/a prologue ───トンデモナイ夢を見た。 それは確実ではないにしろ、俺に恐怖を残すには十分すぎるくらいの夢だった筈だ。 翡翠 「おはようございます、志貴さま」 今が朝だと気づいたのは、翡翠の声を聞いてからだった。 志貴 「あ、ああ……おはよう、翡翠」 そうして言葉を放って、ようやく自分の息遣いが荒かったことに気づく。 翡翠 「ご気分が優れないのですか?」 翡翠は少し心配そうな顔を見せる。 でも、別に体の調子が悪いわけでもない。 ここはひとつ、元気なところを見せなければ。 志貴 「大丈夫大丈夫。ほら」 軽快に腕立て伏せをして見せる。 翡翠 「……志貴さま、そのようなことを急になされてはお体に障ります」 志貴 「う……」 逆効果だった。 普段こんなことをしない俺が突然腕立てなんて見せたら、無理しているのがバレバレだ。 翡翠 「着替えはここに置いておきます。ご用意が済んだら、居間へいらしてください」 ペコリと御辞儀をして、翡翠が退室する。 志貴 「───」 ……ちょっと頭がボウとしている。 意識は覚醒しているのだが、どうにも視界がハッキリしないというか。 志貴 「───ぐ」 視界が軋む。 やがてじわじわと線が現れ、朝の気分を台無しにする。 眼鏡─── 反射的に手を伸ばし、枕元のそれを手に取る。 志貴 「……はぁ」 眼鏡をしてしばらく。 俺は安堵の溜め息を吐いて布団の上に腰掛けた。 窓からは緩やかな風が流れ込んできて、いい朝であることはまず間違い無い。 志貴 「───よしっ」 体を起こして部屋をあとにする。 階段を降りてロビーを突っ切り、居間へ─── 志貴 「おはよう、秋葉」 居間へ辿り着いた俺は秋葉の姿を見つけ、そう声をかけた。 秋葉 「おはようございます兄さん。珍しく今日は早いんですね」 志貴 「ああ、ちょっとな」 しかし…… どうしてこう早く起きれば『珍しく』、 遅く起きれば『遠野家の長男ともあろう者が』って、やさしい言葉が無いのだろう。 やはり秋葉は厳しい───というか素直じゃない。 少し溜め息混じりに椅子に座る。 するとどこからともなく現れて、俺の膝の上に乗る影があった。 志貴 「ん、ああ、レンか。おはよう」 姿は猫のまま。 俺の膝の上に乗りながら、俺の顔を一心に見上げている。 そんなレンを撫でて、俺は深く椅子にもたれた。 そうすることによってレンは膝の上で丸くなり、すっかりと寝る体制をとった。 志貴 「レン、今までどこに居たんだ?」 レンを撫でながら言う。 レンは相変わらず無愛想だったが、 俺には懐いてくれているようで、されるがままになっていた。 秋葉 「───っ……兄さんっ!」 しかしそんな様子を見て、秋葉が叫んだ。 志貴 「ど、どうしたんだよ秋葉」 秋葉 「───」 ? 秋葉のやつ、顔を真っ赤にしたまま固まってしまったぞ? 琥珀 「志貴さん、秋葉さまは羨ましいんですよ」 秋葉 「こはっ───琥珀!」 食堂から姿を現した琥珀さんがおはようございます志貴さんと言って笑う。 志貴 「おはよう、琥珀さん。それで秋葉、羨ましいって何が」 秋葉 「知りませんっ!」 顔を横に逸らす。 何を怒っているのか検討もつかない。 琥珀 「たとえば、そうですねー」 琥珀さんが俺の傍に来て微笑む。 そして俺に耳打ちをする。 志貴 「え?……まあ、いいですけど」 言って、言われた通りに琥珀さんの頭を撫でた。 ───途端。 びしぃっ。 志貴 「───っ……!」 空気が凍った。 秋葉の髪がみるみる赤く染まり、何故か翡翠の視線も冷たかった。 えーと……もしかして俺、決してやってはいけないことをやったとか? 志貴 「あ、あの……琥珀さん?なにやらとて〜もイヤな予感が」 琥珀 「はい、つまりはそういうことです」 志貴 「いやっ!だって相手は猫なわけでっ!」 琥珀 「……膝枕」 ボソリと冷たい笑みを浮かべて囁く琥珀さん。 志貴 「だ、だから相手は猫なわけでして、その……」 レン 「………」 レンが俺の膝の上で小さく伸びをして、俺を見上げた。 思わず俺も俯いてレンを見た瞬間。 琥珀 「───」 翡翠 「!!」 秋葉 「くはっ───」 レンが、俺の唇に軽く口を押し付けた。 志貴 「……………………」 なにやらとてつもなく死ねる気がした。 秋葉 「ニイサン……」 口からなにかしらのブレス(多分コールドブレス)を吐きながら、 ヒタヒタと近づいてくる秋葉。 ああ違うんだよ秋葉っ!?お前なにか根本的に間違ってるよ! だって相手は猫でしょう!? 百害無くて一利あり!そんな純粋無垢の猫さんですよ!? ていうかどうして俺が固定目標ですか!? どうして懐から小瓶(謎の液体入り)を出すんですか琥珀さん! 志貴 「ひ、翡翠───」 翡翠に助けを───居ないし。 ああ、死んだな俺。 秋葉 「…………」 にっこり。 秋葉が微笑む。 い、いや、この場合は『ニヤリ……』が一番適切だ。 語尾に『……』が付いているからこそのこの表情だ。 秋葉 「猫、猫、猫……そんなにこの猫が大事ですか、兄さん……」 ザワザワと髪を揺らしながら俺の前に屈み、レンの視線に合わせる秋葉。 ───あ、琥珀さんが笑った。 琥珀 「───」 そして、チャンスですよ志貴さん、といった感じに口が動く。 チャンス? チャンスって───ああ、なんていうか。 絶妙なところに秋葉の頭が。 俺が少し手を掲げてみると、琥珀さんが満面の笑みで頷いた。 ───ドクン。 もし、秋葉がこれを不快に思ったら俺は死ぬだろう。 ───ドクン。 というか何故、頭を撫でるという行為で死ぬ覚悟までしなければならないのか。 ───ドクン。 志貴 「は───ぁ」 心臓が、激しく鼓動する。 ───ド、クン。 ええい、ままよっ! フサッ─── 秋葉 「え?」 本当に。 ただ、何が起きたのか分からないように、秋葉が声を発した。 だが俺はそんな声など聞こえなかったフリをして、随分と久しぶりに秋葉の頭を撫でた。 秋葉 「兄───」 状況に気づいたのか、途端に真っ赤になる秋葉。 髪から顔にかけて、それはもう真っ赤だった。 ───鬼やら仁王やら修羅やらなまはげを思い浮かべてしまったことは今生、秘密だ。 