31/互いを知るということ
-_-/周泰
───暖かいのは嫌いじゃあなかった。
お日様の暖かさが好き。暖かくなった風が好き。暖かくなったお猫様が好き。
日差しを感じて、風に撫でられて、それらの匂いを含んだお猫様のモフモフを感じるのが大好き。
だけど、この暖かさは少しだけ、ほんの少しだけ怖いです。
「ぁ……ぅ……」
先ほどまで一人でした。
一人で、なにをするでもなく座りこんで……いえ、はい、座りこんでいました。なにもしていなかったです。
考えることは……ぅぅっ……一刀様と、その…………を、してしまったこと、ばかりで。
けれど。
「怖っ!!」
「はぅわっ!?」
「ゲェーーーッ!! しまった!!」
急に耳に届いた声に驚きました。
何故って、いつの間にか隣に一刀様が座っていたからです。
慌てた様子で叫ぶ姿は、なんだかその……とても普通です。
最初は天の御遣いと呼ばれていたから、凄く偉い人なのかと思っていましたが……偉ぶる様子もなく、むしろ誰とでも肩を組んで笑うことの出来るお方でした。
そう、最初は洛陽。監視を命じられ、村の外れの川での会話を聞いていました。
次に兵とも笑って話せる彼を、宴の中でもいつの間にか中心に居た彼を見ていました。
……それは、とても不思議な光景です。
あの曹操殿に認められていて、魏の皆さんに迎えられ、恐縮することなく笑顔でただいまを言える人。
どこか陰りがあった魏の皆さんに笑顔が戻り、手を伸ばす存在……友達、というのがとても眩しいものに思えた。
私の友達は……亞莎です。けど、私が亞莎と手を繋ぐことはあまりない……いえ、最後に繋いだのがいつだったのかも思い出せません。
一刀様と出会ってから意識して繋ぎ合うことがあったくらいで、それより以前を思い出せないでいます。
「………」
そんな手が今、一刀様の手に包まれています。
とても暖かいけど、少し怖いです。
心臓が痛いくらいに脈打って、気づけば体が震えていて。
敵を前にした時は、むしろ心は冷えるというのに……どうしたというのでしょうか、私は。
一刀様に傷の手当てを……い、いえ……傷口に口付け……はぅぁあうっ! 違います違いますっ!
あ、あれは手当て、そう、手当てをしてもらっただけでしてあうぁぅあぁあ〜〜……!!
「うぅ……」
でも。一刀様の唇が傷を覆い、直線に走る赤を一刀様の舌がやさしく撫でた時から、たしかに私の鼓動はどうかしてしまいました。
一刀様と城壁の上を駆け続けても、呼吸はそう乱れません。走ることで苦しいと思うことなど、ここしばらくありません。
ではこの息苦しさは、熱っぽさはなんだというのでしょうか。不思議です。不思議で……やっぱり少しだけ怖いです。
こんなこと、今までありませんでした。
一刀様の傍はなんだか居心地がよくて、やさしい声、笑顔、どれもが暖かくて好きです。
まるでおねこさまのモフモフを体感しているときにも似た高揚が、私の心を満たします。
なのに、今の暖かさは……何度確かめてみても、少しだけ怖いです。怖いのですけど……それよりも、ふと見た一刀様の表情に驚きました。
変わらずの笑顔をくれるのですけど、その笑顔がいつもと違う。
寂しげであり悲しげであり、けれどどこか強い意思を抱いたような……言葉で表すのは難しい笑顔。
表面だけで受け取れれば、きっと私も笑顔を返せていたのかもしれません。けど、内面を探ろうとしてしまう癖は、乱世を終えてもまだそうそう抜けるものではなかったのです。
「一刀……様……?」
「ん、あ……ごめん、少し考え事してた」
「考え事、ですか?」
「そ、考え事」
それは軽い返事でした。なのに、笑顔は見る見る翳りを含んで、苦笑になってしまいます。
「か、一刀様っ」
「え? あ……ど、どうした?」
「一刀様っ、元気を……元気を出してくださいっ。そんな苦笑い、一刀様には似合いませんっ」
「……へ?」
だから言いました。
一刀様にはそんな笑顔よりも、民の皆さんも思わず笑ってしまうような笑顔が似合っています。
こんな笑顔、一刀様の笑顔じゃあありません。そう伝えるために。
すると一刀様は困惑を含んで、頬を一度掻いたあとに……笑い出しました。
「え? え? あの、一刀様?」
「あ、や、ごめっ……はははっ、まさか励ましに来て、励まされるだなんて思ってもみなかったから」
そして、一度深く溜め息。
次ぐ行動は、繋いだ手とは別の手を私の頭に乗せ、撫でるという行為であぅあぁあーーーーっ!!?
「かかっかか一刀様っ!?」
「ごめん。それから、ありがとう。今ちょっと、自分の弱さとか相手の強さに悩んでた」
「……?」
仰る意味が上手く頭の中に通りません。
けれど笑顔になってくれたことが、どうやら私はとても嬉しかったようで、胸が暖かくなるのを感じました。
「頑張ろう頑張ろうって意識すればするほど、自分に出来ないことばっかりが見つかってさ。“それ”が出来ていればすぐにでも助けられる人が居るのに、自分にはそれが出来ない───そんな悔しさとか無力さがさ、頭の中いっぱいになったら……ごめん、変な顔してただろ」
「あの、それは」
「はは、自覚あるから。それより……えと。さっきのことだけど───」
「!!《ぐぼんっ!》」
息が止まるのを感じた。急に話を引き出され、少しだけ忘れかけていたことが頭を占めてしまいます。
そうなっては先ほどまでのように顔が熱くなるのを止められず、息が苦しくなるほどの胸の締め付けが止みません。
「まずは、ごめん」
「───《ちくり》」
けれど、そんな熱さもその一言で冷たい傷口のように凍てついてしまいました。
なぜ謝るのですか? あれは、そんなにも悪いことだったのですか?
