましたぞ。
由未絵「うぅ〜……」
凍弥 「悪い悪い、泣くなって。……うー、そ、そうだ。
何か願いはないか?俺がひとつだけ叶えてやろう」
由未絵「どんな願いでも……?」
凍弥 「神龍(シェンロン)じゃないからそれは無理だが……俺が出来る範囲で」
由未絵「うん……」
凍弥 「無いか、それはよかった」
由未絵「わっ、あ、あるよぅ!」
凍弥 「あるのか……」
由未絵「……すごく嫌そうな顔したよ?」
凍弥 「気の所為だ。早く言え」
由未絵「うぅ〜……じゃあ、聞いてくれる?」
凍弥 「おう」
由未絵「…………その、……」
由未絵は指をこねこねと動かして俯いている。
な、なんだ?そんなにヤバイことなのか?
由未絵「えっとね、わたし……」
凍弥 「お、おう」
由未絵「凍弥くんを……呼び捨てしてみたいな、って……」
凍弥 「………」
由未絵「………」
凍弥 「………」
由未絵「凍弥くん……?」
凍弥 「……そんなことでいいのか?」
由未絵「えっ?いいの?」
凍弥 「いいもなにも……好きなだけ言っていいぞ?」
由未絵「わっ、そうなんだ。え、えとえと……それじゃあ……」
凍弥 「落ち着け落ち着け、はい深呼吸〜」
由未絵「はう〜……」
由未絵が深呼吸をする。
そしてグッと拳を握って俺を見た。
……人を呼び捨てるのってこんなに一大イベントだったのか。
由未絵「と、とととと……とっ、と……」
凍弥 「コケそうになってる若者かお前はっ!」
由未絵「ふええっ、恥ずかしいんだよぅ!」
凍弥 「落ち着け、まず落ち着け。さっきのお前は怪しすぎた」
由未絵「凍弥くん、何気にヒドイこと言ってる……」
凍弥 「ほら、その『くん』を抜けばいいんだから。簡単だろ?」
由未絵「……………………うー」
凍弥 「うー、じゃなくて」
由未絵「にゃー」
ゴパァーン!
由未絵「きゃうぅっ!」
凍弥 「真面目にやる気あるのかお前はっ!」
由未絵「叩いたぁ!今結構本気で叩いたぁ!」
凍弥 「お黙り!レッスンよ由未絵!レッスンレッスンレッスン!!
ハイ!トゥォー、ウォー、ユゥァー」
由未絵「………」
スパァン!
由未絵「きゃうっ!」
凍弥 「リピートゥ!」
由未絵「う、うー……」
凍弥 「ハイ!トゥォー」
由未絵「ハ、ハイ、トゥォー……」
スッパァン!
由未絵「きゃううっ!」
凍弥 「ハイはただの掛け声ネ!わざわざ言わんでヨロシ!」
由未絵「ふぇえ〜、どうしてエセ中国語なの〜……?」
凍弥 「サランラップ!(訳:黙れ!)」
由未絵「はうー……」
凍弥 「いいデスカ?ミスター由未絵」
由未絵「ミスターじゃないよぅ!」
凍弥 「おっとこいつはミステイク。今すぐ忘れろ。さて……」
由未絵「も、もういいよ凍弥くん……。わたし、頑張って言うから……」
凍弥 「ぬ?そうか?」
由未絵「……うん、がんばる」
むん、と小さくガッツポーツをとる由未絵。
実にミスマッチだったのが逆によかった。
由未絵「え、っと……」
凍弥 「おう」
由未絵「うんと……」
凍弥 「おう」
由未絵「………」
凍弥 「おう」
由未絵「国の偉い人は?」
凍弥 「王」
スパァン!
