───少女に未来を託した少年のコト───
【ケース46:穂岸遥一郎/最後の日常】
───全ては普通だったんだと思う。
何もかもが普通に流れてゆくこの景色の中、それが普通とは思えない自分に呆れる。
……例えば。
ここに今にも死んでしまいそうな人が居たとして。
それを普通ではないと認識していた人がその人を助けるのは普通だろうか。
……いや、きっと気づけない。
ことの本質を見抜けなければ人は人の話を鵜呑みにするしかないのだから。
───通学路をゆっくりと歩く中、真由美さんの家が目に入る。
俺はそれに頭を下げて、その場所をあとにした。
……最後。
これが最後だ。
ここで行かなきゃマスターや女将さんにはもう会えない。
真由美さんだってもしかしたら休みかもしれない。
でも───それでも会ってしまったら……決心が揺らぐから。
だから、これでおしまい。
もういいから……学校へ行こう。
そして最後に授業を受けるんだ。
俺は───結局勉強を言い訳にして両親から逃げてきたんだから。
せめて言い訳くらい貫き通して、そして……消えよう。
だからそれまではこの世界にある、考えられる程度の遣り残しを潰していこう。
そうすればきっと、俺は手を振れるから。
───……。
……。
───時間の経過はさして変わることはなかった。
長いと思えば長かったし、かと思えば突然短く感じたり。
久しぶりに制服に身を纏って黒板を睨んだ。
春にしては珍しく、夏のように真っ青な空と差し込む日差し。
そんな景色を横目にシャーペンを走らせていた。
もちろん散々問い詰められた。
体は大丈夫なのかとか、まあそのあたりのことを延々と。
俺はその問いをはにかむように笑って受け流した。
休み時間毎に観咲が俺の背中を突ついて話し掛けてくる。
相変わらず楽しそうな声なのだが、蒼木のことで少なからずショックをうけていた。
蒼木は結局見つからなかったそうだ。
でも今日、学校が終われば屋上に現れる。
観咲を連れていってやりたかったけれど、あいつはきっとそれを望まない。
そう思うと、悪いと思いながらも言い出すことは出来なかった。
───ふと、真由美さんと目が合う。
彼女はにっこり笑うと他愛ない話を振ってきた。
精密検査を受けたけど、彼女の体には異常はなかったらしい。
車に撥ねられても傷ひとつないなんて、ホントに完璧なんだなと呆れられていた。
───そんな大事だった筈の時間の中で。
俺はその時間が希薄になっていくのを感じた。
どこかで引っかかりがあって、ふと、急に会話が途切れたりすると話が続かない。
そんな時はおきまりの冗談を言って凌いだりしていた。
雪音 「ねーホギッちゃん。おべんと交換しない?」
遥一郎「いいぞ」
雪音 「うーしゃー!それじゃ、ハイ」
遥一郎「ああ、ほれ」
いつもとそう変わらないはずの会話が遠くに聞こえる。
その言葉に必死に耳を傾けて返事をするのは正直つらかった。
……耳が遠いか。
まるで老人だ。
それだけ消える時間が近いってことかな。
真由美「あ、わたしも混ざっていいかな」
雪音 「どんとこいだよー!」
遥一郎「どんとこいなのはお前の胃袋だろ」
雪音 「ムキーィイイ!体調直っても性格は変わってないんだねホギッちゃんはぁっ!」
笑い合える時間。
なんて穏やかなんだろう。
俺はこんな世界に居たのか……。
気づきもしなかった……。
雪音 「……ホギッちゃん?」
遥一郎「え……、あ、なんだ?」
雪音 「え?えと……なんか今ホギッちゃんがブレて見えて……」
遥一郎「……天津飯か俺は」
雪音 「残像拳なら亀仙人じゃないの?」
遥一郎「知らん」
雪音 「むー」
陽射しが強い所為かな……。
なんか眠くなってきた……。
雪音 「ホギッちゃん?眠るの?」
遥一郎「……いや、眠らないよ……。これは力を溜めているんだ」
雪音 「なんの力?」
遥一郎「技巧の神の力」
雪音 「マッスルインフェルノ!?」
遥一郎「うむ。俺の中にゼブラの芸術的テクニックが開花しつつあるんだ」
雪音 「ええっ!?そうなの!?」
遥一郎「冗談だ。そんなわけあるか馬鹿」
真由美「そうだよー、これくらいで騙されてちゃ将来サギに会うよー?」
雪音 「……うー、ふたりともヒドイよぅ……」
……そうだ。
眠ったらきっとそれまでだ。
ここで眠るわけにはいかないんだ。
約束があるから……。
雪音 「あ、そろそろお昼終わるね。食べちゃおっか」
遥一郎「食べ終えてないのはお前だけだがな」
雪音 「わざとカチンとくる言いかたしないでよぅ!」
遥一郎「だめだ」
雪音 「即答!?まゆちゃん何か言ってやってよぅ!」
真由美「そのくらいのことは自分でやりなさい」
雪音 「はうっ!友人からの思いがけない裏切り!?
