04/誇り、覚悟、そして誠意 ───ばっしゃあっ!! 「ぶわぁっはぁっ!? つ、冷たっ……!!」 「いつまで寝ておる、とっとと起きんか」 気を失っていたんだろうか、ふと気づけば自分は水浸しの床の上で目を覚まし、上半身だけ起こしながら、視線の先に立つ人とその後ろにある景色を目に……ここが道場であることを思い出した。 「あ、え……? お、俺、気ぃ失ってた……?」 「まったく、あれしきの撃、受け止められんでどうする」 言われてから、ズキリと痛む頭に手をやる。 ……そうだった、目の前の人……じいちゃんと打ち合って、いけるかな……とか思ってたら…………あれ? その先が思い出せない。 たしか、こう踏み込んだらじいちゃんが突っ込んできて…………えーと、なんだ。ようするに打ち込まれて気絶したのか。 弱いなぁ俺。 「俺、どのくらい……?」 「5分程度だ。あまりに長く寝ているから冷や水をかけてやったわ」 「風邪引くよ!」 ぶるるっ……と、冷えていくばかりの体を庇うようにして立ち上がる。 ああ、この濡れた床も俺が掃除するんだろうね、じいちゃんの意地悪。 なんてことを思っていると、じいちゃんが竹刀を手に(木刀でやり合う時もあるが、それは“避け”の訓練を重点に置いたもので、通常の稽古の時は竹刀を使っている)俺の目を見て口を開く。 「……一刀よ」 「え? な、なに……?」 俺はといえば、そんな鋭い目に怯みそうになる気持ちを飲み込むようにして、いっそ睨み返す勢いで見て返す。 なにを言われるのか不安に思ったが、じいちゃんの口から出た言葉は俺の予想とはまるで違った。 「なにゆえに、力を求めた」 「え……」 そう、予想とは違った。 てっきりいつものように、やれここが甘いだの構えが駄目だだの言うと思っていたから。 「堕落とまでは言わぬが、お前は半年前あたりまでは現状に溺れ切った目をしていた。なにかが起きようとも周りがなんとかする、どうにでもなる、といった風情さえ見れたくらいだ」 「そ、そこまで!? いや、俺これでも困っているヤツが居たら、見捨てられない性質で通ってたけど……!」 「それは当然だ。そこまで下衆ならば儂自らが叩きのめしておったわ」 ……以前の俺。下衆じゃなくてありがとう。 「けど、じゃあどういう意味で?」 「己を高める努力をせず、当時の自分に満足している目をしておった。勝ちたい相手が居ようが、勝負など時の運と口にして、本気の努力をしない者の目をだ」 「う……」 言われてみて、ぐさりと来るものがあった。ということは、それだけ図星だったということなんだろう。 あの世界では生きるために必死だったから出来たことも、こうして振り返ってみれば、とても大事なことだったのだと理解できる。 「そんなお前が剣を教えてくださいと土下座までしおった。ふわははは、あの時は初めてお前に驚かされたわ」 「ど、土下座の話は勘弁してほしいんだけど……」 「たわけ、無駄に誇りや意地ばかりを高く持つのが今の若造どもの悪い癖よ。その中で土下座をしてみせたお前を、儂は認めこそすれ、情けなく思うことなぞあるものか」 「…………」 うわ……困った、今物凄く“じぃん……!”って来た。 「だが、だからこそお前の覚悟を知りたいと思ったのだ。三日坊主で終わるのではと思えば、早半年よ。ならばその意思、その覚悟も相応しくあるものなのだろう?」 「…………ああ。これだけは、絶対に曲げたくない」 「……うむ。では一刀よ。お前が強くあろうとする理由……それはなんだ」 「強く…………うん」 痛む頭から手を離して、胸をトンッとノックした。 あの日、夕焼けの教室から飛び出す前にもそうしたように。 すると、あの日の思いが今この時に感じているかのように浮かび上がる。 「───守りたいものがある。微笑ませたい人達が居る。ともに歩みたい道がある。そんな道で、堂々と肩を並べて歩けるような自分になりたい。だから、俺は剣を手に取った」 民を、仲間を、王を。 そして、手を取り合った蜀と呉、未だどこかで苦しんでいるであろう人達を、今すぐでなくてもいい、いつか微笑ませてやりたいと願った。 何かが出来る、何かをしてやれる状況なのに、自分では何も出来ない歯痒さを知っている。 そんな自分が嫌だから、何かが出来る自分になりたいから。 「努力もしないで下を向くだけの自分は……もう嫌なんだ」 たとえば剣道。 ある日に負けて、次は勝てる、次こそはと意気込んで、一度も勝てずにまた負けて。 強いから仕方ないかと笑った時の虚しさが、どれだけ胸を抉っただろう。 情けなくて泣きたくなって、だけど涙を見せることが恥ずかしくて、泣くことの出来る自分さえ恥と断じて殺していた。 ふと誰かに“頑張ってるのにな”と言われて、自分は頑張ってるんだと思い込んで、半端に打ち込めば打ち込むほど虚しくなって。 でも───そんな俺にもようやく見えた光があった。 「強くなりたい。守られてばかりじゃない、なにかを守れる自分になりたい。誰かを微笑ませてあげたい。誰かを安心させてやりたい。誰かに……幸せだ、って思わせてやりたい」 思いが溢れる。 この世界でどれほど焦がれたところで、決して幸せにはしてやれない人達が居る。 それでもいつかは届くと信じて、俺は自分を高めている。 こんな俺でも“幸せだ”と思えた。 みんなにも幸せを感じてほしい。 このままじゃあ駄目なんだ。 たくさんの約束がある。 たくさんしてやりたかったことがある。 まだまだ見ていたかった、覇道の先があったのに─── 「嘘吐きの自分のままでいたら、きっと顔向けなんて出来ないから。だから───俺は今の自分より、あの時の自分より強くなりたいって思ったんだ」 見えた光……覚悟という、全ての行動に必要なもの。 それをあの世界で知って、俺は少しは強くなれたんだと思う。 この世界で……そう、じいちゃんが言っていたように、現状に溺れていては絶対に手に入らなかったものを手にすることで。 「……ふむ」 俺の言葉を真っ直ぐに受け止めて、じいちゃんは顎を撫でた。 片目だけ閉じて、口をへの字にして。 しばらくすると……なにがおかしいのか、カッカッカと笑い出す。 「え……じ、じいちゃん?」 そして竹刀で俺の頭をポコっと叩くと、ふぅ、と笑うことをやめる。 「守りたいものか……女か?」 「…………それだけじゃない、かな」 「ほう。では家族か」 「ああ。それは断言できる」 血は繋がっていない、絆で結ばれた家族。 自分がそう思っていることを、たとえ本当の家族の前でも偽ろうとなんて思えなかった。 「それらがお前をこんなにも変えたか。クックッ……ああいい、なにがあったのかまでは訊かん。お前の目が見ているものはここにはない。もっと遠くのものなのだろうよ」 「えぇっ!? わ、解るのか!?」 「ふわぁあっはっはっはっは!! 己で明かしてどうする、この童がぁっ!!」 「えがっ……あ、あぁあ〜〜……もう……!!」 あっさりと誘導にひっかかった自分に赤面する。 そんな俺の横に並ぶと、じいちゃんは背中をバシバシと叩いてきた。 「洟垂れ坊主をここまで変えてくれた何かに、いまさら何をどうこう言うつもりもない。興味はあるが、お前が真っ直ぐな目をしておるのならそれでよいわ」 「うぅう……」 「腐るでないわ、一刀よ。お前はお前の信念を以って強くなれ。努力が足りぬなら一層の努力をせい。お前はまだ若いのだ、時間など売るほどあろう」 「……ああ」 その“時間”がいつ無くなるのかは解らない。 強くなってから行きたい気持ちと、行けるのなら今すぐにと思う気持ちとがごっちゃになっているくらいだ。 でも……うん。 「なぁじいちゃん。もし……もしもだけどさ。俺が守りたい人が俺よりも強い人で、俺に守られる必要もなかったら……俺が強くなる意味って、何処にあると思う?」 「ふむ……」 ポン、とじいちゃんが俺の頭に手を乗せる。 「その者は、強いか?」 「強い。今の俺じゃあ、どうやったって勝てないよ」 「そうか……ならば、今はまだ守られておればよい」 「え……でも俺……」 「守ろうとすることと、守れないのに出娑張るのとでは意味が違う。そんな背中に守られようが、逆に相手が不安に思うだけよ」 「う……」 そう……なのかな。…………そうか。 もし俺に子供が居たとして、“父を殺さないでくれ”と幼子が盾になったところで、俺は逆に幼子の身を案じてしまう。 それは状況として、俺が言ったものと似ているのだろう。 「だが、先にも言った通り“現状に溺れるな”。今守られているのなら、いつの日かその者の力と同等、もしくは越す力を得た時こそ……全力で守ってやれ。それが恩を返すということだ」 「じいちゃん……」 「守る方法は、なにも力だけではない。身を守る、心を守る、笑顔を守る……他にも腐るほどあろう。お前が守りたいものが、どうしても力が必要なものならばとやかくは言わん。が、力を求めすぎて、“守るもの”の意味を忘れるでないぞ」 「……力がないなら、べつの方法でべつのなにかを守れってこと?」 「力を振るい続ける者はやがては修羅にもなろう。そんな者が修羅にならずに済むにはどうしたらいい?」 「……誰かが……えっと。うん。……誰かが傍に居て、話してやればいいんじゃないかな。あ、いや、ちょっと違う……えっと…………ああ、これだ。“日常”を思い出させてあげればいいんだ」 「それがお前の答えならば、儂はなにも言わん。儂が言ったことを鵜呑みにされては、間違いを儂の所為にされかねん」 「しないさ、そんなこと」 じいちゃんの言葉に、それだけはすぐに返せた。 そうだ、そんなことはしない。自分の行動に責任を。自分の行動に覚悟を。誰かに任せて、失敗すれば誰かの所為にして自分の罪を軽くするなんてこと、俺はしたくない。 そんな自分に至りたくないから、こうして自分を高めようと思えるのだから。 「ふむ……では再開するとしよう。その格好のままでいいのか?」 「訊くだけ訊いて再開!? う、うー……いい、どうせまたすぐ汗かくんだし。でさ、次はなにやるんだ?」 「基本は叩きこんだ。音をあげずによくも耐えたと言っておこう……そこでだ」 「ああ」 「お前が望む“方向”を聞いておく。お前が望むのは一対一か、それとも多対一か」 「───」 なんで、と口が動きそうになる。 多対一……それは戦場でもない限り、こんな平和な世界じゃあありえない。 剣道部に所属していることも知っているじいちゃんが、どうしてそんなことを言うのか。その意味を小さく探してみて……もしかしたらと考える。 「……なぁ、じいちゃん。どうして俺が多対一を望むなんて思うんだ?」 「む? それは本気で訊いているのか?」 「え? あ、ああ……うん、本気、だけど」 どうしてさらに問い返されるのかもついでに考えてみたけど、やっぱり答えは見つからない。 「……お前の動きだ。時折、一人で見えないなにかと剣を交えているだろう。