119/隻腕のあなた 学ぶ時間は定期的。 息抜きする時間も定期的……ではない。 覚えなければいけないことが多くて、教師という名の監視が居るからにはサボることなど出来る筈もなく───いやそもそもサボる気はないのだが、時々息抜きをしたくなるわけで。 しかしながら“たった今やるべきこと”を終わらせた上、この場に監視が居ないのならそれも可能になるのだ。サボるサボらないに限らず。 「……ふぅ。これでよし、と」 冥琳に出された宿題を終わらせる。 時刻は昼時だろうか。 朝から付きっ切りで教師役をしてくれた冥琳は、雪蓮に呼ばれて部屋にはいない。俺はといえば、一人でさらさらと動かしていた筆を、今ようやく置くことが出来たわけだ。 そんな苦労を終えたところで、喉の渇きに気づいて水を口に含む。もちろん茶器なんて気の利いたものは用意していないから、机の端に置いてある常備用の竹筒を取り出して。 厨房にあった、華琳がデザ−ト作りに使ったらしい寒剤を使って冷やしてあるから、通した喉が冷やされて心地良い。……べつに特別、気温が高いわけでもないんだが。 「んっく………ぷはっ……ふぅ」 それにしても静かだ。 鳥のさえずりが時折に届く程度で、騒音らしい騒音も無い。 聞こえる音が騒音であることに慣れている自分が恐ろしいが、今はそんなことはどうでもいい。そう、誰も居ないのだ。昨日からずっとついてきていた恋も居ないし……もしかしてこれは、息を抜くチャンスなのでは? 「とはいってもなぁ……」 左腕がこの状態ではやれることも限られる。 抜け出して城下に行くって手もあるにはあるが、戻ってきた冥琳に迷惑がかかってしまう。いっそ書き置きでも……結果は同じか。 そう諦めかけるも、やっぱり息抜きはしたいのだ。さてどうする。 監視が居ない上に宿題も終わらせて、一応の区切りをつけた今が好機なのだ。 「ん、んんっ……」 思考を回転させてみる。 こう見えても本気を出した俺はすごいのだ。伊達に及川との馬鹿みたいな付き合いを経験していない。なので、弾けろ俺の遊び心! 「………」 ……。何も思いつかない! 「……まずい」 なんかもう仕事するのが当然みたいになってて、遊び心が働きづらくなっている。 そりゃあ国に返すためにいろいろ学んできたんだから、そうなるべきなんだろうけどさ。それだけしか出来ないのもまだまだ元気な一学生な自分にとってはショックなわけで。 むしろこういう時にこそ脳内孟徳さんに背中を押してもらいたいのだが。“今こそ好機、打って出よ!”とかさ。うん、必要な時にこそ全然浮かばない。俺の頭の中って案外適当みたいだ。 「たまには誰かにご馳走するためとか喜ばせるためとかじゃなく、純粋に自分の娯楽のための行動をとってみよう。それがいい」 言葉にして自分で確認、こくりと頷く。 よし、強く意識したところで行動開始だ。 「っと、やる前にちゃんと片付けないとな」 好き勝手に行動するのはいいけど、その所為で誰かに迷惑がかかるのは本意じゃない。 右腕で竹簡をカロカロと巻き、その右腕だけで持てる分だけ持つ。 宿題として纏めたものは机の上に置いておいて、冥琳に見てもらおう。 ……やっぱり一応書き置きもしておこうか。ああくそ、せっかく抱えた竹簡、また下ろさないといけないのか。物事を思いつくタイミングって、どうしてこう自分の思い通りにはいかないのか。 「ちょっ……と、息〜……抜〜……き、し〜て、き〜ま〜す、っと」 墨も竹簡ももったいないってことで、書き置き用にと用意した黒板にチョークを走らせる。相変わらずボキボキ折れるチョークだ。朱里が蜀から持ってきてくれたもので、一言書きたい時や例文を書く時などの役に立っている。立っているけど、チョークが折れやすすぎる。 氣で包んだら強度も増すかしら。 試しにやってみるが、文字を書けずに“コキュキキィイ〜!”と 「うひぃいいあああっ!!」 ……発砲スチロール同士を強く擦り合わせたような音が鳴っただけだった。 無駄に鳥肌を立ててしまった。 「よ、よし、書き置きはこれでいいな。うん。ささささぁて、息抜き息抜き〜……♪」 これからの息抜きを思い、努めて明るく出かける準備を。 無理矢理作った笑顔で、改めて竹簡を抱えて歩き出す。 ……その歩は、第一関門の自室の扉によって阻まれた。 「明るく……明るく…………はぁあ」 竹簡を下ろしてから扉を開けて、三度竹簡を抱えて外に出ると、足でバタムと扉を閉めた。行儀の悪いことだが、見逃してほしい。 「お」 外に出てみると、遠くから微かに聞こえる鎚の音。 トンカントンカンと鳴る音に紛れ、工夫さんたちの楽しそうな声が聞こえた。 よく響く声だ。張り合うように叫び合ったりでもしているんだろうか。 もちろんここから見える位置には居ない。 