───忘却への序曲のコト───
【ケース31:穂岸遥一郎/病院、キライ】
───……翌日、俺はベッドで大汗をかいてぐったりしているところを助けられた。
眠れもせず、ただ苦しみだけが体を蝕む状態が発見されるまで続いた。
正直、自分がどうにかなってしまうんじゃないかと思った。
いや、いっそどうにかなって助かるのならそれでもいいと思えた。
……うすうす感じた。
この熱は何か違うって。
遥一郎「………」
医者のセンセによく解らない注射を打たれたら、その痛みは引いてくれた。
ただ、様子を見てもう一度発熱するようだったら手術だとさ。
……勘弁してください。
雪音 「やっほうホギッちゃん!今日はお空がどんよりだよー!」
遥一郎「よ、観咲。今日も頭がピーカンだな」
雪音 「どーいう意味よぅ!」
澄音 「やあ、調子はどうだい?」
遥一郎「悪くないよ。だけど熱がひどくてな、まあ注射打たれたら治まったけど」
澄音 「───……」
遥一郎「ん?どした?」
澄音 「ううん、なんでもないよ」
ふいっと視線を逸らす蒼木。
その目がどういうわけか悲しげに見えた。
遥一郎「そういえばサクラとノアはどうしてる?」
雪音 「んー、それがね、家に居なかったの。どこに行ったのか解らないけど」
遥一郎「家に居ない───?」
……どこ行ったんだあいつら。
心配ないって言いたかったのにな。
遥一郎「っと、そろそろ学校だろ?大丈夫か?」
雪音 「わ、そろそろ危険だね。澄ちゃん」
澄音 「うん。それじゃあ学校が終わったらまた来るよ」
遥一郎「気にしないでくれ、のんびり休ませてもらうから」
澄音 「……穂岸くん」
遥一郎「う、うん?どした?」
澄音 「無理をしていないかい?」
遥一郎「───いや、そんなことはない」
澄音 「…………うん。それじゃあ行くから。また」
遥一郎「ああ」
雪音 「そいじゃねー!」
ぱたぱた……。
ふたりは俺に手を振って、病室を出ていった。
───やがて静かな空間が訪れる。
遥一郎「………」
正直、問われた時は驚いた。
なんでもお見通しなのか、と。
遥一郎「……くそ」
どうして足が動かないのかが解らなかった。
感覚というものがほんの少ししかなく、自分の意思通りに動いてもくれない。
病人ってこんな心境なんだな。
だとすると、ずっと病院で育った蒼木はどんな気分だったのか。
───想像もつかない。
もしそんなことになったら、自分は逃げ出したくなるんじゃないだろうか。
親にも見放され、外界のことを何も知らずに生きていくなんてこと───
俺はきっと、耐えられない。
ノア 「痛みますか?」
遥一郎「いや───ってうおっ!?いつの間に───って、サクラ?」
サクラ「よ、与一……ごめんです……。
サクラ、与一を傷つけるつもりなんてなかったです……それなのに……」
遥一郎「───気にするな、すぐ治るさ。それより何処に行ってたんだ?
家に居なかったって聞いたけど」
ノア 「天界へ行っていました。
この霊薬を塗れば症状の進行をより抑えることが出来る筈です」
遥一郎「これをわざわざ?」
ノア 「マスターのためです。苦ではありません」
遥一郎「……悪い、ノア、サクラ」
サクラ「与一が謝ることないです、サクラがあんなことしたから───」
ポムッ。
サクラ「みうっ……」
遥一郎「気にするなって言ったろ?」
サクラ「でも……」
遥一郎「ほら、笑って笑って」
うにー。
おお、よく伸びるな、サクラの頬は。
サクラ「……うー」
遥一郎「しかし驚いたな。天界って場所は楽園か?そんな薬があるなんて」
ノア 「普通は天界のものを地界で使用することは禁止されています。
魔器とエッグの使用のみが許可されていますが、これは別です」
遥一郎「え?でも───って、おいまさか」
ノア 「……わたしはマスターが無事であるなら、天界を追放されても構いません。
どうかそれ以上訊かないでください」
遥一郎「ノア……」
黙って持ってきたのか……。
俺なんかのために───……。
サクラ「サクラは痛みを和らげる空気を出す神器、
『神々のティアポッド』を持ってきたです」
遥一郎「サクラまで……」
サクラ「こんなことをするのはこれが最初で最後です。バレたら極刑です」
遥一郎「……すまない」
サクラ「サクラ、与一にいっつも迷惑かけてばっかりだったです。