それを見ていて思ったが、どうにも相手一人を見据えるというより、群がるものを薙ぎ払うような動きをしている。剣道で言うならば面、突き、籠手、胴……目の前に集中し、最小限の細かな動きで狙えばいいものを、わざわざ大振りにしての横薙ぎ。お前は三人四人の相手から同時に胴でも取りたいのか?」 「うぐ……」 言われてみれば、思い当たる節はあったりした。 男なら、自分が敵を圧倒的な力で薙ぎ払う場面を想像したことがあるだろう。 たとえば漫画や映画を見たとき、自分だったらもっと圧倒的に格好よく。 たとえばゲームをやったとき、自分だったらこういった動きで圧倒させるのだ、と。 ふざけながら稽古をしている気はもちろんないが、人間の頭ってやつはそう簡単に集中をさせてはくれないわけで。 あの世界で戦いが終わったとしても、何処かから新たな脅威はあるかもしれない。そんな時に、たった一人の相手だけで手間取る自分でいたくなかったのだ。 「しかし、そうかと思えばたった一人を前に構える様子を見せる。それを考えれば多対一か一対一かと問いたくもなろう」 「う……」 多対一の理由は強くなった自分がどう立ちまわれるのかを考えていた。 逆に一対一のとき、俺の思考を占めていたのは……あの日向かい合った春蘭の幻影。 打ち合ったとはいえないものだったけど、“刃物”と向かい合う機会なんてのはあれくらいだった。 けど、どれだけ立ち回ってみても躱したりするので精一杯だった。 あの日、結果的には勝てたけど、一撃を当てるだけでいいという破格の条件を出されてようやく、ってくらいだ。 現実で言えばじいちゃんにも勝てない俺が、あの世界で渡り歩くためにはまだまだ修行が─── (…………あれ?) ───足りない、と続くはずの考えの中に、小さな違和感。 こちらから攻めなかったにせよ、“あの夏侯惇将軍”の攻撃を木刀で受け流したり躱したりをした? その前には凪と手合わせをして、武人を相手に近づかせないように牽制することが出来た? ただの高校生で、多少剣道をかじった程度の俺が? 「…………」 そこまで考えて、やっぱり随分と手加減をされていたんだろうという答えに落ち着く。 違和感は完全には晴れなかったけど、今はじいちゃんとの話に集中しよう。 えぇと……戦いにおいての心構えの在り方、だったよな……うん。多対一でいくか一対一でいくかを考えていたはずだ。 竹刀や木刀でどれだけ剣を学んでも、あの緊張感に勝るものはそうそうない。 ……あの世界で木刀を手に戦ってくれる相手なんて居ない。 だから、凪や春蘭と向かい合ったあの時の緊張感を忘れずに、立ち向かう自分を保てるようにと立ち回っていた。 修行の合間に一人で、記憶の中の凪や春蘭と向かい合って。 そうして出来たのが、一対一でも多対一でもない構え。 そんな俺を、じいちゃんは笑うだろうか。方向性が定まらない、はっきりしない自分を。 「ふむ……方向性がまるで定まっておらんな。だが、笑う気はない」 「───え?」 予想外もいいところ。 てっきりさっきまでと同じように豪快に笑われると思った。だから、じいちゃんに「なんて顔をしている」と言われるまで、自分がヘンな顔をしていることにさえ気づかなかった。 「真剣に願ったのだろう? 強くなりたい、守りたいと。その目指す場所が三人相手だろうと一気に薙ぎ払える己であるなら、どうしてそれを笑うことが出来る。胸を張れ、一刀。到達したい場所があるというのは、それだけで前を向いていられることなのだ。男の土下座の意味を、挫けることで見失うほどの馬鹿でありたくないのなら───」 ───胸を張れ、と。言いながら俺の目の前に立ったじいちゃんが、俺の胸をドンッと殴った。 「………」 ……泣きたくなった。 明確な理由も話さないのに、ただ強くなりたいと漠然ともちかけた自分を、こんな風に言ってくれる祖父の心を受けて。 “この人は俺を信じてくれている”───本気でそう思えた。 ……報いてやりたい思いがいっぱいある。 中途半端なままじゃない、自分が至れる精一杯の未来。 その第一歩として、この人に下げた頭は、決して……決して間違いなんかじゃあなかった。 「…………なぁ、じいちゃん」 「む? どうした」 「……長生き……してくれよな。俺、いつか絶対に恩を返すから」 あの世界でだけじゃない。 この世界でも返せるように。 俺は……もっと強くなろう。 いつかじいちゃんが自分を守れなくなった時、せめて俺なんかの力でも守ってあげられるように。 「……ふっ……ふ、ふわはははははっ!! 恩返しときたか! はっはっはっは! ならばとっとと曾孫の顔でも拝ませろっ! 名づけの親くらいにはなってやるわ! それが最高の恩返しよ!」 「ひまっ……!? あ、あのなぁじいちゃん!」 「ふふふはははは……! ほ、ほれっ……くく、とっとと構えぃ、ククク……」 「あんまり笑わないでくれ……これでも本気なんだから」 「解っておるわ。───あまり長くは待てんぞ……それまでに儂を越え、子供に胸を張れる強い親であれ、一刀よ」 「───! ……ああっ!!」 竹刀を構える。 防具はもとより無く、より実戦的な状況に身を置くために胴着だけの姿で。 「…………うん」 胸を張ろう。この人を師として仰げることを。 胸を張ろう。この人の孫として生まれたことを。 胸を張ろう。いつか、弱くなってしまった誰かを、自分が持っている“なにか”で守ってあげられるように。 胸を張って生きていこう。辿り着いた未来で、後悔はしても前だけは向いていられる自分でいられるように。 「っ───あぁあああああああっ!!!」 踏み出した一歩が、道場の床を叩くように音を立て、前に出た体は真っ直ぐに祖父へと向かった。 笑んでいたじいちゃんの表情はすでに硬く、向かってゆく俺の背中に冷たいなにかを走らせた。 予備動作と呼べるのか、すぅ、と静かに動くじいちゃん。 そこからの記憶があまりないっていうことは、また一撃でのされたんだろう。 そうやって未熟な自分を散々と叩いてもらいながら、自分は出会う人に恵まれたな、と……静かに思った。 05/死に向ける敬意、武に向ける敬意。そして───オチに向ける暴走。 ようやく渇いた服を畳んでいる間、華琳は物珍しそうにオーバーマンのマスクを広げていた。 取りはしたけど八つ裂きにはしなかったそれを、風が拾ってきたのがそもそもだった。 「お兄さん、これはどうするものなのですか?」 未知……とまではいかないのだろうけど、軍師としての知的探求か、はたまた普通に興味があるだけなのか。 それはべつとして、うんバレた。俺が劉備さんの着替えを事故とはいえ見てしまったのがバレてしまった。 そうだよなー、豪快に宴の席を駆け抜けたんだ、気づかないわけがない。 「い、いいか風、俺はべつにスキ好んで覗いたわけじゃあ……」 「いえいえ解っていますよーお兄さんのことは。顔を隠せるものを手に入れたならばと、つい覗きたくなってしまったのですね」 「違うからァアア!! 俺本当に覗きたかったわけじゃないからァアア!!」 「へえ。で? 桃香の胸はどうだったの?」 「あ、とってもたわわに実って《ベパァン!!》たわば!!」 電光石火で華琳のビンタが飛びました。 「お兄さん、風は正直すぎるのもどうかと思うのですよ」 「いや……ほんと……下着姿で、しかも侍女さんたちが脱がしてただけだから……その、なんといいますか肝心なところは見ないで済んだといいますか……」 「おかしな言いかたをしますねお兄さん。見なくて済んだでは、見たくなかったような言いかたじゃないですか」 「見てなかったら、きっとみんな暖かく迎えてくれたんじゃないかなぁ……。そう思うと、あれは間違いだったって思えるんだよ……」 それなのに今の俺ときたら、死刑宣告を待つ犯罪者の気分だよ。 なんて思いながら青空の果てを見るように遠くを眺め、叩かれた頬をさすった。 「さてと。じゃあ……」 「みなさんに会いにいくですかー?」 「いや、その前にちょっと。えと、華琳、ちょっと頼まれてほしいんだけど」 「頼み? 大陸の覇王を顎で使おうなんて、いい度胸ね」 「えぇっ!? そ、そんなつもりはっ……!」 ニヤリと笑っているところから、華琳も本気で言っているわけじゃないっていうのはすぐに解る。 解るけど、なにせ華琳だから確信までは持てなかった。となると、頼るのは逆に怖い。 「……よ、よし、じゃあ自分の力でなんとかしてみよう。あ、華琳───次に会ったとき、頭と体が離れてても愛してるから……」 「泣き笑い顔で恐ろ嬉しいこと言うんじゃないわよ!!」 「恐ろ嬉しい!?」 「落ち着いてくださいお兄さん。いったいなにをやらかすつもりなのですか」 「やらかすって……」 そんな、“行動の全てが悪事に繋がってます”みたいな言い方しなくても。 ああ、うん、日頃の素行がどうとか言うんだね、そうですよね華琳様。だからそんなに刺々しい目で見ないでください。 「……ちょっとさ。孫策と話をしておこうと思って」 「雪蓮に?」 「しぇ……? っとと、真名だよな、それ。危ない危ない…………うん、孫策に」 「……一応聞いておいてあげる。一刀、貴方いったいなにを話す気?」 解っているだろうに、華琳は言う。いっそ、睨むように俺を見て。 そんな、自分を見上げてくる目を真っ直ぐに見て、俺は口を開く。 「黄蓋さんのことだよ。やっぱりきちんと話しておきたいからさ」 「…………」 口にしてみると、華琳は“やっぱり”って感じに不機嫌そうな顔になる。 不機嫌そう、じゃないな、不機嫌だ。 「一刀……貴方、それがどういうことか解ってて言っているの?」 「もちろん解ってる。しただろ? 覚悟の話。戦場に立つ以上、どんな策で立ち向かおうがそれは立派な策。未来予知みたいなことをやって敵の策を打ち破るのも、“持っている知識を使う”って意味での立派な策だ」 「ええそうよ。そして───」 「───ああ。そして、戦場で死んだことに、戦地に向かう者は恨みを持ったらいけない。殺す気でいくんだから死ぬ覚悟だって出来てるはずだ。それを恨んだら、それは死んだ人の武への侮辱だ」 「……そこまで解っていて、貴方はそれをするというの?」 「敵同士だったらきっとしなかったよ。でも、今は味方だ。味方に隠しごとをしたままで、仲良しで居続けられるほど我慢強くないんだよ、俺」 「………」 あ、面白くなさそうな顔。 「貴方、それこそ八つ裂きにされても文句を言えないわよ?」 「そのときは全力で抵抗してみるよ。死にに行くわけでも戦場に向かうわけでもないし」 うんっ、と頷いて黒檀の木刀を手に取る。と、華琳がフンッと鼻で笑いつつ、オーバーマンのマスクを岩の上へと投げた。 「抵抗? 小覇王と謳われた雪蓮に、警備隊隊長風情の貴方が?」 「ふっ……風情とか言うなっ! 警備隊は俺の、この世界での大切な仕事であり絆みたいなものなんだからなっ!?」 