琥珀 「…………」 琥珀さんがこの状況を輝く笑顔で見守っていた。 秋葉 「───!」 その視線に気がついたのか、秋葉がガバァッ!と立ち上がる。 ───ああ、間違い無い。 今度こそ、今の秋葉は─── ───鬼か、般若、だ─── ───琥珀さんが秋葉に引きずられて視界から消えて数十分。 居なくなっていた翡翠が姿を現し、俺の傍に歩み寄った。 ていうかなんですかその猫ミミは。 翡翠 「───」 顔を夕焼けよりも真っ赤に染めて、翡翠は俯いている。 で、なんとなく。 レンと視線が合って、ああ、と頷いた。 ようするに猫になれば撫でてもらえると彼女なりに判断したと? 志貴 「………………」 感動半分、自分の人間性を疑うこと半分。 翡翠にこんなことまでさせてしまって、何様でしょうか俺は。 志貴 「…………」 翡翠 「…………」 しばらく、視線が交差した。 そしてそのまま数分が経過した頃。 翡翠が少し涙目になって 翡翠 「…………にゃー」 そう言ったのである。 ───秋葉さん、テイクアウトは可能でしょうか。 いい具合に意識がブッ飛んだ。 俺は無意識に翡翠に手を伸ばし─── 秋葉 「兄さん!」 志貴 「ぎゃああっ!!!!」 叫んだ。 秋葉 「兄さん……翡翠にこんな格好させて、何をなさるおつもりでしたのかしら」 志貴 「あ、いや……秋葉?文法がなんか変だぞ?」 琥珀 「翡翠ちゃん!もっ……もう一回!もう一回言ってくださいな!」 翡翠 「………」 ああ、翡翠が涙ぐんでる時点で強制的に俺がそんな格好させたことになってるんですね? でも違うのだよ、まいしすたー秋葉。 俺は別にやましい気持ちなんて─── アルク「やっほー志貴ー」 そんなとき、能天気な声が居間に響いた。 そしてその場に居た全員の視線が居間の入り口へとぶつかる。 秋葉 「な───なんですかあなたは!断りもなく人の屋敷にっ!」 ───チャンスだ。 逃げるなら今しかない。 全員が意識をアルクェイドに集中させている隙に、俺はレンを抱えてその場から─── 翡翠 「あ───」 逃げる前に、翡翠の頭を撫でた。 翡翠 「志貴、さま───?」 振り向いた翡翠に小さく手を上げて『ごめんな』と言う。 そのまま身を翻して食堂へ。 アルク「あ、志貴ー?」 秋葉 「兄さんっ!?」 声が聞こえたが、立ち止まったら死ねる。 食堂の窓を開け放ち、俺はそこから逃走した。 秋葉 「兄さん!靴も履かないでどういうつもりですかっ!」 そんなこと気にしてられるか! ていうかこの局面でそんなことを気にする女かお前はっ! 玄関に回って靴を履き、また飛び出す。 さあ、何処へ行こうか。 ……どこだっていい、どこか心の安らぐ聖地へ─── ………… …… 俺は走った。 心安らぐ聖地へ。 安住の場所へ。 思いを廻らせ、フル回転させてその場所を思い浮かべた。 志貴 「………」 そして有彦の家しかないことに気づき、少し悲しくなった。 ───やってきました、嬉し恥ずかし乾有彦くんの家。 まずはチャイムを 有彦 「よう、遠野じゃねぇか」 志貴 「殺気!?」 振り向くとそこには嬉し恥ずかし乾有彦くんの姿が。 有彦 「なんか用なのか?」 屈託無く話してくる有彦。 殺気は否定しないようだ。 志貴 「用もなにも、お前がこの時間から外に出てるなんてどういう風の吹き回しだ」 有彦 「……あのな、遠野。オレだって早起きはするし外出はする。 人を部屋の中できのこ栽培してるヤツのように言うなよ」 志貴 「お前ならやりかねないと思う」 有彦 「遠野、お前はここに喧嘩売りにきたのか?それなら一子の居る時にしろ」 志貴 「実はな、家出をしてきた」 有彦 「───ほう、それは興味深い話題だな遠野志貴くん。是非家に入って聞かせろ」 有彦が先立って玄関のドアを開ける。 俺はそれに連れて、乾邸に逃走することに成功したのだった。───蝉時雨─── 1/彼ら彼女らの見解 有彦 「お前、馬鹿か?」 夏の乾邸にて、有彦の口から出た一声はそんなものだった。 厳密に言えば経緯を話してからの一声だったが。 有彦 「それで取るもの取らずに猫と一緒にここに逃げ込んだってわけか」 志貴 「ナイフとサイフならある」 有彦 「……遠野よ。もしかしてそんな低俗なギャグをかますために」 志貴 「そんなことするか!」 有彦 「そりゃそうだ。もしそうだったらオレ、 遠野という人物を誤解していたことになる」 憎たらしい笑みを称える有彦。 有彦 「んで?滞在期間は」 志貴 「一生涯」 有彦 「───遠野、お前まさかソッチの気が」 志貴 「あるか!ていうかなんだその微妙な間合いは!」 有彦 「だってオレ、お前なんぞに操奪われたくねーもん」 ゴシュッ! 有彦 「ぶほっ!」 奇妙な体制をとって、有彦は静かに沈んだ。 しばらくピクピクと痙攣していた有彦だが、やがて動かなくなった。 志貴 「───」 ……………… ───ああ、いい天気だ。 爽やかに現実逃避して、未来の猫型ロボットのように押入れの中に入ろうと思った。 ここはもう結構有名な俺の逃げ道だ。 大した間もなく、ヤツラがここに訪れるだろう。 これはまあ、すぐに見つからないための伏線でもあるわけで。 スッ、と押し入れを開ける。 志貴 「…………」 トン。 閉めた。 なんだ、今の謎の物体は。 有彦、キミ、何を─── スッ。 再び開けて、中を見た。 志貴 「………………」 どっかで見た覚えがある。 なんていうのか、そう。 レンの夢の中で。 物体A「あわわわわわわわわわわわっ!」 物体は叫ぶ。 俺は慌てず騒がず当身を食らわし、押入れを占拠した。 どうとでも思ってくれ。 この物体はどう見ても人間ではない。 そう無理矢理割り切って、俺は押し入れを 物体A「いたいですよー、なにするんですか」 閉めようとして、止まった。 志貴 「…………馬?」 馬? 「お馬さんじゃありませんよ、わたし」 志貴 「そっか、ごめん、ロバだったのか」 ロバ?「それも違います」 志貴 「…………まさか泥棒!?」 有彦 「正解だ」 泥棒?「あ、有彦さん!?」 志貴 「よう有彦、目覚めはどうだい?」 