だから何かひとつでも与一のためにしたかったです」
遥一郎「ばか……そんなことしなくても俺はお前を迷惑に思ったことなんて……。
でも大丈夫なのか?極刑って───」
サクラ「大丈夫です。
現場にはちゃんと、コピーしたレイルにいさんの指紋を残してきたです」
遥一郎「よくやった、偉いぞ」
ノア 「マスター、そこは誉めるところではありません」
遥一郎「あ、そ、そうだな。つい今までの鬱憤が」
ノア 「でも───そうですね。バレていれば今頃、強制的に天界に」
声 「ぐあぁあああああああああっ!!お、俺は無実だぁあああああっ!!!」
───。
聞こえた声に視線を動かすと、ふたりの男に引きずられてゆくひとりの男。
ああ、あの髪型は間違いようがないな。
あのレイルって人だ。
散々暴れていた彼だが、髪を後ろで縛った男に手刀を落とされ、敢え無く気絶。
やがてそのままズルズルと引きずられていった。
多分俺かノア達の様子を探りに来たところを捉えられたんだろう。
ノア 「……アルベルトさまとレインさまですね」
遥一郎「さっきの人達か?」
ノア 「はい。レインさまはレイルさまの弟君、アルベルトさまはレイルさまの親友です」
遥一郎「……なんか物々しかったんだけど」
ノア 「……それはわたしとサクラがいつまで経っても彼らの中では子供ということです。
もう犯人がわたし達だと解っているのでしょう。
だけどわざわざ時間稼ぎをしてくれようとしているんです」
遥一郎「……あのレイルって人、本気で暴れてたように見えたけど」
ノア 「はい、思いっきり疑われていることは確かでしょう。
アルベルトさまもレインさまも退屈なんでしょうね」
遥一郎「───」
よくわからんが災難だったってことで。
遥一郎「それで?この霊薬、だったか?それを傷口に塗ればいいのか?」
ノア 「はい。預けておきます」
霊薬を手渡された。
それをベッド脇の花瓶の近くに置く。
ノア 「マスター、どうか一日も早く回復してください。それでは」
サクラ「また来るですー」
遥一郎「ああ、気をつけて帰れよー」
……。
ふたりを見送った。
なんていうか少しは気が紛れたな。
こういう時は鬱になっちゃいけないって聞いたが───無茶な話だ。
どうするか。
うーむ。
……ふと、霊薬の瓶に目がいく。
遥一郎「まあ、悪化する前に塗っておいても損はないよな」
ていうかこのキン○ンみたいな容器はなんとかならんか?
いくら塗り薬っていったって、これじゃあ塗るのに勇気が要る。
……ぬりぬり。
遥一郎「……お?しみないな。てっきり激痛に襲われるかと」
包帯とガーゼを微妙にずらして塗った霊薬は冷たくて、熱かった傷口には丁度良かった。
遥一郎「……うん、なんとなく楽になった気分だな。ところで───」
花瓶の横に置かれている……なんだったっけ?
神々のティアポッド?を見る。
これはどう使うんだろうか。
エッグみたいに底にスイッチがあるのかな。
遥一郎「……スイッチらしきものはないな。全自動だなきっと」
ティアポッドを花瓶の隣に置き直すと、俺は起こしていた体をベッドに沈めた。
……ダルイな。
何か集中出来るものがあれば気が紛れるんだが。
医者も寝るのは夜だけにしなさいって言うしなぁ。
患者ってこれはこれで拷問だな。
看護婦「検診の時間です」
遥一郎「え?あ、はい」
看護婦「はい、これで体温を計ってください。熱や吐き気は感じますか?」
遥一郎「……傷口がちょっと熱っぽいです」
看護婦「他になにか異常を感じるところは?」
遥一郎「足が動きません」
看護婦「全く?」
遥一郎「はい、今のところ全く」
看護婦「───」
トントントン。
看護婦さんが俺の足を叩く。
看護婦「なにか感触は?」
遥一郎「いえ、全然」
看護婦「…………」
手に持った何かにペンを滑らせる看護婦さん。
その手が止まるのと同じくらいのタイミングで体温計が音を鳴らした。
看護婦「はい、貸してください。……うん、熱はないですね。
それじゃあゆっくり休んでいてくださいね」
遥一郎「はあ……」
看護婦さんがカツカツと病室を出てゆく。
……その際、微妙に急ぎ足だったのがヤケに気になった。
看護婦さんよぅ、患者が不安になるような要素作っちゃいけねぇでしょう……。
これで医者とか来たらヘコムぞ?
医者 「やあ穂岸くん」
来たし。
ヘコんでいいですか?