「その他にも魏の種馬という仕事もありますねー」 「風!? 仕事じゃないからそれ!!」 「大体、貴方そんなもので雪蓮とやり合えるつもりなの? 装飾がついているけど木なんでしょう?」 「ああ、思いっきり木だ」 ご丁寧に鍔までついている木刀をヒョンッと振るって見せる。 刃物と打ち合えば折られるか斬られるか。でも───ああ、そうだな。 「前提から間違えるところだった」 「……あら。気づいたの? 気づかなかったらそれこそぼっこぼこだったのに」 「あの……どの口が“言わなきゃ解らないでしょ”とか言ったんでしょうか華琳さん」 「全てを与えたら成長なんてしないじゃない。私は自分の考えも持たずに与えられるだけ与えられて、自分で決断もできない、責任を取らない存在には興味がないわ」 「解ってるつもりだけどさ、ちょっと危なかったぞ今」 「気づけたならそれで十分よ。……で?」 「ああ。これは置いていくよ。武器持って向かい合ったら、どれだけ心を込めても話になんてならないもんな」 「ええ。解ったのならいいわ」 満足……とまではいかないけど、華琳は少しだけ口の端を持ち上げると、踵を返して歩いてゆく。 「華琳?」 「呼んできてあげるわよ、そこに居なさい。呉の全員の前で言うよりは、まず雪蓮に話したほうがいいわ」 そのほうが都合がいいし、と続ける華琳に首を捻る俺だが、たいへんありがたかったのでお礼と謝罪を混ぜた言葉が口に出る。 「…………すまん」 「謝るくらいなら言うんじゃないわよ。……まったく、あんな真面目な顔で言われたら断れないじゃない……」 「ん? なんか言ったか?」 「なにも言ってないわよ! ───風! 一緒に来なさい!」 「はいはいー」 「おおうっ……!?」 怒られてしまった。俺、そんなに危ない橋渡ろうとしてるのか? ……いや、そりゃあ危ないよな。なにせ戦友を殺した張本人って言ってもいい。 射ったのは秋蘭だけど、発端は俺の告発だ。 「でも……うん」 歩いてゆく二人の後姿を見て、頷いた。 黄蓋が孫呉の勝利を願って動いたように、俺も華琳たちの勝利を願ったからこそ行動した。 魏に身を置く者として間違ったことはしていない。だから余計に、これは黄蓋への侮辱になるのかもしれない。 ただ俺が“許してもらいたいから、心を軽くしたいから”と取った行動なのかもしれない。かもしれないけど、そこに憂いなんてあっちゃならないのだ。 自分の心の深淵にあることなんて俺には解らない。解らないから自分が願う行動に責任と覚悟を以って向かいたい。 “許してくれ”なんて言えるはずもないし、言う気すら最初からない。 「……はぁ」 しっかりしろよ、北郷一刀──────小さく呟いて、岩の上に置かれていたマスクを叩いた。 あとでこれも使うことになるから、破かないでおいてよかった〜と、暢気なことを考えながら。 ───……。 どれくらい経ったのか。 緊張するなというのが土台無理な話の緊張の中、森をゆっくりと歩く人影に気づく。その影が見えるまで、座ることもなく歩くこともなく、ただずっと立ち尽くし、待っていた。 座ってしまうとなにかに甘えてしまいそうだったのだ。 “過ぎたことなんだからなんとかなる、今さら殺すなんて言わないさ”なんていう、自分の思考に食われそうだった。 だから緊張を消さないために、川の前の草むらにずっと立っていた。 「…………」 「……」 まずはなんと口にするべきか。───そんなものは決まっている。 「こんにちは、孫策」 「───御託はいいわ、言いたいことがあるんでしょう?」 「………ああ」 もちろんこんな挨拶じゃない。 真っ直ぐに孫策の目を見て、恐らくすでに華琳から知らされていたのだろう事実を、真実として俺の口から。 「あの日、赤壁の戦いの中で黄蓋さんの策を華琳に報せたのは俺だ。黄蓋さんは魏の内部に入り込んで、火計でこちらに大打撃を与えるつもりだ、と」 「………」 「鎖で繋ぐことも知っていた。そのへんは真桜が上手くやってくれたから、黄蓋さんを逆に騙すことも出来た」 「………」 「それで《ツッ》っ……!」 特に拍子もなく、俺の喉に剣が……南海覇王が突きつけられた。 真っ直ぐに、一歩を踏み出せば刺せる距離で。 「それで? それを私に話して、貴方はどうしたいの? 謝りたいだけ? それとも───」 「……謝らない」 「……?」 冷たい目が俺を睨む。その目をしっかりと目を逸らさずに見て、言ってやる。 「謝ったりなんか、しない。許しを得たかったからこんな話をしたんじゃない」 「だったらなんだ。こんな話に謝罪以外のなんの意味があるという」 女性ではなく、王としての眼光が俺を射抜く。 それでも、口調や雰囲気に息は飲んでも、目は逸らさずに言葉を紡いだ。 「許してくれなんて言わない。ごめんなんて言ったりもしない。俺は直接戦ったりなんかしなかったけど、それでも自分の考えで誰かが死ぬ世界に身を置く覚悟で向かった。それは黄蓋さんだって同じだっただろうし、直接戦う分、死ぬ覚悟だっていつでも出来てたはずだ」 ツ、と……俺の喉に鋭い圧迫感。───視線は、逸らさない。 「……意味ならあるさ。これから俺達は手を取って国を善くしていかなきゃならない。そのために、仲間を殺すきっかけになった自分を隠したままでいるのが嫌だった」 「だから……それが許しを乞う行為だって言っているのよ」 「違う。憎んでくれたっていい。嫌ってくれても構わない。ただ、そのために豊かにするべき方向を見失いたくないんだ。あいつが憎いからそこは手伝わない、彼女らには悪いことをしたから手伝わせてくれなんて言えない……そんな風になるのが嫌なんだ」 「………」 さらに圧迫。プツ、と……嫌な音が耳に届いた。それでも、視線は孫策の瞳の奥に。 「これまでの戦いでたくさんの人が死んだ。臣下だけじゃない、兵や民だって、戦う意思を見せなかった誰かだって、たくさんのものを失った。……中には一緒に酒を交わした兵も居た。華琳たちには内緒で桃を買い食いして、バレやしないかってそわそわしながら笑い合って。でも……ある日、そいつは居なくなった。その辛さを、空虚を、知っている」 剣は、さらに進む。まるで、一緒にするなと言うかのように。 「……一緒だ。付き合いの長さだけじゃない。国に貢献した数の問題でもない。誰だって生きていた。同じ旗の下に集まって、同じ意思の先を目指して戦った。強いからとか弱いからとか、そんなので片付けられるほど、この天下は軽くなかったはずだ」 喉から胸へと、暖かいなにかがこぼれおちる。……視線は、逸らさない。 「許してくれなんて言わないし、言ってほしいわけでもない。だけど、許さなくても繋げる手は今ここにあるはずだ。伸ばすだけで届く手が、繋げる手があるはずなんだ」 「………………そう。じゃあ訊くけど、貴方はそうやって手を繋いで、なにをどうする気?」 冷たいままの視線を向けながら、孫策は言った。 俺はそれにどう答えるべきか…………そんなものは、最初から決まっていたんだ。 これこそが、会って話をして、届けたかった言葉なんだから。 だから逸らすことなく真っ直ぐに、喉の痛みにも耐えながら口にする。 「……国に、返していきたい」 ……ふと、息を飲む音がする。 それは果たして俺のものだったのか孫策のものだったのか。 微かに震えた南海覇王が俺の喉を小さく刻み、思わず顔をしかめるけど……それでも、目だけは逸らさなかった。 「死んでいった人が残してくれたものを、ともに目指した場所で得たものを、いろんな人達が教えてくれたものを、この世界が与えてくれたいろんな思いを、全部」 「…………貴方……」 「死んでいった人達があっちで笑っていられるくらい、国を豊かにしていきたい。残された家族たちが、いつか“自分にはこんな子が居たんだ”って泣かずに話せる未来を築きたい。先人たちが残してくれた街に、国に、大地に……今度は手を繋げる全員で、その全てに恩を返していきたい」 ……剣が震える。見つめる瞳は揺れていて、だけど……彼女もまた俺の目から視線を逸らすことをせず、向かい合っていた。 そんな彼女が、一度喉をコクリと鳴らして……口を開いた。 「…………ひとつ、訊かせて」 「……ああ」 「貴方は、祭を……黄蓋を討ったことを、後悔している?」 「………」 すぅ、と息を吸う。 喉が痛むけど、構わずにゆっくりと。 やがて長く息を吐いて、自分の心に問いかけた。 北郷一刀。お前はあの日のことを後悔しているか?と。 答えは…………確認するまでもなかった。 「後悔はしてない。黄蓋さんが孫呉のために命を賭けたように、俺だって曹魏のために“存在”を賭けて戦場に立った。……その場で殺されていたら、そりゃあ悔いは残っただろうけど、文句はなかったはずだよ」 「…………」 孫策は俺の目を見つめる。 言葉もなしに、そのままの状態で一分近くも。 (…………なんて真っ直ぐな目。でも……) でも、どうしてだろう。その目が、ふいに小さな驚きを孕む。 (でも……この子、悲しそう……) どうして驚いているのかも解らない状況の中で……ゆっくりと、剣が引かれる。 「そう。ならいいわ。私も、悲しくないわけじゃないけど……今さら貴方を殺して華琳に嫌われるのも好ましくないし」 「いいのか?」 「おかしなこと訊くわね。死にたいの?」 「いやいやいやっ……殺されないまでも、叩いたり殴ったりとかはされるんじゃないかとは、内心思っていたりはしたから……!」 きょとんとした顔で死を口にする孫策に、思わず大慌てで否定の言葉を紡ぐ───ってこらこらこらっ! 一度納めた剣をまた抜かないのっ! そんな、ついでみたいなノリで殺されるなんて冗談じゃないっ! 首をぶんぶん振る俺がおかしかったのか、孫策は苦笑を漏らす。 ……まるで、出来の悪い弟を見るような目で、“仕方ないなぁ”って感じに。 「名前、貴方の口から改めて聞かせてもらっていい?」 「……っと、ああ。北郷一刀。姓が北郷、名が一刀。字と真名はない」 あだ名って意味では、たぶん“かずピー”がそうなんだろうけど。 「じゃあ一刀。貴方は自分が起こした悔いのない行動を理由に、叩かれる、または殴られることを覚悟して私と向き合ったの?」 「行動に悔いはない。でも、人の感情って理屈だけで終わらせられるほど簡単じゃない。戦場だから、仕方ないから、って全部を我慢したら、そのうち悲しみかたも忘れるかもしれない。……そりゃあ、本当に仕方ないことだってあるよ。俺だって華琳に、戦場で死んだことを恨むべきじゃないって言った。孫策さんにだって似たようなことを言った。でも───」 ああそうだ。悔いは無くても、もしもを思えば悲しくなる。 彼が生きていたなら、この世界の俺にも男友達が出来たのだろうか。 内緒で酒を飲んで、桃を買い食いして、華琳に見つかってしこたま怒られて。