69/ジリジリと、六日間
───翌日の朝。
「おぉおおおおおおおおおお!!!」
「にゃーーーーーーーーーっ!!!」
今日も今日とて鍛錬。
対面するのは鈴々で、蛇矛相手に上手く立ち回───無理ぃいいい!!
(いやいやいやいや無理って言って簡単に諦めるのはだめだ! 相変わらず竜巻みたいな猛攻だけど、よく見ればクセとかが───あれば苦労しないってぇええええっ!!!!)
前略おじいさま。
昔の戦人というのは素晴らしいですね。
現代人は格闘の術や技術を得ましたが、それも先人あってのもの。
でも俺、現代技術よりも目の前の技術(?)のほうが恐ろしいです。
「せぇえええいぃっ!!」
「《ガカァンッ!》にゃっ! 軽いのだっ! てやぁーーーーっ!!」
「《ブオフォゥンッ!!》うわぁあっと!?」
振るわれる蛇矛の一撃をギリギリで避ける……いや、避けることができた。
ギリギリでとかじゃなく、なんとか避けられただけです、はい。
いつくらってしまうかを考えると、胃の下あたりがしくしくとしてくるので、出来るだけ考えないようにしながらぶつかる。
(ああもう、思いっきり振り切ってるはずなのに、この戻しの速さ……!)
隙が無くて困る。
反動とかそういうものを完全に無視してる。
なのに、華雄さん相手にやった疲れさせる行動も大して意味を発揮してくれず、むしろ鈴々から踏み込みまくってくるためにこちらのほうが疲れてしまう。
結局は真正面からのぶつかり合いになるわけだ。
(右腕の調子も万全! 体調もすこぶるいい! それでも歯が立たないのはどうしようもないことなんでしょうか!?)
そう思いながらもまいったを唱えず、持てる経験全てを振り絞ってぶつかっている。
疲れない人なんて居ない。
居ないはずなのに、目の前の小さな猛将は息切れさえしていないとくる。
(“戦場”を実際に駆け抜けた人は、やっぱりすごいな……!)
そんな人とこうしてぶつかり合うことが出来る今に感謝しよう。
天に居たままじゃあ絶対に体験できなかったことだ。
「はっ! ふっ! せいっ! たぁっ! ふっ! だぁああーーーーっ!!」
息切れをしないうちに攻めてゆく。
もう結構な時間が経っている───と思う。
目の前の鈴々に集中している所為で、正確な時間経過なんてもう気にしていられない。
解ることがあるとすれば、そろそろ自分の呼吸は乱れますってことくらいだ。
「うりゃりゃりゃりゃりゃーーーーっ!!!」
しかし連撃の甲斐もなく、連ねるそれらは重い数撃によってあっさりと崩される。
まあ、つまりその……返された強撃で手が痺れたといいますか。
「にゃーーーーっ!!」
「だわぁあーーーーーーっ!!?」
そこへ振るわれる追撃。
後ろへ飛んでも逃げられないように大きく横一文字に振るわれるそれを、ならばと真上に跳躍することで避ける。
鈴々の背が多少なりに低いことが救いになった……けど、着地に合わせて戻ってくる蛇矛をどうしたらいいんでしょうか。
「っ───突っ切る!」
「にゃっ!?」
後ろが駄目なら前だ!
痺れた手に木刀を持ったまま、着地と同時に地面を蹴り弾いての疾駆!
間合いを詰めるや、魏延さんの時のように腕だけで吹き飛ばされないようにと、まずは鈴々の腕を封じ───…………くすぐった。
「うにゃーーーはははははは!? やめるのだぁあーーーーーーーっ!!!」
今度のはもう、力を振るうのが嫌だからとかそんな理由じゃない。
勝てるイメージが出来ない自分の、せめてもの強がりです。
───……。
さて……鈴々にもくすぐり返されるっていう、思わぬ反撃を受けてしばらく。
中庭で笑い疲れて倒れていた俺と鈴々は、綺麗な蒼天を見上げながら呼吸を整えていた。
「お兄ちゃんはいっつもくすぐるのだ」
「い、いや、これはな? あ、あー……いや、なんでもない」
“戦場でだって組み伏せられたら終わりなんだぞー”……みたいなことを言おうとしたんだけど、俺が言っても仕方の無いことに思えたからやめた。
前線で戦ってきた人に軽々しく言うようなことじゃないよな。
「けど、やっぱり鈴々は強いな」
「もちろんなのだっ」
視線を動かしてみれば、寝転がりながら胸を張る鈴々。
八重歯を見せながら、空に向けて“どんなもんだい”って風情で言ってみせた。
そんな姿が微笑ましくて、気づけば笑っている自分が居た。
「よしっ、じゃあ……」
笑いながら起き上がり、今の鈴々の動きを忘れてしまわないうちにイメージする。
そうしてから頭の中の鈴々と戦ってみるんだが、やっぱり勝てない。
……うん、勝てないくらいがいい。もっと頑張らなきゃって気に……なる前に、心が叩き折られそうだ。
そこはまあ教わる立場として、戦いは簡単じゃないって教訓として受け取ろう。
「………」
さらに集中。
相手のイメージを鈴々から雪蓮に変えて、深く深く呼吸をして───想像の相手との戦いを始める。
呉を発った日から今日まで、彼女のイメージに勝てたことなんて一度としてない。
それほど自分にとっての彼女の印象が強すぎたのか、はたまた自分が弱いだけなのか。
自分が勝つ都合のいいイメージすら未だに想像することすら出来ず、今日もまた挑戦。
イメージっていうのは案外残酷なもので、それが恐怖として植え込まれていると、自分が上達したって思っても……そんな自分でも勝てないって逆に思い込んでしまい、どうあっても乗り越えられない。
それは、子供の頃に見た怖い話のイメージに似ている。
子供心に怖いと感じたものは、のちに出るどれだけ怖いものを見た時よりも鮮明で、昔の怖い話のほうが怖かったと思い込んでしまう。
これがまた、実際に見てみるとそうでもなかったりするんだが……雪蓮に関しては、そうでもないなんて思えそうにない。
(腕を折られたから余計だろうな、このイメージの強さは)
苦笑を漏らしながらも、目の前のイメージに向けて木刀を振るう。
攻撃は悉く避けられ、なのにこちらは追い詰められるばかり。
次にこの攻撃が来るはずだと都合のいいイメージを湧かせてみても、その都合のいいイメージごと叩き伏せられる。
それでも次こそはと何度も何度も立ち向かい、その度に打ちのめされて───
「《どしゃっ》だぁああっ…………勝てねぇえっ…………!!」
ぐったりと、その場に尻餅をついた。
心から自然と漏れた口調そのままに、勝てねぇと。
そんな背中に鈴々が背中を預けて、ぐったりと体重をかけてくる。
もしかして何気に疲れてた? …………あ、違いますか。ただ寄りかかりたかっただけですか。そうだよなぁ。
(しっかし……自分のイメージにすら勝てないなんて、どうなってるんだか)
信じられないよなー……みんなはこんな覇気満点の小覇王さんと、それこそ戦場で渡り合ってたっていうんだから。
(……違うか)
みんな、同じとまではいかないまでも、これだけの覇気は出せたってことだ。
それか、それに屈しない精神をきちんと持っていた。
俺は……まだそこまでには至れてないんだろう。
実際、我を失ったように攻撃を連ねる雪蓮に恐怖した。
寒気を感じて、恐怖に足を震わせ、振るわれる攻撃をなんとか捌きながら、なんとか落ち着いてくれるよう願った。
そんな存在のイメージが相手だ、勝てと言われてハイと勝てるわけもない。
「………」
ただ……うん。無駄に胆力は上がったような気がしないでもない。
自分にとっての恐怖の対象(イメージ)に立ち向かうには勇気が要る。
それを振り絞っての鍛錬だ。
