87/壊すのではなく、当然のものとして受け止める勇気
よく眠れた翌朝。
久方ぶりの熟睡を経て、俺はゆっくりと目を開いた。
途中、桂花の来訪が無ければより快眠だったってことは気にしない。
何故なら寝台……布団で寝ることこそが大事だったのだから。
寝ようとしているところをヌメヌメ攻撃で邪魔されて、それでも机で寝なきゃいけない状況を考えてみよう。……これ以上の快眠がありましょうか。いや無い。
「………」
自然にこぼれる笑み。ゆっくりと休まった体。眠気から解放された意識。
どれをとっても快眠要素満点である。あくまで個人的に。
上半身だけを起こし、寝てしまえば俺の腕枕なんぞ知ったことではないとばかりに、妙な体勢で寝ている袁術を見やる。
思う存分寝ていてもらおう。
俺はこれから鍛錬をするための許可を、華琳から得なければならないのだ。
寝巻きという名のシャツからフランチェスカの制服に着替え、いざ華琳の自室へ。
許しが出るとは正直思っちゃいない。何故かといえば仕事が残っているからだ。
それを華琳が許すとは思えないからこその制服。
最初っから胴着姿で行けば呆れと注意をプレゼントされることだろう。
桂花や春蘭あたりなら喜ぶだろうが、俺はそれよりも鍛錬の時間が欲しい。
「行ってくるな」
すいよすいよと眠りこける袁術に小さく声をかけて、歩を進める。
扉を開き、通路を歩き、厨房で水を飲み、食事を済ませてから華琳の部屋へ。
ノックし、声をかけ、許可を得る。
三つの段階を経て中へ進むと、中には華琳の他に、桂花と稟が。
「用件は解っているわ。帰ってきた日も合わせて三日間。今日が鍛錬の日、ということね」
「ああ、解ってるなら話は早いな。三日毎の鍛錬の許可、もらってもいいか?」
「………」
今日だけとは言わず、いっそ欲を張った要求をする。
三日毎にやりたいと思うのなら、最初からその意を知ってもらわなければ交渉の意味がない。と、そんなことを思っていると、華琳が言葉を返すよりも先に桂花が口を開く。
「三日毎? あんた頭に虫でも湧いたの? いくら平和になったからって暇なわけじゃないのよ? それを三日毎、毎回見逃せっていうの?」
「そうしてくれると助かる。そうしてもらえないなら、自分で時間を作ってやるだけだし」
「ふん、どうせサボるための口実でしょ? あんたが鍛錬なんて、この目で見たって信じられるもんですか」
ひどい言われようである。
そりゃあ……今の自分が前までの自分を見れば、似たような意見を持ちたくなるのもよーく解るけどさ。
「そうね。稟はどう思う?」
「はっ……一刀殿が呉、蜀で鍛錬をしていた、という話は確かに耳に届いておりますが……その」
「己が目で見るまでは信じられない?」
「は……」
「まあそうね。そのことに関しては、私だってそう思うもの」
そして結局ひどい言われようだった。
お、おい華琳〜……? 呉や蜀からの報告とか受けてるのに、それはないだろ……?
報告じゃなくても、雪蓮が直接話したりとかさぁ……ほら、なぁ……?
「それ以上に、その三日の内に貴方がこなすべき仕事を整理しきれるかどうかよ。鍛錬を理由にやるべきことを疎かにするようなら───まあ、雪蓮も桃香も黙ってはいないでしょうね」
華琳が、言葉の中に故意に間を入れる。
その間の中で桂花と稟は何を感じたのか、ちらりと俺を……稟は少々難しい顔を、桂花は変わらず汚物を見るような目で見てくる。華琳以外を見るって行為がそこまで嫌か、桂花さん。
「けれどそれは呉と蜀の話。魏には魏の、貴方に与えられた役割がある以上、それをこなさない限りは許可は与えられないわね」
「そっか」
下された決定は、まあ想定内のものだった。
だから素直に頷いて、仕事に戻ろうと───「待ちなさい一刀」───したところを呼び止められる。
「随分物解りがいいけれど、貴方にとっての鍛錬とはその程度のものなのかしら?」
「こなさない限りは許可は出せないって華琳が言うなら、こなさなきゃあ許可は下りないだろ? 大事だから時間を有効に使いたいんだ。早くしないと体がナマりそうだ。というわけでもう行くな? 仕事、お互い頑張ろうなー!」
「一刀、ちょっと待ちなさ───」
余計に条件を増やされるより早く逃走! よい子のみんなは絶対に真似しちゃあいけません! あとが怖いから!
そんなわけで扉を後ろ手に閉めて、全力で部屋の前から逃げ出す!!
華琳は恐らく稟と桂花に呼び止めるよう指示を出すだろうから、二人が扉を開く前に視界から消える! 一定以上離れてからは気配を周囲に溶け込ませて、ゆっくりと隊舎を目指し……凪に捕まった。
訊けば華琳からの通達で、俺が来たら捕まえるよう指示があったとか。
(仕事が……早ェえんだな……)
隊舎に入らなきゃ書簡も集められないこともあって、あっさりお縄についた。
そして……華琳の部屋まで連衡され、人の話は最後まで聞くようにと説教。
「い、いやっ、けどさっ、華琳が一度言ったことを簡単に変えるとは思えないし、俺だって魏で何が起こってたかを知るのはむしろ嬉しいんだ。なら早く目を通して時間を作ったほうがいいじゃないか」
「はぁ……おかしなところで頭が固いところは相変わらずなのね。つくづく一刀だわ」
「あの……華琳? その認識の仕方、やめてほしいんだけど……」
進言してみるが、じろりと俺を見る目が“うるさい”と言っていたので黙ります。
「あのね。私はこなさない限りは許可を出せないと言ったの。戻った日は度外するとして───凪。一刀はこの二日で、どれくらいの書簡を片付けたの?」
「はっ」
我らが故郷・魏国でも、説教の際には正座を要求された俺は、口にチャックをしたままことの成り行きを見守った。
凪は俺が書簡を戻しに行った時にでも確認したのか、確認するように言われていたのか、その正確なる数を華琳に伝えていく。
その話を聞いて驚いたのは、桂花と稟だった。
「その数をこの二日で!? この男が!? 何かの間違いよ!」
しかも本人の目の前でキッパリと苦労を否定された。
いや、楽しめたから苦労とは言えないかもだが……そりゃないだろ軍師さん。
「私も……些か、いえ……正直信じられません」
稟まで!? 桂花だけならまだしも、稟まで!?
……う、うん、まあ……いろいろサボってたから、そう思われても仕方ない……のか?
「一刀。鍛錬をし、体を休める時間が三日として、その間に仕事は確実に進められる? 鍛錬の翌日が街の警備に当たる日だとしても、怠ける結果にはならないと誓えるのかしら?」
「……腕折られたり、五虎大将軍と戦うハメにならなきゃ、まず大丈夫」
解ってて聞いてますって顔の華琳の質問に、動けなくなった時のことを思い出しつつ言葉を返す。とはいっても腕を折ったあとは呉を離れたから仕事自体はなかったし……蜀で五虎将との強制模擬戦をした時あとは、筋肉痛で動きづらくなったあとに恋に吹き飛ばされて……うん、蜀を発ったから、城での鍛錬はしてない。五虎将だけじゃなく、猪々子にも大剣振り回されながら追い掛け回されたな、そういえば。
それを考えれば証明にはならないかもだが、通常の鍛錬のあとに仕事を休むってことは、まずしてこなかったはずだ。
「将と戦って証明なさいとか言われなければ、明日も通常通り仕事は出来るよ」
「………」
「あの、華琳さん? なんですかそのチッて顔」
大方、また春蘭あたりをぶつける算段をしてたんだろうけど。
なんだかんだで俺との模擬戦経験が多いのって春蘭だよ……な? べつにそうしたかったわけでもないのに。
思い出しただけで冷や汗が出る。何度死ぬかと思ったことか。
「なんでもないわよ。……いいわ、ここでどうのこうのと言ったところで始まらないもの。とりあえず───ふふっ、そうね。鍛錬の許可を出してあげる」
「ほんとかっ!? ───で、条件は?」
意外や、許可はあっさりと下りた……が、途中に挟まれた笑みが気にかかり、喜び半分に訊き返す。だって相手は華琳だし、絶対にタダじゃない。
「……一刀? 喜びも半端に訊き返されると、見透かされているようで面白くないんだけれど?」
「正座しながら待ってる男をからかって楽しまないでくれよ……」
床に直接だから足が痛い……なんてことはない。むしろ道場でもずっとそうだったから慣れているが、女性四人に見られながらの正座ってのもさ、ほら……今さらですね、はい。
「はぁ……仕事と鍛錬の両立を証明しなさい。今日を終え、次の鍛錬の日までに確認するべき書簡を片付けること。さらにその過程で別件を頼まれようとも、己の仕事を言い訳にせず手伝うこと。これを守れるのなら、鍛錬に関して何も言わないことを約束するわ」
「華琳さまっ!? それはこの男に三日毎の堕落した日を提供するようなものでは……!」
「あら。桂花は一刀がやり遂げると、そう信じているのかしら?」
「なっ……そんなことはあり得ませんっ!! 誰がこんな男を!」
はいはい、人を指差してまでこんな男呼ばわりしない。
けど……あの量をあと三日で? 出来ないこともないだろうけど、別件を断ることは出来ないとくる。許可を出す側にすれば随分な譲歩だろうが、それでもこなすとなると……むむむ。
「それで? 出来るの? 出来ないの?」
「……解った。三日で、いいんだな?」
「ええそうよ。いつかのように期限を延ばしたりはしないから、せいぜい頑張ることね」
「やれやれ……手厳しいなぁ」
“いつかのように”って……さっきの笑みの正体はそれか。
警備隊長になるきっかけもあれだったようなものだしなぁ。計画実行の根回しによる恐怖と、それら全ての責任を負う覚悟を決めたのも、大体はあそこらへんか。
……本当に、随分と懐かしく思う。
「じゃあ、いいのか?」
「守る自信があるのならね。守れなければ鍛錬は禁止とし、迷惑をかけた分は警備隊の者達にもそれなりの対応をすること。警備隊以外の者にも迷惑をかけることにもなるのだから、そちらの対応もね。もちろん罰も考えておくわ」
「……守れなかった時の条件が厳しすぎないか?」
「三日毎に、やりたいことをさせる日を設けさせろという進言よ? そんなものが生温い条件の下に手に入るのなら、私が欲しいくらいなのだけど?」
「ア、アー……ソウデスヨネィ……?」
微妙にエセ外国人風の口調になって、返事をした。
俺……他国じゃあ優遇されてたんだなぁ。ありがとう、雪蓮、桃香。
そして華琳さん? 別件頼まれても断れない状況ののち、失敗に終われば罰がたっぷりな結果が待っているのは果たして……他の者への迷惑に繋がるのでしょうか。
……いやいや、もう頑張るしかないじゃないか。条件呑んじゃったんだし。
「よしっ、じゃあ早速鍛錬に行くな? 城壁使うけど、いいかな」
「そんなもの、貴方が兵に声をかけなさい。そこまで私がやる必要はないでしょう?」
「む。そりゃそうだ。じゃあ───」
ちらりと凪を見る。
そういえば、氣の飛ばし方……訊こうって思ってたんだよな。
でも凪にも仕事はあるし、むしろ俺が復帰出来ていない分は……真桜や沙和じゃなく凪が背負ってるんだろうし……ここで誘うのは結構残酷だよな?