とはいえ、音を聞くだけでももうすぐみんなが騒ぐ祭りが始まるんだなぁって思えて、意味もなく高鳴る胸がくすぐったい。 「一日に積む竹簡の数と倉の大きさって、きちんとバランス取れてるのかな」 そんな自分を自覚しているだけに、少し気恥ずかしさが走る。まったく関係のないことを呟いてみたりするのだが、本当に関係がなくって余計にくすぐったかった。 「〜♪」 なのでうきうきする気分を隠すこともせずに歩くことにする。 恥ずかしさなんてそのうちに慣れるだろう。 むしろこんな時には高揚こそを楽しまなきゃ損ってもんだ。 大人になっても、いつも心に童心を。 遊び心を無くしたら、人間どんどんつまらなくなるだけだ〜ってじいちゃんも言ってたし、それにはとことん同意見だ。 「や」 「ああ北郷様。いつものですね?」 「ごめん、よろしく」 祭りのことを考えながらだと倉に着くのも早い。 番をしていた兵に扉を開けてもらい、竹簡を預けると再び太陽の下へ。 「北郷様、毎回毎回これだけの量……頭が疲れませんか?」 「さすがに疲れるけど、望んだことだしね。それよりその“様”っていうのは……」 「いえいえいえっ、この三国の同盟の柱となる北郷様に様をつけず、いったい誰につけましょうか!」 「……華琳と将だけでいいと思うぞ」 「…………隊長殿は変わりませんねぇ」 「これでも十分変わったって。あと喋り方はそれでいいから」 「そうですか。では、今日もお疲れ様でしたっ」 「ありがと。じゃーなー」 来た時と同じように兵に挨拶をして歩き出すと、いよいよ息抜きの時間である。 さて何をしようか。街に下りて何か買い食いでも……あ。久しぶりに桃を食べ歩くのもいいな。肉まんでもいいし。って、食べものばっかりじゃないか。 「確かに昼時だし、そろそろ腹が減り始めて……《きゅるる〜……》……る、な」 また誰にともなく頷く。 まずは腹ごしらえだ。そのあとに息抜き。 そのためには何を食うかを決めないとな。 厨房で作られたものを食べるのもそれはそれでいいし、手間もかからずありがたいことなのだが……ここは街の食べ物でいこう。息抜きも出来て腹も膨れる。一石二鳥だ。 ───……。 そんなわけで街である。 三国会合期間ってこともあり、街も結構な賑わいを見せている。 というのも、別の国の王や将を見てみたいと思いやってくる人や、三国で競う大会目当てでやってくる人が多く、そのための賑わいなのだ───と、朝に冥琳から聞いた。 「………《はぐっ、もぐもぐ》」 早速買った肉まんを頬張りつつ、てくてくと喧噪の中を歩いている。 うん美味い。 ふっくらと蒸かされた外側と、中の肉や野菜の餡が絶妙な食感を出している。こういうの好きだなシンプルで。肉まんの味って男の子だよな。……などと無駄にどこかのグルメの真似をしていないで、息抜きを堪能しよう。 でもほんと美味いな。なんていうかこう、心躍る美味さだ。 それが“サボって買い食いをしている”って意識にくすぐられる懐かしさの所為なのかは判断しかねる。認めたいけど認めたら認めたで、見つかって捕まった時の言い訳が思い浮かばなそうだ。 「……これ食べたら素直に戻るかなぁ。見つかる前に戻れるのが理想か。あむっ、んぐんむ……んん〜〜っ、おいひ〜」 「あぁあちょいとちょいとっ、隊長さんっ」 「むあ? っとと、んぐんぐっ…………ん、ふぅ。どうかした? おばちゃん」 肉まんを頬張りつつ、幸せ笑顔をしていたところへ急に声をかけられた。ちょっと恥ずかしい。 が、そんな恥ずかしさはさておき、何事かと見てみれば、おばちゃんが桃をひとつ突き出していた。 「おばちゃん、これって?」 「見ての通りさ。ちょいと熟れすぎちまっててねぇ。こんなもので悪いんだけど、捨てるのももったいない。隊長さん、よかったら食べないかい?」 なにやら懐かしい。呉でも饅頭屋のおふくろに桃を貰ったっけ。 ……朱里と雛里を尾行てる時に。 あれから結構経ってるのに、未だに存在する桃のなんと逞しいことよ。……ああ、だから熟れすぎてるのか。 「そっか、じゃあ遠慮なく。ついでにもう二つ包んでもらえる?」 「そうかい? 貰ってもらった上に買ってもらって悪いねぇ。いい男だよっ、隊長さん」 「ははっ、どうも」 桃を包んでもらい、金を払って歩きだす。持つのに難儀したが、まあなんとか。 熟れすぎたと言われても、食べる分には困りはしない。なので早速食べると強烈な甘みが口内に広がり、唾液線が刺激される感覚が少しだけ心地良い。 うん、これもうまい。甘みの中にある微かな酸味が、味覚を軽く刺激してくれる。 などと頭の中で解説しているうちに貰った桃は食べ終えてしまい、袋に包まれている桃をちらりと見下ろした。今ここで食うべきか否かを考えるため。