有彦 「いいパンチだったぜ、捻り具合が絶妙だった」 泥棒?「無視はよくないと思いますよー?」 ごすっ! 泥棒?「はうっ」 有彦 「ウラななこ。お前どのツラ下げてここに来やがった」 ななこ「目が悪いんですか?こういう顔じゃないですかー」 志貴 「有彦、これは一体どういう物体だ?」 有彦 「ガラクタの怨霊だ」 ななこ「違いますよぅ。わたしは由緒正しき聖典の具現です」 志貴 「………」 聖典。 イコール、教会。 イコール…… 志貴 「有彦」 有彦 「あ?どした遠野」 志貴 「今日はいい天気だな」 有彦 「?ま、そうだな」 志貴 「こんないい天気に怨霊が家に居ていいと思うか?」 有彦 「……同感だ」 ななこ「あれ?どうしたんですか有彦さん。そんなに熱心に頷いて」 有彦 「お前も未練たらしく逃げてないで、マスターでもマスタードでも、 どこでも好きなところへ帰れ」 ななこ「……フッ」 有彦 「その手はもう食わん」 ななこ「えっ?あ、あれ?有彦さーん、ちょっと」 志貴 「シエル先輩に来られると今は厄介なんだ。 ……悪いけど、ここから退去してもらう」 ななこ「───!」 小さく囁くと、馬の化身が息を呑んだ。 志貴 「っと」 少し眼鏡がずれていた。 ななこ「マ、マママ、マ……マスター……!」 なにやらブツブツと言う馬。 そしていきなり部屋から飛び出ると、何処かへ消えてしまった。 志貴 「?」 有彦 「遠野、お前何か言ったのか?あいつがああもあっさり引き下がるなんて」 志貴 「知らん。それよりお前、どういう回復力を」 有彦 「気にすんな」 そんなこんなで今日は一日有彦の家で騒いでいた。 ……………… ………… …… 翌日の遠野家。 琥珀 「戻ってきませんでしたねー」 どこかあっさりと事実を放つ琥珀。 翡翠 「…………」 秋葉 「……まさか、家出、なんて、ことは……」 昨日から真っ赤なままの髪がザワザワと揺れる。 琥珀 「志貴さん、あれで苦労してましたからねー」 その苦労の元が自分にもあることを承知で言っているのだから彼女はずごい。 秋葉 「翡翠っ!あなたが居ながら!」 翡翠 「もうしわけ、ありません……」 琥珀 「翡翠ちゃんだけじゃなく、あの場にはみんな居たんですけどねー」 さりげなく痛いフォロー。 秋葉 「く……」 話術では流石の遠野家の頭首といえど頭があがらない。 アルク「ねー妹」 秋葉 「妹と言わないでいただけますかっ!?」 アルク「妹は妹じゃない。ねー、琥珀」 琥珀 「あはー、そうですよねー」 秋葉 「最近はよく逆らうじゃない、琥珀……」 琥珀 「志貴さんが居なくなって退屈なのは、 何も秋葉さまだけじゃないということですよー」 秋葉 「わ、私は別に退屈などしていませんっ!」 琥珀 「それでしたら、わたしは志貴さんを迎えにいきますね。 秋葉さまはどうぞ、屋敷でくつろいでいてくださいませ」 秋葉 「ぐっ───!……琥珀!」 琥珀 「はい?なんでしょうか秋葉さま」 秋葉 「……認めません」 琥珀 「───え?」 秋葉 「兄さんを探すために、屋敷から出ることを、頭首として、認めません……!」 琥珀 「えー?ど、どうしてですか?」 秋葉 「兄さんがひとりで生活するなんて無理だからよ。 きっと、今に泣きついてくるに違いありません!」 琥珀 「はー、しかしですね、秋葉さま。 志貴さん食が細いから、どこか少しでも食べさせてくれるところがあれば、 多分生活していけると思うんですよねー」 秋葉 「───」 アルク「え?なに?妹」 秋葉 「まさかとは思いますが、貴女の住まいに逃げ込んだなんてこと……!」 アルク「まさか。志貴なら多分、ウチにはこないわよ」 秋葉 「へえ、どうして言い切れるんでしょうか、アルクェイドさん?」 アルク「もとからわたしのところに来るつもりなら、わたしから逃げたりしないでしょ?」 秋葉 「…………」 翡翠 <…………姉さん> 琥珀 <なんですかー?翡翠ちゃん> 翡翠 <今日の秋葉さま、秋葉さまらしくありません> 琥珀 <なんだかんだ言って動揺してるんですよー。 なんといっても、家出されてしまったんですから> 秋葉 「なにをヒソヒソと話しているの!?」 琥珀 「あははー、なんでもありませんよー」 翡翠 「………」 アルク「イライラして、みっともないぞー、妹ー」 秋葉 「兄さん……っ!なにが不満だと言うんですか……!」 アルク「あ、世界作ってる」 秋葉 「秋葉は、秋葉はこんなにも兄さんのことを……!」 アルク「じゃ、わたしはそろそろ志貴を探しにいくわ」 翡翠 「お願いします、アルクェイドさま」 秋葉 「お待ちやがりなさい、アルクェイドさん」 アルク「なに?妹」 秋葉 「貴女、兄さんが何処に行ったのか知っているというのですか?」 アルク「知ってるもなにも、ここに居ない女って言ったら誰?」 秋葉 「───」 ぴしり。 触れてもいないのに壁にかけてあった絵画に亀裂が走った。 秋葉 「教会の犬がぁああああっ!!」 秋葉大暴走。 ───ちなみに今の志貴くん。 志貴 「…………ダウト」 有彦 「ちっ───あのさ、遠野よ。ふたりでダウトって無理がねぇか?」 志貴 「しょうがないだろ、ババ抜きから七並べまで一通りやってしまったんだ」 有彦 「そんなこと言ってもよ。この手持ちの札の多さはどうにかならないか?」 志貴 「お前さ、ゲームはどうしたんだよ。出来ないなんて」 有彦 「あー……ななこのやつが破壊した」 ……………… ───再び遠野家。 アルク「うわぁ」 アルクェイドが感嘆のような声を漏らした。 目の前の秋葉から夥しいほどの殺気が溢れてきているからだ。 アルク「血の所為とはいえ、人間がここまでなれるなんてすごい」 そう言って、どこか面白そうに笑うのであった。 秋葉 「───アルクェイドさん、あの犬の家がどこにあるのか───」 アルク「知らないわよ」 秋葉 「そうですか、ならさっさとこの家から出て行きなさい!」 アルク「えっ?わー、危ない」 慌てる様子もなく、ひらりと赤い髪を避けた。 秋葉 「大体なんですか?さきほどは知っているような口振りをしていたのに。 