由未絵「きゃうっ!」
凍弥 「遊ぶなっ!」
由未絵「うぅ〜……凍弥くんがおうおう言うから……」
凍弥 「俺の所為かい……いいから言いなさい。時間は待ってはくれませんことよ」
由未絵「う、うん。由未絵、ふぁいと」
自分を元気づけて俺を見る由未絵。
由未絵「そ、それじゃ……言うね?」
凍弥 「よきにはからえ」
由未絵「茶化さないでよ〜!」
凍弥 「なにぃ!?俺は少しでもお前の気が紛れればと!」
由未絵「凍弥くん、お願いだからわたしが言うまで黙ってて」
凍弥 「うう、寂しい世の中だねぇ……」
老婆の真似をしてオヨヨと泣く。
由未絵「すー、はー……」
しかしあっさりと無視される。
何気にショックだった……。
由未絵「………」
凍弥 「………」
由未絵「と……」
凍弥 「………」
由未絵「と、凍弥……」
凍弥 「…………おう」
由未絵「………」
凍弥 「?」
由未絵「……、…………!〜〜〜〜っ!!」
かぁあああ……っ!!
由未絵の顔がどんどんと赤くなって
由未絵「…………───きゃあああっ!!きゃー!きゃー!」
凍弥 「うおっ!?」
由未絵が顔を究極に赤くして涙目になりながら悶える。
凍弥 「ゆ、由未絵!?どうした!?なにが起きた!?」
由未絵「〜〜っ……はう、はうはう……あうあうあうぅ……!」
凍弥 「由未絵……?」
由未絵「……や、やっぱり……凍弥くん、のままでいいです……」
凍弥 「へ?お、おう……」
敬語を使われてしまった。
俺の名前って呼び捨てで呼ぶとそんなにダメージがデカいのか?
由未絵がきゃーきゃー言うのなんて初めてだったからなぁ。
あー驚いた。
と、そんな時だった。
廊下の方でガヤガヤと賑やかな声が聞こえた。
声 「なぁ、まだ居るんじゃないか?あいつの入れ込みよう、相当だぞ?」
声 「しょうがないでしょ、教室を見違えるほど綺麗にしちゃったんだから」
声 「グッジョブ!しっかし、やることがなくなると人間も弱いよな」
声 「だな。まあ居たら居たでこっそり拝見するのも手だし」
声 「柿崎よ……それは一種のデバガメ精神では?」
声 「覗きだ。俺は恥じぬ」
声 「妙なところで男前ね……」
……聞こえてるんですけど。
声 「あ、あー、やっぱりまだ居るわ」
声 「よし行け友よ、そこだ、ちゅー……!ぶちゅー……!」
声 「……お前って……」
……好き放題言いそうな雰囲気だな。
柿崎はもう言いまくってるが。
凍弥 「あー……由未絵?」
由未絵「うんっ、なになに?」
……気づいてないようで。
ハウハウと犬のように俺を見上げる由未絵は、
かまってほしくてうずうずしているようだった。
俺はそんな由未絵の頭にポンと手を置くと、
凍弥 「ちょっと待っててくれな、すぐ戻るから」
由未絵「はう……行っちゃうの……?」
凍弥 「すぐ戻るって。な?」
由未絵「うー……うん」
……さて。
俺は廊下の方へ歩いて行く。
もちろん目的はひとつだ。
由未絵「…………?」
───
声 「ば、ばか、押すなって……!」
声 「うるさい、友としてヤツの成長の記録をこの目に焼き付けねば……!」
声 「ちょっと、こんなところで喧嘩しないでよ……!」
声 「───よう、壮健かい?」
声 「なに言ってるのよ凍弥、それどころじゃ───あ」
声 「へ?ゲ、ゲェーッ!?」
声 「あー……よ、よお凍弥。掃除終わったからちょっと寄ってみたんだが……」
声 「ははははは!おんどれらぁああ!オイタがすぎますぞぉおおっ!!!」
声 「なにぃ!?ぎゃああああ!!」
声 「ちょ、ちょっと待ちなさい!わたしはやめようって言ったのよ!」
声 「問答無用ォオオオオオッ!!!!」
ドンガラガッシャンドカバキゴワシャアアアアン!!!!