丁度二つだし、いつかみたいに朱里と雛里にあげようか? はたまた自分ひとりで食べてしまうか。 なんとなく二つ買ってしまったものの、買ったあとで“こんなにいらなかったかも”って思うこと、あるよね。 「んー……と」 誰か居ないかと探してみる。 しかしこういう時に限って誰も見つからなかったりするのだ。世の中って不思議だ。 見渡す限りに人が居るのに、定位置以外には見知った顔がないのもある意味新鮮。 ちらりと見れば、警備隊の兵が道案内や子供の相手をしていて微笑ましい。これで一年も前までは戦をしていたっていうんだから、世の中っていうのは変わるものだとつくづく思う。 そんな光景に一層に頬を緩ませていると、 「げっ」 「いきなり“げっ”はないだろ」 人ごみの中からひょこりと顔を出すメイド姿の娘。 確認をとるまでもなく、詠だった。 「買い物?」 「手伝うとか言ったら蹴るわよ」 「先読みした上にそれはひどいと思うんだが……」 「言いもするわよ。その腕で手伝いなんてさせたら、月に何を言われるか解ったもんじゃないし、そもそも無理されたってちっとも嬉しくないわ」 「む。そりゃそうだ。───っと、じゃあ無理をさせないって理由で、俺の荷物を受け取ってはくれませんか、詠ちゃん」 「詠ちゃん言うな! ていうかあんた、たまたま会ったボクに荷物持たせる気!?」 「ん。お礼は荷物の中身全部。月と食べてよ」 ほい、と桃が二つ入った袋を渡す。 素直に受け取ってくれた割りに、中身はしっかりと確認する彼女は結構しっかり者だ。 「桃……いいの?」 「いや、買ったはいいけどそんなに食えなくてさ。丁度、二人組の誰かを探してたんだ。押し付けるみたいで悪いんだけど」 「……まあ、丁度よかったといえば丁度よかったわ。桃、食べたいって思ってたし。ほんと、たまたまで偶然で奇遇ってだけだったわけだけど。せっかくだし捨てるのももったいないから仕方なくだけど食べてあげるわよ」 これまた随分と遠回しな……。 でも遠回しな分だけ、感謝の気持ちがあるのかなと勝手に思っておけば、こちらとしても少しは気持ちがいい。 「いや、こっちこそ助かった。というわけで片腕が空いた俺に何か手伝えることは?」 「ないわ」 「えー……あ、じゃあ護衛でも。城に戻るんだろ? そこまで道を開こう」 「だから、その腕で無理されてもボクが困るんだってば」 「……どうしてもダメ?」 「なんでそこで捨てられた子犬みたいな目をするのよ……ていうかあんた、今は周瑜と勉強中じゃなかったの? まさかサボり?」 「いや、ちょっと休憩中。根を詰めすぎても高率悪いし、息抜きがてらに街に出てみたんだけど───《ちらり》……見事に人だらけで、もう何から手を伸ばせばいいのやら」 「そこで丁度ボクが見つかっちゃったわけね……」 あの。言い方に何気にトゲがありますが? 「あんたはそれでいいの? 息抜きって言ってるのに誰かの手伝いなんて」 「うぐっ……それがさ、聞いてくれ詠ちゃん……」 「だから詠ちゃん言うなってば! なんで“ちゃん”つけるのよ!」 「いや……だって呼び捨てにするのってちょっと抵抗が。大事な友達だし、遠慮なくいきたいんだけど……そうだな、遠慮無用だ。じゃあ、詠」 「…………な、なによ」 「なにか手伝い───」 「ないわ」 「詠ちゃんひどい!」 「だから詠ちゃん言うな!」 ともあれ事情を話す。 真面目にといろいろ努力をしてきたお陰で、息抜きの仕方もパッと思い浮かばなくなってしまった自分と、今の状況を。 すると目の前のメイド服姿の彼女は長い長い溜め息をお吐きあそばれた。 「あんたどれだけ魏に尽くしたかったのよ……」 「そりゃ、恩の数だけ」 助けられたことや教えてもらったことや叱ってくれたこと、一緒に駆け抜けた時間の数や一緒に苦労した時間の数、愛しく思った時間の長さや愛した想いの分……それらを恩として纏めた分だけ役に立ちたいと思った。 それが今や三国の支柱状態である。 それだけ恩が大きかったって納得するべきなんだろうな、ここは。 「蜀に居た頃もだったけど、あんたの愛国心って異常よね……天のことはどうでもいいの?」 「どうでもよくはないよ。ただ、好きな時に好きに帰れるわけでもないし、これから先、一生帰れないかもしれない。なら、答えが解らないことを考え続けるよりも、自分に出来ることで役に立ちたいじゃないか。支柱だからってただ立ってるだけなら、それこそ切り取った木にだって出来るんだし」 だから動ける柱に俺はなる! そんなつもりで意気込んではいるのだが、息抜きはやっぱりしたいのです。はい。 だからとすがるように目の前の彼女を見るのだが、やっぱり溜め息を吐かれた。 「それでもダメ。他をあたって。仕事がないわけじゃないけど、これはボクと月の仕事だから」 「うぐ……じゃあ無理だなぁ……」 残念だ。