それでもまた懲りずにやって、同じ空を仰ぎながら笑い合える馬鹿な友達が。 「どうせだったら、楽しさと一緒に悲しみの重さも分けてもらえる“手”でありたい。だから、少しでも気が晴れてくれるなら、叩かれてもいいって思ったんだよ」 「…………」 孫策は、変わらずに俺を見ていた。 見透かすように───俺の内側を覗くように。 「じゃあ、質問の仕方を変えるけど。…………貴方は、悲しい?」 「───」 ずきり、と……心の奥底が痛んだ。 後悔はしても前を向いていられるようにと誓ったあの日以来、こんなに鋭く痛んだのは久しぶりだった。 「………」 孫策は変わらず俺の瞳を見ている。 その目を見返すことが、少しだけ辛くなった。 「…………もしも、って……思うことがあるんだ」 「……ええ」 「もし、戦いなんてものがなくってさ。俺達が最初から手を取り合えていたなら……俺達が立つ世界はどうだったのかなって……」 それは“もしも”を望む弱い心。 もっといい道があったんじゃないだろうかと不安になる弱い心だ。 そんな弱さを耳にして、孫策は─── 「覇気もなく、惰弱に生きていたでしょうね」 俺の弱さを、ばっさりと斬り捨てた。 「はは……そっか」 そしてそれは俺自身が選んだ答えと同じものだったので、俺は笑いながら返す。 「あ、ちょっとー。答えが出てるなら訊かないでよ」 そんな俺の反応に、孫策は面白くなさそうに口を尖らせる……って、何処の子供ですか貴女は。 「“それでも”って思うのが人間だろ? 自分が取った行動が途中で怖くなって、もっといい道が選べたんじゃないかって、あとで怖くなる」 「当たり前じゃない。だから後悔って言うんでしょ?」 「ああ。俺もそんな世界だったから、いろいろな覚悟を学べた。それを今さら否定するつもりなんてないよ。でも……みんなが生きて、ここで宴が出来てたらな……って、どうしても思っちゃうんだよ。孫策さんはそういうこと、ない?」 「私? ん〜……そうね。祭だったらこんな席、逃すことは絶対にしないわね。賑やかなのとお酒が好きな人だから」 「………《ドスッ》おごっ!?」 孫策の言葉に沈黙すると、腹を鞘で突かれた。 「そんな顔しないの。言ったでしょ? 残念に思うことはあっても、恨んだりはしてないわ。逝った人が賑やかなことが好きだったなら、せいぜい死んだことを後悔するくらい楽しんでみせればいいのよ」 そう言いながら、孫策は俺の頭を鞘でゴンゴンと叩いてくる。 ……うん、地味に痛い。 「……一刀。手を出して」 「手? ……えと」 突然だったけど、言われるがままに手を出す。 すると、その右手が右手に包まれ、しっかりと握られる。 「難しいことは難しいことが好きな人に任せればいいのよ。笑うべきときは笑わなきゃ嘘になる、ってね。だから、貴方が国に返していく思いに、私は私の手を繋ぎたいんだけど…………それでいい?」 「───……」 少し、ポカンと口を開ける。 けどそれも少しの間で、俺は慌てて頷くと、今度は俺の方からしっかりと手を握り返した。 「じゃあ、私のことはこれから雪蓮って呼ぶように。いいわね〜? か〜ずとっ」 「へ? でもそれ、孫策さんの真名じゃ───」 「いいわよ、私は全然構わない。恩を国へ返すんでしょ? もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?」 「あ、ああ……それはもちろんだ。俺に出来ることがあったら、遠慮なく言ってほしい……むしろ望むところだから」 「だったら雪蓮でいいわよ。国のために働いてくれる人を、ずぅっと他人行儀で迎えるのなんて肩が凝るだけだし。……はぁ〜あ、ちょぉっとからかうつもりだったのに……してやられたなぁ」 伸びをするように、俺の手から離した手を天へと伸ばしながら、孫策……じゃなくて雪蓮は───……ん? マテ、今……妙に気にかかることを仰りませんでしたか? 「からかう、って…………え? なにを?」 「え? あぁうん、そのー……罪悪感とか持ってるなら、それを利用してつついちゃおうかなーって。祭が一刀の知識の前に敗れたのは、華琳から聞いてたから」 「………」 か、からかう……? 俺、からかわれてたのか? い、いやいや待て待て、いくらなんでも死んだ人をからかうためのタネに使うのは───…………え? 「あ、あのー、つかぬことをお訊ねいたしますが、雪蓮さん?」 「ん、なぁに?《にこー》」 悪戯の真相をようやく明かせる子供みたいな満面な笑みで、雪蓮が俺を見る。 認めたくない、認めたくないんだが…… 「……その。こ、黄蓋さんって……もしかして……」 「祭? 祭がどうしたの〜?」 い、嫌な予感がふつふつと……! 「そ、その、だな……まさかとは思うんだけど………………い、生きてたり、とか───」 「ええ。ついさっき盗賊団遠征先から直接こっちに来て、今は大好きなお酒をがぶがぶ飲んでるところよ」 「なぁああああーーーーーーーーっ!!!?」 生きてた……生きてた!? えぇ!? な、あ、えぇえっ!!? 「なぁあっ……えぁあ!? だ、だだだって雪蓮、さっきこんな席を逃すはずは〜とか言って……!」 「それがね? 今回の遠征はちょっと面倒でさ。それを祭に行ってもらったんだけど、思いのほか片付けにくいものだったみたいでね? 今日中には来れないかもね〜って冥琳と……ああ、周瑜のことね? 冥琳と話してたの」 「…………つまり。遠くに居ようと、今日という宴の席を黄蓋さんが逃すはずがない、という………………い、意味……だったと……?」 「そうだけど?」 「………」 「………」 「俺の覚悟を返せぇえええええええええええええっ!!!!」 「きゃーーーっ、一刀が怒ったーーっ♪」 爆発した。 言った言葉の全てが空回りになり、恥ずかしさとして返ってきたかのような恥ずかしさ。 とにかく形容しがたい感情が胸の中で爆発するや否や、俺は両手を上げてオガーと叫びつつ、笑いながら逃げる雪蓮を追い掛け回した。 「死んだことを後悔するくらいとか言ったじゃないかー!」 「だって華琳がそう言えって言ったんだもーーん!」 「だもーんじゃない! そんなこと───えぇ!? 華琳が!?」 「散々待たせたお返しだから、徹底的にやって頂戴、って。この作戦考えたの、華琳よ?」 「あれだけ殴っといてこれ以上なにを望むんですか華琳さァアアアアん!!」 叫ばずにはいられなかった。 さよならシリアスようこそ理不尽。 「華琳!? かりーーーん!! ええい誰かある! だれっ……誰かぁあああっ!! 誰かこのどうしようもないモヤモヤを取り除いてぇえーーーーーーーっ!!!」 そりゃあ、死んでいなかったのなら嬉しい。嬉しいが、この恥ずかしさはどうしてくれよう。 頭を抱えて身悶えする俺を、雪蓮はどこか楽しげに見るだけ。この場には他に誰も居ないんだから、助けてくれる人なんて居ないわけで。 「って、どうやって!? いや取り除き方とかじゃなくて、黄蓋さんはどうやって……」 「えぇと、それがその。本人の名誉のため、あまり言いたくないんだけどー……言わないとだめ?」 「じゃなきゃ納得出来ない。秋蘭……夏侯淵に討たれたはずだろ? なのにどうして」 「むー…………あのね? ここだけの話……」 「《ゴクリ……》……う、うん…………」 息を飲み、言葉を聞きこぼさないよう意識を聴覚に集中させる。 すると…… 「…………胸の大きさがね? こう……矢が心臓に達するのを防いだというか……」 「実家に帰らせていただきます《がしぃっ!》離してぇええええっ!!」 「何処に帰る気よ、もうっ! 一刀は魏に恩を返すんでしょ!?」 「お、おっ……俺がどれだけの覚悟を以って切り出したと思ってんだーーーっ!! どれだけの覚悟を以ってここに立ってたと思ってんだーーーっ!! 華琳に“殺されても仕方ない”みたいに言われて、緊張しっぱなしで心臓がドクンドクンいってたのに、結果がからかいだった上に胸!? 胸で助かったの!?」 僕もうなにも信じない! 遠くへ行くんだ! 遠くへ……そうだ! 今こそ霞との約束を! 羅馬に行こう! 俺達の旅は……始まったばかりだ! 「そうだ! 羅馬、行こう! J・ガ○ル、倒壊!!」 「落ち着きなさいってば! それだけで助かるわけないでしょ!? 華佗って医者が助けてくれて、彼が居なきゃ祭は本当に死んでたんだから!」 「……え?」 ハタ、と止まる。 暴走していた思考も治まり、“死”という言葉が自分を、むしろさっきよりも冷静にさせた。 華佗……華琳に紹介されて、一度会ったことがある男の名前だ。 あの時は原因不明だった“俺の消滅への予兆”のことで、診てもらったな……その男の名前が華佗だった。 同一人物……だろうな。 「心臓に達していなかったにしろ、あの戦いで祭が重症を負ったのは解っているはずよ。船から落ちたにしろ船ごと流されたにしろ、赤壁は混戦状態だった。そんな中で重症の人間が助かる可能性なんて限りなく少なかった」 「………」 それは……そうだ。 あの炎の中、あれだけの傷を受けて立っていられたことが奇跡だった。 そこに秋蘭の矢を受けたんだ……気絶で済むことも奇跡なら、生き抜けたことも奇跡だった。 「医者がそこに居たから助かった。居なかったら助からなかった。それも、ただの医者じゃ助からなかったのよ」 「それは……」 「討たれた場所が悪かった所為もあって、復帰にはかなりの時間がかかったわ。祭が生きてたことを知ったのだって、私達が華琳に負けたもっと後のことなのよ? 意識不明だったから華佗が預かってくれていたってだけで。久しぶりに会えたときも結構辛そうで、その間にも五胡っていうおかしな連中が襲ってきて、祭は無理にでも戦線に出ようとするし、放っておけば隠れてお酒を飲もうとするし……」 「…………」 最後の“酒”に関する言葉で、シリアスが裸足で逃げていった気がした。 「ええっと……じゃあ、その。今日飲む酒は、久方ぶりの無礼講の酒ってことなのかな」 「うん。完治祝いの酒と言っても過言じゃないかな」 「…………ちなみに、黄蓋様は普段、お酒をいかほど……」 「一刀。流れる滝が全部お酒だったらいいと思わない?」 「……訊いた俺が馬鹿でした」 つまり、それだけ飲むんだろう。 そしてそれだけ飲めるってことは、本当に心配はいらないってことで……いいんだよな……はぁ……。 「安心した?」 「う……それはまあ、したさ。どんなに伸ばしても届かないはずだった手が、望めば届く場所にあってくれた。…………うん、安心もそうだけど、嬉しいよ」 「へーえ……」 「……? な、なに?」 にこー、と人懐こい顔で笑う雪蓮が、両の手を腰の後ろで組んだ状態で、俺の顔を下から覗くようにしてじりじりと近づいてくる。 値踏みするとかそういうんじゃなくて、俺の目の奥を覗き込みたがってるみたいな……なに? 「ねぇ一刀。孫呉に来ない?」 「え? それって遊びかなにかで?」 