そんな思いがぐるぐると頭の中を占め、それなのにどうして痛いのか、苦しいのかが解りません。
解らないのに、事故として片付けられてしまうのが苦しくて、悲しくて───
「俺、さっきのその……キス、あ───接吻っていったほうが通るかな。とと、とにかくっ、接吻、のこと……謝りたくない。そのことをまず、ごめん」
「え?」
ところが、その悲しみや苦しみが困惑に飲まれます。
謝りたくないことを謝りたい……おかしな言葉ですけど、私は困惑とともに……少し熱さを取り戻しました。
「あ、あの、かずっ……!? えぇ……?」
何を言えばいいのかが解らないです。
訂正させてほしいです。少しどころではありません、すごく、すごく熱いです。
「どんな形であれ“してしまったもの”をごめんなんて言えば、傷つくかもしれないって思ったんだ。俺の勝手な言い分だし、謝れって言うなら謝るべきなんだろうって思う。……でもさ、それで許しちゃったら、その……周泰の接吻はそんな、謝るくらいで許せるものなのか、とも考えちゃって……えぇ、っと……な、なんて言ったらいいのかすぐ出て来ないけど……うん。周泰」
「はぅあっ!? ななななんでしょうっ!?」
一刀様が、ひどく真面目な顔で私の目を覗きこんできます。
真っ直ぐに、逸らすことのない眼差しで。
「俺達は友達だ。だけど、だからってなんでも許し合うのはちょっと違う。友達だからこそ言わなきゃいけないことは言って、間違ったことは止めるべきなんだって思う。だからさ───もし周泰が俺がしたことを許してくれるなら、俺に罰をくれないか?」
「え……ば、罰、ですか?」
「ああ。周泰が、それなら許せるって思える罰を……俺に。それを実行して、もし俺を本当に許せるんだとしたら……また、手を繋いでほしい」
「そんなっ、私、怒ってないですっ! 私が頭を下げたりしたからあんなことになったのに───!」
「だめだよ、周泰。女の子の唇とは、そんな好きでもない相手と交わしてごめんなさいで許されるものじゃ───」
「《ずきんっ……!》ち、ちが……!」
胸が痛みます。
好きでもない相手……そう言われたのが、どうしてか辛いです。
そうだ……私は、嫌だったのでしょうか。あんなことがあって、胸が苦しくて……苦しいということは、嫌だったのでしょうか。
嫌だったとして、ならば何故、好きでもない相手と言われて苦しいのでしょう。
私は───……私は……
「………」
深く……自分に問いかけるように考えていると、ふと……大きめの甕を傾けてお酒を飲んでいた祭さまのことを思い出します。
「辛気臭い顔をするな、酒が不味くなるわ」と仰られた祭さまは、何をどうすれば顔の熱さや胸の苦しさを克服できるのかを教えてくださりました。
お酒を飲み、とろけるようなお顔で「辛いことなど回数をこなして慣れてしまえい。どれだけやっても死に繋がらんのなら、それほど簡単なことはあるまいよ」と。
……そうです。解らないことだらけならば、自ら飛び込んで知っていけばいいのです。
ならばまず、私がすべきことは───
「……解り、ました。───〜〜っ……では一刀様っ、目を閉じてくださいっ。思い切り、いかせていただきますっ」
「おもっ……!? お、おぉお……おおっ、わわ解った、俺も男だ二言は───な、ないといいなぁ……」
何処か驚いた風情で、一刀様が目を閉ざします。地面に座して、すぅ……と息を吸って。
だから私も、繋がれたままの手をきゅっと握り返して───怖いままだったけれど、怖さから逃げずに真正面からぶつかってみました。
嫌だったのか、嫌ではなかったのか。それを知りたいのなら、同じことをしてみればいい……そう思い、その……綺麗な姿勢で座し、目を閉ざしている一刀様の唇へと、自分の唇を押し当てました。
「ふぐっ!? ん、んんっ!?」
驚いたのか、一刀様が暴れようとします。
でも……まだです、私の中で答えがまだ出ていません。
嫌だったのか嫌ではなかったのか。その答えを出すために、私は一刀様の首を抱くようにして唇を押し付けました。
恥ずかしさのあまり目を開けてなどいられるわけもなく、きゅっと目を閉じて、息をするのも忘れて。
「………」
「………」
どれだけそうしていたのでしょう。
いつしか一刀様からの抵抗は無くなり、訳が解らないままでも……押し退けるようなことはせず、軽く背中をたんたんっと叩きました。その拍子に私の心はひどく落ち着きを取り戻しました。
次の瞬間には慌てて一刀様から離れたわけですが───……嫌、だなんてとんでもないです。私は……私は、離れた瞬間に“離れたくない”とさえ思ってしまいました。
そう、嫌だなんてとんでもない。私は、偶然とはいえ一刀様とあんなことになってしまったことを喜んでいて───
「あぅぁっ……も、申し訳ありませんです一刀様っ!! わわ私はなんというっ!」
「い、いやっ……申し訳ないって言われるよりもその…………え、えぇえええええっ!!? しゅしゅしゅしゅうた───あ、いやっ……あ、あー……落ち着け、落ち着けぇえ……! 両方が慌てたら落ち着くものも落ち着かない……!」
すぐに逃げ出したい衝動に駆られますが、きゅっと握られている手がそれを許してくれません。
……いえ、許してくれないのではなく、そうしたらだめだと伝えてくれているような気がします。
「すぅ……はぁ…………うん。えっと……周泰? 俺、てっきり殴られるかと思ってたんだけど、なんだってこんな……」
「はぅわっ! そそ、それはそのっ……ですねっ……! あの……うう……っ……そのっ、私はその、嫌だったのか嫌ではなかったのか、知りたかったんですっ!」
「……嫌? え、それって───」
「は、はい……一刀様との接吻が嫌ではないかを……。わ、私は……一刀様に“好きでもない相手”と言われたとき、とても悲しく感じたんです。けれど偶然とはいえ一刀様と接吻をしてしまったあと、私は……全てのことが訳が解らなくなってしまう中でも、一刀様のことばかりを考えていました」
「………」
一刀様は口を挟まずに真っ直ぐに私を見て、聞いてくださっています。
困惑が混ざったままの表情ですけど、嫌な顔をせずに聞いてくれる姿が、どうしてかとても嬉しいと思える自分が居ます。
「ですからその、祭さまのお言葉に習うよう、回数を重ねて理解してみようと───」
「ちょっと待った!」
「ふえ?」
……どうしたのでしょう。祭さまの名前が出た途端、一刀様は片手で顔を覆うと“たはぁ〜〜……”と深い嘆息を吐きました。
さらには「周泰が急にあんなことするなんて、やっぱりあの人の入れ知恵か……」と小さく呟いて───