そりゃあ確かに息抜きしたいのに誰かの仕事を手伝ってちゃおかしくはあるものの、何もしないのは逆にソワソワして仕方が無い。……ハッ、そうだ。ならばもういっそ、工夫さんたちのところへ行って作業の手伝いを───! 「言っとくけど、工夫の仕事を手伝ったりしたらあんたの大将に言いつけるわよ」 「…………ハイ」 あっさりと希望を打ち砕かれた。 ふふ、さすがよな、軍師賈駆……よもやこの北郷の一手先をこうも容易く見破るとは。 「それじゃ、適当に息抜きを探しつつ……見つからなかったら素直に戻るよ」 「見つけるもなにも、適当にお茶を飲んで休んでればいいじゃない」 「いや、それがさ……体動かしてないと落ち着かなくて……」 「……蜀に居る間に鈴々や猪々子の筋肉馬鹿でも伝染ったの?」 「それはさすがに二人に失礼だろ……というわけで何か適当な提案、ないかな。特に思い浮かばないから、それを全力で実行してみようと思うんだ」 「はぁあ……」 厄介なヤツに捕まったとばかりに、また溜め息を吐かれた。 いや、違うんだよ詠。俺だってこんなふうにむずむずしてなければ探したりなんかしない。大人しく部屋でお茶をすすってたほうがのんびり出来たろうさ。でも俺のこの衝動はほら……いろいろ我慢するためのものであって、のんびりしていたら頭の中がいろいろとモヤモヤでして。 だからって誰かにそれをぶつけるのもやっぱり何かが違うって思うし、そもそも支柱になったばかりでそんなことやらかしたら、これまたいろいろと言い逃れが出来ないことが増えるわけで。……と、そんな微妙な顔色を俺の表情から受け取ったのか、また溜め息を吐いて歩き出す。 「詠? あのー……」 「服。破けてるところがあるからついてきなさいよ。そんな格好で歩かれたら、こんなやつを支柱にした王たちの人格が疑われるわ」 「へ? あ」 ちらりと見てみれば、確かに解り辛い場所が破けていた。 破けたというよりは軽く裂けているって程度。言われなきゃ気づかないレベルだ。 「ふぇえ……よく気づいたなぁこんなの」 「……ふ、ふん、当然でしょ? 嫌々ながらでも長いんだから、侍女生活」 つんとそっぽを向きつつ前を歩く彼女を追う。 しかし人がごったがえす中を歩くのは結構難しいらしく、別の誰かの影から歩いてきた人とぶつかりそうになることが何度もあった。 「っ、このっ……ちゃんと前見て歩きなさいよね……っ……もうっ……」 それでも前へ。 なるほど、背が低いって理由もあるだろうけど、今の時期は余計だ。 みんな祭り騒ぎに目を持っていかれていて、注意して歩く人のほうが少ないくらいだ。警備隊のみんなも頑張ってくれているが、この数だ。捌き切れていない。 だったらと近寄って肩を叩くと、不機嫌そうに振り向いた彼女へと自分の胸を叩いて笑んで見せた。 「……なに? まさか人垣を掻き分けて進むとでも───」 「いや、こっちこっち。こういう時には大体人が少ない道っていうのがあるんだ」 経験者は語りますと付け加えつつ、歯を見せてにししと笑って歩く。 はぐれないようにと、彼女の手を握って。 「ちょ、ちょっと」 「いーからいーから」 道をゆく。 脇道を逸れて区画ごとの建物の間をジグザグに通り、裏通りを抜ける途中で会ったアニキさんに笑いながら「おつかれー」と言い合って、最後に脇道を通り抜けるとハイ城の前。 「………」 「はい。これが少し時間はかかるけど、人にはぶつからないで済む方法」 「これでも隊長さんですから」と無意味に胸を張ってみせると、ぽかんとしていた詠が突然吹きだし、「その威張り方、朱里みたいだわ」って言って笑った。 「あ、でも誰かと一緒の時だけでお願い。今はアニキさんが目を光らせてくれてるからいいけど、裏通りとかはどうしても……さ」 「言われるまでもないわ。それより服やぶけたままで注意されると、なんだかこっちまでだらしないような気がしてくるから、早く来なさいよ」 「それを言うなよぅ……」 一応、自覚あるんだから。 ───……。 連れてこられたのは一つの部屋。各国の将が来るまでは空き部屋だった場所だ。 どうやらここが詠と月の部屋らしい。 ノックをしてから開かれたその先には月───ではなく、紫苑が居た。 ……え? なんで? 「あら詠ちゃん、どうしたの?」 「ごめんなさい、このばかが何処かで服を切ったみたいで、もし手が空いてたら繕ってもらえたらって」 「あら……」 「え……えー……」 てっきり詠か月が繕ってくれるのかと思っていたから、この状況は予想外もいいところだ。むしろ別の作業をしていたかもしれない紫苑に頼みに、ここまで歩いてくる詠も詠だ。 というか……前は意識してなかったけど、詠って紫苑には敬語で話すんだな。 