「違う違う、天の御遣いとして、孫呉の肥やし……じゃなかった、孫呉で働いてみない?」 あの。今、肥やしとか言いませんでした? 「ごめん。俺は、この身この心の全てを魏に捧げた。街の発展の手伝いくらいなら喜んでやるけど、魏からべつのところへ降るっていうのは考えられないよ」 「ぶー……了承を得られるとは思ってなかったけどさー、ちょっとでも揺れ動いたりはしてくれないのー?」 「揺れないよ。そしたらこの一年が無駄になる」 「───、……《ぱちくり……》」 雪蓮の疑問に、改めて真っ直ぐ雪蓮の目を見て口を開いた。 すると、雪蓮は俺の目を見たまま固まったように、口を開けっぱなしにして目を瞬かせた。 ……はて。なにかおかしなこと、言っただろうか。 「……雪蓮?」 「はっ! ……う、うー……なんか悔しい……」 「へ? く、悔しいって───」 「よし決めた。決めたわ私。まずは───…………とっとと、そうだった! 一刀、私はこれで戻るけど、華琳が一刀は“ますく”とかいうの被ってきなさいって言ってたわよー!」 「ますく? ……って行っちゃったよ」 自分の言いたいことだけ言って、雪蓮は風になったかのようにゴシャーーーアーーーと走り去っていった。 「…………え?」 さて……そうして残された自分は、いったいなにをどうするべきなのか。 チラリと後方の景色を見やれば、流れる川と岩に置かれたマスク、そして乾いた服が畳まれて重ねられたバッグ。 オーバーマンマスクは被るつもりだったけど、まさか華琳からそういった指令がくるとは思わなかった。……指令ともまた違うけど。 「はぁ…………こればっかりは謝らないといけないからな」 事故とはいえ、着替えを覗いてしまったのは事実。 よし、と覚悟を決めて、私服に着替えたのちにオーバーマンマスクをジャキィィインと装着した。 「オーバーマンズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! 私たちは出来る!!」 なにかがいろいろ間違っている言葉を口にして、リラックスのための材料にする。 うん落ち着け俺、ほんと、いろんな意味で。 06/天の御遣い 念のために、もう固まっていた喉の血を川の水で洗って流す。 そうしてから森を抜けて、ゆっくりと、確実に宴の場へと戻ってゆく。 手には胴着とフランチェスカの制服が入り、木刀が刺さったバッグ。長細い布袋に包まれたそれをひと撫でして、溢れる緊張を飲み込んでゆく。 しばらく歩くと勝手口……とは言わないんだろうが、正門よりは警備が手薄な入り口兼出口へと辿り着く。 思うんだが、ここから攻められたら、あっさりと敵の侵入を許してしまうんじゃないだろうか。 町外れの小川からここまで、奇異の目はあっても特に俺を引っ捕らえようとするヤツも居ないし。 「警備体制の見直し、やったほうがいいのかな」 そう考えて、首を振る。 凪や沙和や真桜なら、俺がとやかく言うよりもよっぽど効率よくやってくれているはずだ。 だったら、と……そう考えると、これはただ華琳が“手を出すな”って言ってくれただけなのかもしれない。 「……うん。許してもらえるかはべつとしても、ちゃんと謝らないとな」 決意を新たに門の先へ。 警備兵に捕まるかなと思ったけど、警備兵は俺の侵入を黙認。 (……あ、こいつ……) どこかしかめっ面をしたそいつには見覚えがあった。 兜を深く被っているために解りにくいけど、警備隊として一緒に警邏をしたこともあった。 (……そっか、まだ続けてたんだ) 久しぶりに会えたこともあって、進めていた足を横に逸らす。 小さな門の左右に立つ二人のうち、右の男へ向けて。 もう一人は新兵なのか見覚えのない男だった。多分警備の仕方とかを教えているところなんだろう。 足取り軽く、かつての仕事仲間の傍に寄ると、ギロリと睨んでくるそいつの前で、少しだけオーバーマンマスクをずらす。 「! あ、貴方はっ……!」 「しー。…………久しぶり。元気してたか?」 「はいっ、隊長もお元気そうで……!」 どうやら俺のことを覚えていてくれたらしいそいつは、一年も行方をくらましていた俺に笑顔を向けてくれる。 一方で、小さな門とはいえ距離はさすがにある左の警備兵は、難しそうな顔でこちらを睨んでいた。 「ごめんな。これからはまた、一緒に仕事が出来ると思うから」 「本当ですか!? それは楽進様や于禁様や李典様も喜びます!」 「…………?」 あれ? ちょっと違和感。 「そういえば、今の警備隊の隊長は?」 違和感をそのまま口にしてみると、目の前の男はきょとんとした顔をしてから、小さく笑みをこぼす。 「……楽進様や于禁様や李典様に言わせれば、警備隊の隊長は北郷一刀様だけであると。そしてそれは、自分らも同じ気持ちです」 「う………」 穏やかに、けど誇らしげに。 俺の目の前で、手に持った槍の石突きでドンと地面を叩き、彼は胸を張って言った。 そんな返答が嬉しくもありくすぐったくもある。 自分は確かに魏のために民のために、そして兵たちのためにも働けていたのだと。 「これで、警備隊も元通りですね。最近の警備隊は、どうも尖った印象がありましたから。こんなことを言ったら隊長代理の三人に怒られますが……自分は、隊長が居てくださったあの頃の警備隊が一番好きであります」 「…………」 苦笑を織り交ぜたような、まるで友達に向かって内緒話をするみたいに言う男。 そんな様子を見て、俺は……ああ、なんだ……と小さく納得した。 自分が気づかないうちに、自分の周りにはこんなにも自分を慕ってくれる人が居たのだと。 華琳たちだけじゃない、ちゃんと他のやつらにも自分という存在は刻まれていたのだと。 そんな嬉しさが顔に出るのが解って、けど止められずに笑顔になると、目の前の男もようやく安心したように……苦笑ではなく満面の笑顔で笑った。 ああ、やはり隊長ですね、と……安心したように。 そんな彼に軽く手を上げてから別れ、マスクを被り直して城の先へ。 (……うん。勇気もらった) 自分はきちんと、多少だろうが魏に貢献できていたという思いが勇気になる。 その小さな勇気を胸に、俺は………………その勇気を、覗きの謝罪をするために使わなきゃいけないことに、少し泣きたくなった。 ───……。 中庭はどこか殺伐とした空気を孕んでいた。 “産まれる子供は殺戮の勇者ですか? 空気を読んでください”と、空気さんに言ってやりたい気分です。 「えっと……」 そんな中、俺を見て小さく肩を震わせる人物を発見───劉備である。 勇気がしぼまないうちにと小走りに近づいて─── 「止まれ」 ジャキリと青龍偃月刀を突きつけられて、《ビタァ!》と止まる僕の足。 「ア、アノ……関羽、サン……?」 「桃香様には指一本触れさせん。……構えるがいい、曹操殿の命令だ。本来ならば私の手で斬り捨ててやりたいところだが……」 アノ、関羽サン……? と、とっても怖いDEATHよ? って、え? なに? どうなるんですか僕。謝らせてはもらえないのですか? 「貴様にはそこの中央で、あの者と戦ってもらう。桃香様の手前、宴の手前、殺すようなことはさせないが、それなりの処罰は受けてもらう」 「エ? アノ、ソレッテスデニ、戦ウコトガ処罰ニナッテルンジャ……」 と、促された先……中庭の中央を見やれば、長い斧のようなものを持った、どっかで見たような女性が、ってゲーーーッ! 華雄さん!? 「えぇえ!? なななんで!? なんで華雄が!?」 「ほう、我が名も凡夫に響き渡るほど有名になったか」 「凡夫!? ああいやソレは今はいいや! なんでこんなところに!? 行方不明になったって聞いてたのに!」 言いながら、説明をしてくれる誰かをキョロキョロと探すのだが……誰もが誰も、さっさと始めろ的な雰囲気を溢れさせていた。ああもう戦好きの皆様はこれだから……! 「華雄〜〜〜! 必ず勝つのじゃ〜〜っ! おぬしが勝てば、妾たちは自由の身じゃぞ〜〜っ!」 「よっ、お嬢さまっ、他人任せの達人っ!」 「うわーーははははーーーっ! 任せるのじゃーーーっ!」 「………」 袁術だ。 袁術だね。 あれ? ここ、どういった宴の場ですか? そんな思いを込めて華琳が居るほうを見てみると、なにやら雪蓮とギャースカ言い争いを始めていた。 あ、あー……ソウナンダー、こっちは無視ナンダー。 「両者構えて!」 「関羽さん!? 俺まだ中央に向かってもいないんですけど!?」 状況的によろしくなく、慌ててバッグに刺さった長布から黒檀木刀を取り出し、バッグを投げ捨てると中庭の中央に走って───ハッとする。 「ってなに流されてんだ俺ェエエエッ!!!」 武器を持って、武器を持つ者と対峙…………勝負でしょう。 そんな方程式があっさりと決まってしまう場に立って、思わず頭を抱えて空に向かって慟哭した。 「貴様のようなひょろひょろの男が相手というのはいささか不本意だが、それで罪が流されるのなら相手になろう」 そしてそんな俺の前で、フフンといった感じに自分の顎を撫でながら胸を張る華雄。 なんというか自分の武を示せればもうなんでもいいんじゃなかろうかこの人。 「両者構えて!」 「ふふ……」 「う、うー……」 流されるままに武器を構える俺は、どうにもいきなりの状況に腰が引けていた。 が、戦いの瞬間が近づけば近づくほど、意識は覚悟を決めてゆく。 ……相手が俺に勝とうとするならば、俺も勝とうとする覚悟を。そう思い、大きく息を吸って、大きく吐く。 (……覚悟、完了───) そうしてからキッと華雄を見据える。 正眼に構える体は真っ直ぐに伸び、引けていた腰など“ついさっき”に置き去りにしたように、地に足をどっしりと下ろしている。 それを見た華雄は小さく「ほう……」ともらすが、構えは変わらない。 一撃で決着をつける気なのだろう、力を溜めるように捻られた構えは、雑魚対一、多対一にはよく向いているようだった。 「───始めっ!」 目の前の敵に集中する意識の中、聞こえたのは関羽の合図。 その途端に華雄は地を蹴り弾き、戦いに喜びを見せる風情で笑んだまま、自分の間合いに入るや───戦斧を大振りに振るってくる。 「っ」 それを、まずは後ろに大きく跳ぶことで避ける。 無様でもいい、まずは一撃を躱すことが、自分の中で大切なことだった。 「はっはっは! どうした! 初撃から逃げとは、随分と腰抜けだな!」 対峙する華雄が笑う───が、それは意識を掻き乱したりはしない。 むしろ俺が狙った行動はすでに果たされていた。 まず、避けること。……たったこれだけだが、これが自分にとっては大切な行動だった。 「ふっ! はっ! せいっ!」 続く連撃を避ける、避ける、避ける───! 武器で受け止めれば力負けするのは目に見えている。 ならば極力避けることに集中し、隙が出ればそれを突く。 大切なことは初撃を避けて、“相手の攻撃は避けられるものだ”と体に教えること。 