思わずサブタイトルのように唱えたくなる現実の壁がわたしの前に」
ぼかっ!
雪音 「はうっ!」
遥一郎「やかましい、さっさと食べろ」
雪音 「うう……ヒドイよぅ……。
まゆちゃぁん、お願いだからホギッちゃんに言ってやってよ〜……」
真由美「日本人ならお茶漬けやろがー」
雪音 「まゆちゃんそれ違う!」
真由美「ゆきちゃん、冗談を冗談と思えなきゃ人生つまらないよ?」
雪音 「そのハメる対象をわたしだけに絞るのってどうかと思うよ……」
…………
雪音 「ホギッちゃん?……あ、寝ちゃった」
真由美「授業始まるまで寝かせてあげよ?きっと疲れてるんだよ」
雪音 「そだね。それじゃあ───あ、え……?」
真由美「あ……」
雪音 「……見た?」
真由美「幻覚だよきっと。さ、準備準備」
雪音 「だ、だってホギッちゃんの体が一瞬透けて見えて」
ぐわらぁっ!
剣持 「授業始めっぞー!席に着けー!」
雪音 「わわっ、剣持センセだっ。準備準備……ってホギッちゃん!」
ぼかっ!
遥一郎「ぐおっ!?」
雪音 「あ、起きた」
遥一郎「な、なんて起こし方しやがるんじゃい!」
雪音 「ホギッちゃん後ろ」
遥一郎「なにぃ、後ろがどうかし」
剣持 「穂岸、いいご身分だな」
───ギャア。
遥一郎「お、お見逃しください……身分低き者ゆえ……裁きを受けるほどでは……」
剣持 「だめだ」
遥一郎「即答!?」
雪音 「うわーっ、許しを請う生徒を一言で蹴落としたー!
剣持センセってば鬼教師ー!」
剣持 「……観咲、廊下に立ってろ」
雪音 「キャーッ!?……あぁぁぅう……今回ばっかりはこの軽い口が恨めしいぃぃ……」
とぼとぼと廊下へ去ってゆく観咲を見送る。
そして俺はこんな最後も悪くないと苦笑した。
剣持 「くぉら、笑ってる場合じゃないだろお前は」
遥一郎「どのような処分を?」
剣持 「ふむ……顔色がよくないな。保険室へ行け。それが処分だ」
遥一郎「大丈夫です。てわけで授業に」
剣持 「だめだ」
遥一郎「やっぱり?」
剣持 「誰か穂岸を保健室連れてけー!」
雪音 「それならわたしがーっ!」
剣持 「お前は立ってろ」
雪音 「……うう、せつないよぅ……」
とぼとぼと廊下へ(略)
雪音 「略さないでよぅ!」
遥一郎「お前こそ人のモノローグ読むなよ!」
がごすっ!
雪音 「んきゃっ!」
遥一郎「ハオッ!」
剣持 「やっぱりふたりとも立ってろ……」
遥一郎「イエスサー!」
雪音 「ノォサー!」
剣持 「行けと言っているゥゥウウ……!!」
グリグリグリ……!!