「うん。それじゃあ中庭と城壁の上、使わせてもらうな。うるさかったらごめん」
誘いたかったけど、それは仕事にきちんと復帰出来てからにしよう。
その覚悟を決め、立ち上がって部屋の外へと出るなり思春を探した。
呉では明命、蜀では鈴々と城壁を走り回るのに慣れてしまい、一人で走るのもなぁと思ったから、なんだが───
「……桂花、稟、凪。今の内に一刀に手伝わせる仕事を考えておきなさい」
『……はっ』
部屋を出るなり思春思春と声を大にしたのは、失敗だったなぁと思うのは……しばらくあとのことだった。
───……。
それからしばらくして、中庭で準備運動をする俺と思春。
やっぱりなんだかんだで一緒に居る時間が長かった所為か、鍛錬の時に隣に思春が居ると落ち着いたりする。時間と慣れって偉大だ。
もちろん着衣は胴着。
鍛錬といったらこれでしょう。
「城壁の上を延々と走ると聞いていたけれど、本気?」
「本気本気、華琳もやるか?」
本日も晴天。
どうのこうの言いながら、やっぱり自分の目で見なければ信じられないという華琳も中庭に立ち、綺麗な青空の下で体をほぐす俺を珍しそうに見ていた。
「冗談でしょう? 確かに今日は湯船の用意をさせているから、丁度いいといえばいいけど。そんな気分じゃないわよ」
「そうか? 慣れると楽しくなるんだけどな」
延々と走るだけとはいえ、競う相手が居ると特に。
今日こそは思春に……勝てるといいなぁ。
鈴々にはなんとか勝てたから、次の目標は思春と明命に走りで勝つこと。
……うん、とてもとても難しそうだ。
「ところで華琳こそ、仕事はいいのか?」
「あら、隙あらば私に説教でもするつもり? 生憎だけど、私がしなければいけないことなんて、とうに終わっているわ。まあ当然、“次”が届くまでの束の間ではあるけれど」
「……王は大変だなぁ。どっかの、自分の好きな時に他国に遊びに行く王様にも見習ってほしいよ」
「無理ね」
「即答!?」
雪蓮さん、言われてますよ。俺も言ったようなもんだけど。
……っと、準備運動終了っと。
「あ、そういえば桂花や稟は? 凪は持ち場に戻ったんだとしても」
「仕事を探しに行ったわ。そんなことはいいからさっさと始めなさい。私はここで、貴方に下す罰を考えておくから」
「集中出来なくなるようなこと言わないでほしいんだけどっ!?」
罰を下すこと前提か……いやそもそも桂花と稟が探してる仕事って、もしかして次の鍛錬までの三日間の内に、俺に頼む仕事……とか? いっ……意地が悪いにもほどがある! でも断らずに受けることって条件呑んじゃったよ俺!
たはー……と額に手を当てて項垂れる俺を見た華琳が、やけにしてやったり顔をしてました。つまりはそういうことだったんだろう。
くそう、こうなったら意地でも乗り越えてやる……!
「……華琳? やっぱり一緒にやらないか? 机にかじりついてばっかりじゃあ───」
「やらないわよ」
「そ、そか」
それはそれとして、一緒にやれたら楽しいかなーと思ったんだが。
宅の魏王さまは適当な木の下までを歩くとその幹に腰掛け、誘いに乗ろうとはしなかった。仕方ない、いつも通り思春とやろう。
「じゃ、いいか?」
「いつでも構わん」
訊いてみれば頷く思春と一緒に城壁の上へ。
そこから、中庭で俺達を見上げる華琳に一度手を振ってから───走り出した。
───……。
十数分後、体も十二分に温まったところで中庭に下りる。
いい汗かいた〜とばかりに歩き、華琳が座っている木の傍らにあるバッグ───その隣の竹刀袋を持ち上げると、そこから木刀を取り出して竹刀袋を置く。
ちらりと華琳を見ると…………信じられないものを見る目が、俺を見ていた。
「……? 華琳? 華琳〜?」
しかも固まったままだ。
一応右へ左へと動いてみると、そこへと視線も顔も向けられるんだが……言葉が出ないらしい。そんな華琳の目の前で、ひらひらと手を振るってみる。
「はっ」
と、ようやくその目が、むしろ意識が、俺を捉えた。
「……どうかしたのか?」
体調でも悪いのかと訊ねてみるが、そんなことはないらしい。
むしろ俺がおかしいんじゃないかと訊ね返される始末だ。
「いやいや普通普通。これも鍛錬の賜物ってやつだな。氣を教えてくれた凪に感謝感謝だ」
お陰で随分と“出来ること”が増えたんだから、感謝してもし足りないくらいだ。
言いながらうんうんと頷く俺……汗は大量に出ているくせに、息は乱していない俺を見て、華琳は一言だけ訊ねた。
「……鍛錬ってそういうもの?」
と。
目を伏せ、溜め息と同時に吐かれた呆れ混ざりの質問でした。
「改めて訊かれると、確かにちょっと引っかかるところはあるものの……まあ、出来なかったことが出来るようになるって意味では合ってるんじゃないか?」
実際こうして、体を動かす喜びを得た馬鹿者も居るわけだし。
三日毎に体を動かさないと、こう……体がむずむずしてくる。鍛錬中毒者にでもなった気分だよ、本当に。
「そんなわけで、やっぱり一緒に───」
「はぁ……やらないわよ」
きっぱり言われた。
ごめんなさい、王様が混ざれば自然と公認にならないだろうか〜とか、そんないけないことを少しだけ考えました。
もちろん出された課題はきちんとこなす気だったけど。
「仕方ないか。───よしっ、思春〜、こっちの準備は出来たぞー」
勧誘には応じませんな華琳に軽く言葉を返して、そこから離れた場所までを歩く中で思春に呼びかける。
思春も既に準備が整っていたのか、模擬刀を手に俺が向かう場までを歩いた。
そこからはいつもの如くだ。
華琳の手前か模擬刀を使ってくれる思春に感謝しながら、しかし立ち向かうからには全力で。小細工無しのぶつかり合いをしてゆく。
鈴々ほど一撃の重さはないものの、回転が速い。
衝撃に吹き飛ばされることなく対応は出来るけど……一息ついて速度を緩めた瞬間、首が飛ぶイメージが簡単に出来てしまうから緩められない。
……それに、あくまで鈴々ほどの一撃の重さがないだけであって、普通の女性の一撃と比べるには少々、いや……かなり重い、重すぎる。
これ、鈴々で慣れてなかったら数撃でアウトだったって絶対。
鈴々の回転速度も異常だったけど、思春の場合は攻撃のほぼが次の攻撃への複線になってて切り返しにくいったら《ヂッ!》ヒィイッ!!?
「っ……せいっ!」
受けてばかりじゃなく返してみるが、あっさりと逸らされて思春自身の次撃へと利用される。それをくらわないために腕に氣を集めて強引に戻し、振るわれた一撃をなんとか木刀で受け止めて……ってダメッ! 続かないっ! 氣を全身に戻すよりも思春が次撃を振るうほうが速い!