「いいえっ、祭さまは私に助言をくれただけであって、その……今の接吻は私の意思で───《ぐぼんっ!》あぅあぁっ!? い、いえこれはそのっ……!」
自分の意思で接吻をした……その言葉が、私の頭の中を熱で埋め尽くします。
やっぱりすぐに逃げ出したくなるのですが、立ち上がり駆け出そうとした私の手を引く、繋がれたままの手がありました。
それは私の手をクンッと引き、思わず体勢を崩した私をすっぽりと受け止めて───……頭を、撫でてくれます。
「落ち着いて、周泰。その、事情はまあ……いろいろ解ったから。確かめた上で、嫌だって思わないでくれたなら……逃げないで」
「………」
一刀様の胡坐に座りこむように、すっぽりと後ろから抱きすくめられ、頭を撫でられる。
そんなことをされるだけで心が暖かくなり、いっそ荒れていると言えるくらいにざわめいていた胸の中も落ち着いて、私は……小さな熱い溜め息とともに、そんな状況を受け入れてしまいました。
「……よかった。嫌われたんじゃないかって、すごく怖かった」
「嫌うなんて、そんなことしないですっ! はうわっ……!」
「そっか、うん。よかった───そっか」
勝手に動いた口が即答を返した途端、私の心はざわめきを取り戻し……たのですが、やさしくやさしく頭を撫でられると、そのざわめきもどこかへ行ってしまいます。
……うう、お猫様が頭や喉を撫でられると目を細めるのは、こんな気持ちになるからなのでしょうか。
ですがどれだけ撫でられても、私の心は一刀様の手から逃れたいとは思いません。お猫様は途中で嫌がり、逃げてしまうものなのですが……。
なんだかいろいろなことが解らなくなってきました……冷静に、冷静にならなければいけないと解っているのに、頭が上手く働いてくれません。
えと、えとえと……あぅぁうぁ……なな、何故こんな状況になってしまったのでしょうか。
お猫様と戯れていたら一刀様が駆けてきて、お猫様に引っ掻かれて、一刀様が手当てをしてくださり、亞莎を探して、思春殿に捕まって、亞莎が一刀様に真名で呼ばれている姿が……その、羨ましくて……それから、それから───
(そうですっ、真名───!)
はっと思い至る。
結局一刀様は私を真名では呼んでくださってません。
その事実を思い出したら、もう止まれませんでした。
「か、一刀様っ」
「うん? なんだ? 周泰」
「…………あぅあっ……」
自分の肩越しに見上げる一刀様の顔……やさしい笑顔。
全てを包みこむような穏やかさと包容力があるその顔が、自分にだけ向けられているという事実に頭が燃え上がりそうに───
「《ぶんぶんぶんっ》一刀様っ」
頭を振って、熱を逃がす。
結果として、頭を撫でてくださっていた一刀様の手を払い除けるような形になってしまいましたが、今は心の中で謝ると同時に先へ。
「周泰?」
「あのっ、……あのっ。その……ま、真名を……」
「……? あ───」
いつもなら躊躇することなく出せる言葉が、喉に痞えて出てきてくれません。
届けたい言葉があるのに、はっきりと口にできません。
だから……一刀様が言ったように、届かないならば伸ばそうと……繋がれた手に力を込めました。
すると一刀様は安心したような嬉しそうな顔で、私の目を真っ直ぐに見て───
「……うん。これからもよろしく、“明命”」
「…………〜〜〜《かぁああっ……!!》」
嬉しい……はい。この感情を言葉で表すのなら、きっと“嬉しい”なのでしょう。
真っ直ぐに目を逸らさずに言われた自分の真名……大切なものが聴覚を伝って内側へと流れる。
そんな感覚を“嬉しさ”として受け取った瞬間、私は言葉も発せられないくらいに頭が熱くなるのを感じて、なんだか意識が薄れて───
「……あれ? 周泰……じゃなかった、明命……って熱っ!!? どうしたんだみんめ───うわぁ目ぇ回してる!! 救急車ァアア!! 救急車を呼べェエエエ!! ってそんなのないからっ! ととととにかく城に運ばないとっ……思春っ、先に戻って寝床の用意を───」
「貴様が私に命令するな」
「命令じゃなくてお願いだからっ! ていうかほんとに居たのか!? 居たなら探すの手伝ってくれたって───ああもうっ! とにかく頼むよっ! 俺も明命背負ってすぐ追うから!」
「………」
「そんな目で見なくたってなにもしないからァアッ!! なに!? 何を疑われてるの俺!! ただ急いで明命を運ぼうと……って言ってる暇があったら走ろう!」
薄れていく意識の中、一刀様の背負われながら……そんな会話を聞きました。
なんだか可笑しくて、笑いそうになるんですけど……笑みをこぼすくらいしか出来ず。
やがて、暖かくて大きな背中を胸一杯に感じながら、私は目を閉じました。
……その。閉じたというか、開けていられなかっただけですけど。
32/「音速を越える拳は、鞭を真似た攻撃に劣る。1点 ●」
───さて、同日。
どこから漏れたのか(言うまでもないが)、周泰……ではなく、明命が俺と接吻したという噂が建業に溢れ返り。
蓮華や亞莎がドキドキソワソワ、雪蓮や小蓮や祭さんや陸遜がニコニコニヤニヤ、冥琳や思春がジロリと僕を見ていらっしゃった。
どちらかといえば蓮華も睨むふうではあったんだが、思春から「明命からしたことです」と聞くと、顔を真っ赤にして「油断しているからだっ」とそっぽを向く始末。
うん……どうしてか知らないけど、全て俺が悪い感じで伝わっているような。
そんな事実に睨むように祭さんを見るけど、酒でご機嫌なのか、わっはっはと笑うだけで話にもなりゃしない。
……さて、そんなわけで俺は明命の部屋に駆けつけた皆様の前に居るわけなんだが………………どうしてまた正座させられてるんだろうなぁ……。
「あの。みんな? なんだって何かあるたびに俺に正座させるの?」
「面白いから」
以上、雪蓮さんからの即答でした。
なぁ華琳……この“命令”、地味に辛いのですが……? こんな小さなことから大きなことまで、全て承諾しなきゃいけないって……本当に地味に辛い……。
正座しろと言われれば正座して、なにがあったのか話せと言われれば包み隠さず言わなきゃいけない。
俺の……俺の自由は何処にあるのでしょうか……。
「それでー? 明命を足の上に乗っけてからどうしたの〜? ほぉらぁ、一刀〜!」
「いやっ……か、勘弁してください! 口にすると凄く恥ずかしいっていうか……っ!」
「だぁめ〜♪ 命令だから、言うの〜♪」
「たすけてぇえええええっ!!」
一番性質が悪かったのが、シャオが明命の気絶の理由を事細かに掘り出そうとした時。
そこでなんと言ったのか、どうしたのかを言えと命令されては言わないわけにもいかず、俺は顔を真っ赤にさせながら詳細を……!