雪音 「きゃーっ!いただたたたたた!コメカミッ!コメッ!ぐああっ!」
俺と観咲はクラスメイトに笑われながら教室を出た。
まったく笑える。
遥一郎「お前なぁ、少しは素直に人の言うこと聞けないのか?」
雪音 「そう性格変動させたのはホギッちゃんだよぅ……」
遥一郎「誤解を招く言い方はやめような」
雪音 「誤解?どんな?」
遥一郎「そんなことも知らんのか。ゴカイとは海釣りのエサでだな」
雪音 「早速ボケてないで教えてよぅ」
遥一郎「あー、いっけねー、ど忘れしちゃったー」
雪音 「最初っから喋る気なかったんでしょ……」
遥一郎「当たり前だ。俺を見くびるな」
雪音 「………」
遥一郎「じゃあな、俺は剣持のオッサンの言う通り、保健室行くから」
雪音 「付き合うよー!」
遥一郎「だめだ」
雪音 「どうしてみんな断る時に絶対『だめだ』って言うのよぅー!」
遥一郎「自分で考えなさい。脳があるなら出来る」
雪音 「うぐー!」
……けしからん罵声を背中に浴びながら廊下を歩いた。
やがて観咲から俺が見えなくなったあたりで罵声は途絶える。
俺は静かになった世界をのんびりと歩いて、そのまま屋上へ向かった。
保健室は口実にさせてもらおう。
ようは抜け出せればそれでよかった。
あのままあの教室に居たら、遅かれ早かれ発作がばれてしまう。
……ああ、もう時間がない。
学校が終わるのもそろそろだ。
あと少し……か。
荒くなってきた息を整えながら屋上へと続くドアを開け放つ。
当然そこには誰も居なかった。
俺はその空の下を歩き、フェンスに寄りかかった。
いや、寄りかかりながら座った。
体を預けたような状態で空を見上げる。
その空は見たこともないような蒼空だった。
ああ、なんて綺麗な蒼だろう───
思わず、そんな言葉が口から小さく漏れた。
その言葉に何故だか笑いが込み上げてきて、俺は体を庇いながら笑った。
ああ、まるで蒼木だなと思ったから。
でもそんな今の心境が幸せでならない。
もちろん死ぬのは怖い。
だけど死を前にこんなに穏やかでいられる自分が不思議だった。
やがて暖かい陽射しに見守られながら、俺は目を閉じた。
するとどんどんと体が暖かくなってゆくのが解った。
……いつしか俺は呼吸を一定にして眠りふけていた。
その過程の出来事なんて知ることもなかった───
【ケース47:穂岸遥一郎/夕焼けの先の蒼空、僕らの居た春】
───……。
聞こえた鼻歌に目を開けるとそこは綺麗な世界だった。
赤とも金色ともとれる夕焼けの光に抱かれながら、その空を仰いだ。
……そこにあいつが居た。
澄音 「……喜び〜に〜胸〜をは〜り〜……おかあさんと〜きたっけな〜……」
鼻歌のあとに聞こえた歌。
それは昔、小学の時に聞いた歌だった。
俺が起きたことに気づいているのかいないのか、微笑みながら歌ってゆく。
のんびりとその歌声に耳を傾け───
やがて歌が終わる頃、俺と蒼木の目は合った。
フェンスの上に座り、俺を見下ろすその笑顔。
間違える筈も無い、あの天然記念男だった。
澄音 「……やあ」
遥一郎「……よお」
慌てる風でもなく挨拶を交わした。
遙一郎「門出の歌、か?」
澄音 「うん。僕は学校になんか行けなかったからね。
これが門出ってわけじゃないけど……一度歌ってみたかったんだ」
遙一郎「……そうか」
全部知ってる。
こいつは俺やサクラやノアのことを。
今更何か言う必要もないし、それに───
澄音 「………」
遥一郎「………」
それに、言うこと自体が思い浮かばない。
澄音 「……もう、最後なのかい?」
遥一郎「……ああ」
澄音 「…………サクラちゃんは?」
遥一郎「家で寝てるよ」
澄音 「お別れはしたのかい?」
遥一郎「俺は消えるんだろ?する必要はないよ」
澄音 「……そうかもしれないね」