腕はともかく、胆力だけは上がっていると………………思いたい。
べつに年がら年中ヒィヒィ言ってるなんてこと、きっとないよ、うん。
…………無意識じゃあなければ、きっと。
「よし、と。次は───黄忠さ〜〜ん、お願いしま〜〜す!」
体を暖めるためでもなく、近接鍛錬を終えたところで黄忠さんへと手を振る。もちろん立ち上がってからだ。拍子にこてりと鈴々が倒れたけど、それをひょいと立たせてから改めて手を振る。
そんな俺を見て、東屋で優雅にお茶を飲んでいた黄忠さんはにこりと笑うと、まるで子供に急かされる親のような“はいはい”って風情でこちらへと…………や、そんな“しょうがない子ね”って感じで来られると少し罪悪感が……。
あ、いや、厳顔さん? 貴女もそんなにこにこ笑顔で来なくても……っていうかこの組み合わせは翠と魏延さんとの一件を思い出すから、出来れば厳顔さんはそのままお茶を……なんて言えるはずないよなぁ。
「……? どうかしたの?」
「あ、いえ、なんでも……」
落ち着いた笑顔でゆったりと訊いてくる黄忠さんに、苦笑混じりに返す。
というか口調がなんだかお母さんです黄忠さん。
むしろ辿り着くなり頭を撫でるのやめて……って言えない自分は、きっと自分でもいろんな人の頭を撫でてるからなんだと思う。
ともかく、これから弓の練習だ。ようやく時間がとれたこともあり、黄忠さんも教える気満々で颶鵬を手にしている。
お手柔らかに〜……なんて言葉は右から左へなんでしょうね。頑張ります。
───……。
キリリ……ヒュドッ!!
「ホッ……!?」
黄忠さんの指から離れた矢が、一瞬にして的に突き刺さった。
思わずヘンな声が漏れるほどに“的中”だった。
秋蘭の弓術も見事だけど、黄忠さんのも見事……“矢が的に吸い込まれるような”って表現がよく似合う。
「………」
では、と促されたので自分も構えてみる。
黄忠さんの構えはじっくり見た。
それを再現するつもりで番い、引き───放つ!
キリリ……ヒャゴッ!!
「あ」
放たれた矢は、真っ直ぐどころか地面目掛けて飛んだ。
スピードは速かった……のだが、地面に刺さるだけに終わった。
あーあーあー……厳顔さんが豪快に笑ってらっしゃるよもぅ……! こんなはずじゃあなかったのに……!
「力みすぎないで、もっと力を抜いてみてください」
「いや、えっと……力んでるつもりはないんだけど……ん、んんっ……やってみます」
両腕をプラプラさせて、脱力のイメージ。
最低限、弓を構え弦を引くだけの力だけを引き出して、あとは全て脱力。
当てる、って“集中力”からも力を抜いて、“当てる”のではなく“届かせる”だけに意識を向かわせる。
贅沢は言わない。ただ届かせるだけでいい。
そんな気持ちのままに、引いた弦を───手放した。
「………」
矢が風を裂き、やがて───…………厳顔さんの笑い声が増した。
「俺って……弓の才能ないのかなぁあ……」
さすがにちょっとヘコんだ。
いけると思った時こそ失敗する男でごめんなさい……わざとじゃないんです。
そしてやっぱり頭を撫でられる。暖かい手が俺の頭にあります。
情けないと思う反面、その暖かさが表現通りに心に暖かい。
上手くなろう。じゃないと教えてくれる黄忠さんに悪い。
祭さんとの約束もあるし、こうして教えてくれる人が居るんだから、もっときちんと。
そうだよ。才能がどうとかより、やろうとするか否かだ。
桃香に似たようなことを言った俺がこんなのでどうするんだ。
「よしっ! 頑張るぞーーーっ!」
「おーーーっ! なのだーーーっ!」
右手を振り上げての掛け声に、鈴々が付き合ってくれた。
そんな鈴々とともに、あーでもないこーでもないと弓の引き方を学び、失敗する度に黄忠さんに撫でられた。
……誓って言うが、撫でられたいから外してるなんてことは絶対にない。
どうにも飛び道具……氣でも弓でも、飛ばすのが苦手なんじゃあ……と自分でも思えてしまうくらい、放出は苦手っぽかった。
それでも続ける。
黄忠さんに“今日はここまで”と言われるまでそれは続いて、朝っぱらから続けていた鍛錬は幕を下ろす。
気づけば昼の雰囲気を纏った景色に、もうそんな時間かと驚くと同時に鳴る腹の虫。
「あらあら」と可笑しそうに俺の頭を撫でる黄忠さんに、恥ずかしさを隠すこともなく項垂れた。
「んぐむぐはむはぐんぐっ……! はぐんがむぐんぐっ……!!」
「食べ終わったのだ!」
「んぐんぐっ……ぷっは! ごちそうさまっ、今日も美味しかったです! よぅし鈴々、鍛錬の続きだぁっ!!」
「おーなのだー!」
で、厨房で昼食を食い終われば軽い運動がてらに鍛錬。
体を動かして、三日間休ませる方法は変わっていない。
それを鈴々と思春に付き合ってもらい、近接鍛錬と遠距離鍛錬、城壁の上を走ったり、氣の鍛錬をしたりをずっとずっと続けている。
筋肉痛は三日毎の恒例みたいなものだ、もう慣れ…………ないね。痛いです。
「激しく動くから脇腹が痛くなるなら、氣の鍛錬をすればいいんだよな」
「お兄ちゃんお兄ちゃん、またその“ぼくとー”から光を出してほしいのだー!」
「え゙っ……やっ……あ、あれやると動けなくなるからさ……か、勘弁してください」
「むー、つまんないのだー……」
「もっと上手くなったらまた見せるよ。こればっかりは独学だと時間がかかりすぎる」
中庭の大きな木の下で、そんな会話をしながら氣の練習。
もう大分扱いにも慣れてきた。
ただし放出系は相変わらずだ。気をつけて放ったところで、氣を全部使い果たしてしまうのだ。これをなんとかしたいんだけど、どうにも上手くいってくれない。
鍛錬終了時には試してみてはいるものの、失敗続きで逆に自信を……無くしても懲りずにやってる俺が居るわけなんだけど。
「そういえば桃香は今日……」
「仕事がいっぱいで来れないみたいなのだ」
「……だよなぁ」
七乃に手伝ってもらっているらしいけど、学校が出来る前と後じゃあ仕事の量も桁違い。
それでもキッと机に向かう桃香は、以前とは違った雰囲気を持っていた。
はい、気になったんで少しだけ覗きに行きました。魏延さんに見つかったらあらぬ誤解を受けるところだったよ。
「ところで御遣い殿よ。お主先日、民の困り事を解決してまわったらしいな」
「? ああ、厳顔さん」
俺と鈴々と思春以外には誰も居ないと思っていた中庭に届く声。
見れば、通路側からゆったりと歩いてくる厳顔さん。
昼食時に一度解散したから、もう来ないかと思ってたのに。
「って、また昼間っから酒を……」
「仕事のない平時くらいはこれも無礼講というものだろうよ。堅苦しいことは無しとしてもらいたい。はっはっはっは」
「………」
厳顔さんと趙雲さんって似てるよなー……ただ酒かメンマかの違いだけで。
「氣の鍛錬か。中々に精が出る」
「もしかしてもう酔っ払ってますか? 少し口調が揺れてますよ」
「かっかっか、酒を飲んでおいて酔わずに済ますなど馬鹿者のすることぞ。美味く、酔えるからこそ酒はいいのだろうに」
「理屈は解るけど。また無理矢理飲ませたりとか、やめてくださいよ?」
「うん? それをしたのは紫苑であってわしではないぞ?」
「ケタケタ笑いながら、他を巻き込んでたでしょーが」
「はっはっは、なんのことやら解りませぬな」
「ああもう……」
からかうように敬語になったと思うや、手にしている酒徳利を逆さに酒を飲む。
ほんとに水代わりだよな……あんなに飲んで気持ち悪くならないのか?