「だったら逃げる!《ゴッ!》あだぁっ!?」
「───!」
これまた強引に体を逸らし、振るわれる模擬刀の軌道上から逃げたんだが……肩が逃げ切れなかった。幸いにも振るわれる方向と逸らす方向が同じだったために、激痛が走るなんてことはなかったものの……逆側に逸らしてたら、下手すりゃ砕けてたんじゃあなかろうか。
「〜〜っ……ちぢっ、いっ……いーーーっ、いひぃーーーっ……!!」
そしてごめん、激痛がないっていうのは嘘でした。素直に痛いです。
避けが成功するのと同時に距離を取ったものの、痛くて次を仕掛けられないでいた。
もちろん、思春の動きに対して注意は払ったままに。
「……間に合うとは思わなかったが」
「間に合わなかったらこれくらいじゃ済まないんですけど!?」
何故か少しだけ嬉しそうに見えた思春を前に、痛みを我慢しながら木刀を構え直す。
大丈夫、大丈夫……集中、集中……!
痛みは氣で紛らわせつつ治めるとして、既に引き締まった表情の思春の目を見て、まだ終わっていない鍛錬に身を投げる覚悟を。
「……小細工で来るか?」
「はは……そうしないと全然相手になれないって解ってるから」
痛みで乱れた呼吸を整えて、準備も覚悟も完了させる。
そうしてから気を引き締めて、ひと呼吸のあとに地面を蹴り弾いての疾駆。
今まで少しずつ育ててきた氣や体、雪蓮のイメージに対して振るう全力を、思春にぶつける。雪蓮のイメージを相手にする際、なによりも必要なのは気迫だ。降参しても追い詰められ、恐怖に竦むイメージをなんとか飲み込むための、気迫。
それらを目の前の彼女にぶつけ、体が動く限りの本気を以って───!!
───……。
……負けました。
「う、うぇっ……げほっ! ごっほげほっ! おっ……〜〜〜……ぶはっ、は、はっ……」
動きすぎ、氣の使いすぎ、体に無茶させすぎ。
それら全てが合わさる頃、俺は中庭に大の字で倒れ、咳き込んでいた。
(しっ……死ぬ気で戦うって……こんな感じ……なんだろうかっ……!!)
頭の中のことでさえ纏まらない。
口で息をすると咳き込み、しかし鼻で吸うには酸素が足らない。
だから口でするんだが、咳き込むことでさらに酸素を逃がしてしまう。
うん、軽い呼吸困難です。
“立ち回りの危うさは少しも改善されておりません”なんて言われたことを、自分が思っていたよりも気にしていたらしい俺は、死に物狂いで思春に勝ちにいってみたんだが……だめだなぁ、勝てない。
蒲公英みたいに油断したりしてくれることもなく、鈴々のようにくすぐれる相手でもないわけで……これならどうだ、だったらこれだ、これなら、今こそ、好機と思う全てに連撃を投じてみても、全部空回りに終わった。
思春も案外雪蓮と同じなのかもなー……いつか雪蓮にやったみたいに攻撃を加速させてみたんだが、やっぱりギリギリで避けられて……そこからはもう思春も目の色変えて───……とっても怖かったです。
「は……は…………はぁ……はっ……はひっ………………は、は…………はぁああ……」
どれくらい倒れていたのか、ようやく呼吸が安定してくれる頃には、思春は涼しげな顔で俺を見下ろしていた。これが差ってやつでしょうか。
俺もなんとか体を起こすと腰を抜かしたみたいな格好で、思春を見た。
立ち上がるのに手を貸してくれるほど、慣れ合っているわけでもない。
思春は俺が一人で立ち上がるまでを待って、立ち上がれば……弓を渡してくれる。
どこから借りてきたんだろうな〜ってくらいの手際の良さだ。そしてありがたい。
「すぅうう……はぁあ…………すぅう…………はぁああ…………」
感謝を口に、呼吸が完全に整うまで深呼吸を繰り返す。
そして、いざ───という時。
「……か、一刀?」
華琳に呼び止められた。
今の今まで、何も口に出してこなかったっていうのに……なにかあったんだろうか。
「すぅ……はぁ…………ん、どうかしたか?」
「どうかした、じゃないでしょう……貴方、こんな鍛錬を呉でも蜀でも続けていたの?」
「そうだけど……あれ? なにかおかしいか?」
「……あのね。今の言葉を聞けば、耳にした誰もがおかしいと返すわよ」
「………《ちらり》」
「………《こくり》」
「思春まで!?」
“そうなの?”とばかりに思春を見れば、素直に頷く思春さん。
そんな……ずっと付き合ってくれてたのに……。
って、まあ普通に考えればおかしいのは確かだよなぁ。
「大丈夫大丈夫、もう体のほうも大分慣れてくれたから。それにこんなので音を上げてたら、五虎将と戦ったあの日のことなんてそれこそ地獄だ。もちろん次の日もだけど」
「………」
あ。なんか今、的外れなことを言い出した春蘭を見る目で見られた。
……エ? それはあの、喜ぶべきところでしょーか。はたまた……いやいい、言わないでくれ。予想はつくから。
「……えと……」
「………」
「……一緒にやる?」
「やるわけないでしょっ!!?」
「ごめんなさいっ!?」
怒鳴られてしまった。かなりの本気声で。
「だ、大丈夫だって、これからやるのは弓術の鍛錬だし。さっきみたいに死ぬ気で戦うこととかはもうしないから」
「次がそうでもその前が異常だと……! ───〜〜〜……はぁ、いいわ」
そしてまた、的外れを突っ走りきった春蘭へ向ける目のまま、溜め息を吐かれた。
……なんだろう、季衣なら喜びそうなのに、なにか大切なものを失った気がする。
奇妙な喪失感に包まれる俺を見て、華琳も何か思うところがあったのか怒気を治めてはくれた。俺が持つ弓をチラリと見るその目は、いつしか怒気ではなく意外なものを見る目に変わっていたのだ。
「弓術……そういえば報告にもあったけれど。一刀、貴方弓なんて使えたの?」
「あ……いや、これが全然。何度か教えてもらったんだけど、真っ直ぐ飛んでくれないんだよな。……すぅう───んっ!」
言いつつ、ビシィッと気を引き締めると同時に姿勢を正し、
「───……シッ!!」
矢とともに弦を引くことに一切の迷いも混ぜずに構え、放つ。
しかしながら狙った場所へは飛ばず、地面にザコッと音を立てて埋まる矢。
「とまあ、こんな感じ。狙ったところに全然飛んでくれないんだ。……これでもマシになったほうなんだって言ったら信じるか?」
「………………」
「……? あ、えっと? か、華琳? 華琳〜……?」
気を引き締め、姿勢を正したままにした質問は返ってこなかった。
何事かと姿勢を崩していつもの調子で話し掛けてみるんだが……ここでようやくハッとした風情で俺を見て───
「え、あっ……そ、そうね。真っ直ぐどころか地面に放っては意味がないわね」
「……だよなぁ」
少し狼狽えながらも言ってくれた言葉に、どうしたもんかなぁと返して頬を掻く。
「蜀では紫苑に教えてもらってたんだけどさ。不器用とかそーゆーレベルじゃないだろってくらい、物覚えの悪い生徒で通ってた。狙った的に“実力で”的中させたことが一度もないくらいだ」
はい陛下、肉体労働は慣れてきたけど飛び道具は苦手です。
なんてヘンなことを言ってないで、少しでも技術をあげないとな。
凪にはいつか、効率のいい氣弾の飛ばし方を教えてもらうとして……秋蘭、弓術教えてくれたりするかな。祭さんにあんなことを言った手前、教えてもらえなかったら次に祭さんに会った時が怖い。
大見得を切るどころか、大見得を八つ裂きにしてしまう結果になりかねない。
それはとても危険だ。危険だから……頑張ろう。それこそ必死で。
ゴクリと勝手に息を飲む喉、かきたくもないのに勝手に背中を伝う冷や汗。
帰って早々、やることがありすぎて潰れてしまいそうな自分に、軽く眩暈を覚えたのがこんな時でした。受け容れたのが自分だから、今さらぶつくさ言っても始まらない。うん解ってる、解ってるんだけどホラ、思わずにはいられないのが人間っていうかさ。
「………」
そして、特になにも仰らない華琳を前に、俺はどうすればいいのだろう。
少し様子がおかしいし、まさか無視して続行ってわけには……
「貸しなさい」
「へ?《ひょいっ》あ───」
華琳が俺の手から弓を抜き取り、最初から整っている立ち方をさらに整えて、俺に矢を渡すように目で語りかけてきて───って待った待った!
「弓引く前にこれ。弓懸けつけないと指痛めるぞ」
「必要ないわよ、一度やるだけだもの《がっし》って、一刀っ? ちょっとっ」
「一度だろうと駄目なものは駄目だ。俺が使ってたので悪いけど、とにかくつけるっ」
弓懸けを外して華琳の右手に装着。
なんだか随分抵抗されたけど、これで………………サイズが合ってないな。
ああっ、なんかジロリと睨まれてるっ!
「う……すまん。ちょっと大きいか……でも無いよりはマシだろ? 何もつけずにやって、指でも擦り切れたら春蘭と桂花に俺が殺される。それに……俺だって嫌だぞ、そんなのは」
「…………そ、そう。解ったわよ、そこまで言うならこのままやるわ」
渋々弓懸けをつけたままで、やってくれることになった。
当然俺はその事実に喜びを表しながら、華琳に鏃を潰した矢を持たせ、見守った。
大概なんでも出来る華琳さまだ、華麗に決めるんだろうな〜と見ていたら……
「……ふっ」
ビッ───ドッ!