医者 「足が動かないんだって?」
遥一郎「はい。なんかの後遺症ですかね」
医者 「いいや、あの注射は後遺症が残るようなものじゃないよ。
原因があるとすれば───切った場所が悪かったのかもしれない」
遥一郎「うお、随分はっきりと」
医者 「真実を知りたいという顔だからね。だがきっと治るよ。
不思議なことにキミの傷は確かに深いんだが、どういうわけか悪化しておらん。
あとは回復を待つだけだろう」
遥一郎「………」
サンキュ、ノア。
───って、今塗った薬が効果を現して、しかも今来たばっかりの医者が解るわけない。
……それじゃあなんだって傷の進行がないんだ?
…………謎だ。
ていうかサクラの魔器で傷がつく前の状態の俺に出来ないんだろうか。
……そう都合よくいくわけないか。
人体に影響はないんだろうな、アレ。
そうじゃなかったら天界って場所が使用許可するわけないしな。
医者 「ところで、蒼木くんとは知り合いなのかね?」
遥一郎「え?あ、はい。クラスメイトですけど」
医者 「そうかそうか。彼も元気になってくれてなによりだ。
───さてと、儂もそろそろ持ち場に戻るか」
遥一郎「あ、ちょっと待ってください。蒼木の病名ってなんだったんですか?」
医者 「───……」
遥一郎「?」
医者 「彼の病気は見るのも初めてなケースだったよ。名前は知らない。
ただ治しようがなかったことは確かだ。
それがどうして助かったのか……」
遥一郎「……それじゃあ、俺の病名は?」
医者 「キミのは深い切り傷だろう。病名は言うまでもない」
ソウデスネ。
でもなぁ、足が動かなくなる切り傷ってなんですか?
医者 「その足もどんどん回復していくよ。安心したまえ」
遥一郎「はあ……あ、でも熱が出たら手術はするんですよね?」
医者 「ああ、する」
遥一郎「うへぇ……も、もしそれで治らなかったら?」
医者 「───穂岸くん、儂は医者だ。
キミに意思がある限り、儂は何度だって手術をしよう」
遥一郎「……あ、あの、もしかして俺、実は治る見込み無し……?」
医者 「馬鹿言っちゃいかん。悪化していないのだから回復を待つだけだ」
遥一郎「だったら不安になるようなこと言わないでくださいよ……」
医者 「はっはっは、そうだね。しかし───」
遥一郎「はい?」
医者 「いや、なんでもない。雨が降っていると気分が塞がるなぁ、とね」
遥一郎「はぁ……そうですね」
医者 「それじゃあ儂は他の患者の様子を見に行くから。ゆっくり休んでなさい」
遥一郎「はい」
少し歳のいった医者はそれだけ言うと病室を出ていった。
……なんだかなぁ。
『しかし』の後を誤魔化された。
こういう時って歯がゆくて腹が立つな。
遥一郎「しかも退屈だ。余計にまいった……」
ベッドにボスンと倒れこみ、天井を見上げて小さな溜め息。
あーあ、嫌な気分だ。
【ケース32:Interlude/───】
───。
真由美「……え?与一くん入院したの?」
雪音 「うん。サクラちゃんに刺さ」
ぼかっ!
雪音 「んきゃっ!」
澄音 「ちょっとした事故に遭ったんだ。それで怪我をして入院している」
雪音 「す、澄ちゃんが……澄ちゃんがぶった……!?」
澄音 「雪音、今の言葉は穂岸くんを傷つけるよ。もう少し気を配って」
雪音 「うー……澄ちゃん、ホギッちゃんに会ってから絶対変わったよ……」
真由美「それで、大丈夫なの?」
澄音 「うん、ベッドの上で元気に笑っていたよ」
雪音 「そうそう。入院する必要があるのかってくらいに元気だったよ」
澄音 「───」
真由美「そっか、よかったよ。学校終わったらお見舞いに行くんだよね?