いざとなったら分からないだなんて、随分能天気な脳を持っているんですね」 アルク「むっ。あのねー妹?あの尻デカ女の居る場所なんて匂いを嗅げば分かるわよ。 あいつが着るまでもなく、教会の法衣からは嫌なニオイがするんだから」 秋葉 「へえ、随分異常な嗅覚を持っていらっしゃるんですね」 アルク「へへー、妹とは人種が違うからねー」 秋葉 「そうですか、それなら吸血鬼らしく人間である兄さんに近づかないでください」 アルク「嫌、って言ったら?」 ───ニヤリ。 秋葉 「実力行使……」 アルク「へー、やるっていうの?ナイチチのお嬢様が」 秋葉 「むっ、胸は関係ありません! なんならその減らず口を略奪してあげましょうか!?」 ……………… 翡翠 「姉さん、わたしは志貴さまをお迎えにあがります」 琥珀 「あ、わたしも行きますよー翡翠ちゃん」 翡翠 「…………」 琥珀 「もしかして翡翠ちゃん、ひとりで行きたかった?」 翡翠 「そんなことはないけど……」 琥珀 「じゃあ、いきましょー」 わしっ。 琥珀 「…………」 翡翠 「…………」 秋葉 「認めません、と……言ったはずだったわよね?琥珀……」 琥珀 「あのー、秋葉さま?」 秋葉 「ゆっくりしていきなさい。アホクェイドさんに抜け駆けはさせないから」 アルク「こら妹ー!アホクェイドって言うなー!」 ……………… ───その頃の志貴くん。 志貴 「いっせーの……せぃっ!」 ばしんっ!ばしんばしんばしんばしんばしん! 俺と有彦が猛スピードでカードを叩き置いていく。 いわゆる『スピード』という遊びだ。 ちなみにこの勝負には今日の昼飯を賭けている。 なけなしの金をこの赤裸々白書の乾くんのために使うわけにはいかない。 志貴 「めっ!」 びしゃぁん! 有彦 「いてっ!」 ばしん! 有彦の手を叩いて、その場に絵札を置く。 今回はアルティメットルールを用いた、まさに真剣勝負。 置こうとした場所に相手が置こうとしたらその手の甲を叩いて妨害してもいいのだ。 だがここで油断ならないのが『回避動作』だ。 有彦のように人の手を思いきり叩こうとすると、避けられた時に好きが生じる。 その内にさっさと札を置いてしまう手もあるが、これにはフェイントもかけられる。 相手がかわした隙を見計らって、そのまま置いてしまうのだ。 これは相手にフェイントだと気づかれないほどの迫力と演技が必要だ。 叩かれても無視して置くという手もあるが、 有彦は手加減というものを知らないからオススメできない。 有彦 「キェイッ!」 シュッ! 有彦 「なにぃ!?俺の有彦ハンドをかわし」 びしゃぁん! 有彦 「痛ェ!」 かわされた反動で無防備だった有彦の手を払いのける。 そしてカードを置く。 ばしんばしんばしん! 志貴 「あがりっ!」 手元の札を全て置き、俺はようやく一息をついた。 有彦 「がーっ!くそ!」 有彦がべしん!と手元の札を叩きつける。 志貴 「今日はありがたくご馳走になるよ乾くん」 有彦 「ちっ、わぁったよ、何処が望みだ」 志貴 「妥当なところでアーネンエルベだな。この時間ならまだ客足も少ないだろ」 有彦 「あーそうかい。なら昼まっさかりになる前にさっさと行こうぜ」 ……………… ───その頃の遠野家。 琥珀 「……ふふふ」 翡翠 「………………」 居間に小さな笑い声は発せられた。 秋葉 「……琥珀、なにがおかしいの?」 琥珀 「あ、いえー、退屈だったので本を読んでいました」 秋葉 「本?」 アルク「あ、いーなー。ね、琥珀、翡翠。わたしにも見せて」 秋葉 「あなたはっ!少しは遠慮というものを!」 琥珀 「少女漫画ですけどー……いいですか?」 アルク「少女漫画?なにそれ」 琥珀 「えーと、恋愛を成功させることを目的とした物語が書かれているものです。 平たくいいますとー……人間式の恋愛成就の教本ですかねー」 アルク「人間式の……恋愛成就……そ、それって志貴と仲良くなれるってこと!?」 琥珀 「あはー、それは自分の努力次第ですよー」 アルク「見せて琥珀!」 琥珀 「あ、これはダメですよー。わたしが読んでますから」 秋葉 「……兄さんと………………兄さんと兄さんと兄さんと兄さんと……」 翡翠 「?」 ズシャア。 秋葉が琥珀の眼前に立ちふさがる。 秋葉 「琥珀……それはどこにあったのかしら?」 琥珀 「書庫にありましたよ。怖いもの見たさで開けたら見つけちゃいましたー。 どうやら槙久さまの趣味だったようですね」 秋葉 「───」 アルク「それでその書庫って!?」 琥珀 「それならここから───」 アルク「ふんふん……ん、わかった!待っててね志貴ー!」 バッ!と足を弾かせるように走り跳ぶ姫君。 そしてビターン! アルク「いたっ!」 コケた。 秋葉 「待ってて兄さん!!」 暴走しきった秋葉が叫びながら人外の早さで走る。 アルク「こら妹ー!足ひっかけるなんてズルイぞー!」 それに次いで、アルクェイドも走り去っていった。 ………… 琥珀 「秋葉さま、今日は珍しく素直だったねー、翡翠ちゃん」 翡翠 「………………志貴、さま」 琥珀 「……あのー、翡翠ちゃん?」 翡翠 「………………」 夢見る乙女の面持ちの翡翠は人の話なんて聞いていなかった。 やがて、ほぅ……と熱い溜め息を吐いて、宙を見上げた。 琥珀 <翡翠ちゃんてば……乙女!> 小悪魔的に裏能天気な彼女は、妹のそんな姿に素直に感動して抱きついた。 それでも翡翠は宙を見上げたままであった。 琥珀 「いきましょう翡翠ちゃん。動かなきゃ恋は掴めないんですよー」 その言葉にあっさりと、でも力強く頷いて、翡翠は立ち上がったのだった。 ………… 2/迸る誤解 ───その頃の志貴くん。 有彦 「───……」 志貴 「……………」 失敗した。 有彦 「なあ、友人の遠野よ」 志貴 「なんだい、友人の有彦くん」 有彦 「確かにお前の判断は正しかったかもしれない。 早目に来たおかげで客足もまだまばらだ」 志貴 「そうだな」 有彦 「……だがな、ここは男ふたりで来るような場所じゃない」 志貴 「激しく同意権だ。今日は気が合うな、友人の有彦」 先ほどから各客席からなにやらヒソヒソと聞こえてくる。 