「……ふぅ、まあまあね」
予想通り、俺が狙っていた木に見事突き刺してみせた。
ここまで予想通りだと逆に清々しい。
「すごいな……弓も出来るのか」
「当然でしょう? あらゆるものを興じてこその覇王よ。王は“様々”を知り、“一点を極める”は将に任せればいい。何も出来ない者は位や血筋でしか王にはなれないし、そもそもそんな王の下には、そんな王を利用しようと企む者しか集わないわよ」
「そうか? 位や血筋だろうと、人格で王になれるやつだって居るだろ。あとはその人が努力して、血筋や位以外に誇れるものを得ればいい」
「簡単に言うわね。人が変わるのはそう簡単なことではないのよ? 乱世の頃で唱えるのなら、あんな荒んだ頃にあんな性格をしていた桃香こそがどうかしていたの。位や血筋を持った者なら余計にね。それでも一刀? 貴方はそんな変化を望めるのかしら?」
弓をスッと差し出す華琳と、それを受け取る俺。
目は互いの目を見たままに、同じく華琳から渡された弓懸けをつけて弦を引き絞る。
放った矢は……見当違いの方向へと飛んだ。
「自分じゃ変われないなら変えてくれる誰かが傍に居ればいいんじゃないか? 王が様々を知る者なら、その広く浅くの先を知る誰かが“その先はこうである”って教えられれば、少しずつ変わっていくって。ていうか華琳、解ってて訊くのはやめてほしいんだけど」
返事を返す前から、どこか笑みを含んだ顔だった華琳。
だから指摘してみれば、笑みを含むどころか小さく笑ってみせた。
「解ってても訊くことに意味があるのよ。相手にさらに理解させ、口にし、耳で聞くことでその者の意思を確信に届かせる。知らない間に自分が変えられていたって、随分かかって理解する者だって居るんだもの。どれだけの慧眼や知識を持っていようと、確信っていうものは必要なのよ。国が国として、そうであるためにはね」
「そんなもんか?」
「ええ、“そんなもん”よ」
まるで“貴方がそうさせたんじゃない。責任とれ、このばか”って言われてるみたいだ。
ただそんな気がしただけで、華琳は変わらず穏やかな笑みを見せているだけだけど───しかしそんな穏やかな笑みを急に変化させると、俺に軽い弓術のレクチャーをしてくれる。
立ち方、姿勢はそれでいいから、当てることから意識を外しなさいと。
つまり“飛ばすことから始めなさい”ってことらしい。
「えと……姿勢はこのままでいいんだよな?」
ならば早速と、弦を引き絞る。
しかしながら目の前に華琳が居ることで、妙に意識してしまっているのか……姿勢が安定しない。授業参観で親を意識する子供のようだ。連想してみたら顔が熱くなったのは内緒だ。
でも……授業参観か。もし子供が産まれたりして、その子を学校に行かせたら…………
「一刀。鼻の下が伸びてるわよ」
「イエチガウンデスヨ!? おかしなことじゃなくて、先のことなんかをっ……! って違うやっぱりなんでもない! 忘れて! 忘れてくれ!」
俺は確かに見たんだ……ジト目が少しずつ黒い笑みに変わるのを。
だから忘れてくれと言った……のだが、聞いてくれるはずもなく。
もし子供が出来たら〜ってところから始まる赤裸々未来予想図を、華琳さまの気が済むまで延々と語らされ続けた。
「くぅ……! 穴があったら入りたい……っ!」
「おかしなことを考えているからそうなるの。いいから次を番えなさい」
(そういう自分だって顔赤いくせに……)
いやぁ、しかし子供か。
もし華琳との間に子供が出来たら、やっぱりその子は曹丕になるんだろうか。
男だろうか女だろうか。俺のことはどう呼んでくれるんだろうか。
やっぱり父上とか? それとも……ううむ、ととさまとも呼ばれてみたいな。
華琳の子だからきっと……ああいやいや、理想を突きつけすぎるのは酷だな。でも我が子ならば可愛い! そうに違いない!
(……なんだろう。子供が出来たら、間違い無く親馬鹿になりそうな自分が居る)
それはそれとして矢を放つ。
安定しないソレは茂みに刺さり、見事に華琳に溜め息を吐かせた。
「一刀、次を番えて待ちなさい」
「ん? お、りょーかい」
矢を弦に番い、引き絞る。
と、その後ろから華琳が…………………………あの、何故背中に抱きつくんでしょうか。
「か、華琳っ? いったいなにをっ……!」
「《にこり》……一刀、今すぐ縮みなさい」
「無茶言わんでくださいっ!?」
どうやら背中から的の狙い方などを教えてくれるつもりだったらしいが、どうにもいろいろと足りなかったらしい。何がとは言えない。
「正面からは無理か?」
「それだと私の感覚が伝えられないじゃない」
「む……ごもっとも」
言いながらに向き直って、華琳とともにとほーと溜め息。
桃香相手に教える立場に立ってみたから解る。
自分が教えられるのは、あくまで自分が経験したものだけだ。
だから自分の感覚が逆になってしまえば、それは正確じゃない。
じゃあ……?
「華琳、今すぐ成長してくれ《ゴズゥッ!!》あだぁっ!?」
軽口を返してみた途端に弁慶に走る衝撃! その正体はトーキック!
泣くっ……! 俺の泣き所が大号泣!
「弓を構えたまま死にたくなったの? 是非と謳えるならば考えなくもないけれど」
「お、俺には縮めって言ったじゃないかっ……! ったたたた……!」
「へえ? じゃあ私を蹴るというのかしら?」
「…………蹴っていいの?」
「いいわよ? 命の保障はしないけど」
解ってて訊くんじゃないわよ、なんて顔をしている。
訊くことに意味があるって言葉を実行に移してみただけなんだが……この言葉、そっくりそのままお見舞いしてくれようか。
……また弁慶を泣かせてしまいそうだから、やめておこう。
「王ってのも大変だな」
「? 急になんのことよ」
「いや、なんでもない。ところで華琳、一度腕を逆にして射ってみてくれないか? それが上手くいけば、俺にも余裕で教えられると思うんだ」
「……一刀。いつから私に教わることが前提になったのよ」
「───……あれ?」
そういえばそうだった。
当の華琳ももはや教える気もないのか、とことこと木の幹までを歩くと座り込んでしまった。……残念、もう少し話を───いやいやいやいや違う違う! もう少し話していたかったとか、そんなことないってば! 鍛錬鍛錬! 集中しろ俺!
恋する乙女はいいんだってば!
「よし……弓、弓だ」
とりあえず体に弓を持つ感覚と放つ感覚を覚えさせようか。
イメージとしては……えーと……
───……。
結局一度も狙った場所への的中を出せないまま、指が赤くなる前にやめた。
やめたなら、次は氣の鍛錬。
それが終わるとイメージトレーニングをして、雪蓮のイメージと全力で戦う。
……で、あっさり負ける。
何度試してみても越えることは出来なくて、自分の頭の中にゲンコツを食らわせてやりたくなった。脳が潰れるだけだろうけど、そう思ってしまった。
「…………《カリッ……》」
頬を掻く。
尻餅をついた格好のままに呼吸を整えると、もう一度立ってイメージに向かう。
それでも勝てず、叩きのめされ───強くなろうという意欲さえ、叩き折られ続けている気持ち悪さと出会う。
「───、───」
途中、誰かに何かを言われた気がした。
よく解らない。
立たなければ───立って立ち向かわなければ嘘だって意識を杖に立ち上がって、また戦い、負ける。
「…………、……」
酸素が足りない。
呼吸をするけど、頭がまともに働いてくれるほど肺に届いていない気がする。
……なんでこんなに必死になってるんだっけ。小細工をしなきゃ勝てない自分が悔しいから? それとも、こんなに頑張ってるのに勝てない自分が情けないから?
解らない。解らないからイメージと戦う。
努力が実らないことが嫌で、上手く考えられない頭のままに考えて、戦う。
頭は働かないくせにイメージばっかり鮮明で、崩れてもくれない、弱くなってもくれない想像の相手を前に、少しだけ泣きたくなった。
けど、泣いたら立ち上がれなくなる気がして、そうしなかった。
……そして、また負ける。
ぜ、ぜ、と息も荒く、まるで泣きすぎて呼吸困難になっているような自分。
イメージに負けただけなのに仰向けに倒れ、空を見ていた。
「……、……、……」
音が上手く拾えない。
自分の呼吸がうるさくて、少しだけ苛立った。
止めれば自分が死ぬことくらいは今の自分でも理解できたから、それはしなかった。
(……、また、お前かよ)
そんな鍛錬の先で、またソイツと出会う。
うんざりとした思いが瞬時に心を支配して、疲れきっているはずの体が勝手に握り拳を作った。
ソイツは自分の中にいつだって居る奴だ。
弱音なんて吐きたくないのに現れるそいつは、冥琳を助けようとした時にも現れ、今も。
お前なんかじゃあ勝てやしない。相手は過去の英雄だぞ?