わたしも一緒に行っていいかな」
雪音 「んもう、わたしとゆきちゃんの仲じゃないのー」
澄音 「…………」
雪音 「ほへ?澄ちゃん?どうかした?」
澄音 「え?あ、いや───」
雪音 「むむ?なんか変だよ澄ちゃん。最近なんかあった?」
澄音 「なんにもないよ。ごめん、僕はこれで帰るよ」
雪音 「えぇっ?エスケープ?澄ちゃんらしくないよぅ」
澄音 「……雪音、僕はキミが思っているほど優等生じゃないんだよ。
不信に思われたって構わない。僕は学業よりもたったひとりの友達を優先する」
雪音 「え───あ、ちょっ、澄ちゃん!?……な、なんなのー……?」
真由美「……あんな蒼木くん、初めて見たね」
雪音 「うん……あ、でもわたし、結構前だけど一度見たことあるよ。
まだ澄ちゃんが入院してた頃だったかなぁ。
確か───あれ?誰かと一緒に居て、その時にあんな顔してたよ。
………………誰だったっけ。思い出せないや」
真由美「ふーん……どうしよっか。わたし達も逃げちゃう?」
雪音 「あうぅ、わたし今日のテスト切り抜けないと補習確定で……。
よかったら勉強教えてまゆちゃん。お礼に鷹志さんのこと教えてあげるから」
真由美「鷹志さんって───鷹志?鷹志に会ったの!?」
雪音 「わっ!?」
真由美「鷹志どうしてたっ!?元気だったかなっ!ねぇっ!」
雪音 「きゃーっ!ちょっとたんまー!まゆちゃん苦しー!
へるぷー!のーもあちょーく!」
真由美「あ、あ……ごめんね……」
雪音 「は、はうぅ……」
真由美「でもいつの間に会ったの?」
雪音 「前の日曜日だよ。澄ちゃんとホギッちゃんとノアちゃんとで隣街に行ったの。
そこのお蕎麦屋さんで天ぷらうどん食べてたよ。
ホギッちゃんがそれっぽいこと言ったからまゆちゃんのこと訊いたら、
見事に今、まゆちゃんがやったみたいにされて」
真由美「……げ、元気だったのかな」
雪音 「気になる?」
真由美「───……元気、だったのかな」
雪音 「!?」(さ、殺気!?)
真由美「……どうして答えてくれないのかなぁ、ゆきちゃん……?」
雪音 「あ、あわわ……、えと……う、うん!元気だったよー!」
真由美「……そ、そっかぁ……」
雪音 (……何かのスイッチで人が変わる人って、ホントに居るんだ……)
彼女は目の前で顔を真っ赤にして物思いにふけっている友人を見て唖然とした。
触らぬ神に祟り無し。
彼女はそう思うと身を屈め、一気に逃げガシィッ!
雪音 「───……あう」
真由美「……ねぇゆきちゃん?勉強しながらゆっくり話そっか」
雪音 「───……ハイ」
どうやら目の前の友人は好きな人のことになると周りが見えなくなるらしい。
それならいっそ、自分のことも見えなくなってほしかった……
などと思いながら、引きずらてゆく雪音であった。
【ケース33:穂岸遥一郎/異状変異】
───コンコン。
遥一郎「うん?」
軽いノックを聞いて、顔を上げた。
その先には───
澄音 「やあ」
遥一郎「蒼木?」
蒼木が居た。
遥一郎「やあ、って……お前学校は」
澄音 「あはは、退屈しているだろうと思ってね。学校をサボッたのは初めてだよ」
遥一郎「そんな、気にすることないのに」
澄音 「穂岸くん、ウソはいけないよ。
僕は入院生活が長かったからそれくらいは解っているつもりだ。
この生活に退屈しない人なんて居やしないよ。断言できる」
遥一郎「………」
澄音 「それと……足が動かないんだよね?」
遥一郎「───!おまっ……どうして!」
澄音 「……僕が入院していた原因も、キミが今かかっているものと似たものだった。
先生が危惧していたよ、僕の病気が伝染ったんじゃないかって」
遥一郎「医者が言ってたのか……?」
澄音 「偶然聞いてしまったんだよ。
この病院にはお世話になっていたからね、挨拶をしようとしたら偶然。
もし伝染ならこの病院の患者にも伝染るんじゃないかって心配していた。
……僕はね、穂岸くん。確かにこの病院にはお世話になったけど、
ここに居る医者に感謝の気持ちなんてないんだよ」
遥一郎「……どうしてだ?」
澄音 「僕を救ってくれたのは病院じゃない。
病院の医者達は僕を厄介者としてしか見なかった。
親にも見放されてお金も無かった僕は、その存在自体が厄介者だったんだ」
遥一郎「なんか訳ありみたいだな。俺が聞いてもいいのか?」
澄音 「聞いてほしくなかったらふたりきりで話なんかしないんじゃないかな?」
遥一郎「……そりゃそうだ」
言って、ふたりして笑った。