どこか悲しい顔で蒼木は空を見上げた。
そしていい天気だねと言ってやさしく微笑んだ。
遥一郎「……なぁ蒼木」
澄音 「……ノアちゃんのことだね?」
遥一郎「ああ……お前、どうしてノアのこと覚えてたんだ?」
澄音 「僕がこれから消える存在だからだよ」
遥一郎「……随分簡潔な答えだな」
澄音 「難しく言った方がよかったかい?」
遥一郎「いや、いい……ちょっとやそっとじゃもう驚かないから」
澄音 「うん……」
ふたりして空を見上げた。
蒼木は時間が無いと言う。
それがなんなのかは……
以前、自身で言っていた『治ったわけじゃない』ってことに関係しているんだと思う。
それか『信じる力』のこと。
こいつは自分でその『何か』を放棄しようとしている。
その先にあるものが恐らく───
澄音 「……僕はね、消えるんだよ。この世界から、この歴史から。
人の記憶から消えて、新しい存在になるんだ。
本当なら死ぬまで生きてはいられたんだけどね、
僕はもう彼女の傍に行きたいって思うばかりになってしまったから」
蒼木はいまさらそれを忘れて、生きることを信じることなんて出来ないんだと笑った。
澄音 「……もう気づいているよね?僕が天界人を知っていたこと」
遥一郎「ああ、薬の容器で解った」
澄音 「…………うん」
遥一郎「もしかしてさ。お前に薬をくれたのって」
澄音 「……それ以上は言わなくていいよ。僕が話そう」
遥一郎「………」
澄音 「僕に幸せを運んできてくれたのはレイラ。
レイチェル=イレーズ=ランティス。つまり、サクラちゃんの姉だった人だ。
彼女が僕に生きる喜びを教えてくれた。
彼女が居なかったら僕はまだ病室に居たか、
それとも追い出されて餓死してたかのどちらかだったんだろうね」
遥一郎「俺にはお前がそんなに弱い奴には見えないよ……」
澄音 「きっかけがあったんだよ。強くなれるきっかけが。
それが彼女だった。それだけのことだよ」
遥一郎「でも本質は変わらないだろ?
きっかけがなんであれ、お前が強く思えばそれは───」
澄音 「…………」
蒼木は目を閉じた。
そして言う。
ああ、やっぱり思った通りだと。
澄音 「……キミは似ているんだ、うん……レイラによく似ている……。
言うことも性格もそっくりだ……。サクラちゃんが懐くのも頷けるよ……」
遥一郎「……俺は男だ」
澄音 「ははっ、そういうところが似ているんだよ」
遥一郎「───……」
澄音 「………」
ふと、なにかの拍子で会話が途切れた。
俺と蒼木は自然に空を仰ぎ、息を吐く。
遥一郎「……お前は───」
澄音 「……うん」
遥一郎「お前は……何になるんだ?」
澄音 「なんだろうね……。それは僕にも解らないよ。
でも死んだ者は必ず何かになるって信じてる。
だから僕は願うんだ。彼女が待っているあの空に届きたいって」
いつも空を見上げていたそいつは、とても穏やかな顔をして俺にそう言った。
人ってのはこんな顔をできるのかと思うより、その穏やかさが悲しかった。
いつまでもこの日常が続けば、なんてことはやっぱり贅沢だったのかな。
いつもそうだな、俺は。
俺が望んだものは俺の手から落ちていってしまう。
どうしてこう上手くいかないんだろうな……。
澄音 「穂岸くん」
遥一郎「うん……?」
澄音 「キミは幸せだったかい?」
遥一郎「……そうだな、幸せだった」
澄音 「……うん、僕も」
遥一郎「皮肉な話だよな……。
こんなになってからじゃなきゃ自分がどれだけ幸せだったか解らないなんて」
澄音 「うん、そうだね」
遥一郎「───……」
澄音 「───……」
かしゃん、という音。
フェンスの上で体勢を変えた蒼木が、フェンスの向こう側に降りた。
遥一郎「……自殺はヤバイぞ」
澄音 「あはは、キミは正直なことを言う人だね」
遥一郎「お前もな」