「俺、てっきり詠が縫ってくれるのかと……」 「なんでボクがあんたの服を繕わなきゃならないのよ」 「こんな細かいところにまで目が届く詠だからこそ」 「……んだから、いいでしょ」 「? え? 今なんて?」 「だ、だから。紫苑のほうが上手いんだから、そっちのほうがいいでしょ?」 「………」 もしかして、裁縫が苦手? いや、出来ないとか? べつにおかしいことじゃないよな。天でなんて、出来ない子のほうが多かったくらいだ。いや、フランチェスカがそうだったっていうわけじゃなくてさ。 「言っとくけど、笑ったら蹴るわよ」 「笑わないって。むしろ天にも結構居たぞ? 裁縫出来ない女《ガドッ!》のこっ!?」 弁慶を蹴られた!? なんで!? 「いつ誰が“出来ない”って言ったのよ!」 「え……? で、出来るの……?」 「〜〜〜〜っ!!」 「《ガスガスガスッ!》いたっ! いたいいたいっ!」 同じところをガスガスと蹴られる。 庇いに入ったら入ったで別のところを蹴られるから意味がない。 「とにかくっ! 紫苑なら完璧に繕えるんだから、きちんと直してもらってよね!」 「その言い方って、急に部屋に来られた紫苑が物凄く困る言い方じゃないか……?」 「まあまあ。わたくしは構いませんよ。それより詠ちゃん? 今、手は空いている?」 「へ? あ、うん……もう買い物も済ませたし、届けるところに届けたから……」 「うふふ……そう。それじゃあ詠ちゃん? 裁縫、教えてあげるから、やってみましょうか」 「え…………え、えぇええーーーーーっ!!?」 突然の裁縫伝授宣言! 詠は驚きのあまり声を高らかにした! そして後退ると、とすんと俺の胸に当たる後頭部! 振り返ればいいのに、わざわざ仰ぐように俺を見る彼女の視線が俺の視線とぶつかった時、俺はにっこり笑顔で彼女の右肩をがっしりと捕まえた。 「ちょ、ちょっと! なんで掴───」 「まあまあ、息抜き息抜き」 「これはあんたの息抜きでしょ!? ボクはこれから月とのんびり───っ!」 「ああほら、裂けてるのを見つけてくれたんだし、どうせなら最後まで」 「理屈が通ってないにもほどがあるでしょそれ!」 「名目上の侍女さんでも、覚えておいて損はないわよ? いつか誰かと一緒になった時でもいいし、月ちゃんと一緒に何かを繕う時にも手伝えるし」 「あぅ……」 「はい決まり、じゃあ行こう」 「え、なっ! ちょっ……勝手に決め───うぁあああん月ぇえ〜〜〜っ!!」 にっこり笑顔の俺と紫苑に捕まった詠は、俺達に引きずられるままに裁縫教室へと飲み込まれた。女性二人の前で服を脱ぐのは気恥ずかしいものの、まあきちんとシャツも着てるし大丈夫だ。 そんなわけで、裁縫教室の始まり始まり。 ───……。 ちくちくちくちくちく…… 「うう……地味な作業だわ……」 「で、ここを通してこうやって……はいっ! 東京タワー!《ジャーーーン!!》」 「わー! みつかいさますごいすごーい!」 「わっはっはー! あやとりなんてよく覚えてたなって自分でも思う!」 詠が紫苑に教わりながらちくちくと裁縫をする中で、俺は璃々ちゃんと縛った紐を使ってあやとりをしていた。もちろん片手では無理だから、璃々ちゃんに糸を持ってもらってである。 ただ待っているのもこう……緊張するのだ、紛らわす何かを探していたところへ、丁度璃々ちゃんが戻ってきた。あとはこんな調子なわけで。 「くうぅうっ……人がこれだけ苦労してるってのにあのばかちんこは……!」 「詠ちゃん? 噂で人の悪口を言うのはよくないわよ」 「うぐっ……そ、そりゃああいつが……噂ほど見境無しじゃないってのは解ってるけど。ボクだって、自分自身できちんと自覚して友達やってるんだから、勝手な言い分でひどいこと言いたくなんてないけど……それ以前にあいつが、自分のことに頓着なさすぎなのよ」 素直な反応を返してくれる璃々ちゃんにつられるように、童心全開で騒ぐ。 そう、息抜きっていうのはこういうものだ。 大人で居なければいけない自分からの解放! これこそ! だってまだ学生だもの! 仕事の仕方は覚えたけれど、体を動かすにしてももっと“遊びッッ!”て感じの動かし方をしたかったのだ! なので全力で燥ぐ。 「子供みたいに騒ぐくせに、真面目な時はばかみたいに真面目だし、妙に大人びてるところがあるなって思うのに───自分のことを後回しにするところなんて、ほんと桃香みたいで……見てて危なっかしいのよ、あいつ」 走り回る。 きゃいきゃい騒ぎながら追いかけっこをして、紫苑にぴしゃりと怒られると途端にしょんぼりして。しかしながらしばらくすると騒ぎ始めて、璃々ちゃんとともにぐるぐると回転する。 やがて二人の遠心力とテンションが一つになった瞬間、俺は璃々ちゃんを片手で持ち上げ、璃々ちゃんは両腕を広げてキメポーズ。 