そりゃあここで男ふたりでパイとか突つくのは場違いかもしれないが、 食いたかったんだからいいじゃないか。 志貴 「友人の有彦、胸を張れ。俺達はここに昼飯を食いに来ただけだ」 有彦 「友人の遠野、金を渡すから逃げていいか?」 志貴 「冗談じゃないぞ友人の有彦。 それじゃああのいかにもや○い好きなお姉さんに、 俺がお前にフラれたように映るだろ」 有彦 「じゃあこれ持ち帰りにでもして一刻も早く逃げ出そうぜ……」 志貴 「それもそう……ん?」 窓の外。 見知った顔が歩いていた。 そしてその顔がこちらに振り向かれる。 瀬尾 「───」 あ、といった感じに口が開かれる。 しめた!これで待ち合わせしていたという名目でゆっくりと食べられるぞ! 俺はアキラちゃんにおいでおいでと手招きをする。 すると弾けたような緩い顔でパタパタと店内に入ってきた。 瀬尾 「志貴さんっ」 ほんと、幸せそうな顔をする。 志貴 「こんにちわ、アキラちゃん。どうぞ、座って」 席を勧める。 アキラちゃんは素直にそれに従い、俺の隣りに座った。 そして向かいに席の有彦を見て───息を呑んだ。 志貴 「ああ、こいつは赤裸々白書日本代表の乾有彦くんだ」 瀬尾 「あ、その、瀬尾、アキラです」 ボソボソと言う。まあ仕方ない。 内面はああでも外見がこれじゃあ女学院通いの瀬尾ちゃんは驚くだろう。 志貴 「有彦、この娘は秋葉の後輩で瀬尾アキラちゃん」 有彦 「ほう、秋葉ちゃんの。ということは浅女の」 志貴 「そうだな。あ、アキラちゃん? こいつは外見はこんなだけど内面は面白い馬鹿だから」 有彦 「誰が馬鹿だ。オレに内緒でこんなカワイイ娘と仲良くしやがって」 志貴 「まあちょっとな。偶然が偶然を呼んだだけのことだ」 瀬尾 「…………」 志貴 「ん?どうかした?」 瀬尾 「あ、えと……」 視線に気づき、アキラちゃんに向き直った。 瀬尾 「その、志貴さんって乾さんの前だと気が緩むんですね」 志貴 「え?どういうこと?」 瀬尾 「なんていうか……わたし、志貴さんのそういう顔、初めて見ました」 志貴 「顔?」 瀬尾 「はい。身構えてない、気が許せるから出来る顔って言うんでしょうか……」 志貴 「……こいつに気を許す……?」 有彦 「…………」 しこたま嫌そうな顔をする有彦。 志貴 「アキラちゃん、それはきっと錯覚だ。 こいつとは殴り合った過去はあっても、熱い友情を築きあげた憶えはない」 有彦 「そうそう、気をつけたほうがいいぞアキラちゃん。 こいつは結構、中に黒いもの持ってるから」 瀬尾 「黒い……?」 有彦 「ああ、こいつはちょっと、人間から離れちまってる。 普段慌てるところでも慌てたりしないのはそういう意味だ」 志貴 「お前に言われたくないぞ」 有彦 「馬鹿言え、オレは驚く時は驚くぞ。オレの場合、覚悟が座ってるだけだ」 志貴 「俺だってそんなもんだ」 有彦 「死にそうになっても平然としてられるお前じゃあ説得力がない」 志貴 「───それは、『絶対の恐怖』とは違うからだよ。 人間には死より怖いことがある。 絶対の恐怖の前じゃ、自分から死を選ぶことだって考えられる。 ようするにいくら覚悟を決めていたって、いくら平然としていられたって。 その恐怖の前ではその全てが崩れ去るんだよ」 有彦 「……あのな、遠野。お前ってどうしてそう、『死』の理に詳しいのよ」 志貴 「さあ、周囲の所為にするのはダメかな」 有彦 「少なくとも、オレにはお前は殺せないと思うぞ」 志貴 「そんなことはないと思うけど。人間なんて鉛筆一本でも死ねるんだ」 有彦 「……わかった、わかったからその辺にしとけ。お前のツレが泣きそうだぞ」 志貴 「え?あ……」 見れば、少し涙目のアキラちゃんが俺を見上げていた。 志貴 「あー……ごめん、ほったらかしにしちゃったね」 瀬尾 「い、いえっ、そういう意味じゃないんですぅう……。 ただ、その、絶対の恐怖っていうのが……」 志貴 「?………………ああ」 なんとなく頷いた。 志貴 「確かにあいつはそれに値するなぁ……」 妹の姿を思い浮かべて溜め息を吐いた。 有彦 「なんのことだ?」 志貴 「いや、なんでもない。 それよりアキラちゃん、冷めちゃってるけどどんどん食べてくれ。 今日はこいつのおごりなんだ」 有彦 「……そうそう、男なんかに食ってもらうよりは断然嬉しいね。 どんどんやってくれ、遠野の言う通り俺のおごりだ」 満面の笑みでアキラちゃんを見る有彦。 有彦 「は〜、妹が居たらこんな感じだったんだろうなぁ。 なんか痒いっていうの?嫌な気分じゃないな」 目の前の赤裸々白書は顔を緩めていた。 ………………しかし、それが地獄絵図に変わるのも時間の問題だった。 有彦 「…………」 志貴 「どうしたのかね?太っ腹の有彦くん」 有彦 「遠野、テメェ知ってただろ……」 志貴 「なんのことだ? お前がいつも通り『なんでオレが奢らなけりゃ』とか言ってたら済んだことだぞ」 有彦 「……あの娘、どういう腹してんだよ……」 志貴 「俺も一度泣きそうになったからな。不公平だろう?」 有彦 「お前なんて友達じゃない」 瀬尾 「ごちそうさまでした、乾さん」 ペコリと御辞儀をするアキラちゃん。 有彦 「あー、いいいい。畏まったのは嫌いなんだ。御辞儀はよしてくれ」 でも素直な娘は嫌いじゃないとか言って笑う有彦。 瀬尾 「あ、志貴さんも───あ」 志貴 「ん?」 瀬尾 「……し、志貴さん。……その、見えちゃいました……」 小さな声で話し掛けてくるアキラちゃん。 そして、彼女が『見えた』と言えばひとつしかない。 志貴 「未来視───」 アキラちゃんがはい、と頷く。 志貴 「俺の未来?」 瀬尾 「いえ……乾さん、です」 志貴 「有彦?」 瀬尾 「何かにぶつかって歩道から道路を突っ切って反対側の歩道まで飛んで、 その先の先まで跳ね転がってぐったりしている乾さんが見えたんです」 志貴 「うわ……ヤケにハッキリとした未来視……」 瀬尾 「そうでもないですよ。 そこが何処なのかも分からないし何に衝突したのかも分かりません」 志貴 「そっか……」 有彦 「なにさっきからこそこそと話してんだ?」 