「って、もしかしてあの日のこと、きっちり覚えてる?」
「うむ。酒に溺れようとも、記憶を吐き出してしまうほど弱くもない。真名は既に許したのだから、遠慮なぞせず桔梗と呼んでみるがよいわ」
「………」
「ん? ほれ、どうした?」
あの。それって現在進行形で酔っ払ってるから覚えてるとか、そんなことないですよね?
むしろその笑顔がとっても気になるのですが?
「じゃあ……桔梗さん」
「応」
呼んでみればなんということもなく、ニカッと返事をされただけで終わった。
かと思えば、鈴々と向き合って氣の鍛錬をしていた俺を、自分の方へと胡坐ごと向き直させると、その胡坐へと自分の頭を乗せてまったりと───ってちょっ!? えぇっ!?
「げ、げげげ厳顔さっ……じゃなかった、桔梗さん!?」
「桔梗で構わん。堅苦しいのは性に合わん」
「やっ……そういうことじゃなくて……」
なんで膝枕? そう訊きたいんだが、何を訊ねるでもなく桔梗はリラックスタイムへと移行してしまった。
…………もしかして、以前膝枕したのが気に入った……とか?
いや……いいんだけどさ。
せっかくだからと、今まで氣を込めていた手で桔梗の頭を撫でる。
酒気が抜けるかどうかは別として、もっとリラックス出来るようにと。
酔っ払いの相手は大変だ。
大変だけど、べつにそれが嫌ってわけじゃないのなら、自分だってこうしてゆっくりと息を吐ける。
祭さんの時からそうだったけど、絡んでさえこなければ無害なんだよ……本当に。
(こうして見下ろす顔も、思っていたより落ち着いてるし)
豪快とかケタケタ笑ってる印象ばかりがあるためか、こうして力を抜いた状態の桔梗は珍しく思える。
そういえば以前膝枕した時は、どうも硬くなっていたためか……うん、こんな落ち着いた表情は見れなかった。
そう考えると、少しだけ得をしたような気分にもなり、いつしか苦笑をもらす自分。
(………)
ふと、考えないようにしていたことを考えてしまった。
恩返しをしたいのは、なにもじいちゃんだけじゃなく……親にだって返したいものがたくさんある。
自分は母さんにこんなふうに、リラックスさせてあげたことがあっただろうか。
父さんに、立派になったなんて思わせることが出来ただろうか。
そんな、ここで考えても絶対に届きやしないことを、静かに考えた。考えてしまった。
(………でも……)
どうしてかな。
桃香と話すことで自分にも覚悟が湧いたのかどうなのか。
親に返していないものがあるのなら、今ここで自分を磨いて……戻った時にこそきちんと返そうって、そう思えた。
それがいつになるのかなんてことは、一生かかったって解りそうもないけど。
でも……そうさ。生きていればまたいつか会える。
そう信じていなきゃ、それこそ親不孝だろ?
自分は過去に飛んで、その場で骨をうずめるつもりだからさようならなんて、笑えない。
笑えないから……いつか必ず返すことを、今この場で……何度だって誓おう。
果たせないから誓わないんじゃなく、果たしてみせると心に決めたからこそ。
「………」
「……これは随分と氣が穏やかになったものだのぅ」
「っと、ごめん。気が散っちゃいました?」
「気にするほどのことでもない。それよりも堅苦しいのは好かんというのに……敬語もよしてもらおう、普通に話してくれて構わん」
「……そっか。うん、了解」
なんか祭さんみたいだー……なんて思いながら、ゆったりとした時間を過ごす。
足を桔梗に、背中には鈴々が再び寄りかかり、動けない状態に。
あの……なんですかこの状況。
「じゃあええと、話を戻すけど……気が散っちゃったか?」
「いや。氣が揺れていたから注意しようとしたのだがなぁ、己で解決したのか嫌なことを思い出していただけなのか、すっかり心地の良い氣に変わってくれた。はっはっは、出来れば揺れることなくこのままで居てほしいものだが」
「……そんなにひどかった?」
「応さ。まるで荒野に投げ出された孺子のようだったわ」
なるほど、それはひどそうだ。
初めてこの世界に落ちた時も、華琳に拾われるまではそんな顔をしていたに違いない。
「自分じゃあ解らないもんだなぁ……」
言いながら、息を吐いてみる。
自分の中にある重い空気を吐き出すように。
そうしてから、鈴々に寄りかかられながらも空を見上げた。
……綺麗な蒼が変わらずそこにあった。
「桔梗は空の蒼は好きか? ……っていうかさ、呉でも祭さんをさん付けて呼んでたから、物凄く違和感を感じるんだけど……戻しちゃだめ? 出来れば敬語で……」
「断らせてもらおう」
「うぅ……」
堅苦しいのがそんなに嫌いですか。
目上の人に対してそんなふうに振舞うの、じいちゃんの影響もあって苦手なのだ……。
親父の時は相手が相手だったからいろいろ砕けることも出来たけどさ。
「じゃあそのままでいくけど……桔梗は空の蒼は好きか?」
「ふむ……その時の気分にもよるが、曇天よりはましというもの。好きでもなければ嫌いでもない……と言いたいところではあるが、雨の日よりも晴れの日のほうが酒は美味い」
「や、酒の話じゃなくて」
頭を撫でながら見下ろし、そんな会話を楽しむ。
されたツッコミも笑みに変えて、かっかっかと笑う桔梗は目を開け、空の蒼を見つめた。
仰ぐまでもなく目にするそれを、どんな気分で見上げているのだろうか……そう思いながら、俺も再び空を仰ぐ。
昼の空が、そこにあった。
「…………たまに……空を見るとさ」
「うん……? うむ……」
「あっちのこと、思い出すんだ」
「………………そうか」
眺める景色が違っていても、見上げる空はきっと変わらない。
蒼はそこにあり、朱がそこにあり、黒がそこにあって……白む空もそこにある。
だから、この空だけは天に続いているんじゃないか、なんてことを思う。
電線だらけで見れたものじゃあなかったけど、電線を越えてしまえばあるのは空だけ。
同じだからこそ、あの日教室から空を見上げたんじゃないかって、今でも思う。
「寂しいか? 御遣い殿よ」
「……そうだなぁ、きっと寂しい。今はやりたいことがいっぱいあるから誤魔化せてるんだろうけど、ふぅって……息を吐いたらいろいろ零れ落ちそうで怖い」