「へぇー……一刀ってば明命にそんなことしたんだ。ね、一刀。私にもやって?」
「雪蓮さん!? 貴女はもうちょっとその好奇心を抑えるべきかと思うんだけど!? そ、それに王を足の上に座らせるなんてそんなっ───」
「命・令♪」
「ちっ……ちくしょおおおおおおっ!!」
一人が何かをしでかすと、他の者の抑えが効かなくなる……よくある話だ。
今回の場合は命令から来るものではなかったとはいえ、明命とキスをしたという事実が呉のみんなのなにかを動かしたらしく。
この頃から、やたらと難しい命令がみんなの口からこぼれるようになった。
そう、これは───一人かめはめ波から始まった長い一日の続きのお話である。
───……。
ガガギンッギィンガィンゴギィンッ!!
ギィンガィンッ! ギャリィンッガィンッゴギィンッ!!
「はぁっ───」
「───ふっ」
明命との和解 (とはちょっと違うけど)も済み、にこにこ笑顔の雪蓮を胡坐に乗せて頭を撫でる行為を終え、今現在は予定外での剣術鍛錬。
とはいっても、川まで明命を探しに行く前に蓮華に誘われたものであり、こののちにはシャオとの“でぇと”が待っている。
その後には陸遜との書物鍛錬(?)があり、その後には諸葛亮や鳳統とともに学校の話、一通り終わったら明命の様子を……ぬおお、やることが多すぎる。
「……随分と余裕なのね。鍛錬とはいえ、立会いの最中に考え事?」
「考えてても目の前には集中出来てるから大丈夫」
忙しさはともかく、今は目の前に集中。
模擬刀を振るい、最初は互いの調子に慣れるまで軽く動かす程度にセーブ。
それに慣れると速度を上げ、互いに剣合と進退を繰り返す。
時に左手だけで、右手だけで木刀を振るう鍛錬も混ぜてだ。人間、いつ、どこでどうなるかなんていうのは解らない。だから片腕だけでも戦える自分をきちんと作っておくためにも、片腕鍛錬は経験になった。
……さすがに誰かと手合わせするときにはしないけどさ。
「っ……華雄に勝っただけのことはあるわね。速いし、正確だわ……!」
「ははっ……け、結構必死だったりするんだけどねっ……!」
模擬刀とはいえ、立派な剣。
当たるところに当たれば骨だって折れるし、斬れはしないだろうが大激痛は免れない。
それらを躱し、受け、逸らし、弾き───打ち合うよりも避ける行為を選んで立ち向かい、相手の肩の動きや踏み込み方で攻撃の種類を予測、対処していく。
この距離、あの攻撃ならば半歩下がれば避けられる。
あの構え、踏み込み、視線───この軌道ならば跳躍して躱せる───そういった行動を瞬時に分析、行動に移す。
「はっ……く……! 一刀、貴方は……っ! 本当に曹操の傍に居た時は軍師として働いていたの……!? こちらの動きが全て読まれているよう……!」
「軍師とも言えたか、怪しいけど、ねっ!」
横薙ぎに振るわれる模擬刀をバックステップで躱し、着地と同時に足に氣を送ると、地面を踏み砕く勢いで蹴り弾き、一気に間合いを詰めると同時に蓮華の喉元に模擬刀の腹を突き付ける。
「───……はぁ。それが事実なら、私は落ち込むわ。貴方はたった一年でこれほどの技量を身に付けたというの?」
「知識向上と学校での生活以外のほぼを鍛錬に向けてたからなぁ……。三日毎に全力で鍛錬して、体を休めてる間は勉強。もちろん筋肉を使うわけじゃないなら型の練習とかイメージトレーニングも出来たし」
「いめー……?」
「ああ、ごめん。想像の相手と戦うこと。それに限ったことじゃないけど、たとえば相手があいつならこう動くに違いないって頭で想像して、それと戦う鍛錬」
「ああ……祭に勧められたことがあったわ。私の場合は思春を相手に鍛錬をしてばかりだったから、相手はほぼ思春だったけれど」
「俺は春蘭だった。この世界に戻ってからは、春蘭や華雄、祭さんや思春や明命って増えていったけどね」
そこには凪も混ざってはいるんだけど、結局はオーバーマンだった俺を追い掛け回しているイメージだったために、あまり役には立っていない。
向き合った時も、結局は逃げちゃったしな、俺。
「俺の剣はじいちゃん……祖父から教えてもらったものだ。そこに我流めいたものを無理矢理組み込んだのが、今の俺の型。型なんて呼べるほど、完成なんてしてないけどさ。それならそれでいいかな〜とも思ってる」
「……? なんなの? それは。型はきちんと身に付けたほうがいいに決まっているわ」
「そうなんだけどさ。型ってのを体に染み込ませるのは一年や二年でどうにかなるもんじゃないよ。何気なく身についた〜って思うだけじゃない、無意識にそういった構えが出来るようでなくちゃ、それは型とは言わないってじいちゃんから教わった。事実その通りだと思うし、いざって時に構えることも出来ずに闇雲に振る体は型とは呼べない」
「…………」
「慌てた時でも死を身近に感じた時でも、咄嗟に構えて対処できる……そんな場所に至れるほど、自分を磨けているだなんて思わないから。今はまだ完成じゃなくていい。どうせなら型も囮に出来るような強かさを身につけたいな〜って」
「型を囮に……?」
蓮華の言葉に、ひょんっと一度振るった模擬刀を正眼に。
「この状態から一番早く攻撃するとしたら、突きだよね」
「え、ええ……そうね」
「頭を割ろうとするなら、振り上げて下ろすって二回の動作が必要になる。相手が達人だったら、振り上げた瞬間に首が飛ぶ。……つまり、敵にしてみればこの構えを見た瞬間、一番に気を付けるべきは突きか小手ってことになる」
言いながら、突きと小手、そして面の動作を見せる。
蓮華はそんな俺をじっと見つめ、時折首を縦に動かしていた。
「上段の構えは……まあ、振り下ろす以外に選択がない。下段は突くか払うか振り上げるか。その中で一番速い攻撃に意識を向けるのが、まあ……多分達人って人達だと思う」
「ええそうね……“気を付けるべき一撃”はどの構えにも存在しているわ」
「うん。だから、相手が達人であり、自分が達人だと相手が知るほど効果が出る。達人が正眼に構えれば、相手は頭の片隅ではどうしても突きを意識する。上段では面、下段では突きか小手、って感じに……ああ、そこは正眼も同じか。けど、だからって“払い”を狙っても動きが大きすぎて躱されるか受け止められる」