………………
───
凍弥 「やあ、お待たせ」
サワヤカな顔で帰還を果たした。
由未絵「凍弥くん、今の声……」
凍弥 「気の所為だ」
由未絵「まだ何も言ってないよぅ」
凍弥 「目の錯覚だ」
由未絵「か、関係ないよ……?」
凍弥 「他人の空似だ」
由未絵「目は関係ないよぅ……」
凍弥 「夢だ」
由未絵「起きてるよぅ」
凍弥 「夢遊病だ」
由未絵「起きてるってば……」
凍弥 「腰痛だ」
由未絵「そんな歳じゃないもん」
凍弥 「虫歯だ」
由未絵「虫歯、一本もないよ」
凍弥 「幻聴だ」
由未絵「うぅ〜……真面目に話す気、ないでしょ……」
凍弥 「そんなことはないと言えなくもない」
由未絵「うぅ〜……」
由未絵が少し拗ねた。
完全に話を聞いてやらなかったのはちょっとやりすぎたか。
凍弥 「悪い悪い、怒るなよ」
由未絵「怒ってないもん」
凍弥 「それはよかった。じゃあな」
由未絵「はうぅっ、待ってよ〜!」
凍弥 「冗談だ」
由未絵「うー……」
凍弥 「お前が拗ねるからだろ?こうでもしないと俺の方見てくれないじゃないか」
由未絵「凍弥くん、ヒドイよ……」
凍弥 「嫌いになったか?」
由未絵「それ、ズルイ……」
凍弥 「俺は好きだぞ。もう、滅茶苦茶にしたいほどに
由未絵「それはちょっと大袈裟だよ……」
凍弥 「………」
あながち、大袈裟じゃないんだけどな。
凍弥 「信用できないか?」
由未絵「そ、そういう意味じゃないよ、ただ、ちょっと不安で……」
凍弥 「信用されてないんだな、俺」
由未絵「違う、違うよっ!
ねぇ凍弥くん、ちゃんとお話聞いてっ?わたしは───んっ!?」
俺は目の前の心配性なお姫様の口を塞いだ。
触れるほど近くにある瞳が『ばか……』と語っていて、その不釣合いに笑いそうになる。
あーもう、愛いヤツめ!
がばぁっ!
由未絵「ひゃっ!?」
俺は衝動を押さえきれずに由未絵を抱き締め、そして───サイクロンした。
もとい、振りまわした。
由未絵「きゃうっ!きゃうううっ!!」
数回転させると由未絵が泣きそうになったので止まる。
由未絵「うぅっ……ひどいよ凍弥くん……」
凍弥 「すまんすまん、つい、な」
由未絵は俺に抱きかかえられながら涙目になっている。
よく泣くなぁ、って俺の所為か。
涙目のルカもびっくりだ。
凍弥 「そういえば、前にもこんなことした時あったよな」
由未絵「こんなこと?」
凍弥 「お姫様抱っこ」
由未絵「は、はうっ!?」
今気づいたのか、焦り出す由未絵。
凍弥 「あの時のお前の心境、今なら解るな」
由未絵「凍弥くんが鈍感すぎたんだよぅ……」
凍弥 「む。言ったなこの。男は鈍感なくらいが丁度いいんだよ」
由未絵「じゃあ凍弥くんは愚鈍さんだよ」
凍弥 「……どっかの誰かさんみたいなこと言うなよ……」
しかもハッキリと。
傷つくぞ?
でも嫌いにはならないが。
凍弥 「………」
ふむ。
由未絵「凍弥くん?どうかしたの……?」
凍弥 「今日も明日も大差無い」
由未絵「ふぇ?」
凍弥 「俺としてはお前をここから連れ出したいんだが」
由未絵「だめだよ、ちゃんと退院してからじゃないと」
凍弥 「だめだ」
由未絵「そ、それはわたしのセリフだよぅ!」
凍弥 「むー……仕方ないなぁ。やめた方がいいか?」
由未絵「明日までの我慢だよ」
凍弥 「……どうしてもか?」
由未絵「どうしても、だよ」
凍弥 「だめだ」
由未絵「訊く意味がないよぅ!」
うう……この子ったらこんなにもツッコミ達者になって……。
もう俺が教えることは何もないわね……。
凍弥 「はっはっは、観念しろ。もはや由未絵、お前は我が手中。
つまるところ、俺がこの窓から外界へ飛び立つ際に、
共に風との邂逅を果たすことさえが自由だ」
由未絵「口調と語調が滅茶苦茶だよぅ……」
凍弥 「というわけで行こう、ハバナイスデーッ!!」
由未絵「わわーっ!!と、凍弥くん、ちょっと待ってぇーっ!!」
俺は由未絵を抱えたまま石の屋根へと華麗に降り立った。
ステキなポテンシャル、申し分ナッスィン。
今日も壮健ぞ!