息を整え、立ち向かい、負けるたびに声が聞こえた。
心を折らせ、二度と立てなくさせたいのかと疑いたくなるくらいに、幾度も。
こんな疲れる思いをしたところで誰も喜びやしない。それよりも───
自分の内側の声は、ひどく保身的だった。
それはそうだと納得は出来るものの、それを受け容れることで困難から逃げる癖がつくくらいなら、内側からの言葉なんて聞く必要は無いと思った。
せっかく帰ってきたんじゃないか。もう鍛錬の範疇を越えている。無理はするな。
それでも負けてしまう。
イメージ相手なのに木刀を手から落としてしまったのは、握力が無くなってしまっているからだろうか。ふらふらになりながら落ちたそれを拾い、構えようとするが……やはり落ちる。
そこまでして、ふと気になった。俺は何と戦っているんだろうと。
相手は雪蓮の姿をしている。やたらと強い。
腕を折られた、恐怖した。降参の意も受け取ってもらえない。
蘇るのはトラウマって名前の恐怖だろう。
降参しているのに振るわれる模擬刀と、親父に刺された時の冷たさ。
戦場に居るわけでもないのに、降参って言葉で終わってくれない戦いと、刃物の冷たさを知った。
(……そっか)
トラウマなら確かにその通りだ。
これ……って言ったら雪蓮に悪いけど、これ……俺の恐怖の具現だ。
守る力が欲しい。殺す必要はない。じゃあ振り下ろさなきゃ守れない時がきたら? 力である以上は振るわなければ役には立たない。じゃあ俺は振り回して脅す力が欲しい? それは絶対に違う。それが出来るなら、オヤジが盗賊まがいのことをされた時、躊躇もせずに振るっていた筈だ。
(………)
鏃を潰してあるとはいえ、矢を的中させたらどうなる? 氣弾は?
守るためにつけた力だ、殺すためのものじゃない。
だから無意識に外して、無意識に次が撃てないようにしている? そんなことは無い、と思う。
お前にお前の恐怖は壊せない。恐怖が無ければ人は加減を覚えないからだ。
……呼吸を整えた。
消そうとしていた心の中の声に耳を傾けながら、イメージの雪蓮を見つめたまま。
虎のような目をした彼女の眼光を前に、恐怖に支配されそうになるのを僅かな勇気で我慢して。
無理して恐怖と戦う理由がどこにある? “守る力を”って、何を何から守るんだよ。
子供の屁理屈、大人の言い訳。
いろいろな逃げ道が自分の中に、言葉として用意される。
こう言えばみんなも頷いてくれる。こう言えば誰もお前を責めない。
よく出来た言い訳だと思いながらも、疲れきっている自分でも───そんな言葉は笑い飛ばせた。
鍛錬なんかやめて、仲良しごっこだけしてればいい。それだけでも支柱になれるだろ?
そんな笑い声を無視して、ソイツは俺に甘言を投げ続ける。
対する俺は、深呼吸を繰り返して……自分の恐怖と向き合った。
「……あのさ。勘違いしているようだから言うけどな───」
そして、タンッと地面を蹴り───
「俺は、自分の恐怖を壊したいなんて……そりゃあ思ったことはあるけど、今は違う」
無造作に木刀を振るった。
それは雪蓮のイメージにあっさりと躱され、イメージは即座に反撃に転じる。
「ただ、打ち勝ちたいと思ってるだけだ。勝った上で、受け止めたい」
そんな反撃をなんとか避けて、こちらも木刀で反撃。
これも、あっさりと避けられた。
「俺は俺として華琳の傍に居るって……そう覚悟を決めたんだ。だから───」
目を鋭くして、いつかのように迫る雪蓮。
いつかの恐怖が体を支配しかけるが……
「恐怖を感じなくなった時点で、それはもう俺じゃないんだよ」
そんな彼女の額に、デコピンをかました。
当然、相手はイメージだから当たることもないが……───それだけで、イメージは掻き消えてしまった。
まるでデコピンで消したようにだ。
───……
たったそれだけで、頭の中のソイツの声は聞こえなくなった。
最後に、意地の悪いことにじいちゃんみたいな笑い声だけを残して。
その途端に体は限界を迎えたようで、立っていることすら“ごめん無理っす”ってくらいに放棄して、ゴシャアと倒れる俺の体。
それがあんまりにも自然な動きだったために、受身なんて取れなかった。
「……あ、あれ?」
我ながら変な声が出た。
体を動かそうとするんだが、全然、まるで動かない。
……え? 氣……使い果たした?
いや、それにしたってこの……頭の中、意識以外のどこにも力が入っていないような感覚は……こ、これが夢心地!? いや違うだろそれ!
誰かに助けを……と、ようやく周囲に目を向けると、華琳と思春が呆れた顔で俺を見下ろしていた。
「あ、華琳、思春……なんか体が動かなくなったんだけど……何事?」
「何事、じゃないでしょう……。私が思春に“動けなくさせなさい”と命じただけよ」
「ホエ?」
え? 何故?
むしろ思春さん、いったいどんな方法でこうまで見事に脱力させたのですか?
まるで力が入らないんですが?
「……呆れたな。気絶させるつもりでくらわせたというのに」
「いや、目は恐ろしいくらいに冴えてるけど。むしろ体だけが気絶中みたいな感じで」
……鍛錬のしすぎで、ついに悟りでも開きましたか、俺の意識。
「ていうか華琳? 動けなくって、どうしてだ?」
「あのままだったら貴方が死んでたからよ。鍛錬も結構だけどね、度が過ぎたものは体を滅ぼすだけよ」
「……え? 俺、普通に鍛錬してただけだよな? なんか途中から記憶が曖昧なんだけど」
『………』
わあ、信じられないものを見る目だ。しかも二人して。
「一刀、質問に答えなさい。貴方は今、誰と戦っていたの?」
「雪蓮。呉でコテンパンにされてから、蜀でも魏に戻る中でも、ず〜っと戦ってた相手なんだけどさ。いや、これが面白いくらいに勝てなくて」
「……次。どんなふうに戦っていたのか、覚えているかしら?」
「せめて一撃でも当てたいなぁと。自分に出来ることを出し惜しみせずに、諦めなきゃ試合続行だとばかりに……立てるなら突っ込むって感じで、こう……」
「で? 私が止めたことには気づいていたのかしら」
「へ? …………い、いやぁ〜……と、止めてたのか?」
「…………思春、この馬鹿にとどめを刺してあげなさい」
「はっ」
「いやいやいやいやちょっと待とう!? 今体が動かないのにそんなことっ!」
思春がゆらりと近づいてくる! ……怖ッ!!
なんですかその“ようやく公認でこの馬鹿者をシメられる”って顔は!!
ええ!? 俺ってそんなに馬鹿ですか!? ……うん、ごめん、馬鹿かも。
「……あまり無理をするな。それ以上意識を強めれば、体に負担をかけるだけだ」
「?」
溜め息を吐きつつ、うつぶせの俺の傍らに屈む思春が、そんなことを言うんだが……意識? 負担?
軽く疑問が浮かんだ時には氣を込めた手刀を頭に落とされ、意識も刈り取られた。
……あとで聞いたんだが、どうやら体は気絶、意識だけは氣の高ぶりで覚醒状態にあったって状態だったらしい。つまりあれだ、金縛りみたいな状況。
負かされても気絶だけはしないようにと、氣を高ぶらせ続けてた結果なんだそうだ。
88/そこで取る貴方の行動
………………。
「………」
ゆっくり深呼吸。
次、手を動かしてみる。
次、足、腰、胴。
「……完治!《ジャーーーン!》」
思春にオトされ、自室に運ばれてしばらく。
思春に意識のことを説明され、華琳に説教をくらってから、自身の体にもう大丈夫かいと訊ねたところ、オールグリーン。ならばなんの憂いも無しと立ち上がった。
既に華琳も思春も退室した。ならば我を止める者などおらぬとばかりに。
体は随分と重苦しかったが、動けないわけでもないのでまずは着替え……の前に、風呂を借りようか。用意させているとか言ってたし、もし許されるなら。
そんなわけでのそりのそりと歩き、許可をもらおうと思ったのだが、とりあえずは汗を拭いた上でフランチェスカの制服に着替える。胴着姿に慣れてない侍女さんたちも居るだろうし、そんな姿でうろついてて、もし曲者扱いされたらたまらない。
なのでフランチェスカの制服に身を包み終えると、ミシミシと軋む体を庇いながら……やっぱりまずは厨房へ。水を飲んでひと息つくと、今度は華琳の自室へ───行くはずだったんだが、少しでも書簡整理を進めておこうかなという甘い誘惑が俺を支配した。なので隊舎へ。
華琳には安静にしてなさいって言われたけど、どうせ動けないなら目を通しましょう書簡の山。と、辿り着いた隊舎ではどういうわけか思春が仁王立ちしておりまして。
「ア、アノー、書簡ヲ……」
「だめだ」
たった一言を返され、たった一度の瞬きのうちに思春を見失った俺は、首に軽い衝撃を受けて気絶。
どんなことをしてでも今日は安静にさせろとの華琳からの命だったらしく、そんなことを自室で目覚めてから聞かされた俺は、ただボーっとする時間を過ごした。
あ、ちなみに風呂はまだ他の誰かが入っているそうです。
「………」
思春は伝えることだけを伝えると部屋から出てゆき、俺と袁術だけが残された。
といっても───さっきも、そして今も、袁術は寝台の影に隠れて触れていたわけだが。
「袁術?」
「う……な、なんじゃ?」
座り込んで丸まっていた顔をひょこりと持ち上げ、俺を見る袁術。
そんな彼女に軽く手招きをして、寝台に乗っかってもらう。
……早い話が、話相手が欲しかった。
鍛錬に熱中するあまり、自分のことに意識が回らなくなるなんて相当だ。ようやく魏に帰ってこれて、舞い上がってたのかなぁ……そりゃ、自分にだって自重しろとか言われるよ。
「今日はどんなお話をするのじゃ?」
「ん〜……そうだなぁ。じゃあ───」
鍛錬の疲れが重みとなって、少しずつ体を蝕んでいく頃。
俺は寝台の上から動けなくなり、袁術は俺の隣に寝転がって、俺の口から出る作り話に終始楽しげにしていた。
あくまで話の間は、であり……話が終わればすぐに離れる袁術さん。
しかし猫のような目でじーーーーっとこちらを見てきて、たまに少し視線をずらしていると、いつの間にか少しずつ近づいてきたりしていて……どこの猫だろうか、このおぜうさまは。
(そういえば鍛錬に集中しすぎてて気にする余裕もなかったけど、今どのくらいの時間なんだろ)
昼? ……にしては、窓から差す陽の色が……わお、もう夕方か。
何事も夢中になると、周りが見えなくなるもんだなぁ。
外に出たなら、隊舎に行った時にでも気づきもしようものなのに。
(はぁ……しかも華琳が見ていることすら、途中で忘れるほどだったし)
我ながらどういう集中力なんだか。
他人から見れば、人様の言葉を無視して一人で木刀振り回す変人だぞ? さぞ異様な光景だったに違いない。ところで穴はどこですか? あるのなら潜り込みたいのですが。
「はぁ……《ふにっ》……むぁ?」
頬に圧迫感。
ちらりと見てみれば、やたらと真面目な顔の袁術が、俺の頬をつついていた。
……何事?