「……? なにが言いたいの? それじゃあ結局、囮には使えないでしょう?」
「いや、突きを意識させる。それだけで囮役にはなってるんだ。あとは───自分の攻撃を加速させてやればいい」
「加速……?」
ぐっと構えていた体に脱力を。
そして、体に通っている“道”に氣を通し、まずは軽く模擬刀を振るう。本当なら名前の通り、刀の形をしていてくれたならやり易かったんだけど。
置いておいた鞘を左手に、模擬刀を右手に居合いの構えで持つと、意識を集中。
重心を落とし、左に構えた鞘に模擬刀の刀身を当て、ギリ……と力を込めていく。
まあ、ようするにデコピンの要領だ。鞘をつっかえ棒にして、居合い斬りの再現。諸刃である模擬刀と真っ直ぐな鞘とじゃあ、刀でやる居合いは完成しないから仕方ない。
「あ、この鞘は例であって、普通じゃ使わないから。どれだけ加速されるかだけ見といて」
「…………《こくり》」
低く構えた姿勢に興味が湧いたのか、返事らしい返事はせずにただ頷いた。
さて、集中集中……。実際に何度か試しはしたけど、誰かに見せるのは初めてだ。成功してくれればいいけど───
「すぅ───」
原理は……言うだけなら簡単。
俺の体は氣の巡りで加速することが、周々や善々から逃げる際に確認できた。
てっとり早く言うと、これはその延長にすぎない。
ただ漠然と足に氣を集中することで加速する足の速度があるならば、それを細部に行き渡らせたらどうなるか。
足、と漠然に流すのではなく、細かな部位に集中して氣を送る。
(じいちゃんが言ってたな。抜かなきゃ加速しない一撃はどーのこーのって)
じゃあ、その一撃が抜く前に加速したらどうなるか。
そのたった一言を見返してやりたくて、地道に経験を積んでいた裏技。
とある格闘漫画からヒントを得たものでもあるが、俺にはあんな芸当は不可能だ。
だからその“不可能”を“氣”でサポートする。
「───ッ」
キャリィインッ!! ───…………ピッ……
「………」
聞こえたのは綺麗な音。
模擬刀と鞘とが弾き出す音とは思えない音ののち、振り切られた剣は一瞬にして空を裂いていた。
…………勢いが強すぎて、ちょっと肩とか肘関節とか手首がゴキンと鳴って痛いのは内緒だ。……だ、大丈夫大丈夫、脱臼はしてない。
そんな安堵を吐いていると、目の前に舞い降りてきていた木の葉が空中で真っ二つに割れた。
……あれ? もしかして、切れた? 狙ってやったわけじゃあなかったんだけど……。
「……信じられないわ。模擬刀で空中の葉を切ったの……?」
「え? あ、いやっ、偶然っ! こんなことが出来るなんて俺だって知らなかったよ!」
「そ、そうなの?」
改めて、速度ってものの怖さを知った瞬間だった。……おまけに、肩が痛くなるからあまり脱力しすぎるのも考え物だとも学んだ。
と、素直に驚いている俺を、きょとんとした顔で見る蓮華に、どういった表情で返せばいいのか……苦笑とも困惑ともとれない顔をしていた。
「……ほわぁ……」
変な言葉とともに、今はもう地面に落ちた葉っぱを拾い上げる。
切れないもので切る……そんなことが本当に可能なんだなぁ。っとと、そうじゃなくて、続き続き。
「えっとつまり、一番速い攻撃……突きとかに意識を集中させておいて、他の攻撃をより速くして放つ、っていう物凄く強引な力技なんだけど」
「油断以前に、放たれたのを確認してから躱せる速度じゃないわ……。こんなものを全ての攻撃に合わせたら───」
「あ、いや……それ無理。俺の“氣”が保たない。随分と集中するし、腕とかにかかる負担も大きいから……連続でやれたとしても二回までで、二回撃てばしばらく腕が動かせないかも……」
「……役に立つのか立たないのか解らない技法ね……」
盛大な溜め息をありがとう。
けど、ようは振り過ぎなければいいわけで、細かく速度を上げるだけなら結構放てるはずだ。
「やるとしたら“ただ当てるだけ”を目的にした攻撃だけかな。相手を打ち倒すつもりでやると、どうしても力が入るから。それでも脱力できるところまで行けてないし、行けてたら逆に脱臼しそうだしなぁ……」
言いながら、細かい動作に氣を混ぜての行動を繰り返す。
面、突き、払い、戻し払い、そこから型外れな連撃を繰り返し、ふぅと息を吐く。
……うん、ただ速いだけの一撃ならそう苦労せず出せる。
や、それ以前に鞘の支えが無ければあれほどの速度はそうそう出せない。
「連撃に体が耐えられるようになれば、それだけでも強みになると思うんだけどね。なかなか思い通りにはいってくれないよ」
「……そう? それだけ出来れば十分な気がしてきたのだけれど……」
「自分で上達した〜って思えても、穴なんて探せばいくらでもあるから。そういうのを一つずつ埋めて、上を目指す。型のことで言えば、埋められてない場所なんて腐るほどあるんだけどね、はは……」
それでも、と構えて蓮華を見る。
彼女もすぐにフッと笑うと剣を構え、俺と対峙してくれる。
「競ってくれる相手が居るなら、負けられないって思えるし、頑張れもする。……ありがとな、蓮華。正直……ひとりでがむしゃらに“強くなる”って意思を貫くの、大変だった」
「……ひどい人。そんなことを言われたら、負けていられないじゃない」
一呼吸ののちに踏み込み、剣を合わせる。
本気を出してぶつかることは、まだしない。
今は相手の癖を読み取ることを意識して、何度も何度も攻撃と受けとを繰り返していく。
普通であったらこんなもの、戦場ではなんの役にも立たないけどさ。俺としてはイメージトレーニングの相手が追加されることは、いい刺激になる。
なにせ今までの相手は俺自身が逃げ回るイメージから来るものだから、まともに相手が出来なかったりした。
祭さんや思春や明命のイメージは頭に叩き込んであるけど、まだまだ本気で戦って貰えてないんだから仕方ない。
だったらこうして、相手も自分も本気……とまではいかないまでも、競うように戦える相手のイメージは大変嬉しいわけで。
「はぁああーーーーーっ!!」
「へっ!? うわっ、ちょ───!」
けどまあ、負けていられないって言葉が本当なのだとしたら、当然相手は本気でくるわけで。
鋭く振るわれた一撃を躱───せない! 弾く!