スケートやバレエでするような奇妙なポーズで、ビッシィイイと停止する僕らが居た。 『オウレイ!』《ビッシィイーーーン!!》 なんとはなしに、決めていたキメゼリフも二人で言ってみた。 ……はい、紫苑に怒られました。 「だからいっぱい傷つく前に、注意出来ることはしとかないと……ほら」 「……そうね。桃香さまはたくさん傷ついたから……」 「よぅし璃々ちゃん! 次はなにがしたい!?」 「お馬さーん!」 「よし来た! 隻腕の馬の馬力、とくと見せてくれる!!」 「《にこり》やめましょうね?」 『《びくぅっ!》はいやめます!』 片腕と両足で地を駆ける修羅になってみようとしたら、紫苑に止められた。 俺と璃々ちゃんは揃って姿勢を整えて、ビッと敬礼して宣言。 むしろ笑顔がとっても怖かったです。 しかしながら童心は治まらず、「静かにしてようね〜」と小声で話し始めたのがきっかけで、小声で話し合う遊びに発展。いつか朱里と雛里ともやったような状況になった。 「はぁ……ほんと、大きな子供だわ」 「ふふっ……そう? わたくしはいいとは思うのだけれど……本当に、あそこまで璃々が懐く男の人も珍しいから」 「……まさか、あれを璃々の新しい親にとか考えてないですよね?」 「そうね……ふふふっ、わたくしはそれでもいいと思っているわよ? 知らない仲じゃないし、人の良さは折り紙つき。璃々も懐いているし、わたくしも嫌いではないから」 「うぁ……本気、なんだ……」 ? なんかちらちらと視線を感じる。 なのに振り向いてみれば、視線が合った先で「こっちみんなっ!」と舌を出す詠が。 あらやだかわいい……じゃなくて。 「?」 視線を感じたのに振り向いてみれば見るなと言われた。なるほど、気の所為か。 「みつかいさまみつかいさま、次はなに? なになにー?」 「次は、そうだなー……あ」 ハタと思いついて、人差し指に氣を集中。 体外放出して指先を輝かせると、それに驚いた璃々ちゃんへとそれを突き出す。 「天であった昔の作り話で、指に集めた光で怪我を治す〜っていうのがあったんだ。友達ってことを確認するのにも使ってた……かな? つまり信頼の証」 「?? ……お指とお指をあわせるの?」 「そう」 随分前に復刻版みたいなのを見たっきりだからなんとも言えないが、たしかそんなものだった気がする。 そんなはっきりしないことでも璃々ちゃんは楽しそうに手を差し出すと、灯るように輝く人差し指の光に自分の指をちょんとくっつけてきた。 「……へへー♪」 「えへへー♪」 そんななんでもないことで“にこー”と笑って、またきゃいきゃいと騒ぐ。 で、また怒られる。 「……ほんとにあれでいいんですか……?」 「遊ぶ時には遊んで、真面目な時には真面目。感情をきちんと表に出せる人のほうが、出さない人よりも付き合いやすいものなの」 「それは……まあ、解る気はしますけど」 怒られついでにちらりと見れば、詠が難しそうな顔でこちらを睨んでいた。 あれ? 俺、なにかしでかした? ……しでかしてなきゃ怒られないよな、ごめんなさい。 「それじゃあなんですか? もしここで璃々が、あいつがお父さんだったらなーとか言ったら、すぐにでも?」 「……気になる?」 「うぇっ!? や、べ、べべべべつに気になってなんか!」 「うふふふふふふふ……♪」 「…………楽しんでません?」 「詠ちゃんは可愛いわね」 「言っておきますけどっ! あ、あいつはっ、ただの友達でっ……! そそそれ以上でもそれ以下でもないですからね!?」 「友達っていうのは解るけど、本当に“ただの”友達?」 「……月を守るための盟友です」 「それだけ?」 「う……う、うーうー……! そりゃあっ……馬鹿正直だし実際ばかだし、自分のためとか言いながらも人のためになることを優先して動くし、そんなあいつを月は気に入ってるし、ぼぼぼボクだって嫌いじゃ───ってなに言わせるんですか!」 ……で、段々と声が大きくなってきて丸聞こえなわけだが……。 ようするに馬鹿って言われてるんだよな、俺……。 「みつかいさま、どうしたのー?」 「いや……現実って辛いなって……」 腕がこんなだから思うことだが、何か出来ることはないだろうか。 役に立たないと無能な支柱とか言われそうで怖い。 支柱であることが仕事だとか言われたらそれまでだが、それってみんなに気に入られていれば誰にでも出来ることだもんなぁ……。むしろ俺じゃなくて華琳って柱でも十分だ。 (……あれ? 俺……支柱じゃなくてよくない……?) なんてことを考えてしまうが、すぐに溜め息とともに外へ逃がす。 いろいろ考えなきゃいけないことばっかりで、そりゃあ詰まることもあるし失敗もある俺だ。最初からなんでも出来たわけじゃないし、教えられながら覚えてきたこともたくさん。