「それはここでは埋められん寂しさか?」
「………」
見上げる視線と見下ろす視線が交じる。
俺はその質問にどう答えるべきかを探ろうとして……すぐにやめた。
「覚悟はもう出来てる。この地に骨を埋めることになっても、家族を泣かすことになっても、せめて自分は出来るだけ悔いの残らない生を歩く。絶対に悔いを残さない生き方なんて、今の時点で絶対に無理だって解ってるからさ。親不孝どころか家族不幸だけど……今は自分に出来る精一杯をやっていこうって思ってる」
「…………応」
桔梗は俺の答えに、笑みと頷きをもって返してくれた。
“応”以外の言葉もなく、そのまま吹く風に身を委ねるように目を閉じると……一言だけ。
「……悔いが残る。お主が蜀に降りていたのなら、また違った“今”を見ることが出来ただろうに……」
そう呟いて、やがて……少しもしないうちに寝息が聞こえる。
「…………」
目を見て話すために下ろしていた視線を、もう一度空へ。
どうもだめだな、なんて考えながらも……自分は元気にやっていますと空に届けた。
「さて、そろそろ鍛錬を再開……───どうしよう」
考えてみれば桔梗が膝枕で寝たままだ。
起こして鍛錬……って状況でもないような、あるような。
いや、せっかくの三日ごとの鍛錬だ、ここで妥協するのはなんだかもったいない。
「よし鈴々、続きをしようっ!」
「ん、んぐ……わ……ふぁひゅ……わかった……のだーーー……」
……あの。もしかして寝てました?
背中預けて寝てました?
「………」
でも、確かにいい天気。
こんな暖かな日は眠りたくもなる……いやいやいや、だめだだめだめ、鍛錬鍛錬っ。
誘惑に負けちゃいけません、せっかくの時間なんだ、有意義に───
「んんっ……うにゃーーー……っ!!」
「《かくんっ》へっ?」
鈴々が伸びをした。
ただし、俺に体重をかけるように……むしろ俺の背中に自分の背中を乗っけるような感じでぐぅうっと。
寝てしまおうかなんて気を抜いてしまっていた俺にとって、それはとんだ不意打ちで。
かくんと前傾するままに───
「《むちゅっ》ふぐっ!?」
「……んん? むぐっ!?」
押されるままに、いつかの焼き増し。
ただし今回は相手が下で、俺が上だった。
しかもその途端にどごーんとなにかの落ちる音。
慌てて背中の鈴々を押しのけるように顔をあげると……視線の先に、金棒を落として呆然と立ち竦みつつも僕を見下ろす魏延さん。
それとはべつに、あらあらと頬に手を当てて微笑んでいる黄忠さん。
…………前略、華琳様。
ごめんなさい。北郷一刀は今度こそ死ぬかもしれません。
70/誤解。誤って解すること。一応“解っちゃってる”だけに性質が悪い。
で……これである。
「きぃいいいっさまぁあああああああっ!! 酒で桔梗様を酔わせ、前後不覚になったところを襲うなど!! やはり貴様はワタシが想像していた通りの……いいや! それ以上のクズだ!!」
「…………い、いやっ……わざとじゃっ……ていうか俺はむしろ、酒のことは注意しようと……!」
“怒り心頭に発する”って言葉がこうも似合う状況は、そうないと思う。
二日目から鬼を前にした気分を、現在進行形で味わっている。
鈴々に押されたからとはいえ、寝ている人にキスしてしまったのは事実であり、そんなことを理由に詰め寄られればまあ……こうなります。
問答無用で突き飛ばされてから縛り上げられ、大木に括り付けられた。
魏延さんは拳をわなわなと震わせ、いつ殴ってきてもおかしくない状態。
黄忠さんが止めてくれてるんだけど右から左へ、今は怒声を発しているだけだけど、いざとなったら一発二発は覚悟しないと……だめ、だよなぁ。
「焔耶ちゃんも見ていたでしょう? 鈴々ちゃんが伸びをした所為でああなってしまったのを」
「いいや! この男はそんな状況をこれは好機と狙ったに違いない! でなければ押されることに抵抗のひとつも出来たはずだ!」
「邪なことを考えての行動を、桔梗が察知できないと……焔耶ちゃんは本当に思っているの?」
「うっ……い、いや、それはしかし……っ! それは桔梗様が寝ていたからで!」
「たわけが、寝込みを襲われるほどの未熟とわしを驕るか」
「い、いえっ……けしてそういうわけではっ……」
「………」
そして罪悪感。
キスしてしまったのは確かだし、気をつけていれば背中を押された瞬間に抵抗も出来たはずなのだ。
それが出来なかったのは、まあその……いろいろと考えていたからで。
気を張っていなかった俺が悪いといえば悪いんだけど、ここで謝るのは違う気がした。
「……いい機会だ。焔耶よ、お主も一度腹を割り、御遣い殿と話してみよ。お主が思うほどの見境無しの最低男かを、誰の存在も割り込まさずに己が目だけで判断しろ」
「ワ……ワタシの目で……?」
「おうよ。わしのことも桃香様のことも頭に入れず、己の目だけでだ。思考や発言に他の者を混ぜず、真正面から御遣い殿を知ってみよ。お主はどうも、他の者の反応を過剰に受け取り影響されるきらいがある。それを抑えて話してみよと言っておる」
「………こんな男に、知るべき部分など《ごぢんっ!》んきゃうっ!?」
「それを探せと言っておるのだこのたわけっ!」
「う、うー……」
拳骨一閃、痛がる魏延さんをどっかと俺の前に座らせ、自分はその斜め横にどっかと座る。そんな桔梗と対面して黄忠さんが座り、妙な四角形座談会が開催された。ちなみに鈴々は黄忠さんの膝の上に座り、思春は俺の傍に立っている。
……ええはい、俺は縛られたままです。なんだか俺ってこんなんばっかだなー……とか遠い目をしつつ、視線を戻して魏延さんと向き合う。
「……桔梗様はどうかしている。こんな男の何を知れと……」
「聞こえておるぞ」
「聞こえるように言いましたから」
つまりそれほどまでに知る価値無しですか、俺。
「あらあら……でもね、焔耶ちゃん。貴女は理由があるからこの子のことが嫌いなんでしょう?」
この子!? ……あ、ああうん……いや、いいんですけどね……?