「《ギャリィンッ!》っ……く……!」
「蓮華サン!? いきなりは怖いからやめてくれって言ったろっ!?」
「それでも受け止めたじゃないっ……あぁあああーーーーーっ!!」
「《チュインッ!》ほわぁっ!? あっ、とっ! たわっ! たっ、とっ……!!」
次いで振るわれる剣を紙一重で避け、前髪に掠る剣の硬さに背筋がひやりとしつつも躱して弾いて打ち返して……!
しかしそれも長くは続かず、鋭い気迫とともに放たれた一撃が、俺の手から剣を弾き飛ばした。
「うわっ……と。ま、まいった」
次の瞬間には俺の喉元には剣が突きつけられ、勝敗は決した。
降参の意として両手を軽くお手上げしてみせると、蓮華はふっと笑って剣を納めてくれる。
いきなりだったから体勢を崩した〜なんて、言い訳だな。どんな状況でも受け止めて返してみせるのが達人ってやつだ。
やっぱり俺は、まだまだその域じゃない。
「随分と簡単に手放すのね。これが実戦だったら首が飛ぶわよ?」
「“当てること”を目的とした型だから、余計な力が入ってないんだ……って言ったらただの言い訳だよなぁ。当てることを目的にした脱力なのに、当てる前に弾き飛ばされてちゃ世話ない」
受け止める時にも脱力して余計な力は分散させろ〜なんて、何処の達人だ俺は。
……と、そこまで考えて、じゃあそれをやってみせる宅のお爺様は何処の達人なんでしょうねと溜め息を吐く。
この世界でも俺の世界でも、周りは達人だらけだなぁちくしょう。
「引き分けたことだし、今日はこのくらいにしようか」
「……そう、ね。思春以外と剣を交えるなんて、思いの外戸惑ったけど……いい刺激にはなったわ」
「刺激……そういえば、平和になっても鍛錬は続けてるんだな」
「? ……当然でしょう? いくら平和になったからといって、戦が確実に起こらない保証なんてないわ。私達が良かれと思ってやってきたことが民の反感を買って、暴動が起こらないとも限らないし……そういった民が野党化しないとも限らないでしょう?」
「そっか」
それはそうだ。
どれだけ信じていても、相手が不満に思わないと確信できるわけじゃない。不満が無い世界なんて、作れるわけがないんだから。
それでもそんな世界を好きになってくれたら、わざわざそういった世界を壊したがる人なんてのは出て来ないと思うんだ。
俺たちは民の声に耳を傾け、手を伸ばす努力をしている。伸ばした手が届くよう、積極的に交流を持って。
そういった物事に素直に感謝してくれる人が大半だが、よく思わない人だって当然居るんだ。
人間の全てが同じ考えであったなら、こんなこともないんだろうけど、そこは個性ってやつだ。文句を言っても仕方ない。
「ふぅっ……それで、一刀? 貴方はこれからどうするの?」
「シャオがデートしろって……あ、デートっていうのは仲のいい男と女が買い物したり食事したり……───ごめん、いまいちデートってモノを説明できない」
買い物したり食事することをデートって呼ぶのかどうなのか、いまいち解らん。
ようは当人次第なんだろうが、少なくとも俺はデートとは思ってない。
デートしたい相手を思い浮かべてみても、どれだけ考えても魏のみんなしか浮かんでこないのだから仕方ない。
……って、あれ? な、なにやら蓮華の目がとても鋭くキツイものになったのですが……?