澄音 「でもそんなに身構えないでほしい。話自体はそう長くないと思うから」
遥一郎「そうか?」
澄音 「うん。僕の話はただ、
ここの医者の人はあまり信用しないほうがいいということだから」
遥一郎「うお……いきなり厳しい言葉だな」
澄音 「そうだね。僕も本当はこんなことは言いたくないけどね」
遥一郎「……別におかしくないだろ。蒼木だって人間だ、不満は言うべきだ」
澄音 「うん、キミならそう言ってくれると思っていたよ。
僕は自分の意思を埋めてしまうほど、自己を捨てていない。
周りのみんなは僕のことはそうは見ないけどね、キミは違うと思ってた」
遥一郎「ふうん……どうして?」
澄音 「どうしてだろうね。直感みたいなものじゃないかな」
遥一郎「イマイチよく解らんが」
澄音 「構わないよ。全てを解る必要性なんて、どんな人間にもないんだ」
遥一郎「自分が欲しいと思った知識だけがあればいい、だろ?」
澄音 「うん、そうだよ」
遥一郎「あ、ところでさ」
澄音 「うん?」
遥一郎「蒼木と一緒に居た人って、どんな人だったんだ?」
澄音 「ひとことで言うと、変わった人だったよ」
遥一郎「本当にひとことだな……」
にこやかに語る彼に、ウソは感じられなかった。
つまり本当に変わった人だったってことだ。
遥一郎「料理が上手かったのか?」
澄音 「片寄りはあったけれど、上手かったよ。ちょっとぬけているところもあったけど」
遥一郎「へぇ……」
蒼木に『ぬけている』だなんて言われるとは……よっぽどだったんだろうなぁ。
遥一郎「でもそれって───……っ?」
……なんだ?
傷が痛んだ……のか?
なんか急に……力が抜けて───
澄音 「穂岸くん?」
遥一郎「……っあお、ぎ……!悪いっ……ナースコール押してくれ……!」
澄音 「───うん。もう押した。大丈夫かい?」
遥一郎「昨日ほどじゃあ……ない。ただ熱い……!」
澄音 「発作みたいなものだよ。きっと注射の効果が切れたんだ」
遥一郎「……か、はぁあ……!わ、悪い蒼木……!せっかく来てくれたのに……!」
澄音 「僕のことは気にしないで。喋らない方がいい」
看護婦「穂岸さん!どうしました!?」
澄音 「看護婦さん、発作が起きたみたいなんです。先生を呼んでください」
看護婦「───蒼木、さん?どうしてあなたがここに居るんですか!?
あなたはこの病院には立ち入り禁止の筈ですよ!?」
澄音 「友達のお見舞いです。そんなことまで干渉される筋合いはありません。
早く先生を連れてきてください。口論している場合じゃないでしょう」
看護婦「───」
カツカツカツカツッ……!
看護婦さんが廊下を駆けていった。
遥一郎「い、意外だな……嫌われ者なのか……?」
澄音 「退院する時にひと暴れしたんだよ。言ってしまえば不良だよ」
立ち入り禁止になるほどの暴れっぷりを蒼木が……?
う、うむむ……想像出来ない。
遥一郎「え?で、でもさっきお世話になったから挨拶に、って……」
澄音 「立ち入り禁止だったことは確かだったから、
一度は挨拶をしようと思ったんだよ。
許可を得られないのなら黙って入るつもりだった」
遥一郎「その結果がこれか?」
澄音 「結局挨拶はしなかったからね。……それじゃあ先生が来る前に僕は出ていくよ」
遥一郎「ああ……。悪いな……」
澄音 「気にしないでいいよ。また来るから」
遥一郎「ああ───」
そこまで言った途端、景色が歪んだ。
どこを見ているのか自分が解らなくなってしまったほどに。
やがてブラウン菅の電源が落とされるようにプツンッと視界が暗転した。
───正直、その先の記憶はない。
ただひとつの言葉だけを聞いて、俺は完全に意識を失った。
なんのことはない、手術の日が今に変わっただけだ。
だけど……手術を終えてもまだ、俺の発作的な熱が消えることはなかった───
【Side───Interlude】
……。
雪音 「ホギッちゃん今日も休みだね……。澄ちゃんも最近学校に来ないし……」
真由美「今日もお見舞い行く?」
雪音 「……どうしよっか……。ホギッちゃんなんだか元気無いし……」
真由美「……退院日、延期したんだよね……?」
雪音 「うん……なんか熱が再発したって……」
真由美「………」
【Side───End】
───……
遥一郎「………」
澄音 「………」
遥一郎「学校、いいのか?」
澄音 「僕はかまわない」
遥一郎「………」
澄音 「………」
遥一郎「……なぁ……蒼木」
澄音 「うん?」