一人で突っ走って誰かに迷惑かけることなんてそれこそ山ほどだろう。 でも。やっぱり“でも”だ。みんなは俺が支柱でもいいって言ってくれたんだ。約一名は除くが、異論は出されなかったんだ。なのにやっぱり支柱やめるとか言うのは裏切り以外のなにものでもないよな。 言われたことではあったが、きちんと自分で“なろう”って決めたんだ。お前にはもう無理だって言われるまでは、頑張ってみよう。もちろん、全力で。 「支柱……柱かぁ……《ぼそり》」 「はしらー? はしら……みつかいさま、だいこくばしらー♪」 「へ? 大黒……ははっ、そうだな。柱だ柱っ!」 「璃々しってるよー? だいこくばしらって、お父さんのことだよね?」 「おおっ、よく知ってるなぁ璃々ちゃん。かなり偏った知識だけど。学校で習ったのか?」 「うんっ! みつかいさまってみんなの、えっと……しちゅー? はしらなんだよね?」 「……うん」 つい今まで思っていたことを訊かれ、頑張ろうと誓った矢先のこと。 覚悟は胸にある。だから、うっすらと笑いながら確かに頷いた。 ちなみに大黒柱っていうのはあくまで、建物の中央などに一番最初に立てる柱として伝えられる、建物をしっかりと支えるそれこそ“支柱”ってもの。人間関係でいうなら、家族や集った人をしっかりと纏める中心人物的な存在。父親が大黒柱っていうのはそういう認識から来ているらしい。父親がぐうたらで、母とか長男長女が頑張っている場合は、支え頭が大黒柱ってことになる。 「じゃあ“しちゅー”なみつかいさまは、みんなの“だんなさま”なんだーっ」 「へっ!?」 「《ぶすり》いぎゃーーーーーっ!!!」 「きゃっ……!? え、詠ちゃん、大丈夫っ!?」 うっすらとした笑みが硬直に変わった瞬間、背後から聞こえる絶叫。 何事かと振り向いてみれば、指に針を刺したままにたぱーと涙する詠と、それを抜き取り布を当てる紫苑が。 「ちょっ……大丈夫か!?」 「大丈夫じゃないわよっ!」 「とわぁっ!? ご、ごめんなさい!?」 駆け寄った途端に怒られた!? え……俺、なにかした? どうしてか涙を滲ませた目で睨まれてるんだが……。 そして怒られてみて思い出したんだが……そろそろ気分転換とか息抜きとか、そういうこと言っていられる時間じゃなくなってないか? 自室で腕を組んでコメカミ様を躍動なさっておられる冥琳が頭に浮かぶんだが。 今何時……って言っても解るわけないか。 肉まん食べて桃食べて、詠と話して詠の護衛で街を歩き回って、それからこうして裁縫を横目で見つつ璃々ちゃんと遊んで…………うわぁ、随分時間が経ってるだろ、これ。 (む) でもそんな焦りと心配する心は別だ。 怒られはしたし睨まれてもいるが、ここは何を言われようとも無視で押し切る。 「え……あ、ちょっと!?」 詠の目の前まで歩いて、紫苑が布を当てている指をそっと手に取り、定番といえば定番なわけだが───口に含み、傷口を舐めた。 「!?」 刹那、詠はピキーンと硬直してしまう。 そんな硬直を利用するようで悪いが、口に含んで舐めている傷へと氣を流して、傷口を治そうと試みる。冥琳の時や自分の時と似たようなものだ。相手の波長と合わせるように、攻守のうちの守りの方の氣を上手く操って、早く治りますようにと願った。 しかしこれが、攻守が一緒くたになる前よりも扱いづらい。 ならばと集中して、口内に少しずつ広がってゆく鉄分の味を感じながらも、 「うわわわわわぁああーーーーーっ!!」 「《ドンッ!》とわっ!?」 なんとか癒そうとしたところで押し退けられ、体勢を低くしていたこともあって、その場に尻餅をついてしまった。 「なななっななな……! 急になにすんのよっ!」 「へ? なにって……治療?」 まさかそんなことを訊かれるとは思ってもみなかったので、首を傾げながら返した。 あ、もしかしていきなりやったのを怒ってるのか? 「えっとな、人の唾液には殺菌効果があって……」 立ち上がりながら説明。 もう一度詠の手を取ると、紫苑に借りた布で唾液を丁寧に拭う。その際、常備用竹筒の水を少し使って布を濡らした上でだ。全部飲まなくてよかった。まさか、いつかの明命の怪我に続いて詠の傷口に使う日が来るとは。 そんなことを懐かしく思いながらの手当て……なのだが、詠が椅子に座りながら蹴りをかましてきた。だがしかし、無駄に見切って避けてみた。……おお、意外なところで修行の成果が《ゲシッ!》……現れたと喜んだところで改めて蹴られた。油断って怖い。 「いたた……でも、空気に触れた唾液にはそれほど効果が望めないどころか、細菌を増やす結果になるから、口に含んで舐めるんだ。舐めたら洗って拭く。これ大事」 弁慶の泣き所を綺麗に蹴られ、蹲りたい気持ちを抑えながら説明。 