相手は乱世を生き抜いた、いい意味での怪物。 そんな武人相手に自分が立ち回れるわけがないという固定観念を、なにかで勝ることで打ち崩す。 俺の場合、それが避けだった。 「よく避けるではないか! だが逃げてばかりでは私には勝てんぞ!」 振るわれ、避け、武器を振るおうとし、振るわれ、避ける。 その繰り返しを細かく続ける。 情けない話だが、大振りだっていうのにこんなにも戻しが早い斬撃に、真正面からぶつかって勝てってのは無茶が過ぎる。 だから、ちょっと卑怯かもしれないけど…… 「ふんっ! はぁっ! せやぁっ!!」 相当に重いであろう斧が振るわれ、腕が伸び切った瞬間に踏み出す。 すると華雄は伸び切った腕に無理矢理の力を込め、俺を薙ぎ払おうとする。それを再び避け、腕が伸び切ったところに踏み込み─── 「ぐっ! ぬっ! こ、このっ……!」 姑息な考えだが、戦場での武人は“向かってくる敵”を薙ぎ倒すのが大体だ。 ほうっておいても敵は自分のところに来て、自分はそれを迎え撃って薙ぎ払う。 振るう一撃も、武人にしてみれば“受け止めるもの”であり、躱す、逸らすなどといった行為はあまりしない。 武を見せつけることを仕事とするかのように受け止め、弾き……これの繰り返しだ。 敵を切り捨てる際、振り切らんとする武器は敵の肉、または武器によって受け止められるし、腕が伸びきることなんて滅多にない。 そんな伸び切った腕に力を込め、重い武器を無理矢理戻そうとすれば、そこにかかる負担は倍化にも近い。 そんなことをこの速さで幾度も続けていれば─── 「ぐっ……は、はぁっ……! ぐ……!」 疲労する速さだって、当然倍化する。 相手を自分より劣る者だと思うからこそ慎重性を欠き、そんな相手だからこそこういった状況に引きずり込める。 おまけに体の疲れはもちろん、無理矢理に使った筋肉が痙攣を起こすし、無理に振ろうとしても握力がなくなり、すっぽ抜けるだけだ。 ……と、そうは思うものの、相手はあの華雄なわけで…… 「まだ───まだだぁああっ!!」 「うえぇええっ!!?」 すっかりぐったりしていたと思っていた華雄はさらに斧を振り、襲いかかってくる。 つくづく勇猛、つくづく武人。 普通の人だったらとっくに腕が動かなくなってても不思議じゃないのに─── (《チリッ……》……うん?) そこで、また違和感。 普通の人だったら、って…………じゃあ、ここまで一撃もかすりもせずに避けられた自分はなんなのか。 半年前に浮かんだ疑問が、再び浮上してくる。 もはや華雄の気迫は対峙するだけで身が震えるほど。 だっていうのに自分は萎縮することなく攻撃を避け、目が慣れてきたためか攻撃も返せている。 それは、つまり─── 「まさか……いや、でも───」 考える。 華雄は決して弱くなんかない。 普通に戦えば最初の一撃で自分は死んでいたかもしれない。 春蘭や凪との時だってそうだ。 そもそも最初の一撃を避けたり、牽制できたりする時点でなにかがおかしい。 相手は八人同時だろうが平気で薙ぎ払える武官。 それを、じいちゃんにさえ勝てない俺が、手加減されていたとはいえ……? 「はぁああああああっ!!」 「っ───!」 それは無謀な賭けだ。 振るわれた戦斧を、柄と刀背に手を添えた木刀で受け止めるという行為。 戦いを見ていたほぼ全員から動揺の声があがるが、それでも踏み込み─── ドガァアッ!! 刃の部分ではなく、速度が乗りきらない斧を支える棒の部分を全身で受け止めるようにして───止めてみせた。 「つっ……くは……!」 「……! な……に……!?」 そして……俺の体は、吹き飛んではいなかった。 途端に湧きあがる歓声。 俺は確信を得て華雄の武器を押し戻すと、一度距離を取って、乱れていない呼吸でゆっくりと深呼吸をする。 呆れる事実を、真実として受け入れるために。 「すぅ……はぁ……───」 目の前には驚きを隠せない華雄。 とりあえず安心してほしい、驚いてるのは俺だって同じだ。 元の世界の北郷一刀なら、今の一撃で空を飛んで地面に激突して勝負ありーだった。 けど、この世界の……天の御遣いとしての俺は、なんの冗談なのか普通よりも相当に身体能力が高いらしい。 思えば稟との騒動の時、華琳の命で俺を狙う魏のみんなから逃げ回れたり、風を抱えたまま季衣や流琉から逃げられたりと、能力的な意味での意外性は確かに存在していた。 あっちの世界では“出来ないこと”の方が多かった自分なのに、この世界に来てから出来ることが増えていった事実も存在する。 それが意味することは即ち、華琳の望みを叶えるために舞い降りた天の御遣い様は、どうやら無能で居ることを許してはもらえないようだ、ってことで─── 「よしっ!」 違和感が確信へと変わった今、突き進む足にはなんの迷いもない。 痺れ始めの腕でもあんな威力を出せるってことは、華雄の全力は相当に重いんだろうけど───今はそんなことは横に置いておく。 疲れている相手に突撃っていうのもやっぱり卑怯かもしれないけど、相手を疲れさせるのも策ってことで納得してもらおう。 「はぁっ───!」 「くっ……なめるな!」 踏み込み走り出すと、俺の速さに合わせた斬撃を繰り出す華雄。 俺はさらにそれに合わせ、踏み込ませた足で強く強く地面を蹴り、一気に速度を上げる。 刃を木刀で受ければただでは済まない。 ならばと、肉迫する寸前に限界まで身を屈みこませることで、華雄の一撃をやりすごす。 「なっ!」 疾駆の勢いそのままに、破れかぶれにも似た一撃を出すと思っていたんだろう。 攻撃を躱された華雄の動揺は大きく、地面に這いつくばるみたいに屈んだ俺を、驚愕の表情で見下ろしていた。 直後に再び力を込め、伸びきった腕を戻そうとするが─── 「《ビキッ!》ぐぅっ!?」 無茶がたたったのだろう、体か腕かの痛みに一瞬顔をしかめ、動作が遅れた。 その頃には俺は立ち上がりと同時に木刀を振るっていて、その軌道は迷うことなく伸びきった華雄の腕へと─── 「まだだぁああああああっ!!!!」 「ういぃっ!?」 い、否ぁあっ! この人無茶苦茶だ! 伸びきった腕を身振りで無理矢理戻して、斧の石突きで俺の顔面狙ってきた! (避ける!? む、無理無理! もうこっちも攻撃体勢に───うあだめだ! 待っ───くあぁあああっ!!!) 覚悟を決めて玉砕戦法!! 出来る限りに顔を仰け反らせ、その上で木刀を振り切る!! ごぎぃんっ!! ───ルフォンッ……ドガァッ!! ───そして、重苦しい音が響く。 振り切らんとした木刀は振り切った状態で俺の手にあり、華雄の斧は……華雄の手には存在していなかった。 弧を描いて飛ぶ、なんてことはしないで、勢いのままに小さく手から零れ落ち、地面に突き刺さった。 「……は、はぁっ……はぁっ……!」 「む…………」 あまりに予想外のことに息を乱した俺と、同じく息を乱しながら自分の手を見る華雄。 その手に武器が無いことを確認したのだろう、一度目を閉じると空を仰ぎ、目を開くと俺へと視線を戻す。 「……どうやら、私の負けの───…………」 「……?」 なんか俺の顔を見た華雄が、喋るべき言葉を見失ったみたいに停止する。 それは周りの人も同じようで、結構盛り上がってくれていたはずの宴の席は、急にひんやりと冷たくなったかのように静まり返って…… 「あの、華雄?《ばさっ》……?」 わけも解らず声をかけようとする俺の頭に、何かが落ちてくる。 それを手に取ってみると………………外国人男性のマスクが微笑んでいた。 あれ? と顔をさらりと触る。 ……汗をかいた肌が、そこにあった。 「……あれ?」 えっと……その、なんだ? まさかさっきの石突きがマスクに突き刺さって、弾くのと同時にすっぽ抜けた……? ……あ、やばい……───そう思った時にはもう遅い。 『えっ……えぇえええーーーーーーーーーっ!!!?』 魏のみんなが俺の顔をバッチリと見てしまい、大声を張り上げていた。 07/ただいまを言える場所 「そんなわけで───すいませんでしたっ!」 「許さん」 「えぇえっ!!?」 「ちょ、愛紗ちゃんっ! こ、こっちこそごめんなさい御遣いのお兄さん、私もなんか大事にしちゃったみたいで」 ええ大事でしたとも。 あんな帰りかたじゃなかったら、きっと全てが感動的に纏まっていたんだと思えるくらいさ。 でもこうして劉備も許してくれたようだし、あとの問題は─── 「…………《ちらり》」 『…………《ンゴゴゴゴゴゴ……!!》』 華琳に“待て”を命じられているのか、力を溜めて待機している魏のみんな……だろうなぁ。 あれらが解放された時、自分がどうなるかを考えるとちょっと怖いような───……って、あれ? (…………凪?) ふと気づく。 一瞬俺と目が合った凪が、申し訳ないような、合わせる顔がないような感じに目を逸らした。 どうしたんだろ…………って、凪の性格を考えると、ほぼ間違いなく俺に攻撃を仕掛けたこと……だよな。 べつに気にしてないのに。 「……うん、よし」 だったら、そんな憂いも吹き飛ぶくらいに笑顔で“帰ろう”。 この世界が俺が居たかった世界で、帰るべき場所が魏の旗の下なんだ。 言わなきゃ届かない思いがあることを、さっき華琳に拳と一緒に叩きこまれたばっかりだしな。 「みんな! ただい───」 「全軍、突撃!」 「───ま?」 華琳様が小さく仰いなすった。 途端、お預けをくらっていた猛獣達が檻から解き放たれたかのごとく地を蹴り─── 「北郷ぉおおおおおっ!! 貴様っ! 斬るぅうううううっ!!!」 「一刀ーーーーっ!! 一刀やぁあーーーーっ!!」 その筆頭を競わんとする二人は、片方はともかくもう片方は大剣を手にそれこそ突撃してきて……ってキャーーーッ!!? ブフォンッ!! 「《チュィンッ!》ヒィイッ!? ちょ、春蘭!? いぃいいいきなり斬りかかるやつがあるかぁあっ!! 前髪にかすったぞ!? 少し落ち着《ずっぱぁあああん!!》はぶろぎゃああああっ!?」 ───中庭の空を飛んだ。 女性のビンタで空を飛ぶ……それはきっと、盗んだバイクで走り出すより凄まじいことだと思いました。 皆様に愛されて約一年、北郷一刀です。 「貴様ぁああああ…………!! よくも我らの前にのこのこと姿を現せたものだな!! それは褒めてやる!!」 「褒めるの!?」 顔だけ起こした視線の先には赤き隻眼の鬼神。 言った途端に武器を納めてくれたことだけは感謝したい気分だが、空を飛んで地面に落下、無様にうずくまった俺は、それを素直に喜んでいいのだろうか。 いや、そりゃあ春蘭のビンタなんて珍しすぎて奇跡体験かもしれないが、うん。痛いものは痛いです。 しかしうずくまったままではいられないので、くらくらする頭を振りながら立ち上が───ると、そこに霞がドカー!と抱きついてくる。 「ちょ、霞!? 