「当然です。ワタシはここまでだらしのない男を見たことがない。聞けば魏の将全員に手を出し、呉でも女たらしの限りを尽くし、ここ蜀においてはあろうことか桃香さまの甘える場所になっておきながら、見ていて痛々しいほどの無茶を鍛錬だと口にし仕掛けるばかりで……!」
「はい、そこで一旦考えるのをやめてみて?」
「は? あ、え……?」
「おう。考えることをやめたら、次はそこから他の者の考えなどを度外してみぃ」
「度外? ……そんなことになんの意味が……」
「いいからやれと言っておる」
「は、はぁ……」
魏延さんが難しい顔をしながら、腕を組んでぶつぶつと呟き始める。
どんな想像されてるんだろ……物凄く気になる。
「それが出来たら、その状態のままの御遣い殿の在り方を口に出して言ってみぃ」
「口に出して……女たらしだが、民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者です」
「うふふっ……よく出来ました。それじゃあ焔耶ちゃん、その考えのまま、貴女がこの子を嫌う理由を探してみて?」
「それはこの男が桃香さまをっ───!」
「お主の怒りに桃香さまは関係ないだろう。度外しろと言うたろうが」
「うぐっ……う、ぅうう……!」
いや……魏延さん? そこで俺を睨まれても。
「よいか焔耶よ。わしはお主に“己が目で見よ”と言っておるのだ。誰かの怒りに触発されて怒り続けるは愚考ぞ。主の怒りにともに怒るは忠誠やもしれぬが、お主のそれはあまりに一方的。怒る主人がこの国の何処におる」
「し、しかし桔梗さまっ! 桃香さまはお優しいお方! 許すと口で言おうと、心では!」
「口を慎め焔耶っ! お主が主人と認めた者は、敗れども民が王と信ずる桃香さまは、そこまで御心の狭い王かっ!!」
「!! っ……しかしっ……それでもワタシは……!」
「…………ん、んんっ! ……えっと。魏延さんに正面から訊いてみたかったんだけどさ」
「───!《キッ!》」
緊張のためか口に溜まった粘っこい唾液を飲み込み、口を開いた……ら、睨まれました。
予想通りだったからこのまま質問しよう……きっと睨まないでとか口にしたら、話が滅茶苦茶になる。
「魏延さんは俺の何がそんなに嫌いなんだ? もし直せるものなら───」
「貴様という存在全てが癪に障る。直してみろ」
「俺の存在全否定!? えぇっ!? えやっ、や、ぁああ……あの……死にますよね!? 直したら死んじゃいますよね俺!」
「焔耶ちゃん、その全てというのは、この子の全てを知った上での言葉?」
「………」
「いやあの黄忠さん、話の腰を折って悪いんですがその、“この子”って言うの、出来れば……やめてほしいなって」
「あら……ふふ、それじゃあ一刀ちゃんで」
「ちゃんはやめません!? 一刀! 一刀でいいですから!」
「だったら、わたくしのこともきちんと真名で呼ばないと、納得しませんよ?」
穏やかな笑みで、「めっ」と頭をコツンと小突かれた。
……ほんとに子供扱いです。
「じゃ、じゃあ……紫苑さん」
「………………うふふふふふふ……♪」
「《なでなでなでなで》いやっ! ちょっ! なななんで撫でるんですか!?」
そんな、よく出来ましたみたいな笑顔で撫でられてもっ……俺何歳児に見られてるの!?
ていうか思春さん!? 今吹き出した!? 吹き出したよね!? ぶふって!
「紫苑、です。敬語も無しで」
「や、やっ……けどそれはっ!」
「〜〜〜♪」
「《なでなでなでなで》やっ、あっ……あああもう解った解りましたから頭撫でるのやめてくださっ……くれってば! しっ……しししし紫苑っ! これっ……これでいいだろっ!?」
「ふふっ……はい、よく出来ました」
でもやっぱり撫でられた。
もう好きにしてください……どうせ逃げられないし。
「……あのさ、紫苑。もしかして男の子が欲しかったりした……?」
「うふふ……ここに居るのは女の子ばっかりですからね。一刀さんみたいな素直な子が居てくれてると、つい構いたくなってしまって……」
その結果がこの頭撫でですか……。
い、いや……うん、まあその、正直に言えば心地良いんだけどね……? 素直に甘えられないお年頃といいますか……なんか、複雑。
「……こっちの暢気な話は置いておくとして。どうなのだ焔耶よ。御遣い殿の全てを知った上で、なお嫌うと言うか」
「それは……」
「桃香さまのことが無ければさして嫌う理由もないというのに、お主の言うところの“民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者”を嫌うとぬかすか?」
「………」
「今一度よく考えてみぃ。桃香様に言われた通り、“見ていた”お主ならば自分の答えくらい出せるだろう」
「………」
「それともなにか? まだ桃香さまがどうだだの、“他人”を盾に自分の言葉を隠すか?」
……あ。
そっか、今の魏延さんって……───と、理解に至った途端、紫苑が自分の口に人差し指を当てながら微笑み、俺の頭を撫で……ってだからやめてくださいぃ……。
(同属嫌悪みたいなものだったりした……のかな)
お互い自分がそんなだとは知らなかったとしても、何処かでおかしいって思っているからこそ、鏡を見ているような気分になるのが嫌で───
「焔耶よ……戦はもう終わった。主の理想を叶えるべく奮起する理由も、そうあるものでもない。桃香さまもご自分の道を歩み始めておるだろう。お主はいつまで己の主張を桃香さまのものだと言い、振り翳すつもりだ」
「桔梗さまはワタシのこの感情は、あくまでワタシのものではないと……そう仰るのですね」
「違うというのであれば示してみせぃ。他者を抜きにし、己の考えだけで御遣い殿を見て。その上で嫌う理由を聞かせてみるがよいわ」
「………」
その言葉をきっかけに、沈黙が始まった。
誰も口を開くことなく、ただただひたすらに静かな時間だけが過ぎてゆく。
ちらりと見れば鈴々は紫苑の膝の上で眠りこけていて、思春も俺が縛られている大木に背を預けながら立ち、話が終わるのを静かに待っていた。
……それから、ややあって。
「───そうだ! 女たらしだからです!」
第一発言がそれでした。穴があったら入りたいです。
「女たらしか。ならばお主にのみ御遣い殿の気が向けば、解決するとでも言うのか?」
「なっ……有り得ません!!」
「ならば、理由にはならんな」
「くっ……」
第一発言はあっさりと流された。
しかしこう……なんだろう。
改めて訊いている場面をこうして見ていると───なんというか、魏延さんは……。
「戦いの腕が未熟───」
「ほお? お主は御遣い殿に一度負けておるだろう? お主はそれ以下か」
「くっ! でしたら! 魏では仕事をさぼることが幾度もあったと! そんな輩を───」
「なるほど? 魏でのさぼりか。……では訊くがな焔耶よ。この国での御遣い殿はどうだったのだ? お主は御遣い殿の何を見て何を感じ、“民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者”と口にした?」
「……っ……それはっ……」
言葉に詰まり、視線を彷徨わせる魏延さん。
……難しいよな。自分が間違ってないって思ってるならなおさらだ。
俺だって結局は……呉のみんなの言葉を散々と拒否してしまってから気づいた。
もっと早く気づいていれば、自分の言葉を届けられたっていうのに。
「お主の考え、お主の言葉で返してみせい。それが出来ぬのであれば、お主に御遣い殿をどうこう言う資格はない」
「なっ……! こんな男に発言することに、何故資格云々の話が出るのですか!?」
「簡単なことよ。御遣い殿はな、お主が思い悩み、見い出せないでいることを己が思考で乗り越えた。そしてお主はそれが出来ずにおる。資格云々の必要性なぞ、それだけのことぞ」
「…………っ《キッ!》」
……で、何故か俺が睨まれるんですね?