遥一郎「お前もさ……毎日毎日熱出したのか……?」
澄音 「……うん。正直、死んでしまった方が楽になれると思ったこともあったよ」
遥一郎「……なんなんだ?この病気は」
澄音 「僕にも解らない」
遥一郎「…………毎夜毎夜、熱にうなされるんだ。
ナースコール押したくても体が動かない。押せたとしても誰も来なかった。
……金があまり無いって知った途端だ。
蒼木の言いたかったことが少し解ったよ。
こんなのは人間の生き方じゃない……家畜の生き方だ……。
死なない程度に薬を打たれて、切れたとしても放置。
一日一本しか打たないつもりだな。まるでモルモットだ」
澄音 「………」
遥一郎「正直、おかしくなりそうだ……。こんな場所には居たくない……」
澄音 「それじゃあ───逃げちゃうかい?」
遥一郎「え───?」
ノア 「マスター」
サクラ「与一」
蒼木の声を合図に、ドアからノアとサクラが顔を出した。
遥一郎「ノア……サクラ……どうしたんだよ、最近来なくなったから心配してたんだぞ?」
ノア 「申し訳ありませんマスター。レイルさまに捕まっていまして」
サクラ「シャレの解らない人です」
遥一郎「───……ふたりとも、ちょっとこっち」
ノア 「はい?」
サクラ「なにです?」
サクラとノアが俺の傍まで寄る。
俺はそのふたりを抱き締めた。
サクラ「……与一?」
ノア 「マスター……?」
遥一郎「………」
どうしてだろうか。
ふたりがとても遠くに感じた。
それを繋ぎ止めたくて、彼女達を抱き締めた。
澄音 「穂岸くん……」
遥一郎「……帰ろうか、家に」
ノア 「マスター……!」
サクラ「帰るです!こんなとこに居ても治らないです!」
ふたりが俺の腕を抱え、俺を起き上がらせる。
相変わらず足に感覚はなくて、どう立ったものかと途方に暮れた。
澄音 「大丈夫かい……?」
遥一郎「なんとかなるだろ」
自分が今までやってきた通りに、足を動かすように意識する。
動かなかったけど意識する。
もっと意識する。
遥一郎「───……っ」
そして散々意識して、ようやく足は動いた。
俺はその感覚を途切れさせないように必死に足を動かす。
遥一郎「っ……よ、し……いけそうだ……」
澄音 「うん。そろそろ検診の時間だ。窓から出ようか。手を貸すよ」
遥一郎「頼む、蒼木……」
…………俺は蒼木に手を借りて、窓から外へ出た。
服はサクラがコピーしておいた服のデータを引き出し、
死装束事件の時のように取り替えてくれた。
その時についでに確認してみたが、
やっぱり人体情報を書き替えるようなことは出来ないらしい。
残念だったのは確かだ。
形振り構っていられないほどに辛い。
ああ、知らなかった。
歩くのってこんなに疲れるんだな……。
───……。
……。
遥一郎「はっ……はぁ……」
澄音 「頑張って、もう少しだよ」
遥一郎「あ、ああ……」
そう、あと少しだ。
家はもう見えている。
ノア 「───おかえりなさいませ、マスター」
ノアが先立って玄関を開けた。
今はそんな気遣いがとても嬉しかった。
遥一郎「ありがとう、ノア」
ノア 「いいえ、よく帰ってきてくれました……マスター」
遥一郎「治ってないけどな……」
ノア 「構いません。病人であろうとなかろうとマスターはマスターです」
サクラ「そです。与一は与一です」
遥一郎「ああ……ありがとうな」
ふたりの頭を撫でる。
だけどそれすらも今では辛かった。
……悪化の云々ではなく、俺に体力が残っていないんだろう。
くそっ……どうなってるんだよ……。
ノア 「さ、マスター」
遥一郎「ああ」
ノアが俺の手を引く。
早く休ませたいと、その目が語っていた。
……こうして病人になってみると相手の気持ちが少しは見えた。
皮肉なものだ。
───……。
……。
───……気がつけば自室に居た。
あれからどうやって自室に戻ったのかもよく憶えていない。
ゆっくりと辺りを見渡して、そして
遥一郎「何処ここ!?」
叫んだ。
ノア 「マスター!なにごとですかっ!?」
ドアがズバーン!と開け放たれる。
その先から現われたノアが心配そうに駆け寄った。
遥一郎「あ、いや……なんなんだその奇妙な格好は」
ノア 「祈祷師ですが」
遥一郎「…………ノア、それはただの巫女服というんじゃないだろうか」
ノア 「大差ありませんよ」
遥一郎「……でさ、俺の部屋っていつから霊幻道士の部屋になったんだ?」
至る所にお札やら奇妙な縄やらがぶら下げてあったり張られてあったりする部屋を見る。