澄音 「うん、自覚はしているよ」
遥一郎「───もう、行くのか?」
澄音 「……うん、もう時間が無いんだ。正直、立っているのも辛いよ」
遥一郎「……俺もだ」
澄音 「あははは、奇遇だね」
遥一郎「まったくだ」
ちょっとした笑い声。
もう生徒も居ないのか、この世界は本当に静かだった。
いや、あるいは───もうそこまで終わりが近づいているということなのかもしれない。
遥一郎「空に届くといいな」
澄音 「そうだね。あ───そうだ、穂岸くん」
遥一郎「うん?」
澄音 「もし彼女の傍に行けたら、僕はこの世界を見守る風になるよ」
遥一郎「……風か。いいな、それ」
澄音 「レイラと一緒にこの世界を見守って、悲しい時には雨や雪を降らせて……」
遥一郎「天変地異でも起こす気かお前は」
澄音 「あはは、そうかもしれない」
……ああ、こいつはなんて楽しそうに笑うんだろう。
もうすぐ消えてしまうというのに……。
俺には、そんな勇気───
澄音 「……ねぇ、穂岸くん」
遥一郎「うん?」
澄音 「これは僕の推測なんだけどね?僕がこの奇跡の魔法を放棄することで……
多分、他の誰かの強い願いが叶えられると思うんだ。
些細なことを少しずつ叶えるだけなのかもしれないけど、
それってすごいことだと思わないかい?」
遥一郎「……ホントに出来るならな」
澄音 「ふふ、そうだね」
背中越しに蒼木の含み笑いが聞こえた。
だけどふいに、その声が掠れる。
遥一郎「蒼木……?」
澄音 「……うん。そろそろ限界かな」
遥一郎「………」
澄音 「ありがとう、穂岸くん。
こんな僕だったけど、キミに出会えて変われたんだと思う。
友達なんか居なかった僕だけど───最初の友達がキミで良かった。
……ありがとう、本当に。そして───」
【Side───蒼木澄音】
───……夢の日が終わる。
今思い返せば、なんて幸せな夢だったんだろう。
そのどれかひとつでも欠けてしまえば陳腐なものにしかならない筈だったこの夢。
その夢を最後の最後まで見て居たかったというのに、僕にはもう時間がなかった。
だけど満足といえば満足だった。
この短い時間を一緒に過ごせて。
掛け替えのない時間を築き上げることが出来て。
だからこう思うのも仕方がなかった。
自分が消えるまで、いや……消えたとしても、ずっと幸せな夢であってほしいと。
僕はそう願う。
───空を見上げた瞬間、その空が真っ青に見えた。
僕はその空に微笑み、やがて体を傾ける。
お別れの言葉を言うには惜しくて。
ただ手を振って、またね、とつぶやいて笑った。
───その笑みはきっと……僕の一番の笑顔だった───
【Side───End】
遥一郎「あおっ───蒼木ぃいいいいっ!!」
フェンスに頭をぶつける勢いで、落ちてゆくその姿を追った。
彼は微笑みながら手を振り、やがて───光に包まれて……消えた。
遥一郎「───……」
手を振る間もなくて、俺は上げかけた手を下ろして涙した。
……憶えてる。
それは、俺と蒼木が仲が良かったからか……?
それとも俺もすぐに消えるからか……?
……そんなことはどうでもよかった。
ただ泣き声で何度もバカヤロォと呟いた。
近くに居たんだからお別れくらい言わせろ馬鹿……!
消えちまったら『またね』もなにもないだろうが……!
遥一郎「……っか……、っ……かやろぉ……!ばかやろぉおおおおおっ!!」
フェンスが音を鳴らした。
その度に俺の手が赤くなっていき、やがて血が流れた。
───別れは辛い。
そのことを、俺は子供の頃から知っていた。
傍に居てほしい、近くにあってほしいと願うもの全てが壊れていってしまうこの世界。
そんな世界の中で俺はまた新しい大切な何かと出会って───
そして……また、俺の傍から失われてゆく大切なもの。
願うことは罪か?