ていうか桔梗? いったい誰から聞いて…………なんか誰かさんがメンマ片手に話題として使ってる場面が簡単にイメージ出来ました。もういいです。
「いい加減桃香さま離れをしろと言っておる。忠義を無くせと言うつもりはないが、御遣い殿が来てからのお主はちぃとそれが行き過ぎておる」
「それはこの男が桃香さまの肌を覗いた破廉恥極まりない存在だからです!!」
「そら、それよ。桃香さまが許しているというのに、いつまでお主がそれを引きずる。桃香さまがそれを望んでいるか? ならば幾度、お主にもう許したことだと説明した?」
「───……、……それはっ……そ、それは……それは……」
声が弱々しくなっていく。
彷徨わせていた視線もいつしか彷徨わせる力すら失ったように、地面だけを見つめて。
やがて何かに気づいたようにハッと顔を持ち上げると……その顔は、迷子の子供のような表情をしていた。
「え…………え……? ならばワタシは……ワタシ、は……桃香さまのためと口にしながら、その実迷惑のみをかけて……?」
それはやがて泣き顔にも似た表情となり、震える視線は再び地面へと下ろされる。
思考が行き詰まってしまい、自分にとっての動きやすい理由が出せなくなってしまったのだろう。全てを理解する、なんてことは無理だけど……その辛さは解るつもりだ。
誰かの理想を盾にして歩く道、国の在り方を盾に歩く道、自分はこうありたいと思っていても、それは結局他人の理想でしかない道。そういった道の中で、“本当の自分”が持つ理想が挫かれない道ほど、安心して進める道はないのだろう。
それがどこまでも無意識だろうと主の意に副ってなかろうと、大儀だと信じていれば救われたのだ。
いつか、魏のためにと謳いながらも、自分の言葉を発さなかった自分のように。
でも……それこそいつかは選ばなきゃいけない。
誰かの理想を叶え続けるのがいけないっていうんじゃない。それが、自分の本当の理想でない理由なんてどこにもないんだから。
ただ───
「全てが迷惑だなどと言える理由も存在せんよ。だが、お主のは行きすぎていた。主のためと思うあまりに自分自身としての考え方まで殺し、だというのに桃香さまの言葉も自分の都合のいいように受け取り、行動する。生き方を知らぬ幼子でもあるまいに、こうでなければならないと必死に信じ込み……似たようなことで悩んでいた御遣い殿を否定することで、自分が正しいとさらに信じ込もうとする。……わしにはここ最近のお主の様がそのように見えて仕方がなかった」
「あ……」
そう。
さっきから気になっていた。
改まって問いただしてみれば、魏延さんは必死になって俺の悪いところだけを探そうとしていた。
“嫌う理由は”と問われたからには当然なのかもしれないが、見つからなくても見つけなければ、いつか自分が───…………
(ああ、そっか。そうなんだ)
魏延さんの立場になって考えてみた。
すると、静かに答えに誘われた気がした。
そうしてから改めて紫苑を見ると、穏やかな笑みで頷き、頭を撫でていた手を静かに引いた。
心でも読めるのかな、なんて考えが浮かんだけれど……そうだよな。親って存在は、経験不足な自分たちが思うよりも周りを見ているものなんだろう。
じゃあ……言葉を届けよう。
行きすぎていたかもしれないけど、間違いばかりじゃあなかったのだと。
だって、そうじゃなかったらあの時、“力を示せ”なんて言わなかったはずだ。
それさえも行き過ぎた行動の果てだったんだとしても、何度だってやり直せばいい。
……悪だと睨まれる対象が俺であり続けるなら、きっと何度だって許せるんだから。
「魏延さん、キミは───」
「すまんな御遣い殿、今は口を挟まんでくれ」
「───エ? あ、うん」
「………」
「………」
「………」
「………あれ?」
許す以前の問題でした。
え? あ、いやあの……あれ!? あれぇ!?
「あ、あらあら……桔梗? ここは───」
「紫苑も口を挟まんでくれ。こやつとは長い付き合いだ、己の頭のみで理解してもらいたいものもある」
「そ、そう? でもね、桔梗」
「あ、紫苑……いい、いいから」
困り顔で説得を試みる紫苑を止める。
他人からの答えや甘言が欲しいんじゃなく、自分で導き出した答えじゃなければいけない時があって、今がきっとそれなんだろう。
桔梗には桔梗の考えがあるし、付き合いが長いのならそうであってほしいって願う気持ちも大きいのかもしれない。
……多分、それは紫苑も。
でも、出鼻を挫かれた気分で少しだけショックだった。
「……ねぇ思春、無言で肩を叩かなくていいからさ……縄、解いてくれないかな……」
シリアスな空間の中、自分だけが場違いな空間に投げ出された気分を味わった。
いいさ。こんな恥ずかしさが、魏延さんが自分の言葉を思い出すために必要なら、いくらだって受け入れてやる。
それが叶うなら、俺の恥ずかしさなんてどうってことない。
「…………桔梗さま。ワタシは間違っていましたか?」
「わしの言葉ではなく、お主自身はどう思っているのだ焔耶よ」
「ワタシは……間違っていたとは思えません。主の願いを叶えるのは臣下の誉れ。たとえ桃香さまに迷惑がられたとしても、ワタシはきっと同じことを───」
「ならばもし、その願いとやらを御遣い殿が叶えたとしたらどうする。魏ではなく蜀に降り、蜀の御遣いとして桃香さまの願いを叶えたとしたら。お主はそれを良しと、誉れとして見れるか?」
「っ……それは……」
「焔耶よ。よもや解らんわけでもあるまい? それは忠誠でも誉れでもなく、単なるお主の嫉妬よ。子が母に構ってほしくて我が儘言()を喚き散らす……お主のはまさにそれよ」
「しっ……嫉妬!? ワタシが、こんな男に!?」
「ほお? お主の言うこんな男とは、“民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者”を差すのか。いちいち行動の悉くが桃香さまに似ていると、自分で言った者を差すのか。ならばお主が認める理想の男の像とはどういったものだ?」
「い、いえ……それは……」
思春が無言で縄を解いてくれている最中も、話は続いた。
ああ言えばこう返されるばかりで、魏延さんは口ごもりを繰り返す。
それでも納得が出来ず、やっぱり“当たり所”を探しては、それを俺に固定して否定を繰り返す。
そんな魏延さんを相手に、桔梗は辛抱強く会話を繰り返し……繰り返し……くり…………あ、嫌な予感がっ……! 話がループしだして、桔梗の肩がわなわな震えてきて───
「っ……〜〜〜いい加減にせんかこの馬鹿者がぁあああーーーーっ!!!」
『うひぃいいいっ!!?』
───爆発した。
その迫力に思わず、目の前の魏延さんだけじゃなく俺まで身を竦ませてしまい、同時に叫んでいた。
「よーぅ解った! 解らず屋だとは思うたがこうまで馬鹿とはさすがに呆れたわ! 立てぃ! その性根を今この場で叩き直してくれようぞ!!」
「なっ……し、しかし桔梗さま!」
「黙らんか! ぐちぐちと言い訳ばかりを吐き出す口を持ちおって! 早う立てい!」
「は、はいっ!」
「ほれ! 御遣い殿もだ!」
「は、はいぃっ! ───……あれ?」
…………エ?