で、溜め息。
ノア 「雰囲気は大事です。
ということで、今からマスターの病気を払う祈祷を捧げたいと思います」
遥一郎「治せるなら普通に治してくれませんか?」
ノア 「……わたしには治せません」
オイ。
ノア 「気を紛らわせればと思ったのですが、これでは逆効果でしたね……」
遥一郎「いや、ありがとう。おいで、ノア」
ノア 「子供扱いはしないでください」
遥一郎「そんなんじゃないよ。おいで」
ノア 「───はい、マスター」
近づいてきたノアを抱き締める。
小柄なノアは抱き締めると折れてしまうくらいに小さく感じた。
ノア 「……マスター?どうしたのですか?」
遥一郎「……なんでかなぁ……最近、いろんな人が遠くに感じるんだよ。
歩けないからなのか、それとも───いや、なんでもない」
ノア 「マスター……」
遥一郎「情けないよな、こうでもしないとみんな居なくなる気がしてさ……」
ノア 「───いえ、どうかお好きなだけこのままで居てください。
マスターに撫でられるのは嫌いではありません」
遥一郎「ありがとう、ノア。……でも、もういいんだ。落ち着いた。
……なぁノア、最初はいろいろ大変だったけどさ。
俺はサクラやノアがここに来てくれたこと、嬉しかったよ。
お前達は賑やかな家庭ってやつを知らなかった俺にそれを教えてくれた」
ノア 「……マスター?なにを仰っているのですか?」
遥一郎「度合いにもよるけどさ、これが幸せなんだなって、妙な考えまでしてさ。
だけど、どれもこれも欠けちゃいけないものだった。
初めてバイトしたり、観咲と馬鹿みたいに言い争ったり、
蒼木と一緒になって無駄だとも思える時間に身を委ねたり……」
ノア 「マスター……?」
遥一郎「……ありがとう。いくら感謝しても足りないけど……。
つまらないだけだった筈の未来が、こんなにも楽しいものに変わってくれた。
みんなが居てくれたから。誰ひとりとして欠けちゃいけなかったから。
だから、みんなに……ありがとう……」
ノア 「マ……マスター……?」
…………。
ノア 「マスタ……?マスター!」
遥一郎「ぐー……」
ノア 「───な……」
【Side───ノア=エメラルド=ルイード】
───マスターは眠っていた。
ただ眠かっただけのようだ。
ノア 「……脅かさないでくださいマスター……」
マスターを布団に寝かせ、その寝顔を眺めた。
……とても穏やかな顔。
静かに寝息を立てている姿は、普段見ている顔よりずっと幼く見えた。
わたしはその寝顔をしばらく見つめてから、部屋をあとにした。
【Side───End】
───チャッ……。
澄音 「……やあ」
遥一郎「……よう」
ノアが部屋を出ていってからしばらくして蒼木が現われた。
どこか思いつめたような顔が、とても似合わなかった。
澄音 「……なにかに気付いたのかい?」
遥一郎「気付いた……か。そうかもしれない」
澄音 「僕が聞いてもいいことかな」
遥一郎「ノアやサクラ以外の誰かに聞いてほしかったところだ。聞いてくれると嬉しい」
澄音 「うん、僕でよければ」
小さく苦笑するように言う蒼木。
彼も何かに気付いているような顔だった。
俺は小さく息を吐いてから口を開いた。
遥一郎「……多分、俺は治らないんだと思う」
澄音 「………」
遥一郎「諦めてるわけじゃないけど、なんだかな。
サクラに刺されたからじゃないんだよ、これ」
部屋にあるエッグを見る。
まず間違いなく、最初のエッグの爆発による効果の暴走と、
普通のエッグの浄化効果の交わりなんてものに、
人間の体が耐えられるように作られていなかった……そういうことなんだと思う。
悟ったような考えだけど、妙に辻褄が合う自分の意識に苦笑が漏れた。
心配だったノアには俺のような症状が起こらなかったのは不幸中の幸いだった。
天界の機械やらなにやらによる症状だ。
当然、地上で治せるわけがなかった。
傷口から熱が広がったのも多分、身体全体の熱が上がっていたにも関わらず、
熱によって触発された傷口の痛みから『傷から熱が広がる』と錯覚を憶えたんだろう。
遥一郎「訊いていいか?」
澄音 「うん?なんだい?」
遥一郎「蒼木の病気は今の俺の症状と似てたんだよな?」
澄音 「うん」
遥一郎「どうやったら治ったんだ?」
澄音 「……僕の病気は『治った』とは言い難いものだよ。
僕のは『信じる力』が必要なんだ。思い込みに近いものだね。
放棄してしまったら効果を失うものなんだよ」
遥一郎「人間の思い込みの力か。あれだろ?