志貴 「ああ、なんでもない」 瀬尾 「志貴さん……」 志貴 「ああ、大丈夫大丈夫。俺が見張っててみるから」 瀬尾 「はい。それで志貴さん。これからの予定は───」 志貴 「有彦の家に戻るんだけど……」 有彦 「こいつさ。家出してきやがったんだよ。サイフとナイフと猫連れて」 瀬尾 「家出っ!?勇気ありますね志貴さん……!あの遠野先輩から……!」 家出に驚くというよりも、秋葉に迷惑をかけるという結果に驚くアキラちゃん。 瀬尾 「あ、それで、その猫は一体……?」 志貴 「ああ、ここに居る。レン」 名前を呼ぶと、服の中からレンが出てくる。 瀬尾 「……見事な黒猫ですね」 でもリボンがカワイイ……と言ってきゃーきゃーと騒ぐ。 瀬尾 「撫でてもいいですか?」 有彦 「あー、そりゃ無理だ。その猫、遠野以外にゃ懐かないんだってよ」 瀬尾 「え?」 戸惑いながらもレンに手を伸ばすアキラちゃん。 しかしついっ……と避けられる。 瀬尾 「え?い、いま……」 アキラちゃんの手をプロボクサーのように頭だけでかわす。 そしてアキラちゃんを牽制するように睨む。 瀬尾 「あう……」 志貴 「こらレン、睨んだりしちゃだめだろ」 ポン、と頭を撫でる。 瀬尾 「うわぁ……うわーうわーうわー」 なにがうわーなのかは分からないが、頻りにうわーと言うアキラちゃん。 瀬尾 「志貴さん、いまこの猫、すっごい気持ちよさそうで可愛くて心許した顔で」 志貴 「落ち着いて」 瀬尾 「…………も、もう一回試していいですか?」 志貴 「……どうぞ」 瀬尾 「えいっ」 さっ。 瀬尾 「たぁっ」 さっ。 瀬尾 「はっ、ていっ」 さっ、さっ。 瀬尾 「どうして撫でさせてくれないんですかー!」 あ、キレた。 有彦 「無駄だって。俺もちょっと心擽られて撫でようとしたんだけどな? これがまた、どんな猫アイテムを用いても遠野から離れようとしねぇんだ」 志貴 「レンに必死になる有彦はそれはもう滑稽だったが」 有彦 「……お前、悪魔だろ」 志貴 「よせ、俺なんかあの人に比べたら小悪魔にも満たない存在だぞ」 瀬尾 「うー……」 志貴 「レン、服の中じゃ暑いだろ。店から出たからもう外に出ていいぞ」 そう言うと、レンが服の中から出て、俺の頭の上に乗る。 瀬尾 「……!うわーうわーうわーうわーっ!」 アキラちゃんが暴走した。 瀬尾 「写真一枚いいですかっ!?」 言うわりに、カメラなんて持ってなかった。 志貴 「落ち着いて」 瀬尾 「ただ乗るだけじゃなくて四肢を伸ばしてべったりと頭に乗るなんて……」 こういうの憧れというか見たかった場面だったんです……とか言う目の前の少女。 例えるなら、レンを抱きしめて振りまわしてテイクアウトしたいといった顔だ。 有彦 「遠野、そろそろ行くぞー」 面倒臭そうな声が聞こえる。 実際面倒臭いんだろうけど。 志貴 「あ、じゃあ悪いんだけど俺も行くから。またね、アキラちゃん」 瀬尾 「あ、う、は、はいぃ……」 名残惜しそう、というよりは口惜しそうな顔でレンを見るアキラちゃん。 志貴 「悪いね。こいつ、これでもカワイイやつなんだ」 瀬尾 「うー」 レン 「…………」 俺の言葉に、自分の顔を頭に摩り付けるレン。 瀬尾 「………………」 アキラちゃんが実に口惜しそうだった。 …………………… ───その頃の遠野家。 秋葉 「………………………………………………………………フッ」 遠野家頭首が笑った。 およそ少女マンガを読みそうにない彼女は、それを見て不適に笑った。 読み終えたマンガの数、およそ75冊。 ちなみに『兄と妹の禁断の恋物語』を重点的……というかそれしか見ていない。 そしてその恋が実らない終わり方だとそれを力一杯ドゴォ!と投げ捨てる始末。 事実、75冊中54冊が全力投球で壁にぶつかって廃本になったりしている。 秋葉 「このシチュエーションはキープしておくべきね……」 言って、また笑う。 ハタから見れば異様以外の何物でもないこの光景。 彼女は至って真剣である。 ………… 一方、真祖の姫君。 アルク「…………馬鹿ね、この女。好きなら好きって言えばいいのに」 姫君は冷静に少女マンガにツッコミを入れていた。 おおよそ、それじゃあ物語が続かないことすら分かっていないだろう。 それほど彼女は素直で一直線で猪突猛進である。 アルク「そういうところって妹みたいよね」 クスクスと笑う姫君。 アルク「えーと、志貴が喜ぶような『しちゅえーしょん』ってどれかなぁ」 悩む姫君。 アルク「あ、でも大抵の物語のきっかけが『曲がり角での衝突』ね」 こんなのがいいのかな、と首を傾げる姫君。 アルク「うんっ、人間の感性なんてイマイチよく分からないし。 ここはこの本の友人が言ってるみたいに当たって砕けるのがいいのかも。 こんな知識が人間には必要だったなんて、迂闊だったわ」 激しく素直な姫君。 やがて書庫から飛び出し、遠野家を去っていった。 ───ちなみにその際、 ふたりの使用人も既に居なかったことに気づかないほど、彼女は高揚していた。 ……………… ───……それから暫くの志貴くドカァアアアアアアアアアアアン!!! 有彦 「ぐああああああああああああっっ!」 遠野 「有彦っ!?」 目の前で有彦が大きく跳ね上がり……というか地面と平行にすっ飛んでいった。 こちらの歩道から道路を突っ切って向こう側の歩道まで飛び、 その先の先までバキベキゴロゴロズシャアアと跳ね転がってぐったりと動かなくなった。 ああ、これがその場面か。 思わずポム、と手を合わせて納得した。 アルク「あれ?志貴?」 俺と有彦を見比べて、はてな顔をするパンをくわえたアルクェイド。 そりゃね、こいつにタックルされたらああなるわな。 ていうかなんですか、その口のパンは。 アルク「おかしいな、志貴の気配がしたからちゃんとやったのに……。 ああ、これが本に書いてあった『恋は盲目?』」 ポム、と手を合わせる。 ちなみに有彦は本気でピクリとも動かない。 アルク「ね、志貴。悪いけど向こうから走ってきてくれる?」 喋るために手に持っていたパンを軽く噛み、手を振って曲がり角に引き返す姫君。 