気にはなったけれど、体がだるい所為で動く気になれない。
つつかれるままに天井を眺め、少ししてから何回つつかれるかを数えだした。
やがてそれが300回目へと辿り着かんとする時───
「……のう一刀?」
「ん……んー……?」
つつくのをやめた袁術が、おそるおそる声をかけてくる。
つつかれる感触に慣れてきた頃だったために、もう少しで眠れるって時だった。
「おぬしはほんに妾になにもせぬの……それは何故なのじゃ?」
言いながら、300回目が達成される。
何故? 何故って……
「友達だから」
「……友達? 妾と一刀は友達なのかや?」
「俺が勝手にそう思ってるだけだけどな。っと、じゃあ……ほい」
重い体に喝を入れ、右手を差し出す。
寝転がったままだから、ただ少しだけ持ち上げたってだけだが。
「袁術が嫌がることはしない。お話だって、出来る限りする。怖かったら一緒に居るし、楽しいことは出来るだけ共有したい。俺は袁術の友達になりたいんだけど、袁術はどうだ?」
「……友達になると、どうなるのじゃ?」
「ん? んー……特別何がどうなるってこともないな。ただ少しだけ、気持ちを共有したくなる……かな」
「むぅ……よく解らぬの……」
「だからいいんだよ。全部解ったら、友達どころじゃないんだし。逆に全部解ったら、ほっとけなくなるよ。お互いに」
ぽてりと腕を下ろす。
すると袁術は頬から手に意識を向け、ぺしぺしと軽く手を叩き始めた。
「……友達とは、叩かれても怒らぬのか?」
「軽く叩かれた程度なら……まあ。ただ、俺はどうにもいろいろと甘いらしくてさ」
友人云々じゃなくても、そんな貴方がどうして曹操殿の傍に居られた〜って、星に呆れられるくらいだからなぁ。
「ただ、自分が嫌だと思うことには素直に怒る……と思う。怒る自分があまり想像出来ないけど、多分怒るぞ」
「うみゅぅ……一刀の嫌なこととはなんじゃ? つまりそれさえしなければ怒られぬのであろ?」
「ははっ……故意にやられることもそりゃ怖いけど、一番怖いのは事故だろ。大丈夫、滅多なことじゃあ怒ったりしないよ。そこのところはじいちゃんに叩き込まれてるし」
怒る時は怒るけどね。理不尽に蹴られまくったりした時とか。
……あとはなんだろ。自分が怒るイメージが特に湧いてこない。
まあ、いいか。怒らないで済むのがなによりだもんな。
「自分が怒ってる姿が想像出来ないし、大丈夫だって。故意に悪さしたりしなければ」
「う、うむっ、妾は一刀には何もせぬぞ? だから一刀? その……七乃が戻るまで、妾を守ってたも?」
「………」
俺には、って……他には悪さをすると?
「………」
「?」
こんな状態()じゃあ悪さがどうとか以前の問題か。
今はなにやら俺の右手にすりすり触れてきてるし。こう、カイロを揉むみたいに。
「何から守ればいいのか解らないけど、とりあえず了解」
「おおっ、まことかっ?」
「ああ、まことまこと。ただし。あまり自分から、守ってもらわなきゃいけない状況に飛び込んだりしちゃだめだぞ?」
「うはーはははは解っておるっ! 侍女から聞いておるぞ? 一刀はこの魏にはなくてはならぬ者……その一刀が“友達”になったのなら、もはや妾に怖いものなどないのじゃーーーっ!!」
僅か数秒で、寝台に立って腰に手を当てふんぞり返るおぜうさまの誕生の瞬間である。
ああ、その、なんだ。将への怖さよりもむしろ、後ろ盾が無くて怯えてただけなのか?
「そんなわけじゃから一刀っ? 外へ向かうぞ? 妾はもはや辛抱たまらぬのじゃ〜♪」
そしてあっさり脱HIKIKOMORI宣言。
……いいのか、こんなに簡単で。
それともこの時代の貴族なんてものは、後ろ盾さえあればなによりの勇気を得られるものなのか?
(…………)
軽く、麗羽のことを思い出してみる。
……なるほど、後ろ盾じゃなくても、名門って意識と血筋さえあれば、意識の切り替えなんてどうとでもなるのか。
きっと袁術も、ここで暮らすようにならなければ、いつまでも名門意識と血筋だけで乗り切れたんだろうな。なにせ麗羽の従妹だ。
それを多少でも挫くことになったなら……袁術にとって、少しはいい方向に向かったのかな、ここでの生活も。
「……今日じゃないとダメか?」
「う、うみゅ? ふむ……そういえば一刀は疲れておるのじゃったの……。しかし妾はお腹が空いたのじゃ……朝から一刀がおらなんだしの、何も口にしておらぬ……」
「へ? だ、誰も持ってきてくれなかったのか?」
「一刀が来てからは一刀が運んでくれたしの。侍女のやつも恐らくはそういうつもりでいたに違いないのじゃっ、まったく妾をなんだと思って……!」
ぷんすか怒り始める袁術だが、迫力はゼロだった。
朝からじゃあそりゃあ辛抱たまらなくもなるよな。
そういえば俺も、昼は食ってなかったし───一丁……しようか! 久しぶりに!
「はは……よし、じゃあ袁術。これから厨房に忍び込んで……」
「む、む? 忍び込んで……どうするのじゃ?」
「どうするって、決まってるじゃないか……つまみ食いだよ、つまみ食い……!」
「《ハッ!》……うほほほほ、一刀、おぬしも悪よのぅ……!」
「うぇっへっへっへ、お嬢様ほどではありませんよぅ……!」
体を起こし、顔を見合わせてニタリと笑い合う者二人。
いたずらやつまみ食いなどの密かな連帯感……これはやった者にしか解らぬヨロコビ。
ミシミシと軋む体を寝台から下ろし、ロボのようにンゴゴゴゴと起き上がる……!
さあ、いざ……! 遥かなる厨房へ……!! ───バタム。
「隊長起きとる〜? お、起きとる起きとる、メシ持ってきてやったで〜♪」
…………。
「ん? どないしたん隊長、それにちっこいのも。そしてなんやの、この“おいおいここでそれかよ空気読めや……”って感じの空気……」
意気揚々だった俺と袁術の目が、昼餉(夕餉?)を持ってきてくれたらしい真桜に注がれた。その目は……まあ、真桜が言った通りの空気そのものを含んだ目だったに違いない。
「ああ……いや……なんでもないんだけどサ……。真桜こそどうしたんだ? 料理運んでくるなんて珍しい」
「やぁ〜、なんや知らんけど大将が急に料理作る〜ゆーてな? で、出来上がったら出来上がったでついでやから〜って。……なぁ隊長? 出来たモンいっちゃん最初に隊長にもってけゆーの、ついでって言えるん?」
「……華琳的にはついでなんだろ。もらっていいか?」
「あ、ウチもちぃとばかしもらってええ? 運びながらもう何度手ぇ伸ばしかけたことか……!」
「真桜、口の周りに───」
「んなっ!? ちゃんと拭いたはずっ……───あ゙」
「……《ニコリ》」
「あ、あ……あー……運び終わったし、用事あるんでウチもう行きますわ〜、あはっ、あははははー」
「あ、こらっ! やっぱりお前、つまみ食いをっ!」
言い終えるより早く、持ってきたものを机の上に置いて、ぴうと逃走。
取っ捕まえようにもギシリと軋む体では追うことも出来ず、がっくりと項垂れるしかなかった。
「人のつまみ食いは阻止しといて、自分だけは……。なんだろう、この奇妙な敗北感」
「うみゅぅ……なにやら納得がいかぬのぅ……つまみ食いはどうしてか美味しいからの、是非ともやりたかったのじゃ」
「袁術……」
「一刀……」
妙な連帯感が生まれた。
トスと軽く叩き合わされた手の平が、そんな些細な連帯感を祝福する。
ともあれ食事だ。
運ばれてきたものを見て、むしろ香りの時点で何が来たかは解っていたのだが。
「ところで一刀? これはなんなのじゃ? なにやらどっしりとした形……新たな饅頭かの……!」
「いや、これはな、袁術。ハンバーグっていう、天の料理だ」
「おおっ、はんばぐーとな!? いかにもな名前じゃの……!《ごくり……!》」
名前と形に興味深々らしい。近づいて机の上によじ登り、四つんばい状態でスンスンと匂いを嗅いでいる。
……ごらん、みんな。あれが常識の枷から外れたお嬢様だよ……。
と、妙にやさしい気持ちになってる場合ではなく。
デカイな……デカイ、すごくデカイ。いつか春蘭が食べたキングサイズ並じゃないか?