「……一刀。貴方はそんなことをする男とは思っていないけど、もし小蓮に手を出したら───」
「出さないからっ!! 俺は魏のみんな以外とそういった関係になるつもりはないし、もし心変わりしたとしても華琳が許さないからっ!」
思わず手が股間を守りそうになるのを止めた。
思い返すのはいつかの戦慄……欲望よりも相棒の無事を願うが故に、俺はたとえどれほどの魅力的な人に出会っても、手を出さないと沈む夕陽……には、誓ってなかったな、うん。
それ以前に華琳や魏のみんなを裏切るみたいな行為はしたくない。いくら俺でもそれくらいの節操は…………ある、って断言出来ないのは、実際に“誰か一人”じゃなく“魏のみんな”に手を出したからだろうなぁ。
「と、とにかく。明命のことがあったとはいえ、俺は呉のみんなに手を出したりしないよ。華琳の許可が下りてるからって、そういった部分に踏み込むつもりもない。……そもそもあの華琳が、こういったことを許可するっていうのが油断ならないんだ。手を出したら出したで、あとできっと恐ろしいお仕置きが……!」
「……一刀?」
「はうっ!? ……あ、いや……な、なんでもない」
よし、冷静になろう。
薄くかいた汗をタオルで拭って、大きく大きく深呼吸。
それが済むと、焦っていた頭も落ち着きを取り戻し……ようやく、安堵の溜め息を吐けた。
じいちゃんがこの場にいたら怒るだろうな……“心が乱れすぎだ、馬鹿者め”とか。
元の世界に居た時は、こんなでもなかったはずなんだけど。……結構浮かれてるのかもな、俺。
「ん。それじゃあ行ってくる。っと、そうだ蓮華。今回だけじゃなくてさ、よかったらまた一緒に鍛錬しないか? 時間が合った時だけでもいいからさ」
「それは構わないけど……ええ、そうね。それなら私も、引き離されずに競えそう」
「俺は三日に一度だけ鍛錬してるから、その時になったら出来るだけ声をかけるよ。……その時は大体、祭さんか明命か思春が一緒に居るとは思うけど」
考えてみれば、呉の猛将たちに武を教わってる……それってすごいことなんだよな。
けどまだまだ。教えてもらえるうちは教わって、どんどん高みへ上っていこう。いつか強くなれたとしても、その頃には“武を以って守る世界”じゃなくなってるかもしれないけど、それならそれで笑顔でいられていると思うから。
「それじゃあ、また」
いろいろと考えながらも蓮華と別れ、歩いていく。
(……シャオのところに行く前に、汗流したほうがいいよな。今はいいけど、汗が乾いてきたら“臭い”とか言いかねない)
ふう、と息を吐き、摸擬刀を片付けてから城を出て森を抜け、小川へ。
さらさらと静かに流れる川の水でまずは顔を洗って、すっきりしたあとにタオルを浸して首に巻く。
ひんやりとした感触に少しだけ体を硬直させてから、着ていた胴着を脱いで汗を拭っていく。
「………」
以前この世界に居た頃と比べて……筋肉、随分とついたなぁ。
いつか恐れたようにゴリモリではないものの、細くしっかりとした筋肉が密集したような、異常な盛り上がりのない筋肉。
余分な脂肪はなく、けれどガリガリってわけでもない。
ついポージングなんかを取りたくなるが、そこはやめておく。
「結構動いたけど、汗は出ても呼吸は乱れてないし……うん」
スタミナも大分ついてきた。
氣と技術面はまだまだだが、なんだか嬉しいらしく、頬が緩んでいくのを感じた。
氣のほうもなんとか底上げしていかないといけないんだが……あの死ぬほどの痛みをまだまだ味わわなきゃいけないとなると、さすがに躊躇する。
強くなるって決めたなら、痛みも我慢しないといけないわけだが、人間ってやつはどうしても痛みには慣れないわけで。
「………」
あの日から軽く……そう、ほんのちょっとずつの氣の拡張は行っている。
以前のが無理矢理すぎたこともあって、やっているのはミリ単位(推定)の拡張。
マトリョーシカの中に一回り小さなマトリョーシカを入れるための空洞を作る───そんな程度の、ほんの少しの拡張だ。
それでも結構痛いんだから、無茶はしないようにとジリジリとやっている。
このことを知るのは祭さんと……あとは同室で寝泊りしている思春くらいだ。
氣は使えば使うほど上達するとのことなので、寝る前に思春にいろいろと教えてもらっていたりするんだが、そういった行動のお陰で煩悩を押さえ込めていたりする。
氣のことに意識を集中させていれば、余計なこと考えずに済むからなぁ……。
情けないと言うのなら、毎日毎晩、綺麗な女性と同じ寝床をともにしてみるといい。いやまあそもそも、寝ていても緊張を捨て去ってないから手を出せば首が飛びそうではあるのだが、それでも意識するなってのは無茶がある。
死んだように眠るって表現があるけど、思春のは本当に寝息も小さいし気配的なものが少ないし、そのくせ意識を過度に向けると殺気がジワァと溢れて……!
……結論。手を出したかったら死ぬ覚悟を持て。そんな状況なら嫌でも煩悩を抑えるしかないだろ……?
(頼むぞ相棒……溜まりすぎて夢せ……あ、いや……粗相なんてしないようにな……?)
もっぱらの心配ごとはそういうことだったりする。だって男の子だもん。
そもそもこんなにも女性だらけなのがいけないのだ。そりゃあ、親しくなれて嬉しくないわけじゃないんだが───うう、誰かこんな悩みを話せる男友達が欲しい。
(今度、周々や善々に話し掛けてみるかな……)
会話できるわけもないんだが、愚痴だけでも聞いてくれたら満足です。
いやほんと……男友達が欲しい。こういったことを話せる男友達が……。
(……今日の締めくくりに、水兵の皆様のところにでも行くかなぁ……)
沈されそうになってからここ一ヶ月、散々と弁解というか説得をしたり、男なら拳で勝負だと殴り合いをしたりと、いろいろあった。もちろんその際には、また国の問題にならないようにと雪蓮の立会いのもとでの殴り合いだったが、そうした経緯もあって、そう仲が悪い状態ではなくなっている。
むしろ最近じゃあ「てめぇも苦労してるんだな……」と哀れみを込めた目で肩を叩かれるような仲。
原因は呉のみんなに振り回され続ける俺を見かけたから、だそうだが。
人の噂なんて何処から広まるか解ったものではなく、建業を始めとする様々な町で、日々民との付き合いや将との付き合いから鍛錬、様々な物事をこなしている俺は、周りから見れば黙して荷馬車を引く馬の如し。
そんな噂に尾ひれがついて、さらに羽ヒレがついて胸ビレ、背ビレがついて、果てにはエラ呼吸な有様な噂が呉中に広まり、今の俺は天の御遣いというよりは雑用の達人って感じである。
ちなみに言うと羽ヒレっていうのは実際の言葉としては存在しないらしく、造語だという話を及川あたりに聞いた。実際どうなのかは解らないが。
「ふぅ」
汗を拭いきって一息。
これで結構心がまいっているのか、思っていることが纏まらない。
周々や善々に話し掛けてみるのか、水兵の皆様に会いに行くのか、どっちなんだ。
「いやいや……今は早くシャオのところに……」
あの気まぐれお嬢様は、人のことは散々と待たせたりするのに、自分がそうされることを極度に嫌うからなぁ。
ただでさえ後回しにしたことで頬を膨らませていた彼女だ、今日はいったいどんなことに付き合わされるのか……。
32/デート:異性に会うこと。らしい。日々はデートでいっぱいだ。
ざわざわざわざわ……
「おい……また一刀が連れられてるぞ……」
「あいつも大変だなぁ……」
建業の町は今日も賑やかです。
……さて、シャオに連れられて道を歩くこと数分。早くも町のみんなに同情の目を向けられている事実に、俺はどうするべきなんでしょうか。
「そういえばさっきもなんだか走り回ってたな……」
「おお、俺も見たぜ俺も。必死に走り回ってた。あれか? 料理屋のおやっさんがまたなにか頼んだのか? 大変だよなぁほんと」
「なに言ってんだい、あの子が一度でもそういうこと、嫌って言ったかい? むしろ喜んでやってるじゃないか。大した子だよ、まったく」
「………」
噂が一人歩きしているようでむず痒い。
たしかに嫌がることはしないけど、あまり大した子だとか言われると困る。
というかあのー、小蓮さん? なぜ貴女が得意そうに「ふふーん」なんて上機嫌なのですか? しかも組んでいる(しがみついているとも言う)腕をさらにぎゅっと掴んで……あ、柔らか───じゃなくて!!