な、なんだ?一体なにが起こってるんだ? ハッキリと嫌な予感がした俺は、アルクェイドが指示した方向とは逆に走った。 ……………… アルク「…………志貴?」 『こちらに向かってくる足音』のみに全身系を集中させていた姫君が顔を覗かせる。 しかしその視線がとらえる人間は、ようやくピクピクと動き始めた有彦だけだった。 ……………… ───で、一方。完璧主義者(?)の妹さん。 秋葉 「………これで、何冊目だったかしら」 いい加減疲れた様子。 既に読み終えた本は先ほどの倍になっていた。 秋葉 「ああでも、兄さんの前で失敗しないように……」 なんだかんだ言って、結構健気である。 ……………… ───その頃の使用人。 翡翠 「………」 ホゥ、と息を吐く翡翠さん。 手には編み棒。 琥珀 「………」 そんな妹を満面の笑みで見守る琥珀さん。 琥珀 「あ、違いますよ翡翠ちゃん。ここはここにこう通して……」 翡翠 「ご、ごめんなさい姉さん……」 琥珀 「いいんですよー、こんな翡翠ちゃんを見れるだけで幸せですからー」 言葉通り、押し倒し兼ねないほどに幸せそうだ。 ちなみにここはアーネンエルベ。 先程まで志貴達が居た場所である。 毛糸と編み棒などの一式を買った翡翠と琥珀がここに訪れたのはほぼ入れ替わり。 確認しようとすれば出来た志貴の後ろ姿など、今の彼女らには見えなかった。 翡翠はこれから何かを作るであろう毛糸を。 琥珀はそんな翡翠を見ていたためである。 言うまでもないが、彼女たちはここに来て何も頼んでいない。 というか、店員が声をかけづらい雰囲気なのだ。 こうも幸せいっぱい夢いっぱいの絶対領域(テリトリー)を作られては、 さすがに声をかけることなんて出来なかった。 昼も半ばということもあって、店の中は満員。 しかし、その視線のどれもがひとつの席に注がれていた。 メイド服さんと割烹着さん。 その、異質な組み合わせに目が移るのは仕方ない。 琥珀 「あ、翡翠ちゃん、そこは───」翡翠 「あ、待って姉さんっ……」 琥珀 「え?」 翡翠 「あ、の───わ、わたしが……失敗しても、いいから、 ……わたしが志貴さまのために……全部、最後までやりたいから……」 琥珀 「────」 割烹着さんの体がカタカタと震える。 抱きしめたいのを我慢しているように見える。 おかげで、余計に店員は近づけなくなってしまった。 ……………… 3/猪突猛進 ───その頃の志貴くん。 ……乾邸の前に来た。 有彦、貴様の死は無駄にはしない。(暫くして有彦が動いたことを知らない) 玄関に手をかけ、中に─── 志貴 「──────」 気配が、した。 トンデモナイ、その先にあるような『死』の気配。 一歩この中に足を踏み入れたら死んでしまいそうな。 ソンナ、ケハイ─── 志貴 「……っ!」 玄関から離れる。 刹那、少し開いた玄関の隙間を縫うように、相手のエモノが飛んできた。 気づかずに中に入っていたら間違い無く遠野志貴は死んでいた。 志貴 「く───」 ナイフを構える。 相手は並の相手じゃない。 油断したら殺られる。 キィ─── 志貴 「な───!?」 ゆっくりと、玄関が開いた。 まったくの無防備。 ───否。それは無防備などという言葉で通せるものではない。 それは、例えるなら象が蟻に気が付かない絶対なる自信。 それなら俺も全力でいかなければいけない。 いや、もとより俺の全力で勝てるかどうかも怪しい。 ソレは、それほど強い殺気をもっていた。 志貴 「は───ぁ」 息が漏れる。 その間にも、静かに、本当にゆっくりと玄関のドアが開く。 眼鏡を外して、その風景を直視する。 志貴 「───つぅ……」 ズキリ、と。 頭が痛んだ。 やがて線が見える。 その間にもドアは開かれていき、ドアの線もまた、それに合わせて動く。 トン。 ようやく、ドアが限界まで開かれた。 しかし、その先に相手は居ない。 志貴 「な───」 それに気づいた瞬間。 その先から何かが放たれ、俺の後ろの壁を破壊した。 志貴 「──────」 避けられなかったら死んでしまうほど。 ヒトの体なんてアレには抗えない。 その理不尽な破壊力を持って、ソイツはようやく姿を見せた。 シエル「あれ?遠野くんじゃないですか」 そして能天気に言ってくれた。 手にはゴツイ物体。 志貴 「先輩───?」 開いた口が塞がらない。 シエル「変ですね。セブンがこの家にヒトで無いモノが居るって言うから」 志貴 「セブン?」 ゴシャァン! 先輩は手に持っていたゴツイそれを地面に置いた。 シエル「セブン、どういうことですかこれは」 ななこ「だ、だからこのヒトがっ!」 ゴツイそれから、先程の馬が出てきた。 シエル「このヒト?遠野くんのことですか?」 ななこ「そうですよ!だってこの人、目が人間のモノじゃなかったです!」 シエル「…………」 志貴 「………………」 そういえば、この馬と話した時、眼鏡がずれて……それでか。 呆れながらさっき玄関の間を縫って放たれたエモノを見た。 …………どこをどう見ても、壁に突き刺さった黒鍵だった。 アホか。 ちゃんと見ればなんとかなったのに。 シエル「はぁ、すいませんでした遠野くん。ウチの馬鹿が」 ななこ「馬鹿とはなんですか! それに相手を確認せずに聖典放つマスターに言われたくないです!」 シエル「それは問題ないです。遠野くんなら絶対避けられると信じてましたから」 その言葉、信じていいんですか?先輩……。 シエル「それより遠野くん、どうしてここに?」 志貴 「え?あー、いや、その」 言ったらまた話がややこしくなりそうだ。 ななこ「そういえば家出がどうのって言ってましたよ」 シエル「…………遠野くんの勇気、しっかり受け止めました」 どうしてか俺の手を取り、うんうんと頷く先輩。 シエル「それではわたしの部屋に行きましょう。 あそこならアーパー吸血鬼も来ませんし、誰にも邪魔されません」 その『邪魔されません』というのが妙にひっかかるんですけど。 志貴 「いや、俺は有彦の家に世話になってるから。今のところはこれで十分」 シエル「そんなこと言わずに。