まあ……鍛錬するようになってからは、結構食が太くなったからどんとこいだけどさ。
「一刀一刀っ、早速食べるのじゃ!」
「っと、はいはい、今切り分けるから、一緒に食おうな」
「うむっ」
レシピを覚えていてくれた華琳に、なんか無性にありがとうを届けたくなった。
華琳のことだ、あの頃よりも美味しく作れるようになっているに違いない。
そんな、自分がここに居た証が目の前にあることを嬉しく思う。
華琳がこの場に居たら、喜びのあまりに絶対に抱き締めてた。
「じゃ、いただきます」
「うむ、いただくのじゃ」
椅子に座り、袁術が膝の上に座る。
そしてハンバーグを切り分け───ってちょっと待て。
「袁術? いつもみたいに寝台には行かないのか?」
「む? ……やれやれ、一刀はなんにも解っておらぬのぅ。それではいざという時に一刀が妾を守れぬであろ? それならばここに座ったほうが妾も安心、一刀も安心。どうじゃ? 我ながら完璧な自衛手段であろ?」
「………」
前略華琳さま。
なんか今……物凄くこう……なんか、うん、じわぁと理解が広がったといいますか。
ああ……本当に麗羽の従妹なんだなぁ……って……なんか……なんだろうね……。
“なんか”って言葉が必要ななにかに変わってくれない、この切ない気持ちがこう……。
「それより一刀、早く食そうというにっ。妾はもうお腹が空いて倒れてしまいそうなのじゃぞ?」
「あー……まあ、解った」
一応心を許してくれたって考えて、いいのかな?
ていうか真桜が来た時はそんなに怯えてなかったな。
後ろ盾が出来た途端にこの強き……いっそ見習いたいくらいだ。
「じゃあ、食べ易いように切り分けて……と。ほい、もう食べれるぞー?」
「食べさせてたも?」
「………」
あれ? 変だな……友達ってこんなんだっけ……?
まあ、いいか。怯えた分くらいは甘えさせるのもいいかもしれない。
そんなわけで食べる。ひたすら食べる。
生憎と箸が一膳しかないから、袁術に食べさせて俺も食べてって感じで。
「おおっ、これは新しい味じゃのっ! こんなに美味なものは久しぶりなのじゃっ! 一刀一刀っ、もっと、もっとじゃっ!」
「はいはい」
「はぐはぐんぐんぐ……んん〜〜〜っ……♪ この、食べたあとにじゅわぁと広がる旨味がたまらん……! 曹操もなかなか器用ではないか、こんなものが作れるのならば、妾も多少は見る目を変えてやらねばならぬの……それはそれとして一刀? 次をよこすのじゃ」
「ちゃんと噛んで食べてるか?」
「んむっ!? もっ、もちろんじゃ、かか一刀は妾を疑うのかや……?」
「だったらいいんだけど。うん、美味い」
ハンバーグを食べ、米を食べ、水を飲んで再びハンバーグ。
野菜もショリショリと食して、二人して完食してみれば腹も満腹。
俺は椅子に、袁術は俺の胸に背を預け、同時に『はぁ〜〜……♪』と暖かな溜め息を漏らした。
味わって食べたためか結構な時間がかかった……と思う。なにせ時計が無いから解らない。しかしながら窓を見やれば暗くなっている外。
……もうそろそろ風呂もいいかなと、軽く考えた。
「むふぅう……たまらんの……これは素晴らしい食べ物なのじゃ……。一刀は天で、いつもこのようなものを食しておったのか……?」
「いや、天でもここまでのはそうそう食えないな。華琳だから出来た味だ」
ご家庭でお手軽簡単クッキング♪ なんてレベルじゃあ断じて無い。
……何処まで食ってものを追求すれば気が済むのやら。
しかしさすがキングサイズ。動きたくなくなるくらいの量だった。
袁術も食いすぎたのか、どっしりと俺の膝の上に腰を下ろして、動こうとしない。
もちろん俺も動く気になれなかったから、なんとなく寂しい手で袁術の頭を撫でる。
「う……? こ、これ一刀? くすぐったいぞ……?」
「っと、ごめんごめん、どうも撫で癖みたいなのがついてるみたいで」
再び腕をだらんと下ろす。
はぁあ……それにしてもなんというかこう、心地良い重みだ。
これはあれか? 華琳に背格好が近いからそう思うのか? 本人に言ったら八つ裂きにされそうだけど。
腹も満腹になって、体も疲れと重みに軽い緊張を持っていて、すぅっと息を吸えばこのまま眠れそうな───……でも寝るなら寝台がいいね。今回も寝かせてくれるかは解らないわけんだけどさ。
(けどここですぐ寝たら、腹の中のものが上手く消化されないだろうし……少し動くか?)
……いや、今日はもう勘弁だ。
これ以上は危険だと、今の自分ならよ〜く解る。
ならば風呂に……いや、風呂は一番最後でいいや。じゃないといろいろとその、なぁ?
ただでさえ風呂での別の人との遭遇率が高い気がするんだし、最後だ。うん最後。
はふぅ〜……と長い息を吐いて、考えることを切り替える。
風呂風呂考えてたら、いろいろな経験からしてピンク色の思考に満たされそうになったからだ。
何か無いか、何か。こう、キリッとした何か───っと、そういえば。
(……なんだかんだでイメージに勝てた……んだよな?)
デコピンでなんて、おかしな勝ち方。
一勝は一勝だって言うなら、あれは確かに勝ちだった。
なにせ相手が消えてしまったのだから。
俺の意識が限界だったって言えばそれまでの事実であり、どの道続行しようにも思春に気絶させられていた。
だったら? ……そだな、次の時にもう一度頑張ってみよう。
その時には、今までよりも多少は、恐怖への耐性が出来ていることを願って。
「袁術、このまま寝ちゃうか?」
「うむ〜……そ〜じゃの〜……」
心地良い満腹感に包まれているからだろうか、ゆったりとして、どこかポワポワした返事が返ってきた。ならばと袁術を持ち上げ、ひょいとお姫様抱っこに持ち変えると、そのまま寝台までを歩いてこてりと寝かせる。
どうやら寝巻きも用意されていないらしい(恐らく袁術自身が拒否したんだろうが)豪奢な服そのままで、掛け布団をかけてやる。
いっそこのまま寝てくれようかとも思ったが、さすがにそれにはためらいが走る。
疲れてるから布団で寝たいのは事実。けれど、いくら自分の寝台だからって許可も得ずに……なぁ?
仕方無い、机に行こう。
そう思い、灯りを消して机へ。
……それ以前に風呂だ。もう結構いい時間だろうし、みんな入り終わったよな?
(……よし)
バッグから着替えを取り出して歩く。
袁術はまったりしているみたいで、特にこちらに注意が向いたりもしない。
ならばと静かに部屋を出て、侍女さんにもうみんな入り終わったかを訊ね、ゆっくりと湯船に浸かった。マッサージで筋肉をほぐし、血液を巡らせ、出来るだけ疲れが残らないようにして。
そうして風呂を出て自室に戻る中、明日するべきことをいろいろと考えてみていた。
───明日は書簡整理等、三日で済ませなきゃいけないものが待っている。
出来るだけ早く、眠気を残さないよう明日を迎えて処理を始めるのがいい。
だから早寝早起きはむしろ好都合。眠気は……なんとかなる。
(ではッ、就寝用意ッッ!!)
ザムゥ〜と自室の前に立ち、やはり静かに入室。
ちらりと中の様子を見ながら椅子に座り、はふぅと吐息。
背をぐったりと預けて目を閉じると、温まった体があたかもじわりじわりと眠気を召喚していくようで……! …………ハッ!? 視線ッ!?