今とっても危険な状況で……!」 「うあーーーん一刀ーーーっ! かずと、かずとーーーっ!! 何処行っとったんやどあほぉっ! ウチが、ウチがどれだけ悲しんだ思とるんやぁっ! 約束したのに! あれ嘘やったんかぁっ!?」 「霞…………その、ごめん。いっぱいひどいことしちゃったな……。でも、もう大丈夫だから。俺は華琳に願われてここに居る。予測でしかないけど、たぶん間違いじゃないから」 「華琳……? 華琳と一刀と、なんの関係があるん……? ───はっ! まさか華琳が一刀のこと追い出しよったんか!?」 「違うわよ」 「あ……華琳」 逃げ場もなく、霞に抱きつかれた俺を囲む魏の武官文官の輪の中、その輪が開く先から華琳が歩いてくる。 ……で、俺の頬のモミジを見ると少し顔を背けて笑って……ってこらこら、誰の突撃命令でこんなことになったと……。 「そこの御遣い様は、私の願いに応じて参上したと言っていたわ。これでまた居なくなるようなら、それこそ天にでも攻め入って、天も手中に収めてやるんだから」 「華琳、それじゃ答えになってないだろ……」 「あら。貴方を戒めるのに小難しい言葉が必要? 解ってないなら教えてあげるわ───貴方はここに居ればいいのよ。小難しい理由も証明も要らない。私が願う限りここに居ることが出来るなら、私が死するその瞬間までずっとこの大陸に尽くしなさい。……それがいつか、この場に居る全員に届かせられる一番の答えになるのだから」 「華琳……」 いや、そうは言うけどな? どうも皆様納得してらっしゃらないようなんだが? 「……つまり……一刀はもう何処にも行かへんってことなん……?」 「……ああ、それは約束する。華琳が願う限り、俺はこの世界で生きていける。だから───言わせてほしい。…………みんな、ただいま」 いろいろ挫かれたけど、今度はちゃんとした笑みでただいまを。 涙目の霞に、怒り治まらぬ春蘭に、俯きながらも俺を見てくれている凪に、集まってくれたみんなに。 「今回だけや……こんなん許すんは、今回だけなんやからな……?」 「ああ」 「また、なにも言わずにどっかに行ったりしたら、どうやってでも天の国探して一刀のこと奪いに行くで……?」 「ああ、迎えに来て欲しい。たぶんそうなった時は、俺の意思じゃなくて天の意思か華琳の意思かで戻されてるだろうから」 「ほんまに……?」 「ホンマホンマ。……我が身、我が意思は魏とともにあり。曹魏が曹魏らしくある限り、俺は絶対にこの地を離れたいなんて思わないよ。……そこのところは、約束してくれるんだろ? 華琳」 上目遣いで俺の顔を見る霞の頭を撫でながら、笑顔で華琳を見る。 すると華琳は「誰にものを言っているの?」と口の端を持ち上げ、胸の前で腕を組んで約束をしてくれる。 その“俺がこの地に居る”という約束がきっかけになったんだろう。 魏のみんなは弾けるように霞ごと俺に抱きついてきて───って、ちょ───おわぁーーーっ!? 「兄ちゃん! 兄ちゃーーーん!」 「あたたたたたっ!! ちょ、季衣っ! ウチの足、踏んどる踏んどるっ!」 「兄様……! 勝手に居なくなったりして、どれだけ心配したと思ってるんですか!」 「いたいいたいっ! 流琉、それ一刀の胸とちゃうっ! ウチの頭やっ!」 「そら姐さん、一人で先んじて隊長とよろしゅうしとったんですから、報復みたいに受け取ったってほしいですわ」 「凪ちゃん凪ちゃん、隊長なの隊長なのー!」 「………」 「や、沙和、騙されたらアカン。ウチらの隊長があないに強いはずがないで……」 「いやいや一年あれば人って変われるよ!? “男子三日会わざれば刮目して見よ”って言葉だってあるし!」 「…………ホンマモンの隊長? ホンマに?」 「さっき“先んじて隊長とよろしゅうしとった”とか言ってただろ!?」 ていうかそろそろ辛い! みんな抱きつきすぎだって! 絞まる! 首絞まる! 誰だ首絞めてるの───ってもしや桂花さん!? もしやこの手は視界内に居らっしゃらない桂花さん!? 「ウソや……せやったらなんで凪がこんな落ち込んどるん?」 「あ、それはさっき……あの、マスクを、被って……た俺、に……凪が……打ち込んで……き……て……」 「……? 一刀、どないしたん? 顔がみるみる青なって───って桂花! なに一刀の首絞めとんねん!」 「この万年発情男の所為で……! どれだけ華琳様が溜め息をお吐きになられたか……!」 「そうだ北郷! 貴様の所為で華琳様がどれだけ───!」 「桂花、春蘭」 「はっ! 華琳様っ!」 「はいっ! なんでしょうか華琳様!」 「とりあえず黙りなさい」 「はいっ! ───…………」 ……あ、本当に二人とも黙った。 けど、春蘭にも言いたいこともあったのだろう、それをどうやって俺に伝えるかを眉を寄せながら考え、やがてぱぁっとその表情が輝くと《バゴルシャア!!》 「じぇるぁああーーーーーっ!!?」 とりあえず殴られた。思いっきり右で。 霞の抱擁から解き放たれた俺は当然地面をズシャーと滑ったが、この痛みも受け止める。涙出てるけど受け止める。 でも解ってください、俺も好きでこの世界から消えたわけじゃないんです、本当です。……と、痛みに身を震わせながら小さく体を起こすと、スッ……と地面に差す影。 見上げてみると、そこに秋蘭が居た。 「すまないな、北郷。姉者もあれで相当寂しがっていてな」 「い、いちちちち…………! い、いやっ……拳一発……じゃないけど、それで許してもらえるなら……」 「そうか。では歯を食い縛れ」 「え? いやだからって殴られたいわけじゃっ…………ええいっ! どんとこいっ!《ごちんっ!》はうっ!」 秋蘭からの断罪は、脳天へのゲンコツだった。 ……これがまた、なかなか痛い。 頭を押さえてきゅぅううう〜〜〜……と変な声を出す俺がそこに居た。 そんな俺と同じ目線に屈み込み、秋蘭はフッ……と小さく笑みをこぼし、「よく、帰ってきてくれた」と言ってくれた。 「………」 痛みの代償なんてその言葉だけで十分だった。 思わず泣きそうになる俺に、秋蘭はデコピンをかます。 まるで、こんな時くらいはシャンとしろ、と喝を与えるように。 そんなデコピンが、額ではなく心に喝を与えてくれた気がして、俺はがばっと立ち上がった。 そして喝を入れられた心を胸に、まだきちんと向かい合えていない稟と凪を交互に見ると、大きく息を吸いこんで─── 「……稟ちゃんは行かないのですかー?」 「まあ……一刀殿の性格を考えると……」 「稟ー! 凪ー! ただいまー!」 ───叫んだ。 みんなが少し驚いてたけど、構わずに向かう。 まずは、凪が居るほうへ。 「……あちらの方がほうっておいてくれないと思うので」 「やれやれですねー、お兄さんは本当に気が多いのです」 「懐の広いところだけが取り柄の兄ちゃんから気の多さを取ったら、なんにも残らんぜー」 「と、彼もこう言ってるのですよ」 「……風? 宝ャはさっきまで壊れていたんじゃ……」 「真桜ちゃんに直していただきましたー。ちょちょいのちょいで楽勝や〜と言ってたのですよ。その名も宝ャ弐式、マツタケくんだそうですよ」 「…………マ、マツタケ……」 ぶつかってくる大切な人達を抱き締めながら、涙も我慢することなく流して、ぶつかってこないやつらは自分でぶつかりに行って。 戻ってこれたのがこんなにも嬉しい───こんなにも嬉しいなら、どうしてそれを我慢する必要があるのか。 嬉しいのなら、この思いをぶつけに行けばいい。ぶつけられればいい。 俺はそれを受け止めたいって思ってるし、相手だってきっと受け止めてくれる。 だって───“嬉しい”という事実だけで、こんなにも泣けるんだから。 「ただいま凪! あっははははは!! ただいま!」 「うわっ……たた隊長!? 下ろしっ……!」 泣き笑いっていうヘンな顔で、凪をお姫様抱っこで抱き上げた。 そのまま走りながらくるくる回ったところで、稟や風を巻き込んで転倒。 それでも嬉しさのあまりに込み上げる笑いと涙は止まらなくて───俺はしばらくそうして、帰りたかった場所へ、ただいまを言える場所へ辿り着けたことを心から喜んでいた。 ……いたんだが。 「……あれ? なんか背中にゴリっとした感触が……ってホウケェエーーーーイ!!!」 倒れた俺の背中と大地の間で潰れていたもの。それは宝ャのようでいて宝ャじゃない何か……って、え!? 宝ャ!? 宝ャはさっき風に踏まれて……! 「……お兄さんは宝ャになにか恨みでもあるのですかー……?」 「いや違っ……! ていうかなんで!? 宝ャはさっき風が……!」 「真桜ちゃんに直してもらったのですが、今この時、お兄さんに惨殺されたのです」 「人聞きの悪いこと言うなぁああっ!! ま、真桜! 真桜ーーーっ!! 宝ャをたすけてぇええっ!!」 「ちなみにその子はマツタケと言うのですよ」 「宝ャにしなさい! 壊した自分が立ち直れなくなりそうだから!」 結局感動の再会も騒がしさに流される。それなのにその騒がしさこそが心地良い。 これでこそ自分たちだって思えたのは、きっと気の所為じゃないのだろうから。 ───……。 で………… 「《しゅぅううう……》あの……はい……調子に乗りすぎました……お騒がせして、すこぶる申し訳ない……」 宴の席を引っ掻き回したわたくしこと北郷一刀は現在、華琳様の前で正座をさせられていました。 最初は何故こんなことをと、わけが解らなかったわたくし北郷一刀は、そっと囁いてくれた風のお陰で少しだけ状況が解りました。 風が言うには華琳様は、自分の時だけ強制しなければ“ただいま”を言わなかったわたくしこと北郷一刀に制裁を加えたいのだとか。 いえあの……もう制裁加えられているからこそ、頭がとても痛いのですがね? ああもう過ぎたことです、この馬鹿丁寧な語りにも終焉をくれてやりましょう。ここまでのモノローグは、わたくしこと北郷一刀がお送りいたしました。 「皆、見苦しいところを見せたわね。気にせず今日という日を楽しんで頂戴」 華琳は華琳で俺を殴ってすっきりしたのか、清々しいまでの笑顔で他国のみんなにそう言う。 「あ……ところでさ、華琳。結局、華雄や袁術はなんだったんだ? 自由がどうとか言ってたけど」 「ああ。野党まがいのことをやっているところを、蓮華……孫権たちが引っ立ててきたのよ。せっかくの宴の席で首を刎ねるのもなんだし、それなら余興のひとつにしましょうって話になったの」 「へえ……で、どうするんだ?」 「敗者に情けは無用。……と、言いたいところだけど、いいわ、一刀に任せてあげる。勝ったのは一刀なんだから、煮るなり焼くなり好きになさい」 「………」 ちらりと、華雄、袁術、張勲を見る。 目が合った途端に袁術が身を守るように縮こまり、目を丸くしてヒーと泣き出した。 それは張勲も同じようで、華雄はむしろ負けたのだからとどっしりと構えていた。 「……ん。