欲しいと思うことは罪か……?
遥一郎「答えろ……!居るなら答えろよ神さま……!
全部……俺から全部取り上げて楽しいのかぁっ!答えろぉっ!!」
喉が裂けるかと思うほど声を張り上げた。
が、その拍子に発作が始まった。
フェンスに掴まりながら沈んでゆく自分が惨めだった。
だけど苦しんでいる暇はない。
まだだ。
まだ全部消えたわけじゃないから。
もしかしたらサクラだって、俺なんかのために奇跡の魔法を使うかもしれない。
……だめだ。
それだけはだめだ。
俺はあいつまで失いたくない……。
そのためなら、たとえ俺が消えても───悔いはない!
遥一郎「ぐっ……く……!動けよ……!動けないで……なんのための足だ……!」
フェンスにしがみついて体を無理矢理起こした。
体が軋むかのように痛いが……立てないほどじゃない。
もう吹っ切ってしまえ。
こんな痛み、どうせ自分が消えるなら今だけの幻だ!
遥一郎「っ───ぉおおおっ!!」
形振り構わず走った。
今度倒れたらもう起きあがれる気がしない。
それなら消える前に遣り残したことをやるだけだ!
声 「───与一くん?」
遥一郎「───!」
聞こえた声に立ち止まった。
途端、体が激痛を訴える。
だがそれを顔に出すわけにはいかなかった。
真由美「何処に行ってたの?ゆきちゃんの話じゃ保健室に行ったって聞いてたのに」
遥一郎「っ……そ、そういう真由美さんは……?」
真由美「わたしは先生に用事頼まれて。……与一くん、どうしたの?すごい汗だよ?」
遥一郎「実は最近腹筋に目覚めまして」
真由美「嘘はいいよ」
遥一郎「ぐっ……」
真由美「どこかに行くところ?」
遥一郎「……真由美さん、俺の頼み、聞いてもらえるか……?」
真由美「うんいいよ」
あっさりだった。
遥一郎「……サクラを、学校裏の高台に呼んで欲しいんだ」
真由美「あの近道に?」
遥一郎「ああ、頼む……」
真由美「うん、お安いご用だよ。
サクラちゃんにあの高台に来てくれるように言えばいいんだね?
それじゃあ行くね。あ、車とかには気をつけてねー!」
遥一郎「……待った!」
真由美「え?」
遥一郎「……どうしてそんな、簡単に聞いてくれるんだ……?」
真由美「ん……どうしてだろうねぇ」
苦笑にも似た照れ笑いをする真由美さん。
真由美「なんかね、お願い聞いてあげたい気分になっちゃったんだよ。それだけー!」
真由美さんはそれだけ言うと、手を振って駆け出した。
……うん、さすが完璧と名高い人だ。
足速い。
遥一郎「…………じゃあな、ノア……ありがとう」
ふざけた思考とは裏腹に、彼女の中に確かに生きている彼女に手を振った。
やがて歩き出す。
俺が終わりを迎える場所へと───
【ケース48:サファイア=クラッツ=ランティス/希望、そして未来へと}
サクラ「……与一が言ったです?」
真由美「うん。学校の近くの高台は知ってるかな」
サクラ「知らないです」
真由美「そっか、それじゃあわたしが案内するから一緒に行こうね」
サクラ「サクラに来てくれって言ったんじゃないです?」
真由美「案内するだけだよ。わたしは登らないから」
サクラ「解ったです。与一、最近元気なかったです。
もしそれで元気になるなら、サクラ行くです」
真由美「元気になってくれるかは解らないけど……うん、ガンバッ」
サクラ「はう、ガンバです」
真由美が言った。
与一が学校近くの高台に来てほしいって言ってたって。
サクラ、からかわれてばっかりだったけど、
与一が言ってたっていうなら行かないわけにはいかない。
サクラ「何か持っていかなくて大丈夫です?」
真由美「匕首は?」
サクラ「……持っていかないです」
真由美「そっか。それじゃあ行こうか」
サクラ「なにがそれじゃあなのか解らないです……」
普通の会話をしながら家を出た。
空はもう夕暮れを迎え、