さぁさ」 抱きつくような感じで引きずられる。 志貴 「ちょ、ちょっと先輩……!?」 シエル「積もる話もあることですし、のんびりとなんて」 べしっ! シエル「いたっ」 レン 「フーッ!」 俺の頭の上に居たレンが、シエル先輩を威嚇している。 シエル「……なんですか、この物体は」 志貴 「……猫、です」 気持ちは嬉しかった。 だが相手が悪い。 シエル「ただの猫ではありませんね?」 志貴 「…………」 シエル「いいでしょう。わたしの障害となるのでしたら消すのみです!」 最近物騒になったシエル先輩が大きくバックステップして間合いをドゴォッ! シエル「かはぁっ───」 ───取った途端、大きく吹き飛ばされていた。 アルク「あれ?」 再びパンをくわえた彼女がそこに居た。 先輩は先程の有彦のようにゴロゴロズシャアアと滑って、動かなくなった。 ───ああ、これでシエル先輩の出番は終わりかな……。 直感的にそう思った。 既に不死身じゃなくなった彼女に今のはキツイだろう。 シエル「ぐ───ふぅう───!! 人のことを不意打ち好きとか言っていたわりに……! 随分と卑劣な不意打ちをかけてくれるじゃないですか……!」 おお立った。 アルク「待った。戦う気はまっぴら無いわ。ぶつかったのはわたしが悪かった」 シエル「え───?」 素直に謝るアルクェイドを見て、素っ頓狂な声をあげるシエル先輩。 そしてなにやら言い合いを始める。 ───逃げるなら今だ。 俺はそろりそろりとその場をあとにした。 ……………… シエル「少女マンガ?」 アルク「そ。人間式の恋愛術が書かれてる本」 シエル「それで、その本の通りにやったと?」 アルク「そ」 シエル「…………」 噴出しそうになるのを必死で押さえる。 シエル「そ、それで、あなたはこんなことをしていると……」 アルク「妹もやってるわよ?それに多分───琥珀と翡翠も」 シエル「なっ───」 思いきり驚く。 シエル <このアーパー吸血鬼はともかく、あの厳格な秋葉さんが……!? も、もしや本当に遠野くんに通用するとでも……> アルク「話は済んだわね?それじゃ志貴、今度こそ───あれ?」 姫君が振り向いた先には人など居なかったのは言うまでもない。 …………………… ───その頃の赤裸々白書。 有彦 「…………ばぁさんが手ェ振ってる……」 幻覚を見ていた。 姫君の体当たりを食らって生きている自体で凄まじい生命力と言える。 …………………… ───それからしばらくの遠野家。 トン。 妙な音を聞き、頭首が振り向く。 シエル「…………」 そこには彼女が居た。 秋葉 「これはこれは、何用でしょうか教会の犬が」 シエル「随分なものの言い方ですね。それにわたし、貴女に職業を話ましたっけ」 秋葉 「人でないモノの血を持つ以上、予想はつきます」 シエル「はあ、それは嬉しいですね」 秋葉 「まさか私に用が会って来た、というわけではありませんよね?」 シエル「先程、乾くんの家で遠野くんとアルクェイドに会いまして」 秋葉 「なっ!」 バッ!と振り向く。 当然、その先には先程まで本を読んでいた姫君の姿などない。 秋葉 「───っ」 愚か、といった感じで歯を噛み締める頭首。 秋葉 「それでは兄さんは貴女の家ではなく、乾さんの家に行っていたというわけですか」 シエル「時間の問題だったんでしょうけどね」 秋葉 「……どういう意味でしょうか」 シエル「遠野くんがわたしのところに来るのも時間の問題だったって言ってるんですけど」 秋葉 「………………それはそれは」 シエル「からくも、恐ろしい妹の手から家出をしてきた勇気。それは感心に至るものです」 秋葉 「な───んですって……!?」 シエル「道端に転がっていた乾くんが言ってましたよ? 遠野くんは猫を連れて家出してきたんだって」 秋葉 「───兄さん……っ」 悲しげな声が響いた。 まさかとは思っていたけど、どこかで信じていた心が崩れてしまった。 そんな、様子。 シエル「あ、それじゃあ適当に読ませてもらいますね。 さてと……先輩と後輩の麗しき愛の手解きは───」 青髪の埋葬機関さんは書庫の物色を始めた。 やがて目当てのものを見つけてその場で読む。 程なくして大方の予想通りに夢中になり、 朱髪の頭首が窓をブチ破って出ていったなんてことにも気付かなかった。 ……………… ───。 志貴 「あ───は、ぁ」 息が漏れる。 というか疲れた。 ただあまりに激しい呼吸をしてしまうと気付かれて、その上でタックルされてしまう。 つまりだ。 足音にさえ。 それにさえ注意していれば。 秋葉 「兄さんっ!」 志貴 「ひっ───」 思わず声があがった。 秋葉 「『ひっ』……?今、私に対して悲鳴をあげましたね……?」 怒りと悲しみと信頼を破壊されたような面持ちで鬼が歩いてくる。 志貴 「ばっ───歩くな!止まれ秋葉!足音を立てちゃダメだ!」 秋葉 「そんなこと言って───!そんなに……そんなに私の傍が嫌ですかっ!?」 泣きそうな声で言われても困る。 そして歩いてこられたらもっと困る。 ああ、その曲がり角に足を踏み入れたら─── そんなことを思って、ふと───懐かしい記憶が頭に蘇った。 みーん、みんみん。 みーん、みんみん。 せみのなき声が、聞こえる。 それはいつだったか。 自分が秋葉を守ってやるって誓った日。 あの頃は純粋に秋葉の泣き顔を見ていられなくて。 どんな些細なことでもいいから、秋葉を安心させてやりたかった。 だから兄になって、そうなるつもりで。 ぼくは初めて彼女の名前を口にしたんだっけ─── 秋葉 「え───」 小さな声が聞こえた。 曲がり角から突進してきた馬鹿者から秋葉をかばって、俺は赤裸々白書と同様になった。 ただ、いつかのように。 かばった秋葉を離そうとはしなかった。 アルク「あれ?」 やはり、どこか遠くで間の抜けた声が聞こえた。 体はぐったりとして、動かない。 頭をどこかにぶつけてしまったようで……意識が、薄れて、…… 秋葉 「兄さん!?兄さん!」 ただ、意識が無くなる前。 あの頃の、泣き虫の、あきはのこえが───聞こえた気がした─── GO to NEXT→ Menu