「あのさ、シャオ。今回は亞莎が引いてくれたけど、命令で予定を崩すのは今回限りにしてくれよ?」
「ぶー……今はシャオと一緒なんだから、他の女の名前なんて出しちゃだめ。解った?」
「今言わないでいつ言えと」
普段からやたらと二人きりになりたがるシャオが相手じゃあ、こういう時にしか言えないっていうのに。
「それよりぃ……えへっ♪ ね〜一刀〜? 今日はどこに行こっかぁ♪」
人の話なんて話半分にしか聞かないのは、孫家家訓にでも刻まれているのでしょうか。
ああ、さっきまで話してた蓮華が物凄く輝いて思い返される。
「何処でもいいって言ったら怒って、シャオが行きたいところって言ったら怒って、じゃあ適当にって選んだら怒る……と。さあシャオ、俺にどうしてほしい」
「んふん? 一刀がシャオのことをよ〜く見ててくれてるのは解ったから、ちゃ〜んと一刀が先導してくれなきゃやだよ?」
「………」
よ〜するに今回もまた、ちゃんと考えてエスコートしろと……そう言いたいわけね?
はぁ、デートなんて言葉、教えるんじゃなかった。遊びに行ってくるとかならまだ、蓮華に睨まれたりとかしないで済んだだろうに。
「……シャオ? ひとつ訊いておきたいんだけど。自分の勉強とかほったらかしにして出てきたとか……そんなこと、もうないよな?」
「………《ブンッ》」
「シャオさん!? どうして物凄い速度でそっぽ向くの!? しかも無言!? それならまだいつもの軽口で流してくれたほうが安心できるんだけど!?」
……え? これってもしかしなくても“俺が”シャオを連れ出したってことになるの?
もしくはシャオが怒られる前に、“俺が連れ出したことにして”って命令されたら俺もそうだと言うしかなくなるとか……!?
か、かか華琳さん? なんだかいろいろとシャレにならなくなってきましたよ? この命令システムは、たしかに命を奪われたりはしないんだろうけどとても危険です。主に立場的なものが。
……それでも親父たちの罪を被ったならば、頷くのが男魂。
じいちゃん……俺、いろいろな意味で強くならなきゃいけないみたいだ……。
───……。
人との付き合い、主に子供との遊びはとても疲れるという事実を知っているだろうか。
「ほ〜らぁ、一刀〜? こっちだってば早く〜!」
ある時は腕を引かれ、ある時は背中を押され、ある時は遠くから呼ばれ、ある時は居なくなった相手を探して。
「も〜、勝手にどっか行っちゃって、一刀ってば子供みたいだよね。これは将来、シャオがしっかり支えてあげないとね〜♪」
だが知りなさい。それら全てを許容し受け止める者こそが男。
デートだと言われたならば、その期間中は歯を噛み砕く覚悟で全てを受け止める。
それが、デートにおける男の生き様というものなのだ。
「一刀、あれ買って〜? ……え? お金ないの? ぶー、一刀の甲斐性なしー」
そう、たとえ他国で文無し人生を送ってるっていうのに、ブツの購入をねだられ勝手に落胆されようが、我慢することこそ男の務め。
男って……損な生き物だね。泣けてくる。
「じゃ、次はこっちだよー」
ああそうだとも。たとえデート中は文句言うの禁止、と命令されたって、我慢してついていくのが男ってものさ。
擦れ違う親父や父さんや父ちゃん、おふくろや母さんや母ちゃんに「頑張れよ」とやさしく肩を叩かれても、泣かないのが男の子さ!
……でも、時々そんなやさしさが胸に突き刺さります。
「……? 一刀? なんで泣いてるの?」
「人生という素晴らしい壁に負けそうだったから」
「?」
それでも立ち上がり、前を向ける男が漢になれる。
俺はそれを、じいちゃんの背中に学んだ。
だから泣き言を口にするよりも、むしろこの状況を楽しむべきだと心に喝を。
「よしっ、これからは俺がエスコートするよ。金が無くても楽しめることはたくさんある……それを今からシャオに教えてやるっ」
「んふー……♪ それってシャオを満足させてくれるってことー?」
「満足っていうのは約束できないけど、退屈はさせないと思うよ」
……人は弱い生き物ですね。きっぱり断言してやれないのは、俺がまだまだシャオって女の子を理解しきれてないからなのかもしれない。
理解しきれていたなら、何処へ連れていけば喜ぶのか、なにをしてやれば喜ぶのかも解っててやれただろうに。
そういったことも解らない事実が、自分はこの一ヶ月、民とのことばかりで将とは深く交流を持ってなかったのかもなぁと考えさせた。
そんな理由もあって、俺はこの日、シャオを連れてあちらこちらへと時間が許す限りに走り回った。
ネタ曝し
*音速を越えた拳は、鞭を真似た拳に劣る。
範馬刃牙より。音速拳と鞭打のお話。
ソニックウェーブよりも鞭か……。
*1点。●
くじびきアンバランスサブタイトルより。
この点数表示が何気に好きでした。
*とある格闘漫画
グラップルァ〜〜……刃牙ッッ!!
音速拳が大好きです。それよりも花山さんが大好きです。
*おひれはひれむなびれせびれ
造語。誇張して伝えるなら尾ひれだけで十分です。
“エラ呼吸”の語呂が好きです。
男って損な生物……そんなお話。
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