やがて夜になる準備をしているかのように遠くの景色が真っ赤に見えた。
そんな中で……どうして真由美が匕首のことを知っていたのかが気になった。
真由美「サクラちゃん、いくよ」
サクラ「あっ、ま、待つですっ」
さっさと先に行ってしまう真由美を追う。
匕首のことを訊こうと思ったけれど、どうしてか訊けないままに時間は過ぎていった。
───
───やがて、少し長めの階段が目に映る。
真由美はそこまで来るとサクラに微笑んで、この上だよ、と言った。
その笑顔がどうしてかとても悲しげに見えた。
でもそれを確認する前に真由美は走っていってしまった。
その時どうして真由美が泣いてたのかは……どれだけ考えても解らない気がした。
サクラ「……与一……」
この先に与一が居る。
目が醒めた時に与一が居なかった時、自分がどれだけ慌てたかはもう憶えていない。
とても怖かった。
どうしてか、与一が居なくなっちゃうんじゃないかって思いばかりが出てきて……
……ザッ……
サクラ「わ……綺麗です……」
考え事をしてたらいつのまにか頂上だった。
そこから見える景色は綺麗で、思わず見渡すように眺めてしまった。
……そして、その視線がある一点に辿り着いた時、そこに与一は居た。
遥一郎「よ、サクラ」
サクラ「与一っ」
駆け寄って抱きついた。
与一は困ったような顔をしながらサクラの頭を撫でてくれる。
その仕草、そのやさしさの全部が好きだ。
多分それが、与一が居なくなった時に慌てた原因。
だから───
サクラ「あ、あの、与一っ」
遥一郎「………」
ぽん……
サクラ「えぅ……?」
遥一郎「サクラ、今から俺が言うことをしっかり聞くんだぞ?」
サクラ「……与一?」
……与一、様子が変です……。
汗がいっぱい出てて……苦しそうで……。
もしかして……もしかして病気、治ってなかった……?
サクラ「与一っ!正直に話すです!病気───」
遥一郎「……サクラ、聞いてくれ」
サクラ「答えるです!治ってなかったです!?どうして教えてくれなかったです!?」
遥一郎「サクラ……頼む、時間がないんだ……」
サクラ「……与一?」
遥一郎「……これから、俺はお前にひどいことをするかもしれない。
ある意味で、もっとも残酷なことだ」
サクラ「与一……なに言ってるです……?解らないです……」
遥一郎「解らなくていいんだ……いや、そのことすら忘れてくれていい。
聞いてほしいことっていうのはそれなんだ……」
与一は苦しそうに息を吐いた。
やがて片膝をついて、とうとう座った。
遥一郎「……サクラ、俺のことを嫌いになるんだ。
そうすればお前が悩む必要が無くなるから……」
サクラ「嫌いになるです……?」
遥一郎「……もう少ししたら俺……消えるんだ……。
お前のお姉さんと同じように、最初から居なかったことになる……」
サクラ「───そ、そんなのおかしいです!与一は天界人じゃないです!
奇跡の魔法を使ったわけでも使われたわけでもないのに消えるわけないです!」
遥一郎「……俺はさ、もう随分昔に魔法を使ってもらったんだよ。
そして……消える前になって初めて聞こえた……。
いろんな人の声……何かになった人の声───そして、お前の声……」
サクラ「与一……?」
遥一郎「……お前だったんだな、フレア……」
フレア……?
サクラ、フレアなんて名前じゃ……
遥一郎「……ありがとうな。何度言っても言い足りないくらいお礼があるけど……
俺はもう行かなきゃいけないみたいだから───」
サクラ「与一っ!何言ってるか解らないですっ!サ、サクラ嫌です!こんなの嫌です!」
遥一郎「…………サクラ、もし俺のこと忘れられなかったら……レイルの野郎を殴れ。
お前にその権利を託す。でも……お前に悲しい思いはさせたくなかった。
……ごめんな。助けてもらってばっかりでなんにも出来なかった……」
サクラ「やめるです与一!謝ってもらいたくなんかないです!