そのままの勢いで大地へと降り立ち、疾走+逃走。
凍弥 「よーしよしよし、全てがオールグリーンだ。
俺の体調も青汁の色もバケモノが吐く胃液の色も」
由未絵「凍弥くん……まずいよぅ……」
凍弥 「大丈夫だ、いざとなったら俺が鉄砲玉になろう。
病院に乗り込んで脅迫してでも退院許可証を手に入れてやる」
由未絵「無茶苦茶だよ〜っ!」
よし、まずは家に帰ろうか。
うん最強。
明日までかくまえば我らの勝利ぞ!
俺は不敵に笑って家へ向かって疾走したのでした。
───……。
さて。
葉香 「………」
凍弥 「………」
由未絵「あう……」
家に入った途端、姉さんが居た。
どうせ居ないだろうと思ってたっていうか、存在自体忘れていたためにこんな状況が。
葉香 「……確か。由未絵の退院は明日だと聞いていたが?」
由未絵「それが……」
凍弥 「連れさらった」
葉香 「───!」
ギロリ。
由未絵「あわ、あわわわ……」
姉さんは俺を睨んだまま、傍まで歩いてきた。
そして俺の肩に手を置くと
葉香 「───よくやった!」
置いた手を上下しては、バシバシと俺の肩を叩いた。
葉香 「今日も明日も大差ない、だが一日早まれば共に居られる時間が増えるというもの。
腰を打った程度であんなに入院するほうがおかしいんだ。
医者には解らぬ好き者同士の時間とやらがあるだろう。
それを先にと選んだお前は偉い。わたしが認める」
凍弥 「でも殴るんだろ?」
葉香 「当たり前だ。面倒事が起こるのは目に見えているだろう。
一撃で勘弁してやる、あとはわたしに任せろ」
凍弥 「……OK」
葉香 「目を閉じて歯を食いしばれ。今度のは今までの中で一番イタイぞ」
凍弥 「うへっ……勘弁してくれ……」
でもやっぱり目を閉じる。
それくらいの覚悟はあったからだ。
声 「よし、いくぞ?」
凍弥 「お、おう!」
───
声 「えっ!?わ、わわっ!」
凍弥 「へ?」
すぐさま来ると思った拳は来ず、何故か由未絵が驚いたような声を出す。
慌てて目を開けると、姉さんは既に居なかった。
…………忍者?
凍弥 「……なにがあったんだ?由未絵」
由未絵「……うー……キスされた」
凍弥 「んなぁっ!?」
な、な、───!?
なんてことしやがるあの馬鹿姉ぇえっ!!
おのれおのれ……!俺の由未絵に……!
くそっ!これは確かに今までで一番イタイ……!!
凍弥 「……やられたっ……!まんまとっ……!このやり場のないもどかしさっ……!
これだっ……!これこそがっ……!やつのっ……姉さんの真の狙いっ……!」
思わずカイジ風に喋ってしまう。
あぁあああくそぉっ!
なんかすごくムズムズする!
どうしてくれようかあの姉め!
由未絵「……えっと……凍弥くん」
凍弥 「な、なんだよぅ!俺は今やつをどう屠ろうかと───んぐっ!?」
俯いて由未絵を見下ろした途端、
由未絵が俺の首に手を回し、俺の口に自分の口を押し当てた。
……復讐の思考はそれで真っ白になってしまった。
由未絵「───……あの、落ち着いてくれたかな……」
凍弥 「………」
……こくりと頷く。
考えてみればパープルコーヒー事件とあの夜を除けば、由未絵からされたのは初めてだ。
それがなんだか異様に恥ずかしくて、由未絵の顔を見れない。
由未絵「……凍弥くん。こっち向いてほしいな……」
凍弥 「………」
由未絵「凍弥くん」
凍弥 「……うー」
顔が赤くなっていることを実感しながら、由未絵を見る。
由未絵「わ、凍弥くん顔真っ赤」
凍弥 「……今のお前には絶対負ける」
由未絵「う……だ、だって自分からするのって恥ずかしかったんだもん……。
凍弥くんすごいよ……」
凍弥 「好きなんだから恥ずかしいことはないんだが……。
こう、逆にそっちからされると不意打ちみたいでどうにも……」
実に照れくさい。
由未絵はそんな俺を見てクスクスと笑う。
それがなんだか悔しくて、俺は彼女の口を塞いだ。
なんてことをした、まさにその時!