じゃあ三人には“三国”に降ってもらおう」 「三国? 魏ではなくて?」 「ああ。これから国を善くしていくんだろ? だったら、一国だけじゃなくて三国にこそ人手が必要になる。三人にはその“必要になった時”、すぐに動ける人員になってもらうのはどうだろう」 「……華雄はともかく、あとの二人が役に立つ?」 ギヌロと覇王の眼力で三人を睨む華琳。 華雄はどこか楽しそうに笑っているが、袁術と張勲は涙目だ。 「役に立たないなら立つように教えればいいさ。人って成長できる生き物だろ? 解らなければ教えればいい。覚えられないなら覚えるまで教えてやればいい。今役に立たないものの未来を捨てるよりも、役に立つように育ってもらって、同じ未来を目指せばいい。……俺は、この三国の絆をそうやって繋いでいきたいって思うよ」 「……………そう」 俺の言葉に華琳はやさしく微笑んで、「じゃあ、任せたわ」と言う。 うん、任されよう。 人に命令できる立場か〜って言われたら、悩む自分がもちろん居るけど───命令が嫌ならお願いすればいい。 根気よく歩けばいいさ、今ならそれも出来る気がするから。 (さあ、これから忙しくなるぞ) 善い国にしていこう。みんなで手を繋いで、みんなの力で、思いで。 人間全てが笑っていられる世界なんて作れるわけはないけど、少しでもそうあれるように、まずはゆっくりとお互いのことを知っていこう。 時には衝突することもあるだろうけど、それも大事な絆になるはずだから───なんて思っていたのはハイ、少し間違いだったかなーと、このあと思い知りました。いや、全てが間違いだとは言わないけどさ。 正座するわたくし北郷……ってそれはもういいから。───正座する俺の横に、すっと影が差したのだ。 見上げてみれば、そこには雪蓮。 にこー、とさっきみたいな人懐こい笑みを浮かべていて、彼女の視線の先……華琳は逆に、笑顔を引きつらせていた。 「ね、華琳」 「……なによ」 「この子、私にちょうだい?」 「ヘ?」 チョーダイ? ……チョオ、ダイ? ……姓は趙! 名は岱! 字は那! 人呼んで“チョウダイナ”! ……あ、はい、ちょっと混乱してますごめんなさい。 「それは先ほど、きっちりと断ったはずだけど?」 「一度断られた程度で諦めるほど、小さな執着心を持った覚えはないの。それにあれだけ強いなら、誰でも欲しいって思うわよ」 「っ!《キッ!》」 「ヒィッ!?」 あ、あれ? なんでここで俺が睨まれるの? しっ……仕組んだの華琳だよね!? え!? 負ければよかったの!? 「一刀は魏に生き魏に死ぬの。いくら雪蓮でも、一刀はあげられないわね」 「そこはほら、覇王の懐の大きさでササッと」 「あげないったらあげません」 「そこをなんとかっ」 「だめよ」 「じゃあ一月だけ」 「だめ」 「一週間!」 「だめって言ってるでしょ?」 「三日間でどーだー!」 「話にならないわね」 「なによー! 華琳のけちんぼー!」 「けちっ……!? いっ、いきなり何を言い出すの貴女は!」 言い争いが始まった。 たぶん、さっきもこんな感じで言い争ってたんだろう……触らぬ女神に実罰無し。 俺は静かに身を沈め、ゴキブリもかくやという低姿勢で逃走を図った。 正座による足の痺れ? フハハ、そんなものなぞここ一年の道場修業で克服したわ。 (じいちゃん……俺、強くなったよ……!) ヘンな方向に感動が向く。 俺の強さってそんなもんですか? と心がツッコミを入れるが、俺が欲しかった強さは戦場に役立てるばかりのものじゃない。 だからいいのだ、俺は俺らしく。それが、俺にしかない俺の強さだと思う。 「よしっ」 大体の距離を稼ぐと立ち上がり、とりあえずバッグを拾いに劉備たちが居る場所へ。 途端に関羽にギシャアと鋭い眼光で睨まれるけど、そこはなんとか口早に説明をして、バッグを拾って逃走。 城の適当な一室を借りてフランチェスカの制服に身を包むと、ようやく自分らしさが取り戻せた気がした。 「ははっ……思えば、寝る時以外はほぼこの服だったもんなぁ」 こぼれる苦笑を噛み締めて、脱いだ私服をバッグに。 その時に見えた胴着が、やっぱり少しだけ勇気をくれる。 「……じいちゃん。たぶん、じいちゃんにとっては一秒にも満たない時間なんだろうけど……俺はこの世界で自分が生きれる限りに、受けた恩を国に返していきたいって思う。だから……恩返しがいつになるか解らないけど、“すぐに戻る”よ。元気で、って言うのもヘンだけど、それまで元気で───」 この世界での出来事は、元の世界では一秒にも満たなかった。 学園で寝て一日を過ごし、目覚めれば大陸に居て、魏と生きて、魏と別れた。 そうして戻った世界は、なにも変わらない、自分が寝て起きた場所。 たぶん今回も同じことで、この世界に居てくれることを華琳が願ってくれる限り、存在できるはず。 天寿を全うした場合、帰れるのか死ぬのかは解らない。 けど、今は解らないことを考えるよりもやりたいことがたくさんある。 「じゃ……遅れたけど、“いってきます”」 胴着にそう言い残すとファスナーを閉じて持ち上げ、肩に引っ掻ける。 さて、行こうか。 正直巻き込まれるのは怖いけど、止めないと戦争でも勃発しそうだ。 ただじゃれ合ってるだけで、本当は結構気が合ってるのかもしれないけど。 そういえば華琳と対等に渡り合える相手なんて居なかったし……そっか、あれで結構楽しんでるのかもしれない。 そんなふうにして笑みをこぼしながら、がちゃりとドアを開けて通路に─── 「ちぃ姉さん、そろそろ急がないと───あ」 「解ってるわよもう! まったく、あいつが居なくなってから───え?」 「……? 二人ともどうし───あ」 ───出たところで、そういえば中庭には居なかった彼女たちとの再会を果た《どぼぉっ!》しべるぼ!? 「こっ……こここここのにせものーーーーっ!! 一刀の格好を真似したくらいで、ちぃが騙されるとでも思ってるのっ!?」 い、いや……言ってる意味がよく解らないんだが……!? とりあえず確認もなしにボディブロゥはどうなんですか地和さん……! 「え……か、一刀? ほんとに一刀?」 「ニセモノです《キラーン♪》」 「死ねぇえーーーーーーっ!!!」 「うわぁああ冗談! 冗談だから! 本物! 正真正銘、北郷一刀だから!」 目を白黒させながら……といってもいいものか。 天和の質問に、場を和ませようとして出た冗談に地和がキレた。 そんな地和から逃げるように、後ろ走りで通路を行ったり来たりを繰り返していると、どんっと……背中から誰かに抱きつかれる。 「一刀さん……一刀さん」 驚いたけど、それは人和だった。 背中からだからその表情は解らないけど、喜びを含んだ声には嗚咽も混ざって《パゴォン!》いもるぱ!? 「こっ……こらこらぁああっ!! 動けなくなったやつをグーで殴るアイドルが居るかぁあっ!!」 「うるさいこのバ一刀!! あんたが勝手に居なくなってから、ちぃが……───あ、やっ、やっ……姉さんとれんほーがどれだけ寂しい思いをしたかっ!!」 「えー? ちーちゃんが一番寂しがってたくせに」 「んなっ……違うわよ! そんなことない! 姉さんだってなにかあるたびに一刀だったらーとか一刀じゃなきゃーとか言ってたくせに!」 「ちぃ姉さん、“姉さんだって”って時点でもう終わってるわ」 「ふぐっ……!? う、うー……! 一刀が悪い! とにかく悪いの!」 「アーハイハイゴーメンナサイヨー」 「心がこもってなーーーい!!《がばっ》はぶっ!?」 顔を真っ赤に、目を涙目にして再度殴りかかってくる地和を、真正面から抱き締める。 するとその顔は余計に赤くなって、少しだけ暴れだすけど……それもすぐに治まり、胸の中で小さく「……おかえり」と言ってくれて─── 「あーずるーい! お姉ちゃんも一刀に抱きつくのー!」 そんな俺達を、横から包むようにして抱く天和……だけど、腕の長さが足りなかったりする。包みこむように抱くというよりは、へばりつくようなカタチになって……でも。 俺を見上げてくるその顔は、喜びに満ちている。 「……天和、地和、人和。───ただいま」 「……はい。おかえりなさい、一刀さん」 「うん、おかえり一刀♪」 「それじゃあ早速一刀には働いてもらうわよ! 今まで居なかった分、きっちり働いてもらうんだからねっ!」 「戻って早々!? い、いや、俺も人並に宴を楽しみたいというか……」 「え、なに? 勝手に居なくなっておいて、その上ちぃたちの頼みも断るっていうの?」 「ア……ハイ……喜んでお手伝いさせていただきマス……」 勝手に居なくなったのは、説明する暇がなかったし仕方なかったことなんだけど……ほんと、それこそ仕方ない。 寂しがらせたことは事実のようだし、寂しがってくれたならこんなに嬉しいことはない。 「それじゃあ、まずはなにをしたらいいのかな」 「一刀〜、肩もんで〜」 「喉渇いたから飲み物もってきて」 「一刀さん、これからの予定をきっちり頭の中に───」 「結局小間使いかよ!」 なんら変わらない扱い。 あーだこーだと文句にも似た言葉を言いながら、以前のように接してくれる三人にありがとうを言いたくなる。 言ったら調子に乗るのが思い浮かぶから、言わないけど。 「ちゃんと聞いてなさいよ? 今日の歌、一刀のために歌うから」 「一生懸命歌うからね〜♪」 「もう……勝手に居なくならないでくださいね」 ……あ、だめ。やっぱり言いたい。 言いたいけど……それはこの宴が終わってからでもいいかなって思えた。 だから、今は送り出す。 「ああ。頑張れ、三人ともっ!」 「任せなさ〜いっ!」 「ちーちゃん、あそこのことだけど、一刀が帰って来たんだからやっぱり戻そ?」 「うえ〜……? ちょっと恥ずかしいんだけど……」 「じゃあちぃ姉さんだけそこで歌わないように───」 「やっ、わ、解ったわよ! 一刀のために作った歌なんだから、私が歌わないわけないじゃない!」 三人が走ってゆく。 それを見送りながら、俺もゆっくりと歩き出す。 「……ただいま。今帰ったよ、魏の国よ───」 今、自分が歩こうとしている道が、確かな充実感に満ちているであろうことに喜びながら。
あとがきって苦手です。 でもせっかくスペースがあるなら、なにか書かなければもったいない。 それじゃあなにを書きましょうか……。 今回はべつにこれといったネタはなかった気もするし、グムー。 ……あ、ありましたね。 *そうだ、羅馬、行こう。J・ガ○ル、倒壊 そうだ、京都、行こう。JR・東海。 JRのCMより。J・ガ○ルはハングドマンです。 *たわば 言う必要がないくらいに有名な言葉。北斗の拳より。 *ゴーメンナサイヨー 結構前にあったラーメンのCM。なんでも踵落としで解決。 アンディ・フグ、大好きでした。 長ったらしい小説ですが、また次で。 更新はゆっくりです。 Next Top Back