あの、勢いで立っちゃったけど……あれ? 俺も?
「あ……あぁあああの、桔梗サン……!? なななんで俺まで……!?」
「うん? 元を正せばお主と焔耶の問題であろうが、何をいまさら」
「えぇっ!? い、いまさらって……やっ、でもっ! さっきは口を挟むなって……!」
「問答無用! 似た者同士、わしがしごき倒してくれるわ!」
「《ぎゅみみぃいっ!》いたっ! いたたたたっ! きき桔梗さまっ! 耳はっ!」
「あだぁーーーだだだだっ!? ちょっ、ききょっ……あ、あぁああっ……! ななななんで俺までぇええーーーーっ!!」
耳を掴まれ、引きずられていく人間二人。
どれだけ抵抗しても逆らえず、結局は大木から離れた場所で桔梗を前に構えることになり………………その後、俺と魏延さんは苛立ち満点の桔梗の手で散々と叩き直された。
───……。
…………。
桔梗のしごきは夕刻に至るまで続いた。
いくら今日が鍛錬の日だとしても、普段の鍛錬でもしないくらいの本気のしごき。
体は既にくたくたってくらいに疲れ果て、そんな状態の俺と魏延さんは仰向けに倒れながら、正面になっている空を見つめていた。
もはや桔梗、紫苑、思春や鈴々の姿もなく、ここに居る二人だけが、朱の空を見つめていた。
「…………北郷一刀」
「ん……うん?」
「貴様は答えを出せたと聞いたが……今でもそれを守れているか? 自分の言葉で、自分の考えで動けているか?」
「…………」
言われてみて、じっくりと考えてみる。
魏を言い訳にするのはやめた。
自分の考えは確かに持っていて、それを叶えたいとも思っている。
「えぇっと……守れているかは、実のところ解らない。誰かが守れているぞって言ってくれるわけでもないし、自分の言葉で動くっていうのはとっても勇気がいる行動だから。間違ってないかなって思うたびに怖くなって、それでも前を向かなきゃいけなくて……でもさ」
「でも……? なんだ」
「うん。そんな不安や怖さと戦いながら、王として前を向いた人たちを知ってる。民や兵や将の不安を受けながらも、それでも笑顔であったり凜とした表情であったり、弱さを見せようとしなかった王を知ってる。そう思うとさ、こんなのじゃ足りない、もっと頑張らなきゃって思える。勇気を貰える」
「勇気を……?」
「ん。勇気を」
不安に思うことなんて山ほどある。
こうして一人、呉や蜀を回ること、傍には魏の仲間が居ないこと、自分の行動で誰かが傷つきやしないかと怖くなること。
思春のことだって、そもそもが俺が無茶をした所為だった。結果はついてきてくれたけど、そうならなかった時を思うと今でも怖い。
“そういった不安”を抱えながらも進めるのは、“そういった理由”や勇気があるから。
「本当に正しいことなんて、きっと誰も知らない。答えを見つけられたからって、それが全て正しいんだとも思えない。人には一人一人の見解ってものがあって、誰かにそれを知ってもらうには説得力が必要で。俺がそれを示すには、話し合うかぶつかっていって知ってもらうしかなくて……」
「………」
「話し合って、手を伸ばして、手が繋がれて……受け取ってもらえたらさ。なんか……なんかこう、とても嬉しいんだ。それが仕方ないなって妥協でもいい、とりあえずはって繋がれた手でも構わない。ただ、知ろうとしてくれたことがあんなにも嬉しい。そんな暖かさを知ったらさ───」
「《きゅっ》なっ!? き、貴様───!」
手を伸ばし、倒れた状態のままに魏延さんの手を握る。
あの日、力を示した日の夜に、伸ばそうとしたけれども繋がれなかった手を。
そうして、こちらに向けられた怒りと焦りを混ぜた視線を見つめ返し、真っ直ぐに届ける。
「───もう、自分に嘘はつけなかったよ」
「───……あ……」
そうだ。
自分が誰かの理想を眩しく思ったように、誰かもまた誰かに期待する。
大きすぎる期待に応えようとして、頑張れば頑張るほど空振りする人や、押し潰されてしまう人なんてたくさん居るだろう。
それでも嘘だけはつきたくないと思った。
いつか潰されてしまうのだとしても、高すぎる理想に届かない理想なのだとしても、自分の言葉が誰かに届く暖かさを知っている。
自分の言葉を聞いて、頷いてくれた時の嬉しさを知っている。
そんな笑顔をもっと見たいと思った。期待に応えたいと思った。積み上げてきた様々な思いを叶えてみたいって思った。
道のりがゆるやかじゃないことくらい、口にする前から解っていること。
それでも前を向こうって思えたのは、それが自分の口から出た自分の思いだったからに違いない。
他人の理想を盾に生きて、他人の理想を諦めるのは簡単だから。
自分の理想が傷つかなくて済むから、どうしてもそこへ逃げてしまう。
だから何度も覚悟を決めて、胸をノックした数だけ前を向いて、何度だって夢を見る。
軽口で嘘はついても、冗談に頬を緩ませ笑おうとも、自分の理想を裏切るような嘘はつかずに生きていきたいから。
「魏延さん、魏延さんはこの国をどんな国にしたい?」
「どんな? 決まっている、桃香さまが目指す理想の国だ」
「それが、“魏延さん”の理想? 臣下としてでなく友達としての、魏延さんの理想?」
「……何が言いたい」
「桔梗も言ってたけどさ。どれだけ眩しい理想を見ても、自分の言葉……自分の理想は捨てないでほしいんだ。誰かの理想の片隅に置くのだって構わない。桃香の理想と一緒に自分の理想も目指さないと、きっと桃香は喜んでくれないと思う」
「………」
「桃香も雪蓮も、華琳だって、今はみんなが笑顔になれる国を望んでる。それは王や将や兵だけが汗水流して作り上げて、民だけが笑顔の国じゃない。みんなが笑顔になれる国だよ。俺は……自分の理想を諦めた人が、本当に心の底から笑顔になるのは難しいって思う」
「……では貴様は、ワタシの理想を桃香さまに背負わせろと……そう言うのか?」
「桃香一人が背負うんじゃなくてさ、みんなで一緒に持っていくんだよ。だって……重荷じゃなくて宝だもん。宝は、大事に抱えるものだろ?」
「っ───」
小さく息を飲む音。
途端にぎゅうっと、握った手が握り返される。