「───」
「…………《ガタガタガタガタ……!!》」
寝台を見てみると、おぜうさまが掛け布団を掻き抱きながらこちらを見て、ガタガタと震えてらっしゃった。
「……袁術? どした?」
「〜〜〜っ……ばかものぉっ! どどどどっどど何処に行っておったのじゃ! 妾への断りも無しに! そのようなこと、妾は許した覚えはないぞぉっ!」
「え? いや、汗流すために風呂に───ていうかむしろ気づきなさい。あ、袁術も入ってきたらどうだ? 気持ちいいぞ?」
「ひうっ……!? い、いやじゃっ! 一人は嫌なのじゃっ……吾郎が出るのじゃっ!」
「え……あ、いや、あれは夢の話だろ? 風呂でまで怯える必要なんかないって。なんだったら侍女さんに頼んで一緒に入ってもらうか? 温まったほうがすとんと眠れるかもしれないぞ?」
「う、うー……そうかの……」
「そうそう。だから入ってきなさい。ほら、途中まで一緒に行くから」
喋りながら傍までを歩き、寝台の主となっている袁術へと手を伸ばす。
すると得に躊躇もなくきゅむと手を握ってきて、少々意外に感じながらも連れ出し、一緒に歩いた。
しかし侍女に“この子と一緒に風呂に入ってくれ”と言うのも妙なもので、早速見つけた侍女さんに説明するのには、結構勇気が必要だったりした。
幸いにも華琳に命じられて、何度か袁術の世話をしたことがある人だったらしく、快く……ではない、少し微妙な表情で引き受けてくれた。
「ふぅ」
そして袁術が風呂に入る傍ら、どうしてか俺は風呂へと通じる通路の前で待機。
まるで怖くてトイレに行けない誰かに付きそっている気分で、袁術が出るのを待った。
だってさ、「そこにおるのじゃぞ? 絶対じゃぞ?」って、泣きそうな顔で言われたらさ……そりゃ、待つしかないだろ……。
───……。
女性の風呂は長い。
案の定、袁術が上がる頃には体にこもっていた熱も大分消えてしまっていて、ほっこり笑顔で「では戻ろうぞ?」と言ってくるお嬢様が、少し……いや、なんでもないです。
べつに“なんだろう……この、言葉通りの温度差……”とか思ってないってば。
そりゃさ、これだけ長い髪だと時間もかかるって。
そう納得するんだ。たとえ相手の体は暖かく、自分の体は冷えていても。
「一刀の手は冷たいのぅ……妾が暖めてしんぜようぞ?」
「………」
きゅむと繋がれた手を、両手で覆ってくる。そしてまた、カイロを揉むようにさわさわと撫でられ……くすぐったい。
えぇと……うんん? この状況に対して俺は、感謝するべき……なんだろうか。
……するべきだな。さすがにこんな純粋な笑顔に、待たされた所為で冷たいのですよとか言えないし、そもそも言うつもりもなかったし。
「そういう袁術は温かいな」
「うふふはは〜♪ そうであろそうであろっ♪ 心がやさしい者は手が暖かいと、七乃が言っておったからのっ。妾の手が暖かいのは当然というものよ。……でもなんじゃったかのぅ、その後になにか付けたされた気がするのじゃが……ま、気の所為じゃの」
「いや……うん」
絶対に何か付けたしただろうな。なにせ七乃だ。
と、そうこうしているうちに自室前に辿り着き、そのまま室内へ。
袁術はそれで安心したのか俺の手から自分の手をするりと離すと、寝台へと飛び上がって低位置へ。
俺も机へと座り、再びはふーと脱力。
(あ)
しかしそこで思い出し、侍女さんに借りた櫛をポケットから取り出す。
ちらりと寝台を見てみれば、自分の寝床を匠に用意する犬のようにバサバサと掛け布団を振り回し、心地良い体勢(?)を吟味しているおぜうさま。
(……今日はもう侍女さんが梳いたか)
湿り気も随分無いようで、暴れるたびにさらさらと揺れる髪が、含んだ水分の少なさを教えてくれていた。
侍女さん……いい仕事しています。
この櫛はまた今度だな。よし、寝るか。
「じゃ、おやすみ袁術」
「う? うむ、おやすみなのじゃ、一刀」
椅子にもたれかかって息を整える。
ちらりと見た寝台の上では袁術が丸くなり、同じく息を───
「…………一刀? 眠るんでないのかや?」
───整える前にもぞりと体を起こし、訊ねてきた。
「? 寝るぞ? だからこうして───」
「っ……な、なにもそのようなところで眠る必要はなかろ? それではいざという時に妾を守れんというに。じゃからの、その……じゃのぉ……」
「……えぇと、袁術? 眠りたいなら眠気があるうちのほうが───」
「い、いぃいいいやなのじゃっ! 吾郎が出るのじゃーーーっ!!」
「……わあ」
ふと気づけば、身を庇うようにして涙を浮かべてらっしゃった。
すごいぞ吾郎くん……愛紗や鈴々や猪々子には大好評なのに、袁術にとっては恐怖の象徴になったらしい。
少し呆れている中でも袁術は「はよう近う寄るのじゃー!」とか、「妾が寝るまで寝てはならぬー!」とか、「一刀は妾を守るのであろー!?」とか、もう言いたい放題である。
そんなこんなで結局何を言ってもハチャメチャな返事でうやむやにされ───……気づけば、いつの間にか布団で寝ていた。
(吾郎くん……俺、散々話しても布団で寝かせてもらえなかったのに……。キミのことを知っただけで、布団が普通に提供されるようになったよ……。喜ぶべきなんだけど……やっぱり少しだけ複雑な気分だよ……)
悲しみを抱きながら、袁術に腕にしがみつかれたまま目を閉じた。
カタカタと震えている体は小さく、華琳っていうよりは季衣や流琉に近い。
また頭を撫でそうになる左手を止め、右腕は動かせないままに呼吸を整える。
袁術が慌ててその呼吸に合わせようとするのが、なんだかくすぐったい。
「おやすみ、袁術」
「うぃいいいぃぅう……い、いかんぞ一刀ぉおっ……わわ妾を置いて先に寝るな……っ! ぐしゅっ……寝るでなぃい……!!」
「寝ないから、大丈夫大丈夫……」
「ふみゅぅう……まことか……?」
「ああ、大丈夫。袁術が寝るまで起きてるよ」
言って、頭を撫で───だからやめなさい、左手さん。
ともかく睡眠時の呼吸をイメージしての呼吸を繰り返す。
男と女じゃあ呼吸の仕方も違うかもしれないが、まあ些細なことだと構わずに。
やがて静かな部屋に袁術の寝息が聞こえ始めると、可愛い寝顔を確認してから軽くあくび。改めて目を閉じる。
明日はせめて、書簡整理だけで終わりますようにと願いを込めながら。
(あ……でも桂花あたりが無理矢理にでも用意してそうだ……)
俺に任せるための仕事を探すとか、どうか冗談であってほしい。
華琳はその手の冗談、あまり言わないんだろうけどね……ハハ……。
よし寝よう。明日の苦労は明日飲み込もう! 今は一刻も早く明日に辿り着いて、何かを頼まれるより早く隊舎に進入! 書簡を強奪し、ここへと戻って読み漁る!
隊舎で読むのもいいけど、書き足したいものとかがあった場合はここの方がやりやすいんだよな。隊舎では書けないってわけじゃないんだけど、あそこだと目立つし。
あの場で書簡に埋もれながら整理するのもいい……けどその場合、見つかった時点であれよこれよと頼まれるだろう。それはよろしくない。
なので回収し次第自室へ帰還、内容の確認と付けたし等を以って終了とします。
よ、よし、これでいこう。
鍵は凪が管理しているだろうから───まずは明日、華琳が凪に接触する前に凪と接触。鍵を得て隊舎で書簡を入手。自室で確認などをして返却、再び持ってきて……を繰り返す。
なお移動の際は気配を極力周囲に散らすことで消し、あたかも忍のように行動。
思春あたりにあっさり見つかりそうだが、それでも男にはやらねばならん時があるのだ。
(桂花は俺の悔しがる顔とか見たがるだろうから、直接俺に頼みごとをしに来るはず)
華琳は誰かに任せて間接的に命令を飛ばすだろう。
いや、そうする必要もないな……絶対に明日から三日、一刀に好きなだけ命令しなさいとか将全体に通達してある。
じゃあ華琳より先に凪と接触するのもアウトに近い。
接触の時点でなにかを頼まれれば断れないわけだ。
ならば……ならば? 凪から鍵を強奪する? ……凪が怒られるな、やめよう。そもそも奪える気がしない。
「………」
寝よう。
今考えても答えは出なさそうだし……回りくどい考えはもうやめだ。
明日から三日間で、意地でも書簡整理を完了させる。これは絶対に絶対だ。
あとはそれを成すだけの体力を、この睡眠でどれだけ得られるかだ。
(……頑張ろう)
ちらりと穏やかな寝顔を覗き、うなされていないことを確認すると、今度こそ沸き出す睡魔に抗うこともせずに眠る。
どうか明日、平和に………って、願うと平和に終わりそうにないから、普通に終わりますようにと願いながら。
……でも、これですらも地雷臭がするのはどうしてなんだろう。
少し、修行をセーブすればよかった。
そんなことを思ったのは、激痛のあまりに仕事が出来ず、酷い目に遭う夢を見たあとのことだった。
ネタ曝しです
*仕事が……早ェえんだな……
バキより、シコルスキーを捕まえたオリバへと、ソノダが贈った言葉。
*なにやらどっしりとした形……
美味しんぼより。むう、どっしりとした歯ごたえ……!
雄山さんのありがたいセリフ。
グランマックってやつはこう、どっしりとした歯ごたえでした。
“グランどっしり”ってヘンな名前つけてましたよ。
お待たせしました、47話です。今回ほんの少々だけ長めでした。ほんの少々だけ。
二日ごとに上げられたらなと根性で書いてましたが無理でした。
もう眠いです。意識がドチュンドチュン飛びます。
それでも16日以内に上げたかった、17日UPの47話です。
そんなわけで今回は鍛錬のお話。
帰ってきた貴方は鍛錬中毒者でした、みたいな回ですね本当に。
辛い時の体からの信号はきちんと受け止めてあげましょう。じゃないと身を滅ぼします。
いいところを見せよう、勝ってみせようとするとろくな目に遭いません。
しかしながら必要なことだから書かないわけにはいかない。
小説ってこういうことが多いです、はい。
そして長くなりすぎると疑問回収が不完全なままに終わってしまう、と。
難しい……。あ、毎度長々とすいません。もう、オチますです。
追記:風呂のことをスコーンと忘れていたので加筆しました。
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