来流美「あーもう、まったくやってられないわよ。
なんだっていきなり襲われなきゃいけないの?」
鷹志 「腐るな腐るな、覗いてた俺達が悪いんだから」
柿崎 「しかしながら、ヤツめ……随分とナンパな男になったものぞ……って、うお!?」
来流美「?どうし───あ゙」
鷹志 「むお?なんかあるのか?ちょっと見えないぞ……どけ柿崎───って、うお!?」
───……時間が止まりました。
来流美「な、あ、あ───……?」
鷹志 「プ、プリンセスブリーカーでキス……!?」
柿崎 「は……ははは……ブリーカーは違うだろ鷹志〜……」
鷹志 「あ、あーそうかぁ、ブリーカーじゃなくてインブレイスかぁ〜……」
柿崎 「それも違う気がするけどさぁ〜……は、ははは……疲れてるンかナ俺……」
来流美「あ、あはは……なんで由未絵がここに居るのかしらね〜……」
いい具合に意識がブッ飛んだらしい。
今の内に逃げるか……。
鷹志 「って待てこらぁ!」
来流美「アンタ病人を持ち逃げしてなに不純なことしてんのよ!」
柿崎 「お客様!お持ち帰りはやめてください!」
鷹志 「あ、でも俺は祝福するぞ!おーめでとーぅ!
お姫様抱っこでキスなんて見れるもんじゃないもんなー!
うらやましくなんかないぞこのスダコー!」
凍弥 「スダコとまで言われて信じれるか!」
柿崎 「よっ!色男!ていうか色魔!この恥さらし!タコ!ボケ!イモ!」
凍弥 「ドサクサ紛れに言いたい放題言ってんじゃねぇそこぉっ!」
柿崎 「うるせぇこのエロプリンス!王子様気取りでそげなことを白昼堂々と!」
凍弥 「夕方だ!ていうかエロプリンス言うな!」
柿崎 「だーっ!うっさいうっさい!
恥ずかしくねぇのかてめぇ!友として旅立った御手洗に詫びやがれ!」
鷹志 「しかとこの目でみたからな凍弥!きさん、明日学校で後悔するがよか!」
柿崎 「黒板に書いてやる!デカデカと!
陰湿なイジメに勝るとも劣らぬ直筆サイン入りで公開してやる!
憶えてろよこの幸せモンがァーッ!!」
鷹志 「凍弥のブッチュマーン!!」
鷹志と柿崎が泣きながら走り去っていった。
しかも相当の罵倒を残しながら。
凍弥 「あ、あいつらぁ……!好き放題言いやがって……!」
来流美「……いつまでもお姫様抱っこしてるからよ……。説得力なさすぎ」
凍弥 「うぐっ……」
来流美「でも呆れたわね。
文句のひとつでも言おうと思ってここで待とうって話になったのに、
それがドア開けた途端、目の前でコレだもの……」
頭に手を当てて溜め息をモシャアと吐く来流美。
わざわざ説明せんでも……。
凍弥 「コレ、ってなんだよ……」
来流美「凍弥の腕の中で幸せ顔でホウけてるボケ者」
凍弥 「ぐ……」
目を潤ませてぽ〜っとしている由未絵を見る。
言い逃れ出来る要素が皆無だった。
来流美「あー……まあ?好きなだけ乳繰り合いなさいよ。わたしはもう知らないわ」
凍弥 「ちちくり言うな!」
来流美「冗談よ。でも幼馴染として祝福するわ。頑張りなさい」
凍弥 「母親みたいなこと言うなよ……」
来流美「苦労したからねぇ、凍弥に付き合うの」
凍弥 「俺だってお前に付き合う毎日は血が滲むような日々だったぞ」
来流美「結婚式には呼びなさいね」
凍弥 「呼ばん。絶対来るな」
来流美「わー、する気あるんだぁ。気が早いわねー。
あ、もしかして子供の名前まで決めてあるとか?