素直に痛かったけど、すぅっと深呼吸をすると握り返した。
「みんなの理想を少しずつでも混ぜた、いい国にしよう? 戻らない思いもいくつもある今だけど、あいつらが見たら絶対に笑ってくれるような、暖かい国にさ。そのためには……“誰かが一人だけで頑張る”じゃあ絶対にだめなんだ。だから───」
「……桃香さまは……笑ってくれるか……? ワタシの理想も、宝だと受け取ってくれるか……?」
魏延さんの質問に、一瞬きょとんとして……でも、そんな呆けを抜くように小さく笑って、届けた。
だってその言葉は……紛れもない、魏延さんの言葉だったから。
「当たり前。そんな理想を叶えるために、桃香は今頑張ってるんだから」
「…………そうか。そうか……───そうか、……そう、かぁ……」
小さく、少しだけ耳に届いた嗚咽。
何を思って嗚咽を漏らしたのかなんて、きっと口にするだけ野暮だ。
自分の言葉を受け取って、理解してもらえる喜びは、きっと何処にでもあるんだから。
「………」
繋がれた手は離れない。
視線を正面に戻して、空を眺めた。
ただ俺は───彼女の気が済むまでずっとずっとそのままで、傍に居た。
───……。
で……とっぷりと夜。
「うぅううおおおおおおおおっ!!」
「てぇえやぁああああっ!!!」
中庭の暗がりに、一対の叫びと衝突音。
あれから少しして目を拭った彼女に誘われ、今は鍛錬の続き……じゃあなかったりする。
「そもそも貴様がへらへらとだらしのない顔で桃香さまに近づくから! ワタシが桔梗さまに説教をくらったのは貴様が原因だ!」
「それはただの八つ当たりじゃないかっ! 大体だらしのないとか近づくとかっ! 自分だって桃香の傍に居る時の自分の顔、見たことあるのかっ!?」
「んなぁっ!? きき貴様まさかこの魏文長が、そのような締まりのない顔をしているとでも───!」
「うんしてる」
「《ぐさぁっ!》ぐはっ!? 〜〜〜……出任せを言うなぁあああああっ!!!」
お互い、この際だから言える不満は言い合おうってことで、武器を手に割りと本気でぶつかっている最中。これが意外なもので、自分が思っている以上に相手への言葉は出てくる一方。
“焔耶”もそんな調子らしく、口からはぼろぼろと不満を出してはいるものの、顔は笑っていた。……まあ、きっと俺も。
「不満ばっかりのくせに真名を許したのは何処のどいつだぁっ!」
「今ここに居るワタシだ! 不満など腐るほどあるが、ワタシの言葉では貴様を嫌う言葉が出てこないんだから仕方がないだろう!」
「俺だって不満はいっぱいあるけどっ! 嫌いだって思ったことなんてきっとないっ!」
叫びながら攻撃。叫びながら受け、叫びながら避ける。
そんなことを何度も何度も繰り返し、やがてぜーぜーと息を乱しながらもぶつかり合いは続いて───……結局。
『はっ……は、はー……はー……はっ……あはははははははははっ!!』
最後には中庭に座り込み、肩を抱き合って笑った。
息が乱れてる所為で、呼吸困難になりながらだったけど、その笑顔は本物で───暖かいものだった。
「……ふむ。どうやら治まるべきに治まったようだな」
「治まらなかったらどうするつもりだったの?」
「はっ、何度でも叩き直すだけよ。それしきの理解も持たんで、これから先、やっていけるもんかぃ」
何処かからそんな声が聞こえた気がした。
通路の欄干に肘をついて、こちらを見ている誰かさん二人を見たけど……うん。
今は笑っておくことにした───
「ところで桔梗? 一刀さんの唇はどうだったのかしら?」
───と思った矢先に咳き込んだ。
そんな様子を見てかどうか、聞こえた笑い声は遠退いていき……その日。
俺と焔耶は肩を抱いたまま芝生の上に寝転がり、昔話をし合った。
こんなことがあってこうなった、こういうことがあったからこんなふうになったと、それこそ今まで距離を取っていた分を埋めるように。
そうすると案外気が合う部分があったりして、やっぱり笑った。
ただ……うん、ただ。
桃香のことになると周りが見えなくなるのは相変わらずらしく、そこはほら……うん、百合百合しさには理解のある北郷です、笑顔で受け止めました。
そんなこんなで二日目も過ぎ。
一歩、また一歩と別れへの時を積み重ねていった。
ネタ曝し……ありましたっけ?
あ、ではひとつ。
*はっ! ふっ! せいっ! たぁっ! ふっ! だぁああーーーーっ!!
とても解りづらいけど、TOP。テイルズオブファンタジアより。
フェイスチャット内での、チェスターが鍛錬してる時の声です。
気分によって言葉が微妙に変わったりします。
はい、鍛錬と焔耶さんの回です。
彼女はこう……桃香に対する忠誠心は高いのですが、
どうにもこう、自分の理想をないがしろにしてないかなぁと思う部分がありまして。
いやしかし、桔梗の口調が意外と難しいです。
星とそう変わらない時もあれば、祭さん寄りの口調の時もあって、
どう使い分ければいいのか迷います。
紫苑は……ママンチックでいきました。
乙女演義で“蜀のお母さん的存在”を見たら、どうにもこう……ねぇ?
そんなわけで37話でした。
追記:指摘があったので、少し表現を変えました。
ただやっぱり自分には完璧な一刀は書ききれません。
これから注意していくつもりですが、それでも改善が見られず、
見るに堪えなくなったら前言通りに読み捨ててしまってください。
それまでの内容で、少しでも楽しんでいただけたのなら十分です。
最後まで書いて、その上で内容がぐだぐだだったらやっぱり笑ってやってください。
のちの励みになります。
「指摘されて直したら前の時と同じだろう」とも注意されたのですが……
これは、以前言われたにもかかわらず忘れていたことと似ているので……。
掲示板でのトラブルもありまして、
一年前からなんにも変わってない自分が情けなく思います。
やっぱり掲示板は見ないようにしますね。
そうすれば悪戯投稿と一緒に、
別の記事を消すなんて馬鹿をすることもないでしょうから……。
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