火傷のイメージを強く膨らませると本当に火傷するってやつ」
澄音 「僕の場合ちょっとだけ違うんだけどね」
遥一郎「?」
澄音 「でも───穂岸くん。この方法だけはお奨め出来ないよ」
遥一郎「どうして?」
澄音 「きっとキミは悲しい思いをすることになる」
遥一郎「ん……よく解らんが」
澄音 「代償が高いってことだよ」
遥一郎「大金がかかるとか?」
澄音 「お金じゃ買えないよ。だからお奨めできない」
遥一郎「………」
澄音 「説教地味ちゃったね、ごめん」
遥一郎「いや、いいよ」
澄音 「……ごめん」
遥一郎「いいって、どうしたんだよ」
澄音 「僕はきっと、キミに残酷なことをしたのかもしれない。
だけど僕ももう限界なんだ。だからどうか、許してほしい」
遥一郎「え……?なんだよ、訳が解らないぞ」
澄音 「───今日はもう帰るよ。……どうか、キミの未来が幸福でありますように」
悲しい顔のまま無理矢理笑顔を作って、蒼木は部屋を出ていった。
俺の制止の声はまるっきり聞き入れずに。
…………。
……。
しばらくして、サクラが様子を見にきた。
サクラはノアから俺が言ったことを聞いたようで、
寝たふりをしている俺に何度も話し掛けてきた。
……俺だって人生を諦めたわけじゃない。
でも、いつ諦めてしまうか解らないから……。
だからお別れの言葉みたいなものを言った。
情けないとは思いながら、そうでもしないとどこか吹っ切れず、そうするしかなかった。
そこで思うのだ。
『遠くに思えるはずだ』と。
歩けない、追えない、傍に居ない。
まるっきり遠くに感じるには十分な要素が揃っていた。
そして悪化しないとはいえ、これだけのことが何日も続けば精神自体がもたない。
事実、俺はもう疲れていた。
薬の影響で朝から夜までは少しは平気だが、夜になれば発熱と激痛。
苦しくて涙がでるくらいの苦しみが毎日訪れるのだ。
まるで毎日死刑執行されているような感覚が、休まる日を齎さない。
もう解放されたいとさえ思った。
ノア 「……マスター、起きていますよね?」
遥一郎「…………ああ」
ノア 「サクラが泣いていました。自分の所為で、と」
遥一郎「……レイルって人の所為だって言っておいてくれ。
エッグが体質に合わなかっただけだ」
ノア 「……気付いていたのですね」
遥一郎「ノアも気付いてたのか」
ノア 「…………」
遥一郎「ノア……?」
ノア 「……はい。気付きました」
遥一郎「……治す方法とかは?」
ノア 「すいません……天界にもない病気なんです……」
遥一郎「そっか……でも、ノアが謝ることはないよ。ほら、笑って笑って」
ノア 「………」
…………。
遥一郎「なぁ、ノア」
ノア 「はい……」
遥一郎「ちゃんとした命令、してみてもいいか?」
ノア 「え───?」
遥一郎「命令したのってふざけたり危険な時ばかりだっただろ?
だから、ちゃんとしてみたい」
ノア 「───……解りました。どうぞ」
遥一郎「……うん」
息を吸う。
そして吐く。
心を落ち着かせて、準備を整えて───やがて、俺は言葉を放つ。
遥一郎「俺の知り合いで困っている人が居たら……助けてやってほしい。
その人の未来の手伝いをしてやってくれ。お前達なら、きっとそれが出来る」
ノア 「…………マスター……それは命令ではなく、お願いです」
遥一郎「え……?あ、そうだな……はははは。
でも───頼む。俺にとって、俺の周りに居た人は誰もが大切な人だ。
誰ひとり欠けちゃいけない。だから、助けてやってくれ」
ノア 「それでマスターは喜んでくださるのですか……?」
遥一郎「ああ、もちろん」
ノア 「───解りました。心に留めておきます」
遥一郎「……すまない」
ノア 「謝らないでください。マスターの気持ち、解りますから」
遥一郎「ありがとう……」
ノア 「───はい」
ノアは微笑んで、俺に抱きついてきた。
俺はそんなノアの頭を撫でて、どんどんとやつれてゆく自分に情けなさを憶えた。
走馬灯のように思い出される思い出の中、
ただその中に居る元気な自分がヤケに羨ましく思えた。
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