きゃー、すごいですねー、パパでちゅかー?」
凍弥 「……由未絵?ちょ〜っと待っててくれな?」
トンと由未絵を降ろす。
と同時に、来流美が玄関を開け放って逃走した。
凍弥 「待ちやがれてめぇえええええええっ!!!!!」
俺は大きな唸りをあげてそのあとを追跡する。
やがて現れる騒音。
そんなことをしていると、ふと安心する自分が居た。
変わったとは言っても、こういう本質的なものはさほど変わっちゃいなかった。
本質っていうのは元より、子供の頃から培ってきたものだ。
確かにそれが急に変わることはあり得ないと頷ける。
願わくば。
こうして、いつまでもみんなで笑い合えるような日常が続くようにと。
そう願いながら、俺はいつも通りの馬鹿騒ぎの渦中に身を置いた。
友として、幼馴染として。
そんな付き合いがいつまで続くかは解らないけど……
双方がそれを願えば、それはいつまでもつ続く永遠であると信じている。
いつか交わした指きりが永遠であることを願いつつ……
いつの日か、大切な人と終わりを迎えよう。
それまでは───いつまでもこうして……───
「───ねぇ凍弥くん。幸せって何かなぁ」
……春。
桜の舞う季節に、隣を歩く彼女が俺に訊ねた。
それは昔、彼女が俺に言った言葉そのものだった。
「幸せ?」
俺はそれを思い出して、少し笑った。
それでもその言葉を言い返す。
彼女は微笑みながら俺の腕に抱きつき、俺を見上げて言った。
「凍弥くんは何が幸せ?」
その笑顔がとても好きで、俺はこの笑顔を守るためならなんでも出来る気がした。
もちろんそんなものは自分の幻想でしかないことを自分は知っている。
だけど俺が気づける限り、手の届く限り。
俺はその思いを守りたいと思う。
「俺か?……そうだなぁ……トイレの紙があった時とか」
子供の頃と変わらない冗談を言う俺に、彼女はおかしそうに笑った。
そして『変わらないね』と言いながら、もう一度俺を見上げる。
「下品なのは、ダメだよ?」
そして叱り付けるような口振り。
確かに変わってゆく自分達を感じながら、桜並木の遊歩道を歩く。
「ははっ……悪い、真面目に考えるよ。え〜っと……」
不釣合いな言いぐさに笑みを噛み殺しきれずに、少し笑うと彼女は拗ねた。
それでも頭を撫でてやると機嫌が直るのは変わっていない。
「そういう由未絵は?」
あの頃のように訊き返すと、彼女は待っていましたと言わんばかりに微笑んだ。
そして俺の腕に頬を寄せ、照れながら言った。
「わたしの幸せは───」
俺はその言葉を聞きながら空を見上げる。
「ああ」
そこには真っ青な蒼空。
どこまでも遠く澄みきったその蒼は、とても綺麗だった。
「……お父さんとお母さんと話せること」
いつしか俺と彼女は立ち止まって、お互いを見つめて微笑む。
「そして……あなたと一緒に居られること───」
やがてどちらともなく顔を近づけ、キスをした。
桜の樹が揺れ、花びらを散らすこの景色の中で。
俺はこのなんでもない当たり前の日常こそが幸せであることに喜びを感じていた。
確かに幸せの在り処は人それぞれだけど、
それはそれだけ、この世界には幸せがあるということじゃないだろうか。
それは本当に些細なことの集まりであったり、手の届かないものであるのかもしれない。
でも……それでも、大切な人がずっと傍に居てくれる。
俺にとっては、そんな中で迎える日常がこそが一番の喜びなんだ。
だから───どうか。
……願わくば、いつまでもこの大切な人と、共に生きていけますように───
───桜の樹を揺らす風が治まる頃、遠くで誰かの呼び声を聞いた。
俺と由未絵は微笑みながらその子の名前を呼んで、
一生懸命に走ってくるその小さな体を受け止めた。
満面の笑みで微笑むその子は、幸せそうに桜の花びらに手を伸ばして笑っていた。
……見上げれば蒼空。
その空の下で限りある幸せを感じながら、俺は微笑んだ。
いつか交わした『ずっと一緒に居る』という約束を心に抱き、
いつかは終わりが訪れるめぐりゆく季節に身を置きながら、
この幸せが永遠に続くようにと願う。
そんな約束という名の永遠と終わりの中で。
───俺達は……この一生を精一杯、互いのために生きてゆく───
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