だから嫌がることはないんだぞーと言ってみるのだが、「だったらべつにあんたの唾液じゃなくてもいいじゃない……」とカウンターをくらった。……言われてみればそうだった。 「まあ……いやらしい意味でやったんじゃないってことだけは解ったから……その。け、蹴ったこと、謝るわ。悪かったわよ……」 「いや、こっちも説明も無しにいきなりだったから。以前、それで翠にも怒られたんだった。ごめん」 「うあ……他のやつにもこんなこと平気でやってるんだ……」 「だって、痛そうにしてるのにほっとけないだろ?」 「ねー♪」 「なー♪」 会話の最中に横からにっこり笑顔を除かせる璃々ちゃんとともに、首を傾げながらにっこりと笑って言う。そうしながらも、詠の傷口に濡れた布を当てながら氣を流す。単純に流すんじゃなくて、覆うように。 早く治りますようになんて願っても、早く治ったりはしないんだろうけど願う。 するとどうでしょう。サッと布をどけてみた先には、赤い小さな点の傷口はあるものの、血が出てこない綺麗な指先がありました。 「え……もう止まってる……?」 「おお……」 なんでもやってみるもんだ。 そりゃあ針で刺した傷って血が止まりやすくはあるし、冷やしたお陰で傷口が多少は狭くなったことも関係しているんだろうけど、ともかく止まった。 横でホッと息を吐く紫苑に、なんとなく苦笑を送って布を返す。濡らしちゃってごめんなさいときちんと謝った上で。 「圧迫したら血が出るだろうから、針仕事はまた今度にしたほうがいいかも」 「ええそうね。それじゃあ詠ちゃん、また今度、時間が取れたらいつでも訪ねて頂戴ね」 「うぅ……こんな筈じゃなかったのに……」 「ごめんね詠お姉ちゃん……璃々がおかしなこと言っちゃったからだよね……」 「あ、璃々はべつにいいのよ、おかしなことって言っても、反応するほうが悪いんだし」 「うふふ、それだけ意識してるってことでいいのかしら」 「だっ……だからそんなんじゃっ!」 大黒柱かぁ……支柱って言葉から、まさかそんな話になるとは思わなかったな。 っと、それよりも時間! 「う、あっ……わ、悪いっ! なんか今、直感というかサボ……ゴニョゴニョで養われた危機察知能力が働いたっていうか!」 戻らないとまずい! なんだか背筋を伝う冷たい感触が、実際になにかあるわけでもないのにヒタリヒタリと這い上がってくる! これはあれだ! 春蘭の手料理を目の前にドンと置かれて、“食え。食わなければ斬る”と脅される時のような感覚ッ!! ……自分で思っててなんだけど、とてもひどい拷問だ。食うけど。 しかし走り出そうとした俺の腰に、きゅっと抱きつくなにか。 見下ろせば璃々ちゃんが居た。 「璃々ちゃん? あの、俺行かないと」 「服ー、忘れてるよみつかいさまー」 「へ? あ」 ちらりと見れば、にっこりと笑いながら制服をはいと持ち上げてみせてくれる紫苑が。 慌てて受け取ろうとするとにっこり笑顔のままに「落ち着いて」と言われ…… 「ふえっ!? あ、ああああのっ、紫苑っ!? じぶっ……自分で着れるからっ! ていうか、渡してくれれば走りながらでもっ!」 「ふふふっ、いいのですよ」 後ろを向かされて、なんでかごそごそと着させられるハメに。 持ち上げられた制服に腕を通すと皺を整えてくれて、正面に回ってきた彼女が服の前を整えてくれる。もちろん左腕はポッキリ状態だから、制服が落ちないように首の部分あたりを整えるだけで終わったわけだが───なんというかこう、手馴れた手つきだ。 「はい、もう動いても構いませんよ」 「うぅうっ……!」 やばい……これ、めちゃくちゃ恥ずかしい。 まともに紫苑の顔見れない。というか口周りを手で押さえてないと、どうしようもなく緩む顔が見られてしまう。天での新婚さんは、こんな温かさとか顔が緩むひと時を毎日味わっているのだろうか。 (………) 真っ先に脳裏に浮かんだのが、華琳が妻になった自分だった。 で、華琳が甲斐甲斐しく俺に背広を着させてくれて───………… (ないな) うん、あまりに現実離れしすぎてて、逆に冷静になれた。 そうなると顔のニヤケも“ビッタァ!”と止まってくれて、同時に……服を着させてくれた紫苑の前で別の誰かの妄想をする失礼さ加減に、さすがに申し訳なさを感じた。 「えと……なんかごめん」 「? 構いませんから」 素直に謝ってみたが、服の着付けに関しての感謝的ななにかとして受け取られたらしく、普通に受け流された。流れからしてそりゃそうだ。 改めてもう一度ごめんと言うと、部屋を出て走り出した。
ネタ曝しです *指に集めた光で怪我を治す E.T.より。 もはやうろ覚えでございますが、結構有名でしたよね? 次へ続きます。 Next Top Back