忘れられるわけないです!サクラ、与一が……与一が───!」
遥一郎「───……ありがとう、サクラ」
サクラ「だ、だめです!消えちゃ嫌です!
───そ、そうです、サクラの魔法使うです!そしたら」
ぎゅっ……。
サクラ「ひゃうっ!?よ、与一……?」
遥一郎「…………だめだ。そんなことしたら許さないぞ……」
サクラ「ゆ……許してもらえなくていいです!そんなことより与一が居なくなる方が」
ポン……
サクラ「みうっ……」
遥一郎「……いいか、サクラ。
俺が消えて、もしサクラが俺のこと覚えてたとしたら……
俺はお前に残酷なことをしてしまったのかもしれない。
でも、希望だけは捨てるな。
お前には天界があるし、ここには真由美さんも観咲も居る。
頼れる人が居るんだ、だから……」
サクラ「与一……?与一、体が……」
遥一郎「だから、挫けるな。……お前はこれから幸せになっていくんだ。
……サクラ、腕を上げて」
サクラ「与一……与一ぃ……」
遥一郎「……サクラ」
サクラ「………」
泣き顔のまま、腕を上げた。
その腕を透けている与一の手が包む。
遥一郎「俺の幸せをお前に預けるから……きっと、幸せになれ。
お前はひとりじゃないから……。
だから……これから、は───お前が、この夢のような世界で───
俺の分まで、みんなの分まで───幸せに───」
サクラ「……与一……?」
魔器───イマンシペイトに、やわらかな光が溶け込んでいった。
それと同時に与一の体が光に包まれてゆく。
サクラ「与一!?与一っ!与一ぃ!」
遥一郎「……泣くな、ばか……。泣いてる奴は幸せになんか、なれないんだぞ……」
透けて、向こう側の景色が見えるほどに変わり果てた与一の手が、
サクラの頭をそっと撫でた。
遥一郎「フレア、ありがとう……ヒナに会わせてくれたのはお前だな……?」
サクラ「……サクラ、フレアじゃないです……」
遥一郎「……いいんだ、言わせてくれ……ありがとう」
やがて光が与一を埋め尽くす頃。
与一は今までで一番やさしい笑顔で微笑んだ。
遥一郎「……サクラ、ありがとう。
お前が来てくれたおかげで幸せってなんなのかが……解った……よ。
……じゃあ、な……」
サクラ「与一ぃいいっ!」
普通のお別れの言葉を最後に、与一の体は光になって消えた。
思いもよらなくらいに普通の言葉でお別れを言った彼が不思議だった。
さようならじゃなくて、
じゃあな、なんて簡単な言葉でお別れを言われたのは自分が初めてじゃないだろうか。
だけどそれはきっと……それだけ与一が『普通の人生』に憧れていたからじゃないかと。
……ぐずぐずと泣いているサクラの頬を暖かい風が撫でた。
それと同時にどこからか桜の花びらが舞い降りる。
サクラは風がやってくる方向に振り向いた。
そうしたら───そこには大きな桜の樹が立っていた。
さっきまで無かった筈なのに、
その樹は昔からあったように綺麗に花を咲かせていた。
サクラ「……与一?」
もし彼が別の何かになったとして、何かを強く思っていたとしたら……
それはきっと───
サクラ「ばかは与一の方です……。
こんなのがあったら忘れられるわけないです……っ!
……与一……与一ぃ……っ!」
涙を流しながらその樹を叩いた。
当然、樹が何かを言ってくれるわけもなくて。
そこに彼の意識がもう無いと解っていても……そこから動くことが出来なかった。
幸せだった世界がゆっくりと色を変えて、やがて辺りが暗くなる頃。
暖かかった筈のその春の夢は───終わりを告げた……
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